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迫真空手部・哲学の裏技  作者: そのまんま東のような人物のイラストをイメージ画として自身が一種の淫夢系のキャラクターとして扱われている、近年ではイワナ系朗読やFXで有り金を溶かしたりしている朗読兄貴
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朱子学レイプ!理と化した空手部

木村「今度は朱子学です。今までは儒教が主流でしたが、儒教だけでは宇宙のあり方を説明出来ません。ですから、老荘思想や仏教、陰陽説を取り入れて生まれたのが朱子学なのです」


野獣「ごちゃ混ぜですね…」


木村「こう言った意味では"新儒学"ですね。これを提唱したのが、朱熹という人です。彼はまず、万物は『理』と『気』から出来ているのだ、というのです」


三浦「『理』と『気』って何ゾ?」


木村「最初に『気』ですが、これは万物の物質を形成する粒子をいいます。ですから、万物の物質面は『気』で出来ているのです」


野獣「じゃあ『理』は精神面だな!」


木村「基本はそうですね。『理』とは、天が僕たちに与える自然の法則のことです。あらゆるものが「そのもの」であるために必要な、本質の原理です。要するに万物の本質こそが『理』なのです」


三浦「そうなのかゾ…」


木村「そして、当たり前ですが人間にも『理』はあります。それは『五常』です。以前に董仲舒が『信』を付け加えて完成させたものですね」


野獣「でも、『理』って人間が自ら生み出すようなものにさえ思える気がするゾ…」


木村「今言った三浦先輩のような考えを抱く人が、後に出てきます。それは朱熹の紹介が終わってから説明したいと思います」


野獣「オッスお願いしま~す」


木村「こう言った『理』と『気』で万物が出来ていることを『理気二元論』といいます。ですから、全てには『理』が備わっているのです。よって、『理』は個物の本質を決めているのです」


野獣「つまり『理』が本質を決定しているんだな」


三浦「たしかに『気』は物質的なものだから、こう言った本質の側面は全て『理』が決定するゾ…」


木村「その『理』を授けるのは天です。天が僕らを欺くとは思えません。ですから、こう言った本質は全て『善』である、と朱熹は考えます。これを『性』といい、心の本質でもあるのです。言い換えて"本性"ですね」


野獣「その『性』は『気』と即していると思えるぜ」


木村「そうなんです。ここで言う『性』と『気』とは、同じく「心の本質」なのです。これを『性即理』というのです」


三浦「でも、俺らはよく欲望や嫉妬を持つゾ。全てが全て『善』とは限らないと思うゾ…」


木村「その通り、僕たちは欲望などを持ちます。ですから朱熹もこう言います、「心は『性』と『情』が合体したものだ」、と。『情』とは、俗に言う欲望です。人間の本質は『善』ですが、僕たちを形作る『気』が『情』を動かし、『欲』を生み出すのです」


野獣「五常に沿って生きなくてはならない人間も、『気』が五常を覆い隠してしまえば、自然と『情』が動いてしまいますね…間違いない」


木村「ですから、僕たちは『気』の暴走を抑えなくてはいけません。ですから、『理』を学ぶ必要があるのです。こうした『理』を知り、『気』を抑えられる人物を『聖人』と呼んだのです」


三浦「キリスト教と『聖人』とは別の意味なんだな」


野獣「そう言った意味では『真人』に通ずる何かがありますね…」


木村「なので、僕たちは『理』を抑える必要があります。ですから、自分に備わる『理』を完全に理解し、『気』を抑えるための実践的な方法を行わなくてはなりません」


野獣「当たり前だよなぁ?」


木村「この実践的な方法は二種類あります。一つ目は『居敬』です。これは日常のどんな時にも意識を集中させ、心の安静を心がけるのです」


三浦「心の修行をするのか…」


木村「ええ。なので、もう一つも心の修行です。それは『窮理』といい、自分以外に備わっている『理』を見極めていくんです。そうすることで万物に共通する『理』が明らかになるんです」


野獣「長い道のりそうだなぁ…」


木村「この二つを合体させたものを『居敬窮理』といいます。これが朱子学の基本的な修行方法となるのです」


野獣「はえ^~」


木村「また、窮理を行っていくことで、万物に共通する『理』が明らかになると同時に、自分の持つ『理』をも明らかになれるのだ、と考えます。この瞬間を目指す探求を『格物致知』といい、これこそが朱子学における最大の境地だ、と朱熹は言うのです」


三浦「なんか明鏡止水みたいだゾ」


木村「こう言った格物致知の境地に達するには、四書五経をたくさん読む必要があると言ったのです。ですから朱子学は、科学の発展に貢献する事はありませんでした」


野獣「そりゃ過去の中に答え求めてるからねぇ…」


木村「忘れているかもしれませんが、先ほど三浦先輩が言ってくれたように、「『理』は自ら生み出すのではないのか」と考えた人がいます。この人を王陽明といい、彼は朱子学に対して『陽明学』を立ち上げたのです」


野獣「言われてみれば分かるけど、自分の『理』がウンコの中にもある『理』と同じって考えると嫌だよなぁ…」


三浦「お前の存在はウンコみたいなもんだゾ」


野獣「ひどい」


木村「朱子学に異議を唱えた王陽明は、『理』は『心』そのものである、と考えました。つまり、自分が「これは善だ」と考えたものこそが『善』なのです。これを『心即理』といい、『性即理』とは対をなすのです」


野獣「自分の『理』は自分にしかない、はっきりわかんだね」


木村「ええ。ですから心即理という意味では、人はみな『聖人』なのです。そして、備わっている『理』を実行する事で『善』が誕生するのです」


三浦「人に親切したり、礼を行うことで『善』が生まれるのは良く分かるゾ!!」


木村「ですから、こうした『心即理』は『性即理』とは異なります。この両者の違いは、最初から皆が『聖人』であるかないか、ですね」


野獣「俺は聖人だった…?」


三浦「野獣だけじゃない、俺ら皆聖人だゾ!!」


木村「いや、そんなこと…(照れ)」


野獣「何照れてんだよKMR!」


三浦「そうだゾ!!」


木村「…話を本筋に戻します。王陽明にとって、『理』とは『心』を正しく持つことで得られるものでした。それは、人間の心には生まれつき『良知』があるからなのです」


野獣「良知ってなんだよ(無知)」


木村「『良知』とは、万物の正しさです。つまり五常で説いたようなことが、最初から分かっているというのです。この良知を行っていくことで『善』が生まれます。これを『致良知』と呼びます」


三浦「そう考えると、陽明学って行動を重視してるな…」


木村「そうです、簡略化すれば「自分が正しいと思ったことを行え」です。ですから、いくら知識があっても行動しなければ意味がありません。真の知識は"行動"なのです」


野獣「行動することで、善を達成できる。そう言った意味では行動第一だな」


木村「はい。知識とは、行動があって初めて役立つものです。こう言った行動第一主義を『知行合一』といいます」


野獣「なるほどなぁ」


木村「さて、今回で中国思想は終わりです。孔子、孟子を代表する諸子百家思想は、今の我々に通用する格言を沢山残しているので、時々考え直す必要がありますね」

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