神道レイプ!穢れと化した空手部
木村「以前にゴータマの思想についてやりましたが、彼の思想は『仏教』として日本に伝来したのは流石に御存知だと思います。しかし日本には古来より『神道』たる信仰も存在するのです。今回は日本で発展した思想についてやっていきますよ」
野獣「俺もガキの頃は『神社』と『寺』の違いがよく分からなかったんだよなぁ…」
木村「神社は日本古来の多神教である神道、寺は外来より至った仏教の施設ですね。この事に鈍感な人は多いと思いますよ」
三浦「どっちも祈って願う場所としか認知されてないからね、しょうがないゾ」
木村「最初は神道について少しやりますよ。まず日本古来よりある神道とは、自然の中に神を見出して崇拝するものです。これを『アニミズム』と言います」
野獣「これが俗に言う『八百万の神』ってやつか?」
木村「そうですね。古事記や日本書紀などに描かれる日本神話で『祀る神』と『祀られる神』と表現されるように絶対神、つまりヤハウェやアッラーのような存在は居ないのです」
三浦「祀る神と祀られる神ってどういう事ゾ?」
木村「どの神も祀られると同時に、背後に控える神を祀るんですよ。つまり絶対的な、これと言った神は存在しません。だから『八百万の神』なのです」
野獣「はえ^~」
木村「そして、このような神には『祟りの神』と『恵みの神』と言う二局面があります。どういう事かと言うと、要するにアニミズムとして自然を信仰していたんです。それはつまり地震や台風などの『自然の脅威』もあれば、豊作や雨などの『自然の恩恵』と言うアメとムチがあった訳です。ですから、こうした祟りへの鎮魂と恵みへの感謝を込めて『祭祀』が行われるようになったのです」
三浦「この『祟りの神』としての一面もあるから、菅原道真のような怨念を遺して死んだ人は祀られたのかゾ?」
野獣「菅原道真って大宰府に左遷されて亡くなった人ですねこれは…」
木村「ええ、そうです。人々は祟りを恐れました。故に祭祀を行い、人物を祀って魂を鎮めようとしました。逆もありますよ、現代で言う靖国神社のように」
三浦「そうだよ(便乗)」
木村「また、古代日本は『罪』『穢れ』が忌憚されていました。罪とは社会秩序を乱すこと、穢れとは禍を招く行為ですね。こうした罪や穢れは『禊』や『祓い』で払拭出来るものである、と考えられていました」
野獣「神社とかに行く時、御参りする前に手を水で洗うことの原点はこれなのか?」
木村「ご明察の通りです。正しく禊こそが『水によって穢れを洗い落とす』事であるんです。また祓いは『供物や祝詞で穢れを祓う』事です。神社の中にある手洗い、事細かく言えば『手水』の源流はここにあります」
三浦「つまり手水をしない現代人は穢れを祓えていない可能性が微レ存…?」
木村「それはその人が神道信仰かによりますよね。異教の人ならまだしも、単に盲目的に神道信仰で且つ面倒との理由でスキップしているのなら、それは『穢れ』が祓えていません。神道信仰ならば手水をしましょう(忠告)」
野獣「ん、おかのした」
三浦「今までやっていなかったかのように反応するのは困惑するからNG」
木村「…話が逸れましたね。今度は『清明心』についてやります。清明心とは明朗快活な、晴れ晴れとした心の事です。『清く明き心』とも呼べて、嘘偽りが無く他者を思いやれる心の事です。因みにこれの反対語は『汚心』『黒心』です」
野獣「俺らは清明心をしっかり持ててるのかどうか、コレガワカラナイ」
三浦「ホモビデオなんかに出演してる私利私欲の塊が清明心なんか持ってる訳ないだろ!」
野獣「少なからず演技であれ、後輩を無理強いに犯すのは汚心まっしぐらだよなぁ…」
三浦「悲しいなぁ…」
木村「だったら最初からホモビデオなんかに出なければ良かっただろ(タメ口)」
三浦「あっ、そっかぁ…」
木村「あーまた話が逸れちゃったよ(棒読み)…話を戻します。日本はそんな神道信仰が盛んでしたが、外来の文化を容易に形容して独自の文化を形成していきました。仏教が伝わり、儒教が伝わり、西洋文化が伝わって来ました。これらの積み重ねを『日本文化の重層性』と呼びます」
三浦「遣隋使とか使節団とか、様々な手段や方法を用いて外来の文化を得ようとしてきたよなぁ…」
木村「こうした日本文化について、アメリカの文化学者であるルース・ベネディクトは『恥の文化』と言います。他者との和を重んじて、他者からの批判を避けるために恥を恐れ、自粛的な志向が強いのです。正しく現代日本の象徴です」
野獣「確かに恥を恐れて、西洋やアメリカのように堂々と主張出来ないですね、ウン」
三浦「『出る杭は打たれる』と言う諺が日本の文化を体現しているよなぁ」
木村「さて、今回はここまでです。次は日本に伝来してきた仏教についてやりますよ」
野獣「おう考えてやるよ」