実存主義レイプ!存在者と化した空手部
木村「さて、次に移りましょう。…今度も資本主義経済が発展して生まれた哲学です」
野獣「資本主義経済の発達って相当な影響を与えてるんですね…」
木村「…こう言った資本主義経済の発達は、個人が主体性を失って社会に飲みこまれてしまうかもしれない、と言う思想を引き起こします。つまり、社会が個人を飲みこむことを恐れたのです。そして我々は不安や絶望を感じるようになるのです」
三浦「資本主義が発展してから、社会が人格を持つようになった。それは我々を社会に溺れさせ、やがて「自分」が「自分」で無くなっていくことを恐怖した…こう言いたいのかゾ?」
木村「流石ですね、三浦先輩。そうです、自分が自分で無くなる事を怖がったのです」
野獣「MUR流石っすね…」
木村「そう言った「自分が自分であるために、どのような生き方をするのか」と言う思想を『実存主義』と言います。こうして彼ら実存主義者は、自分を取り戻そうとしたのです」
野獣「なんか哲学っぽくなってきましたね…」
木村「世間的に「哲学」と言う文字は基本的に実存主義を示していますね、少し許し難いですが…。…まあ、最も哲学らしい部分なのかもしれません」
三浦「哲学ってなんだよ(哲学)」
野獣「哲学です」
三浦「あっ、そっかぁ…」
木村「…話を本筋に戻しますが、先程やったヘーゲルの思想は大きな影響を与えました。それは弁証法を経て得られる、客観的な真理です。ですが、それは「今を生きるための真理」なのでしょうか?」
三浦「今を生きるための真理は客観的なものではないと思うゾ。…自分自身の人生の主人公は自分だゾ。だから主体的なものじゃなければ駄目だと思うゾ」
木村「流石です。先輩、なんか冴えていませんか?」
三浦「いや、そんなこと…」
木村「今の三浦先輩と同じことを言った哲学者が出てきます。その名はキルケゴールと言い、真理は教えられるものでは無く、自ら見つけるものだと言います。なのでキルケゴールこそが実存主義の出発点とも呼ばれますね」
野獣「はえ^~すっごい…」
木村「そんな"現実のあり方"を『実存』と言います。そしてキルケゴールは、真の実存…言い換えて『絶対的な自分』に至る前の道のりは三段階存在すると言います。今からこれについてやっていきましょう」
野獣「ん、おかのした」
木村「まず第一段階は、欲望のままに生きるあり方です。この生き方を『美的実存』と言いますが、欲望は永遠に満たされないのです。次から次へと欲しいものが出て来たり…等々。ですから、やがて絶望してしまうのです」
三浦「欲望は永遠に満たされないのかゾ…」
木村「はい。そして第二段階に移るのです。それは、自分の正義感をもとに社会貢献するあり方です。つまり選挙活動したりすることですね。…これを『倫理的実存』と言います。ですが、我々は所詮人間なのです。やがて社会と軋轢が生じ、自己中心的になってしまうのです。ですから、また絶望してしまうのです」
野獣「救いは無いんですか!?(レ)」
木村「そうです、ここで出て来るのは神様です。まさに第三段階こそ、神の前にたった一人で立つことなのです。これを『宗教的実存』と言い、自分の信じる物事を曲げずに持ち続ける必要があると言いました。この"自分の信じる物事を曲げずに持ち続ける"人こそを『単独者』と呼び、キルケゴールは神の前の単独者になる事を望んだのです」
三浦「はえ^~」
木村「ですから、どんな絶望の中でも神と向かい合う事で、真の実存を達成できるのです」
野獣「換言して、「絶望」って神の救いを得られない『つまづき』なのか?」
木村「そうなんです。つまり絶望とは、宗教的実存に至る前に起こる病なのです。これを著した本こそ『死に至る病』なのです」
三浦「聞いた事あるゾ」
野獣「知ってますねぇ!知ってます知ってます」
木村「そんなキルケゴールの実存主義に影響を受けたのがヤスパースです。彼は実存を独自に確立させ、人間に実存の自覚を与える動機に『限界状況』がある、と唱えました。限界状況とは、自分ではどうしようもない絶望的な状況の事で、これによって挫折するのです。しかし、限界状況を通じて本当の自分を発見できるのだ、と彼は言ったのです」
野獣「つまり相手にレイプされた時とかが限界状況だろ?」
木村「ええとですね…基本的な限界状況としては「死」「争い」「苦悩」「罪悪感」の四つです。強姦は…罪悪感ですかね。鈴木先輩は後悔の一つぐらいは流石にしてますよね?」
野獣「(して)ないです」
木村「死ねやステハゲ」
三浦「そうだよ(便乗)」
野獣「お前もやっただろ」
三浦「あっ、そっかぁ」
木村「話を戻しますが、こう言った限界状況で絶望や挫折をまじまじと見せられる時、人間は自分の出来ることの限界や生きられる時間の限界を感じるのです。これこそを『自己の有限性』と言い、そこから人間を超越した力や存在に目を向ける事が出来るようになるのです」
野獣「要するに、限界状況を体験する事で自分の限界を感じる。そして、自分の限界を超越する存在について見えるようになるんだろ?」
木村「ええ。「自分は有限である」と言う事を、限界状況を通じて知った時に初めて、超越した存在が見えるんです。この「超越した力や存在」を『超越者』と言い、人間の実存は超越者を根拠とするのです」
三浦「自分が有限であると自覚したからこそ、自分自身を超越者に委ねるのかゾ?」
木村「ご推察の通りです。…そしてこの世界は、そう言った超越者の暗号で出来ているとヤスパースは考えます。この暗号を解読することで、有限な人間は超越者と向き合う事が出来る。これこそを『超越者への飛躍』と言うのです」
三浦「こう言った意味ではキルケゴールの単独者と似てるゾ」
木村「いい所に気づきましたね。…実存主義には「有神論的」と「無神論的」の二つに分かれます。今やった二人は有神論的ですが、今からは無神論的な実存主義についてやっていきます」
野獣「ほらいくど~」
木村「次はハイデガーです。彼は世界を『存在者』と『存在』に分けて考えます。そして本来の哲学は、「存在者」では無く「存在」について考えることだ、と述べました」
三浦「ポッチャマ…」
野獣「駄目みたいですね(諦観)」
木村「例えばリンゴがあったとします。この場合、『存在者』はリンゴです。しかし『存在』は「あった」と言う動作そのものに修飾されます。つまり、"存在者が存在"と言う構文が完成するのです」
野獣「はえ^~」
木村「こう言った、物が存在するとはそもそもどういう事か、と考える思想を『存在論』と言います。彼は存在論を通じて、実存主義を支えたのです」
三浦「つまり無神論って事なのかゾ!」
木村「そういう事です。…またハイデガーは時間を分けて考えます。つまり、未来を『到来』、過去を『既在』と考えたのです。「到来」とは自分の可能性であり、「既在」とは今までの自分を受け入れることです。未来から可能性がやってきて、過去から今までの自分がやってくるのです。…この二つ、未来と過去が出会う場所こそが『現在』である、とハイデガーは考えたのです」
野獣「だから彼は、時間は流れるものでは無くて『出会うものだ』と考えたのか…」
木村「ですが、こう言った時間は人間や動物、そして物にも等しく存在します。では、人間と動物と物の違いは何でしょうか?」
三浦「分からないゾ…」
木村「確かに人間も動物も物も、同じ存在者です。しかし「自分や物が存在している」と考えられる事が出来るのは人間だけです。彼は「存在」の概念を理解できる存在として、人間のことを『現存在』と呼びました。ですからウサギは存在者ですが、人間は現存在なのです」
野獣「存在と言う概念を理解できるからこそ人間は現存在に至れるんだな」
木村「そして彼は、世界は人間の解釈そのものだと考えます。つまり「存在する」と言う概念は人間特有のものなのです。ですから人間は常に世界や存在を解釈しながら生きています。このような人間のあり方を『世界-内-存在』と言います」
三浦「存在とは人間の尺度だったのか…」
木村「そして彼は、更に『現存在』を二つに分けます。一つ目は『非本来性』と言い、日常に埋没する生き方をします。つまり、本当の自分を生きていないのです。こうした生き方を『頽落』と呼び、頽落した人々を『世人』と言います。そして二つ目は『本来性』であり、自分らしい生き方をするのです」
野獣「何時の間にか非本来性になってしまっていたかもしれないヤバイヤバイ…」
三浦「当たり前だよなぁ?」
木村「だが、人は気づいた時は既に世界の中に投げ込まれています。赤ん坊として生まれた時、既に自分は存在していますが、自分が存在していると言う事を自分は理解出来ないのです。ですので、人間は自分から"自分の存在"を始められないのです。これを『被投性』と呼称します」
野獣「でも、そこから自分で自分を投げ入れるんだろ?」
木村「はい。こうして自分で自分を進むべき道に投げ入れるのです。これを『投企』と言い、自分の進むべき道を決めることを『先駆的決意』と言います。そして、道が決まっては歩き始める以上、その先に在るのは死です。つまり、実存は死へ進むことなのです。これを『死への存在』と呼びます」
三浦「確かに生きることは死へ進む事だゾ…」
野獣「言われてみればそうっすねぇ」
木村「しかし、人間は死の不安から目を背けています。どんな人であれ死は訪れるのに、時間を無限だと思い込んでしまうのです。ですが自分の死と真剣に向き合った時に初めて、自分の使命を確信できるのだとハイデガーは言います。それは残された時間の有限性を自覚している"死への存在"なのです」
野獣「死ぬまでの限られた時間を意識して道を進む…。俺はホモビなんかに出て良かったのか?」
三浦「頽落してそう(小並感)」
木村「こうした実存と存在の考え方ですが、ハイデガーの影響を受けた哲学者を一人紹介します。彼の名はサルトルと言いますが、彼は『実存は本質に先立つ』と言った事で有名ですね」
野獣「ここで言う実存って「人間の存在」ってことか?」
木村「ええ。…例えばですが、ハサミがあったとします。何故ハサミが作られたのか。それは紙を切るためです。つまり「切るもの」が必要だったから「切るもの」が作られたのです。これを人間に当てはめて考えてみましょう。人間はいきなり存在します。しかし、その存在理由は分かりません。ですから人間は自分自身で本質、つまり存在理由を作らなけらばならないのです」
三浦「要するに、自分を人間にさせるのは自分自身って事かゾ?」
木村「流石ですね、その通りです。…ですから、人間は存在理由を自由に作れます。何をしようが自由なのです。ですが、そこには不安が伴います。何故なら、自分の行動の責任は自分が取らなくてはならないからです。これを『人間は自由の刑に処されている』と言います」
野獣「自由は行動すべてが自分の責任になってしまうんスね…」
木村「そうです。自分の行動の全ての責任は自分に返ってきます。しかし、それを通じて人は「自分」を「自覚」するのです。初めにあるのは意識だけですが、行動を経て『自分らしさ』と言う本質になっていくのです。ですが、椅子などの物には始めから本質が存在します。人のように『自分らしさを作り上げていく存在』を『対自存在』、物のように最初から本質を存在させてるものを『即自存在』と表現します」
野獣「俺らは対自存在だからこそ自分の本質を築き上げていくんすね」
三浦「分かってきたゾ」
木村「また対自存在は、過去の自分や今の自分と区別します。何故なら、それを意識した時はすでに乗り越えているからです。常に今の自分を否定し、そこから抜け出そうとするのです。これが人間を不安にさせる原因だ、と言ったのです」
三浦「つまり対自存在は本質を作り上げていくから、常に進歩し続けている。同じ川の流れは二度とないように、今の自分も二度とない。だから自分は不安を感じるのだ、って言いたいのかゾ?」
木村「ご明察の旨を伝えておきます」
野獣「今の三浦さん、冴えまくりですね。何かあったんですか?」
三浦「いや、特に何もないゾ…」
木村「今回はここまでにします。…三浦先輩、それこそ対自存在として本質を得ているんじゃないんですか?」
三浦「もしかしたら、そうなのかもしれないなぁ」




