夢と目覚め
夢と分かる瞬間は、山の天候や彼女の機嫌と同様にいつも気まぐれである。
「先生、おめでとうございます」
そんな満面の笑みで、彼女は言う。
どうやら、私の書いた小説が年間ベストセラーに輝いたとの事らしい。
私の手元にある作品は、見たことのないもので、三百ページ程の厚みのある、緑色の表紙に金色の窓が描かれている。その窓には何やら動物の姿が描かれているように見える。
彼女の後ろには、私にサインを求めているのだろうか。大勢の人が列を成し、その最後尾がどこにあるのかすら伺い知ることが出来ない。
私はその小説を開くと、中程から、全力でもって破り捨てた。
「私の小説が売れるはずないし、書いたとしてもこんな穏やかな表紙になるはずがない」
それに、本がこれほど簡単に破けるはずもない。
そして、何より。
「君が私に、そんな笑顔を向けるはずないだろう」
そう、あり得ないのだ。
こんな私に、彼女が好意的な笑顔を向けるなど。
「夢は夢のままであれ」
世界は、突如ガクンと揺れる。
「ついたわ、起きて」
目を開くと、車は立体駐車場に停車していた。
先程の衝撃は、車止めにぶつかったときのものだろう。
目を擦るついでに、髪に手をやると、窓に寄りかかっていたからだろうか、左側の髪が潰れたまま固まっていた。
「ああ、すまない。寝てしまった」
手櫛で直るだろうか、そんな事を考えていると、彼女がペットボトルを差し出してきた。
「喉渇いてないかしら」
「ああ、大丈夫だ」
そう、と彼女はペットボトルをバッグにしまう。
「ありがとう」
私の言葉に、彼女はキョトンとしている。
「あなたがお礼を言うなんて、何か変な夢でも見たのかしら」
「ああ、変な夢だったよ。それはもう、とても」
私は荷物を持つと、ドアを開ける。
そう、この排気ガスの臭い。夢の中の不気味な臭いではない。慣れ親しんだ臭い。
この澄んでいるとは到底言い難い、少し霞み、汚れている世界こそが私が楽しむべき、世界なのだ。