車内でメモと詩
後部座席というのは、些か退屈なもので、しかし、寝るには惜しく。手帳を開いてしまう。
「酔わないようにね」
彼女はそう忠告するが、私はそこまで考えなしではない。そもそも、成人している男性に言う台詞ではないのではないか。
まあいい。今は、少しでも小説のアイディアを考えることが大切なのだ。
ページを無作為に開くと、以前書いたメモが見つかる。
いついかなる時も、この考えを止めることなく、表出させ続けるというのは、いささか疲れることである。なぜなら、思考に筆が追いつかない為だ。
思考を文章化する道具があれば、どれだけ楽なのだろう。
確かに速記術という方法はあるが、私がすると、(以下判別不能)。
このメモは何だったのだろうか。ミミズが這ったような文字、というが、まだその方が読めそうな気もする。
速記術は追々身につけるとして、詩についての考察も始めなければならない。
私は別のページを開く。
人一人いない教室
時計が時を刻み
カーテン越しに日が漏れる
風は窓の外を楽しそうに飛び回り
時に窓の隙間から教室へと入ってくる
しゃりしゃりしゃり
鉛筆が走る
小さなメモ帳
五線譜の上を
しゃりしゃり白地を食べながら
うむ、文章が堅い。何とか面白くできないだろうか。それに、教室や五線譜という表現が気に入らない。
書いた時は、静かさの中にある音に着目したために、このような表現になったが、もう少し砕けていても良いのかもしれない。
人一人いない部屋
時計がカチリ
カーテンは日に染まる
風は窓外を飛び回り
時に隙間に身を捻る
しゃりしゃりしゃり
鉛筆が走る
小さなメモ帳
罫線の上を
ホップ
ステップ
ターンして
白地のおやつを食べていく
車に乗りながら考えるものではないな。
見れば見るほど、前の方がよく感じる。オノマトペも単純である上に、ホップ、ステップ、ターンなんて言葉は、しゃりしゃりに合わない。もっと軽快さと合わせるべきだ。
それにおやつとはなんだ。
確かに以前は、いも虫が葉を食べるように黒い線が広がっていくイメージがあったが、おやつとなると風合いが変わってしまう。
詩とは難しいものだ。
私は手帳を閉じ、小さくため息をつく。
「あ、酔ったんでしょう。だから言ったのに」
ルームミラーには非難するような目。
「そうではない。ただ、少し疲れただけだ」
私は目を閉じる。
そう、この胸のムカつきは、手帳のせいだ。そうに違いない。