老荘思想レイプ!タオと化した空手部
木村「さて、今度は兵家についてやりましょう。兵家の代表人物である孫子は、戦争に勝つための戦略を説きました。これをまとめた著書を『孫子』といいます」
野獣「しかし、どんな戦略を説いたんだ?」
木村「一つ例を挙げますと、『算多きは勝ち、算少なきは勝たず。』とあります。これは、戦う前に勝てる可能性があるかどうか調べるべきだ、と言うものです」
三浦「今にも通用するな…」
木村「彼の説いた戦略の数々は、こうして現代にも役立つものなんですよ。もし時間があったら、読んでみてはいかがでしょうか」
三浦「おっ、そうだな」
野獣「読みますよ~読む読む」
木村「次は名家です。名家の中心人物である公孫竜は、名前と名前に対応する実体について考えました。つまり、「馬」とは馬の形の概念を示し、「白」とは白色の概念を指すのです」
三浦「当たり前だよなぁ?」
木村「では、「馬」と「白馬」は同じであると言えるでしょうか?…答えはノーです。「白馬」とは、形だけの概念である「馬」と、色だけの概念である「白」を合体させたものなのです」
野獣「確かに、「これは馬だ」って言ったとしても、それは白馬であれ黒馬であれ通用するなぁ…」
木村「先程の馬の例えを、公孫竜は『白馬非馬論』といいます。こうした論理的な考え方を説くのが名家なのです」
三浦「アリストテレスに近い何かを見た」
野獣「ギリシャ哲学かな?」
木村「また、公孫竜は「白」や「堅い」などの概念は存在すると言います。これを『堅白論』といい、イデア論みたいなものです」
野獣「『白』という概念があって初めて、白馬や白鳥がある。『堅い』という概念があって初めて、コンクリートや鉄がある。…こう言いたいんだろ?」
木村「はい。そして、公孫竜はこう言った概念は人間の認識とは一致していないと言います。つまりカントの物自体的な考え方です。これを『指物論』といいます」
三浦「時代を先取りしてるゾ…」
木村「ですが、こうした公孫竜の思想は「詭弁だ」とされ、忘れ去られてきました。これが西洋と東洋の違いなのです」
野獣「東洋は関係性を重視するから、こうした形而上学的なのは受け入れ難いんだな…」
木村「さて、今度は陰陽家です。代表人物である鄒衍は、儒教の関心が人間社会にしか向けられていないことに、視野の狭さを感じました。そして鄒衍は、ついに宇宙に目を向けたのです」
三浦「なんか急に話がビッグになったゾ!!」
野獣「何者だよ、この鄒衍ってやつ…」
木村「まず、全ての物は『陰』と『陽』という概念に分かれます。「陰」には"闇"や"冷"といった概念が、「陽」には"光"や"暖"といった概念が含まれています。要するに対立ですね。これを『陰陽説』といいます」
三浦「二項対立みたいゾ」
木村「そして、万物は「木」「火」「金」「水」「土」の元素からなり、互いに影響を及ぼして変化する考え方があります。これを『五行説』といいます」
野獣「これはこれで惑星みたいだな」
木村「この二つを合体させたものを『陰陽五行説』といい、鄒衍は宇宙の原理をこれで説明しようとしたのです」
三浦「はえ^~すっごい…」
木村「今度は縦横家です。まず、縦横家が出てきた当時、秦という大きな国が影響を及ぼしていました。縦横家の代表人物である蘇秦は、ほぼ縦に並ぶ国どうし連盟を結び、秦に対抗するべきだ、と考えました」
野獣「名前が『蘇秦』というのに、秦に対抗するよう言うのは草」
三浦「なにわろてんねん」
木村「こう言った、縦どうしの国で同盟を結ぶ考えを『合従策』といいます。また、それぞれの国が個別に秦へ対抗する考えも生まれました。つまり並列になるんですね。これを『連衡策』といいます。こうした『合従連衡』の考えは、今にも通用しているのです」
野獣「『合従策』の縦、『連衡策』の横。だから縦横家なのか」
木村「はい。…続いては法家についてやっていきます。韓非子を始めとする法家は、法律によって国を統治するよう言いました。これを『法治主義』といい、秦は法治主義にならって中国を統一したのです」
三浦「今でも法治主義は当たり前の用にあるゾ」
木村「この場合の法治主義は、すぐれた者には『賞』を与え、罪を犯した者には『罰』を与えることが大事であると言われたのです。これを『信賞必罰』というのです」
野獣「今でも信賞必罰の精神は用いられてますねぇ!!」
木村「今度は道家についてです。道家の祖である老子は、仁や礼といったものは世の乱れに対処するために仕方なく作られたものである、といいます。ですから、むしろ仁や礼の必要が無い社会こそが大事である、といったのです」
野獣「やべぇよ…やべぇよ…」
三浦「克己復礼が否定されてしまうゾ…!!」
木村「仁や礼の必要が無い社会に戻る以上、自然の法則にしたがって生きる必要があります。これを『タオ』といい、タオに従うことが道家思想の中で中心となるのです」
野獣「つまり、自然法則そのものがタオってことなのか?」
木村「いいや、宇宙のあらゆるものを成り立たせる存在です。ですから、我々はタオに触れることは出来ません。また、タオは特定のものでもないのです。ですから『無』とも言いかえれます」
三浦「このタオが全ての根源なのかゾ?」
木村「ええ。タオは天地が出来る前から存在し、常に『有』を生み出してきました。そして『有』、つまり万物はやがてタオに回帰するのです」
野獣「結局タオに戻る以上、価値も変わるんだな」
木村「そうです。全てはタオに戻ります。ですから、結局タオに戻る『礼』や『仁』に従っていても、意味がありません。ですから老子は自然法則に従って生きよ、といったのです」
三浦「全てはタオに戻る、って考え方がニーチェの永劫回帰に似てるゾ」
木村「ですから、所詮は道徳や文化なんて価値はありません。全てはタオに戻るから。だから僕たちはタオに従わなくてはいけません。だから自然法則に従うのです。これを『無為自然』といいます」
野獣「無為自然って道家の思想だったのか…」
木村「また、ここで道家として出て来るのは荘子という人物です。老子と荘子におけるタオの捉え方は異なっていて、老子は「名誉や財産に振り回されずに、自然法則に沿って生きる」ことを、荘子は「善悪、大小といった区別を取り除き、自由に生きる」ことを『タオ』と呼んだのです」
三浦「つまり老子は人為的なものを否定し、荘子は差異を否定したんだな!」
木村「今、三浦先輩の仰ってくれた通りです。この二人のタオに対する考え方を合体させて、『老荘思想』というのです」
野獣「しかし、荘子の思想についてはまだやってないぜ?」
木村「今からやりますよ。…ある日、荘子は自分が蝶になっている夢をみました。夢から覚めた彼は、自分が夢で蝶になったのか、それとも今の自分が夢なのか、分からなくなってしまったのです」
三浦「これが胡蝶の夢ゾ?」
木村「ご名答です。…この世界は夢なのか、それとも現実なのか。これを『胡蝶の夢』といいます。しかし、この世界が夢なのか現実なのか、誰も証明は出来ません。ですから、今を存分に生きればよいのだ、と荘子は言います」
野獣「トルストイ的な考え方ですね…」
三浦「これは夢なのか現実なのか……。蒸し暑い真夏の昼、加熱した欲望は、遂に危険な領域へと突入する。」
野獣「やめろォ(建前)ナイスゥ(本音)」
三浦「淫夢は胡蝶の夢だった可能性が微レ存…!?」
木村「ないです(拒絶)」
三浦「あっ、そっかぁ」
木村「…話を戻します。善悪、大小といった区別は人間特有なものだ、と荘子は考えます。ですから、人間が存在しなければ区別なんてないのです。よって、荘子は区別を全て取り除きました。こうして出来上がるのは、万物が一つになった集合体です。これを『万物斉同』といい、究極的には「自分」と「自分以外の物」は全て同一なのです」
野獣「これがさっきの老荘思想でやったやつか!」
木村「ええ。こうした区別はない万物斉同の中では、有用か無用かの関係は必要ありません。全てが絶対的な価値を持っているのです。これを『無用の用』といいます。ですから、人生においても価値の優劣はありません。だから荘子は、出来事を全て受け入れて人生を楽しむべきだ、といいます。これを『運命随順』と呼ぶのです」
三浦「俺も運命随順に沿って生きるゾ!」
野獣「で、運命随順に沿って生きた結果がホモビ出演ですか…」
三浦「お前もだゾ」
木村「そんな荘子ですが、彼の言うタオとは万物斉同の世界なのです。つまり、彼の考えにおける「タオに従う」とは、「区別のない万物斉同の世界と一体化する」ことなのです」
野獣「だったら区切られた善悪や大小などを全て忘れる必要がありますね…」
木村「そうなのです。こう言った方法を『心斎坐忘』といいます。この心斎坐忘を行い、全ての区別を取り除いて初めて見える世界が『明鏡止水』です。この『明鏡止水』の境地に辿り着いた人こそを『真人』と表現するんですよ」
三浦「でも、真人になるのは大変な道のりだと思うゾ…」
野獣「嫉妬や正義感といったものを忘れて行くのは、かなり大変だろうなぁ…」
木村「大変だと思います。ですから『真人』と呼ばれるのです」
野獣「んにゃぴ…」
木村「そんな最中、法家の法治主義をとった秦は中国を統一します。そして儒家の書物を全て焼いてしまったのです。ですが、漢の時代になると再び見直されます。そして儒教の基本書が設定されたのです」
野獣「まず何で全部焼いたのか、コレガワカラナイ」
木村「儒家思想の人たちが、当時の政治を批判していたからですよ。一種の思想弾圧です。…しかし、これがあって再び見直され、整ったのもまた事実なのです」
三浦「はえ^~」
木村「こうした基本書を『四書五経』といいます。まず『四書』には「論語」「大学」「中庸」「孟子」があてはまり、『五経』には「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」が入ります。こうした四書五経から、新たな思想が生まれて行くのです」
野獣「気になりますねぇ!」
木村「今回はここまでにしたいと思います。次回で中国思想は終わりです。呆気ないですが、とても内容は濃かったと思います」