ライプニッツレイプ!モナドと化した空手部
木村「唐突ですが先輩がた、デカルトは心身二元論を唱え、意識と身体は別々に存在していると言いました。果てさて、それは正しいのでしょうか?」
三浦「ポッチャマ…俺としては正しいと思うゾ。人間の身体は言ってしまえば精神の殻みたいなものだと思うゾ…」
野獣「お前さ木村さ、俺は心身二元論はおかしいと思うぜ。だって精神が「悲しい」と思った時、身体は「涙を流す」だろ?別々なら涙を流したりしないはずだぜ」
木村「今、鈴木先輩が仰ったように、「意識」と「身体」は連動しているんだ、別々とはおかしい、と言う哲学者が出てきたんです。…これがスピノザです」
三浦「スピノザ…なんか聞いたことあるような気がするゾ」
木村「スピノザは、我々の意識も身体も連動している以上、何かしらの媒介があると考えました。これを彼は『神』と呼んだのです」
鈴木「つまりスピノザは、俺たちの身体や意識も神そのものだと考えたのか?」
木村「はい、その通りです。…我々は自然の一部であって、また、自然は神そのものなのです。…これを「神即自然」と言います。神を媒介として考えると、悲しい時に涙を流す訳が繋がりますよね?」
三浦「でも、これじゃあ当時にとっては無神論者に見える気がするゾ…」
鈴木「大丈夫でしょ。まあ、多少はね?」
木村「いいえ、鈴木先輩。スピノザは無神論者として非難されたのです。…この、『神は世界と同一である』と言う考え方を"汎神論"と言い、彼がバッシングを受けるきっかけにもなったのです」
鈴木「無神論なだけで非難とか沸点低いっすね~(全煽り)」
木村「そして、『神は世界と同一である』以上、デカルトの唱えた二元論は意味を果たさなくなります。…故に「一元論」と言う概念を提唱したんですよ」
三浦「つまりデカルト哲学から展開したのか……ココアライオン(意味不明)」
木村「此処で出てきたのはライプニッツです。スピノザが『世界は神と同一である』と考えた以上、精神もまた世界と同一であると考えました。こうした精神は分割する事が可能です。そう言った精神の原子を『モナド』と呼び、そのモナドこそが調和し合って此の世界は成り立っていると考えたんですね」
鈴木「はえ^~」
木村「そしてモナドは原子なので、幾らでも組み替えることで世界を作り直せるんです。だからスピノザの一元論とは対照的に、ライプニッツは「多元論」と言う概念を提唱したんです」
三浦「おっ、待てぃ(江戸っ子)…世界が作り直せるのなら、神と言う存在は簡単に作り直せてしまうゾ」
木村「いいところに気が付きましたね、三浦先輩。…そうです、スピノザ流で言えば、精神は神と同一である以上、モナドは神の原子って事になってしまいます。そこでライプニッツは、神と言う存在こそがモナドを操ると考えたのです」
鈴木「要するに、モナドを操作して世界を作り直す存在として神を置いたって訳だな」
木村「その通りです。また、モナドを調和するのは神によるものなので、これを「神の予定調和」と言いました。そして神は世界が最善となるようモナドを操るので、今ある世界は考えられる限り最善の世界と言う訳です。すべての物事はただ『ある』のでは無く、神によって『そうなった』のです。この考えを"充足理由律"と言います」
三浦「なんか世界を楽観的に捉えてる気がするゾ…」
鈴木「それはおかしいと思うけどな~俺もな~。だったら地震とかの災害は最善のものなのか?」
木村「それを後にヴォルテールと言う哲学者が反論します。彼は『カンディード』と言う諷刺小説を書き、ライプニッツの説く『充足理由律』は間違いである、と言ったんですね。戦争、地震、拷問…こう言ったものが存在する世界が果たして最善なのでしょうか、と」
鈴木「最善な訳ないだろ!!いい加減にしろ!!」
木村「ですが、彼はライプニッツ哲学の根本を見誤っていたのです。それは、彼の説く『最善』とは、『全て起こりうる可能性の中で一番マシなやつ』と言う訳ですね。つまり地震が来なければ、戦争が起こらなければ、拷問しなければそれよりも酷いものがあった。…そう唱えたんですよ」
三浦「でもヴォルテールはヴォルテールで正しい気がするゾ。地震や戦争が一番マシなものとは言えど、俺らにとっては負そのものゾ。神が敢えてそれを選んだのなら、俺は神を恨むゾ」
木村「余談ですが、ジョージ・バーナード・ショーと言うジャーナリストは、『グラスに入った半分の水』と言うものを提唱しています。つまり、グラスを見て「まだ半分もある」と言うのがライプニッツ的な考え方、「もう半分しかない」と言うのは悲観主義者である、と言う見分け方です」
鈴木「もう半分しかないやん」
三浦「お前のは欲望で言っているとしか思えないけどな…」
木村「さて、次に移りましょう。余談ですが、自分は『まだ半分もある』派です(半ギレ)」