ドイツ観念論レイプ!世界精神と化した空手部
木村「さて、今度はドイツ観念論についてです。先程のカントの項で出てきた言葉ですが、これについて詳しくやっていきたいと思います」
野獣「オッスお願いしま~す」
木村「まず、カントについて付け加えておきます。…彼は世界を『現象』と『物自体』に分けることが可能だと言いました。そして、現象を認識するためには『理論理性』が、物自体に関わる行動をするためには『実践理性』が動くのだと唱えました。つまり彼は"認識"と"行動"とでは異なる理性が動くのだ、と言ったのです」
三浦「でも理性って分裂するのかゾ…?」
木村「三浦先輩が仰ったように、カントの影響を受けた哲学者はそれに疑問を抱いたのです。例を挙げると、フィヒテならば「理論理性」も「実践理性」も『自我』として説明出来る、と述べました。またシェリングならば『自我』も絶対者である神の一部に過ぎず、現象と物自体は同一だ、と考えたのです」
野獣「つまりフィヒテやシェリングと言った哲学者たちが、そのカント哲学を応用させていったって事か?」
木村「ええ、その通りです。そして最後に登場したのがヘーゲルと言う人物です。彼はフィヒテとシェリングの思想を融合させて、『自我』を用いて『絶対者』になればいい、と説いたのです。カントで始まり、ヘーゲルで完成した人間の精神の哲学を『ドイツ観念論』と言うのです」
三浦「つまりヘーゲルがドイツ観念論を大成させたって訳なのか…。ヘーゲル凄いゾ…」
野獣「ですよねぇ?ウーン」
木村「今日は主にヘーゲルについてやっていきます。…まず彼は、人間の認識能力は無限大であると言ったのです。カントは『人間は物自体を見れない』と言いましたが、彼は『人間は物自体を見れるのだ』と言い放つのです」
野獣「既にカント哲学と大きな差があるんだな…」
木村「そしてヘーゲルは「人間の認識能力は成長する」と考えたのです。つまり最初から限度があったカントの認識能力とは異なり、成長によって無限大の認識能力を得られると言ったんです。やがて無限大の認識能力は、物自体を見れるようになり、そして完全に至る。この"完全な認識能力"のことを『絶対精神』と言います」
三浦「そう言った意味ではイギリス経験論的な考え方ゾ?」
木村「そうですね。認識のイギリス経験論、と言ったところでしょうか。…しかしベーコンは帰納法を用いましたが、ヘーゲルは新たな方法を用います」
野獣「えっ、何それは…(困惑)」
木村「ちゃんと説明しますよ。…彼は、人間は絶対的且つ普遍的な真理に辿り着けるのだ、と考えます。それこそが正に「絶対精神」なのですが、そこに至るまでの道のりを『弁証法』と言う手段を用いて初めて真理に辿り着けるのだ、と説きます」
三浦「ブッチッパ法?(難聴)」
野獣「えぇ…(困惑)」
木村「弁証法ですよ、弁証法。ヘーゲルは、矛盾している意見や対立する思想を受け入れていくと真理に辿り着くのだ、と考えました。例えば遠くに一つの図形の置物があったとして、上から見たAさんは『あれは丸い形をしていた』と言い、横から見たBさんは『あれは長方形だった』と言ったとします。果たしてこの形は何でしょう?」
三浦「ポッチャマ…」
野獣「三浦さん少しは考えましょう。…恐らく円柱だと思うんですけど(名推理)」
木村「正解です、鈴木先輩。…この場合では円柱なのですが、最初AさんとBさんは対立していましたね?」
三浦「おっ、そうだな」
木村「しかし鈴木先輩が答えを出した円柱だと、対立するAさんとBさんの意見がどちらも当てはまります。そうしたらお互い喧嘩する事なんかないですよね?」
野獣「ん、そうですね」
木村「ヘーゲルは、正にこれこそを『弁証法』だと言いました。そして初めの意見、つまり先程の例ではAさんの意見を『テーゼ』と呼びました。また、対立した意見、さっきの例ではBさんの意見を『アンチテーゼ』と述べたのです」
野獣「つまりテーゼとアンチテーゼが合体していく事が弁証法なんだな?」
木村「ええ、その通りです。その"テーゼとアンチテーゼが合体すること"を『アウフハーベン』と言い、合体した結果を『ジンテーゼ』と呼ぶんです。つまりさっきの例では、円柱がジンテーゼなのです」
三浦「この「アウフハーベン」と言う事を繰り返していくと真理に辿り着けるのだ、とヘーゲルは言いたいのかゾ?」
木村「はい、そうなんです。そしてアウフハーベンの終わり、つまり弁証法の終点を『絶対知』と呼んだのです」
野獣「はえ^~」
木村「また、彼は歴史について考察します。今まで多くの人が活躍しては名を残す歴史ですが、ヘーゲルは歴史の根底に『絶対精神が動かしているのだ』と考えたのです。それは、全ての歴史は『自由を手に入れるまでの弁証法の過程に過ぎないのだ』、と考えたのです」
三浦「要するに人間が自由を得るために行う多くの戦争や会議は、この弁証法を通じて行われるのだ、と言いたいんだろ?」
木村「ええ、その通りです。ですから彼は、当時の権力者であるナポレオンを見た時に『世界精神が馬を進める』と表現したのです」
野獣「世界精神って、絶対精神みたいなものか?」
木村「ああ、説明不足でした。『世界精神』とは、「絶対精神が歴史の中にあらわれたもの」です。つまり歴史の立役者、主人公みたいなものです」
三浦「確かにナポレオンは絶対精神みたいなものゾ…」
木村「この『自由を得るための歴史の弁証法』の終点は、絶対知では無く"人倫の国家"と呼ばれます。…簡単に言えば『自由の国』です」
野獣「つまり自由を得られる国家こそが、俺らの自由の闘争の歴史の終着点なんだろ?」
木村「まあ、そこら辺は今から詳しく説明していきますが、鈴木先輩の見解は正しいと思いますよ。…まず『人倫』についてやっていきます。ヘーゲルは個人の内面に存在する『道徳』と、社会全体の秩序を守る『法律』が、対立すること無く存在する共同体を『人倫』と呼びました」
三浦「道徳と法律のアウフハーベンした先が人倫って事かゾ?」
野獣「流石っすね先輩…」
木村「ええ、そうですよ三浦先輩。主観的な道徳と、客観的な法律が弁証法によって合一化すれば、人倫が生み出せるのだと考えたのです」
野獣「そして人倫こそが真の自由なわけッスね…」
木村「はい、その通りです。…今度は『国家』についてです。彼は、愛情で結ばれているが独立できない『家族』と、独立は出来るが愛情は無い『市民社会』がアウフハーベンして初めて『国家』が生まれるのだ、と言います。つまり『家族の"愛情"』と『市民社会の"独立のしやすさ"』が合体して国家が誕生するのです」
三浦「だから『人倫の国家』とは"真の自由があって、愛情や独立性も存在する共同体"のことかゾ?」
木村「ご明察の通りです。ヘーゲルは『人倫の国家』こそが理想的な社会だ、と唱えたのです」
三浦「なるほどゾ…」
木村「しかし、そんなヘーゲルに疑問を唱える人物が出てきます。その人物は、歴史なんかに特別な価値は無い、と言い放ちました。つまり世界精神を否定したのです」
野獣「いきなり凄い尖りようですね…」
三浦「自分の思想を唱えてたら急に刃物が飛んできたような気分ゾ」
木村「この人物こそがショーペンハウエルです。彼は『盲目的な生への意思』によって世界は出来ていると考えました。例えばライオンがシマウマを食べたとして、そこに『生きよう』と言う意思以外の意味はありますか?」
野獣「"食べる"って意思は言い換えて"生きる"って意思だからなぁ…」
三浦「食べることで栄養を摂取する。それは生きるためだから…ゾ」
木村「察しがよろしいですね、先輩がた。…そうです、ただ自然の法則に従っているだけなのです。よって人間の行動とは制御できないのです。何故なら、自然法則に身を任せているから」
三浦「これが"盲目的"の意味かゾ…?」
木村「はい。…だから皆は『存在したい、生きたい』と無意識のうちに思うのです。この衝動こそが『人間の行動』なのです。だから盲目的意思による苦しみも、もちろん発生します。我々は弱者を喰らい続けるのです」
野獣「確かに俺らも弱者をレイプしたからなぁ…」
木村「なんてことを…(憤怒)」
野獣「ゆるして」
三浦「やだ」
木村「お前も共犯だろ」
三浦「あっ、そっかぁ…」
木村「話を戻します。…この盲目的意思による苦しみは永遠に続くのだ、と彼は言います。ですから、いくら歴史が変化したところで意味など無い、とショーペンハウエルは考えたのです。この思想を『厭世主義』と言います」
野獣「救いはないんですか!?(レ)」
三浦「申レN」
木村「…ショーペンハウエルは、一時的に苦しみから抜け出す事は可能だ、と言います。それは『芸術に浸る』と言う事です。芸術…つまり絵を描いたり、音楽を弾いたりすることで心が洗練され、一時的に苦しみから解放されるのです」
三浦「ホモビ鑑賞は芸術ですか?」
野獣「な訳ねーだろ」
木村「また彼は、根本的に逃れたいのなら、他人に同情して苦しみを分かち合う必要があると考えました。そして、どうしても脱出できなければ仏教で解脱するしかない、とまで言ったのです」
野獣「ここで仏教を持ってくるのか…(困惑)」
木村「まあ、西洋思想にも仏教に感化された思想は多いですからね。…今日はここまでにしますが、いくら盲目的意思と言えど弱者をレイプするのは止めましょう。いいですね?」
野獣「ん、おかのした」
三浦「分かったゾ…」




