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迫真空手部・哲学の裏技  作者: そのまんま東のような人物のイラストをイメージ画として自身が一種の淫夢系のキャラクターとして扱われている、近年ではイワナ系朗読やFXで有り金を溶かしたりしている朗読兄貴
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ルネサンスレイプ!自由意思と化した空手部

木村「今度はルネサンスから始まった『人文主義』についてやっていきましょう」


三浦「人文主義って何ゾ…?」


木村「人文主義と言うのは別称として「ヒューマニズム」とも呼ばれる、スコラ哲学では否定された人間性を再び戻そう、と言う考え方です」


野獣「つまりデカルトやベーコンに影響を与えたものっすね…。ちょっと(紹介)遅すぎたんとちゃう?」


木村「先にデカルトやベーコンをやっておいた方が導入し易いと思ったので、そこら辺は勘弁してください。…先ずは自由意思についてです。先輩がた、人間の尊厳って何だと思いますか?」


三浦「尊厳って何ゾ…?」


野獣「えぇ…(困惑)」


木村「尊厳とは、簡単に言ってしまえば、"らしく生きる"と言う事です。つまり、「『人間らしさ』とは何だと思いますか?」と言う事です」


三浦「人間らしさ…やっぱり食ったり寝たりする事じゃないのかゾ?」


野獣「俺は誰かと恋したりする事だと思いますねぇ」


木村「先輩がたの考えは合ってると思います。…ですがピコ・デラ・ミランドラと言う人物は、人間の尊厳は『自由意思』である、と言ったのです」


野獣「自由意思…つまり自らの決定権、要する誰からも邪魔されない自己の決定権ってことか?」


木村「その解釈で正しいと思います。…ピコ・デラ・ミランドラは、自由意思を持つことこそ「人間の尊厳」であり、人間は自由意思によって何でも出来るのだ、と言ったんです」


三浦「なるほどゾ…。…「『食う』と言う意思」、「『寝る』と言う意思」を持つことこそ人間の尊厳なんだろ?」


木村「その通りです。その"自由意思"と言う考え方から『人文主義』が生まれたのです」


野獣「はえ^~」


木村「ここで出てきたのがエラスムスです。彼は堕落したキリスト教や教会を徹底的に非難したんです」


三浦「今まで神が前提的にあったけど、ミランドラの言った自由意思が人間性を復活させたから、エラスムスは人文主義の立場から非難したのかゾ?」


木村「その通りです。しかし後ほど、その自由意思を巡って論争になってしまいます。これは後ほど紹介しますよ。…続いてはマキャヴェリです。彼は悪い意味で少し有名なのではありませんか?」


野獣「聞いたことあるんだよなぁ…。確か"目的のためなら手段を選ばなくてもよい"って言った人じゃなかったっけ?」


三浦「目的のためなら手段を選ばなくてもよい…それって酷いと思うゾ」


木村「はい、ご明察の通りです。ですが多くの人は意味を勘違いしているのです」


三浦「勘違いって何ゾ?」


木村「実はマキャヴェリ自身は『目的のためなら手段を選ばなくてもよい』とは一言も言っていないのです。ただ、主著である『君主論』にそう言った意味合いが取れる文章があるだけで、それは誤解なんですよ」


野獣「はえ^~」


木村「本当の事を言うと、マキャヴェリは「政治」を「道徳・思想」と分けるべきだ、と言ったんです。そして政治の大頭者である国王に、時には残酷な事でも出来る判断力と決断力が必要だ、と述べただけなんです」


三浦「なんか当たり前のことを言ってるようにしか思えないゾ…」


木村「ですが、この"当たり前"が誤解されて、彼は当時の人たちに「なんて狡猾者だ!」と非難され、そのまま死んでしまいます。なんか憐れですよね…」


三浦「悲しいなぁ…」


野獣「ウーン…」


木村「今度はフィチーノについてやっていきます。彼は、人間は『魂』が『肉体』に囚われているものだ、と言いました。その『魂』こそは、正しく理性であり、理性を持たない動物と絶対的な存在である神の中間の位置に人間がいるのだ、と言ったんです」


野獣「神は絶対的な存在…つまり人文主義でも神の存在は疑わなかったのか?」


木村「はい。かのエラスムスも、そしてフィチーノも、神の存在は認めていました。問題は神を後ろ盾に、偉そうにする教会や教皇なのです」


三浦「なるほどゾ…。確かに神は万人に救いを与えるはずなのに、一部の奴らが権力者になるのはおかしいと思うゾ」


野獣「ですよねぇ?」


木村「ここで出てきたのがルターです。…皆さん、一度でもその名前を耳にした事はありませんか?」


野獣「ルターって宗教改革で名を馳せている人じゃなかったっけ?」


木村「ご推察の通りです、鈴木先輩。…そうです、ルターはキリスト教を痛烈に批判し、ヨーロッパ中を巻き込む騒動を起こした中心人物ですね。はたまた突然ですが先輩がた…キリスト教を利用した金儲けについてどう思いますか?」


野獣「人々の信仰を仇にして食っていく飯は美味いか~?(全煽り)」


三浦「でも俺は神社とかに行った時、お賽銭を賽銭箱に入れたりするし…信仰を守るためなら良いと思うけど、それこそ自分の財布を大きくするためだったら駄目だと思うゾ」


木村「いま三浦先輩が仰った通り、日本では賽銭箱に賽銭を入れる習慣があります。ですが起源を辿れば、元々は米や魚などと言ったものが供えられていたんですよ。しかしそれでは米や魚の保存が大変だ、と言う事で賽銭になったらしいですね。あくまでも通説ですが」


野獣「はえ^~」


木村「しかし先程質問した"キリスト教を利用した金儲け"とは少し内容が違います。…と言うのも、当時行われた『贖宥状』と言う制度がありました。それは「買った人は救われ、天国に行ける」と言うものだったのです。起源は無く、最初から金銭を要求したのです」


野獣「(これは)まずいですよ!」


木村「この事について上手く言った例があります。…『贖宥状を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると、霊魂が天国へ飛び上がる。』」


三浦「いかんでしょ」


木村「ここで現れたルターは、その贖宥状の制度を非難しました。そして彼は「教会なんかより聖書のほうが圧倒的に権威がある」として『聖書中心主義』を唱えました」


三浦「ん?…この流れって教会批判ゾ?だったらエラスムスと仲良くなれそうゾ!」


木村「その通りです。ですが彼はルターと論争になってしまったのです」


野獣「えっ、もしかしてルターがエラスムスの論争相手なのか?」


三浦「何でゾ…。平和が一番!ラブアンドピース!みんな、論争なんか止めようよ!!」


木村「無論、最初は彼らも親交を持っていたらしいです。ですが言った通り、彼らは"自由意思"を巡って論争になりました。簡単に説明しますと、さきほどルターは聖書中心主義を唱えた、と言いましたよね?」


三浦「そうだよ(便乗)」


木村「そしてルターは『神への信仰のみによって救われる』と言いました。エラスムスと同じ教会批判の立場と言えど、神への信仰を大事にしたんです。何故なら聖書中心主義だから。この考えを『信仰義認説』と言います」


野獣「じゃあエラスムスは何と言ったのか?」


木村「彼は『努力によって救われる』と言ったんですよ。つまり人間の自由意思を認めたんです。しかしルターは認めませんでした。…これで意見が対立し、論争はかなり長引いてしまうのです」


三浦「運命とは残酷ゾ…(客観視)」


木村「これによってエラスムス率いる人文主義と、ルター率いる宗教改革は決裂してしまうのです」


野獣「なんか心がスッキリしねえなぁ~俺もな~」


三浦「ポッチャマ…」


木村「そして宗教改革は突き進んでいきます。…そもそも宗教改革と言うのは、大まかに言って、キリスト教が贖宥状を認める『ローマ教皇派』と贖宥状を認めない『ルター派』に分裂した事です」


三浦「はえ^~」


木村「ですからルターは教皇や教会の立場を認めず、「全員が司祭だ」と言い放つのです。これを『万人司祭主義』と言い、教皇が持つ権力を否定したのです」


野獣「破門されそう(小並感)」


木村「ええ、されましたよ。これによって宗教改革は決定的となり、戦争も勃発しました。…それはここでは紹介しませんが、気になる人は調べてみても面白いと思いますよ」


三浦「調べなくちゃ…(使命感)」


木村「続いてですが、今度はカルヴァンについてやります。カルヴァンは『第二のルター』と言って差し支えはないです。しかし思想がルターと少し異なるので、そこをやっていきましょう」


野獣「ん、おかのした」


木村「カルヴァンは、人が救われるかどうかは努力や信仰では無く、"最初から救われるかどうかは決まっている"と言ったのです。つまり生まれた時点で救われる救われないは決定されていた、と言うんです。これを『予定説』と言います」


三浦「どんな努力や信仰も無駄なのかゾ…」


野獣「俺だったら自分が救われない人のようにしか思えなくてブルっちゃうよ…」


木村「そこで『職業召命観』と言う考えが出来ました。カルヴァンは「救われる人は正しい信仰生活を送る事が出来る」と説きました。それぞれの職業や労働を真面目に勤しむことは、神が与えた職業や労働に勤しむ事だ、と言ったのです」


三浦「つまりカルヴァンは真面目に働けば救われるって説いたのかゾ?」


木村「ええ。ですから、逆に怠けていたり遊んでいたりすると救われない、とも言いました。要するに生活全体をいかに規則正しく、禁欲的に生きれるか、と言う事ですね」


野獣「だけど、それでは贖宥状みたく利益を肯定してしまうんじゃないか?」


三浦「当たり前だよなぁ?」


木村「いい所に着眼しましたね、鈴木先輩。…ここがカルヴァンとルターの違いなのです。カルヴァンは利益を肯定しました。ですがルターは否定したのです」


三浦「あっ、つまりルターはお金を否定し、カルヴァンは肯定したのかゾ!」


木村「そういう事です。ですから今まで否定されていた利益というものがカルヴァンによって肯定されたのです。…これに目を付けたのはマックス・ウェーバーです。彼はこのカルヴァンの職業召命観が今の資本主義に影響を与えた、と言ったんですよ」


野獣「枢要して言うに、利益が肯定化されたことで資本主義が発達した、って言いたいんだろ?」


木村「はい。それはカルヴァンが利益を肯定しただけでなく、規則正しい禁欲的な生き方を説いた事が贅沢を抑えた、と言うんですね」


三浦「今でも贅沢している人は沢山いると思うゾ…」


木村「皆が皆、カルヴァンの影響を受けている訳では無いですからね。少なからずヨーロッパ圏の資本主義に影響を与えたんですよ」


野獣「今まで否定されていた利益の伝統が破壊された…だから資本主義が活発になった。マックス・ウェーバーはこう言ってると思うんですけど(名推理)」


三浦「あっ、そっかぁ…」


木村「因みにマックス・ウェーバーが書いた本ですが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と言います。少々名前が長いので、覚えにくいかもしれないですね」


野獣「面倒だからプロ倫って略すわ(現代っ子)」


木村「まあ一部ではそう呼ばれているみたいですが…。……今回はここまでにします。少し登場人物が多かったような気がしますが、これだけ人文主義や宗教改革は活発だったんですよ」


三浦「俺らのホモビ出演は神に与えられた職業なのかゾ…?」

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