妖狐の里 前編
『開幕』
『どうだ、華やかなもんだろう、和輝?』
『うん!お祭りって凄いね!』
『そうじゃろう。だが、11年後はもっとすごいぞ』
『そうなの?なんで?』
『11年後は百年に一度のお祭りになるからの。わしもできれば見たいもんじゃが...厳しいか』
『そんなこといわないでよ!お祭りを楽しも!』
『...そうじゃな、楽しもう』
これは6歳の春休みに入る直前に連れて行ってもらったおじいちゃんとの思い出。
そして、春休みに入った。小学校に入る準備はできた。でも、おじいちゃんの寿命が来てしまった。
今でも覚えている青白い顔。白髪なのもこのときは衰弱していることを強調しているように感じられた。
『和輝、わしはここまでのようじゃ...』
『うそ!おじいちゃん、やだよ!いっしょに『百年に一度のお祭り』行こうよ!』
『和輝、おじいちゃんを困らせるな』
『そうよ。それよりおじいちゃんに言うことがあるでしょ』
震えている両親の声。俺は布団で目を閉じているやつれたおじいちゃんに泣きながら言った。
『...お、じい、ちゃ、ん』
『なんだ、和輝』
『今、ま、で、ありがと、う』
『...ふふ、わしは幸せ者じゃ』
そう言って俺の頭をなでてくれるおじいちゃん。
『最後に、和輝。今までお前にはたくさんのことを教えてやった。そして最後に教えることがある』
『なに?』
『それは、後でわしの部屋にある机の上の手紙を読んでくれ。そこにすべて書いてある』
『分かったよ、おじいちゃん。絶対に読む』
『...安心した。わしの手を握っていてくれるか?』
『うん...うん...』
俺は泣きながら手を握り続けた。おじいちゃんも握り返してくれたけど、だんだん力がなくなっていった。
『ここがおじいちゃんの部屋だ』
お父さんに案内されて二階にあるおじいちゃんの部屋に行った。おじいちゃんの遺言の手紙を読むために。
部屋に案内されると同時に机の上に置いてある手紙に目が行った。
『...あった、手紙』
『それじゃあ、読み終わったら下に降りて来いよ』
『うん』
早速『和輝へ』と書かれた手紙を開いた。中身は一か所を除いてひらがなしか書いていなかった。
『かずきへ。10ねんごにわしのへやにあるほんをよみなさい。だいめいは『百鬼夜行』だ』
今だから分かるけど、これはおじいちゃんの教えたかったことではない。でも、当時の俺はこの読めなかった漢字『百鬼夜行』がおじいちゃんの教えたかったことじゃないかと勘違いしていた。教えたかったことは本の内容に決まっているのに、我ながらバカ丸出しだ。
『第一章 おじいちゃんの手紙』
そして、16歳の春休み。俺は再びおじいちゃんの部屋に来た。時間はまだ午後になったばかり、おじいちゃんの部屋に明るい陽射しが差し込んでいる。
「...あった。『百鬼夜行』」
手元にあるおじいちゃんの手紙と題名が完全に一致する本を見つけた。厚さは大したこと無い。2、3時間程度で読める量だ。
早速目次を見る。すると、手紙が目に入る。
『10年後の和輝へ』と書かれた手紙。俺はその場に座ってその手紙を開く。
『和輝。これを見ている時は16歳のはずだ。そして、一年後には『百年に一度のお祭り』がある。これが、『百鬼夜行』だ。お前はこのお祭りで生き残らなければいけない』
生き残る?訳が分からない。
『意味が分からなくて当然。だが、信じざるを得なくなる。最初にお主に接触する人物、『月島麗奈』。彼女はお前の大きな力になってくれるだろう』
月島麗奈。聞いたことがない名前だ。知り合い、友達、当然家族にも当てはまらない。...いや、分からん。もしかしたらあの子が月島麗奈なのかもしれない。
『さて、『百鬼夜行』を読み終わったらやるべきことがある。それを全て記しておく』
俺は黙々と手紙を読み進める。これからやることは全てわかった。この本を読むより先にやらないと駄目っぽいことが書いてある。まだ午前なうえ今日はここに泊まるけど。明日には帰るわけだし、本はあとでも読める。念には念を入れて今日中に済ませよう。
そして、最後におじいちゃんの『教えたいこと』が書かれていた。
『和輝、これからの困難をお前は乗り越えられるか、わしには分からない。だが一つ分かることがある。それは、お前が必ず挫けるときがある。これだけは断言しよう。そんな時に思い出してほしい。お前の周りにいる人のことを。そして迷った時には『お前がさせられていること』を捨てろ。『お前がしたいこと』を成し遂げるんだ。そうすればどんなことも乗り越えられるはずだ。わしが教えたことを忘れずに、頑張ってくれ。誰よりも強く優しい男『鹿島和輝』。 『鹿島和也』より』
...『さようなら』も『ありがとう』も書かれていなかった。俺はこの手紙を読んで完全におじいちゃんのことを振り切ろうと思っていた。今でもおじいちゃんのことを思い出すと胸が締め付けられる。それくらい存在の大きい人だった。だから、今日でおじいちゃんのことを忘れようと思ったのに。
「...良く分かんないけど。頑張るよ、おじいちゃん」
俺は一人、おじいちゃんの部屋で呟いた。
「おお、懐かしい」
木造の物置。じいちゃんの家の緑生い茂る広い庭。庭にはいくつかの木があるが、その中でも一番大きい木を囲むように変な石碑が設置してある。そんな庭の隅の方にある物置はかなり年季を感じるものになっていた。だけど不思議と綺麗だった。10年も放置していたら大分ボロボロになってしまうと思っていたんだけど、おじいちゃんの手入れがよっぽど丁寧だったようだ。
扉も何の抵抗もなく開いた。立て付けが悪いと思っていたんだけど、これも驚きだ。
「...?」
一瞬、寒気を感じた。なんというか風邪とかで感じるものではなく、こう...言葉にできないな、味わったことのない感覚だったとだけ。
色々なものが所狭しと並べられている。陶器や使用用途のわからない木製のもの、剣なんかもおいてある。この中からおじいちゃんの手紙に書いてあったこれからやることの一つである武器探しを始める。
「...あ、あったあった。って、これ...!うわあ、なっつかしい!」
目的のものを見つけた。それは巻物の隣に大切に飾られていた。『気宿刀』、そう簡潔に書いてある木の板が隣に置いてある。間違いない、おじいちゃんの手紙に書いてあったものだ。俺はそれを手元に持ってくると、一人で驚いて懐かしがる。俺が手にしているのは一本の刀。6歳の頃におじいちゃんから渡された。その時は両手で持つのがやっとだったけど、今では片手で持ち上げられてしまう、と言っても確かな重さは感じる。
「これが『気宿刀』か。えーっと、なになに...」
俺は手に持っている刀を色々な角度から眺める。ふむ、鞘とかも目立った傷はない。これもかなり大切に手入れされていたようだ。
さて、目的のものは手に入れた。後は...
俺はスコップを持って物置から出る。えっと、どの辺りだっけ。
俺がおじいちゃんの手紙を取り出そうとポケットに手を入れると、誰かが近寄ってきているのが見えた。
「ここにいたのか、和輝」
「うん。どうしたの?」
「お前にお客さんだ。客間に案内しておいたから行って来い」
「お客さん...?分かった」
お父さんに言われてスコップを物置の扉の横に立てかけて客間に向かう。ふと考えてみると、この辺には家はない。おじいちゃんの家は公園や住宅街から離れている。あ、そういえば確か神社が近くにあったかな。でも、それくらい。神社に観光や参拝目的で行く人ならわざわざ挨拶には来ないだろうし、何せ俺に用事があるんだ。どんな人が来たんだ?
客間に行くと、えっと...ああ、どこかで見た服装だと思ったら、巫女服か。正月にお守りを売っている人の格好だ。その巫女服の女性が一人正座をしてお茶を飲んでいた。...腰には小刀を着けているがあまり気にしないでおこう。俺も腰に刀を着けているし。
女性は平均的な体型、と言ったら失礼かな。スタイルがよく身長は座っているのでわからないけど、低くも無く高くもなく、多分立ちあがったら頭が俺の顎ぐらいにくるかな。ちなみに俺の身長は175センチだ。黒い髪を黒いリボンで結んでポニーテールにしている。雰囲気はすごく静か、って感じだ。表情も無表情だし、視線はお茶にしか向いていない。顔立ちは整っていて凄く可愛い。可愛いんだけど...
「...えっと、俺に何の用事ですか?」
俺は恐る恐る話しかける。可愛いからこそこんなに可愛い人は記憶にない。...いや、どこかで見たような...?
俺が呼びかけると女性は目を湯呑から俺に向けた。
「...鹿島和輝、でいいのかしら」
透き通っている声。やはり外見から感じたように何となく物静かな感じだ。
「え、あ、はい。俺が鹿島和輝です」
何となく敬語になってしまう。
俺の返事に対して女性はジッと俺の全身に視線を巡らせる。そんなに面白い容姿ではないはずだ。中肉中背な体格、髪の毛も染めずに黒一色。眼鏡も掛けていないし、顔つきは自分でも大分間抜けな感じだと思う。以前友達から「雰囲気は明るいけど、どことなく抜けてる感じがすんだよな」とか言われた。ちなみに提出物とかは確実に期限内に出す。そこまで抜けているわけではない。
さて、しばらく俺のことを見ていた女性だが、視線で俺に座るように促してきた。
「失礼します」
俺は女性の対面に敷いてある座布団の上に正座する。これは緊張とか関係なくただの癖だ。
「さて、自己紹介させてもらうわ。私の名前は『月島麗奈』。月島神社の巫女と学生をやっているわ」
「あなたが月島麗奈さん、ですか」
「ええ」
俺は手紙で見た名前を耳で聞いて確かめる。その確かめにはしっかりとした首肯が返ってきた。
この服装に、何となく見覚えのある雰囲気というか顔立ち。俺は少し尋ねてみる。
「あの、犬に襲われていた時のことを覚えていますか?」
その質問に少し驚いた様子を見せて、でもすぐに落ち着きを取り戻して、
「...ええ、覚えているわよ」
と返事をしてくれた。
「そっか」
その返事を聞いて敬語と緊張がなくなる。やっぱり想像していた通りだ。
「君があの時の巫女さんだったのか」
「そうね。あの時のことは今でも感謝しているわ」
「別に感謝されるようなことじゃないけどな」
さて、雰囲気もかなり和やかになったところで『犬に襲われていたとき』のことを話そうかな。あれは俺が6歳のころ。
そもそも俺がこのおじいちゃんの家に初めて来たのは6歳の春。両親が海外に行ってしまうのでおじいちゃんが『和輝の世話をしておいてもいい』と言ってくれた。なので俺は6歳の1年間だけおじいちゃんの家に住み、この近くの保育園に通っていたのだ。
そして、おじいちゃんの家に来た初日に先ほど物置で見つけた『気宿刀』を渡されたのだ。まあ当時は『気宿刀』なんて名前知らなかったけど。
『この刀を身から離していいのは風呂に入るときだけだ。でも、絶対に鞘から刀を抜くな』とはおじいちゃんの言葉だ。その言葉通り俺は風呂と寝るとき以外は肌身離さず刀を身に着けていたし、鞘から刀を抜くこともなかった。ちなみに保育園の先生におじいちゃんは『この子はこれを持っていないと落ち着かないのです。大丈夫、鞘から外さないように言ってあるので。鞘から外したらすぐに連絡をください』となぜか俺のせいにしていた。おじいちゃんが持ってろって言っていたんだろうが。
さて、『気宿刀』を持ってからしばらく経った。初夏ぐらいの時かな、おじいちゃんが家から歩いて15分程度の林の隣にある公園に連れて行ってくれた。すると俺と同じくらいの歳の少女を見つけた。でも、見たことがない顔だった。その少女は巫女服を着ていたんだけど、当時の俺は巫女服なんて知らなかったから変な女の子と思っていた。
それと変な女の子だと思ったのは巫女服ともう一つ理由がある。それは、保育園で見たことがないのだ。この辺に幼稚園、もしくは保育園は俺の通っているところしかない。当時から人数は少なかったし、その子が保育園に通っているなら名前は知らなくても顔ぐらいは見たことがあるはずだ。でも見たことがないということは保育園に通っていないということだ。俺は保育園に通っていないというだけのその子のことを変な子だと思った。我ながら自分中心の考え方だ。
これがこの少女との初めての出会い。それからも俺は公園に遊びに行った。別にその少女が気になったわけではなく、純粋に公園という場所が気に入ったのだ。
そして、初めて一人で公園に行った時のこと。保育園から帰ってきて、時刻は夕方になる前。どうしても一人で行ってみたい。子供特有の謎の挑戦心をおじいちゃんに伝えたら『...一時間以内に帰ってきなさい』と許された。だけど道に迷って、公園に着いた頃には40分が経過していた。これじゃあ1時間以内に帰れない、おじいちゃんに怒られる。どうしようか悩んでいると、巫女服の少女が視界に入った。居たりいなかったりするその少女だが、その日はたまたまいた。でも様子がおかしかった。あんまりよく覚えていないけど、その子の様子がおかしかったことだけは覚えている。その子は遊具に目もくれず、隣の林に足を踏み入れた。様子がおかしいその子に付いて行って俺も林に足を踏み入れる。今考えればストーカーだな。
しばらくその子に付いて行くと、その子が立ち止まった。その時のその子の様子はよく覚えている。足が震えていたのだ。腰が引けていて、握っている木の棒は一点に集中せず様々な方向に向けられる。これも震えから来ているのだろう。
その子が木の棒を向けようとしている相手は...犬。中型犬で、息が荒く、目には確実な敵意が感じられた。その犬が、女の子に向かって走り出した。
「ひ!...誰か...」
俺は飛び出した。俺も同じように足が震えている。でもその恐怖の心が俺の体に十分な力をくれた。俺の痛いほどに力強く握っている『気宿刀』を振り下ろすとたまたま犬の眉間に命中した。
「....は、は、は」
俺は犬の眉間を殴ってから犬が離れたところで倒れて血を流し始めるまで息を止めてしまっていた。その反動で浅く、早く呼吸をする。過呼吸のような状態だ。
「クゥン...」
そして俺は気づく。やばい。そう考えついた瞬間に俺は犬を抱きかかえようとする...が、駄目だ。刀を持っている上に犬まで抱えられない。でも、放置もできない。
「ねえ、君!この犬を俺の家まで運ぶの、手伝ってよ!」
「あ、...う、うん」
気弱そうな女の子と一緒に犬を持ち上げる。刀を犬の上に置いて、刀が落ちないようにバランスを取りながら。女の子が足、俺が頭を抱える。でも女の子の力があんまりなくて、足を引きずるような形になってしまった。それを見かねた俺は刀だけを持ってもらい、犬を半ば引きずるような形で運んだ。大分時間をかけて公園内に引きずり込めた。でも、公園内に連れ込むのだけで精一杯だ。ここから家に運ぶまでの間に確実に死んでしまう。
「和輝、その犬はどうした?」
そこにタイミングよくおじいちゃんが現れる。息が少し荒れている。急いで来れば10分もかからないで来れる公園だから、走ってきたのだろう。
「俺が刀で叩いちゃったんだ!おじいちゃん、こいつを治してやってよ!」
「ふむ、任せろ。かわいい孫の頼みじゃ」
そう言っておじいちゃんは犬を軽々と抱え上げ走り出した。俺もそのあとについて走る。なぜか少女も。
結論から言うと、その犬は助かった。おじいちゃんは慣れた手つきで犬の傷口をふさいで、犬はしばらくぐったりしていたが、次の日には元気になっていた。
問題は、俺のことだ。犬の治療が終わると、おじいちゃんは俺を叱りだした。
『駄目じゃないか、和輝!1時間以内に戻ってこないと!それに犬まで怪我をさせて...!』
『ごめんなさい』
俺は涙目になりながら謝った。いつもは優しいおじいちゃんだが、こういう時はしっかり怒ってくれた。
しばらく説教を受けて、俺は風呂に入って来るように言われた。俺は泣きながら沸いているおふろに浸かった。その時は温かさを感じなかった。
泣き終わるまでお風呂に入っていたので少しのぼせてしまった俺はお風呂から上がった。服を着て居間に行くと、おじいちゃんが手を合わせて謝ってきた。
『すまん、和輝!』
しばらくポカンとしていた俺。するとおじいちゃんが話し出した。
『お前と一緒にいた女の子に聞いた。お前は女の子を助けるために犬を叩いたようじゃな。それで頑張って公園にまで引っ張って行ってくれた。そのうえわしに隠さず正直にやったことを言ってくれた。なのにわしはお前を叱りこそすれ、ほめなかった。本当に申し訳ない』
たしかこんなことを言っていた。俺はどっちにしろ時間通りには帰れなかったことも伝えた。でもおじいちゃんは謝ってばかりで怒らなかった。
『和輝、本当にすまなかった。そして、よくやった。強い子じゃ、和輝は』
最後にそう言っておじいちゃんはご飯を作り始めた。普段はふざけていて堂々としていたおじいちゃんがあんな風に真剣に謝って委縮しているのを見たのは初めてだった。
机の上にあるお茶とお菓子はおじいちゃんが食べたものだろう。だけど、ほとんど手が付けられていなかった。
俺は少し複雑な気持ちになりながら夜を過ごした。
「結局麗奈はあの後どうしたんだ?」
あの翌日に俺が公園に行ったとき、少女は俺にお礼を言ってくれた。
『..あの、昨日はありがとう』
『いいよ、別に』
どういたしまして、という言葉を知らなかった俺は素っ気なくそう言っただけだ。そして、次の日から少女は公園に来なくなった。
そのことを伝えると麗奈は咳払いをした。
「それを話すまえにあなたに話すことがあるの...といってももう見当がついているでしょうけど」
そう言われても全く見当がつかない。
「なんのことだ?」
「あなた、もう『百鬼夜行』を読んだでしょう?」
その言葉を麗奈が発した瞬間、扉がノックされる。
「和輝、入るわよ?」
「どうぞ」
母さんの声に返事をすると、扉を開いて見慣れた顔が客間に入ってきた。
「はい、お茶とお菓子」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
俺と麗奈の前にお茶と和菓子が置かれた。俺は早速温かいお茶を口に含む。
「麗奈さん、まだ明るいけどあんまり遅くなっちゃだめよ?」
「はい、気を付けます」
返事を聞いてお母さんは客間から出て行った。
「...それで、話の続きなんだけど」
麗奈が話を再開させる。えーっと、『百鬼夜行』だっけ。
「実はまだ『百鬼夜行』は読んでいないんだ」
「読んでないの?そう...」
溜息をしてから麗奈が少し考え込む。えっと、
「なんで俺が『百鬼夜行』を読んでいないといけないんだ?」
「別に読んでいなければいけないってわけじゃないわよ。ただ読んでいないなら私が説明しなくちゃいけない。それが面倒くさいのよ」
眉間にしわを寄せて本当に面倒くさそうに言う。
「いや、ちょっと待ってくれてれば読んでおくけど」
俺は何となく申し訳なくなってそんな提案をした。
「...いいわよ、別に。私が説明するわ」
麗奈は咳ばらいをして口を開いた。
「まずは『妖怪』の説明をしないと」
「...」
俺は軽く微笑む。うん、これは...
「ほら、今『うさんくさい』って思ったでしょ!」
「思ってない!いいよな、『妖怪』!最高だぜ!」
「適当に合わせて...!」
「いいから続けよう?な?」
「...分かったわよ」
麗奈が立ち上がって腰の小刀に手をかけていた。結構命がけのお話になりそうだ。
「『妖怪』は『妖素』というものを扱うの」
「『妖素』?なんだそれ」
「なにって言われると困るわね...それは実際に見てもらった方が早いわ」
なるほど。設定は練り切れていないようだ。再び俺は微笑む。
「今設定だと思ったでしょ?」
「いや、そんなことはない。いいよな、『妖素』。昔は俺も使えたぜ」
昔話を語る老人のような顔を意識して俺は遠い目をする。
「嘘ばっかり」
「いやいや、嘘じゃないって」
当然嘘です。
「ちなみに妖素を扱えるのは妖怪だけ。私は妖怪を退治しなくちゃいけない。あなたが妖素を扱えるというのなら...」
「嘘!妖素なんて初めて聞いた!だから、ね?」
俺は小刀に手をかけた麗奈をなだめる。だが麗奈は座らない。そして何かいいことを思いついたように表情を明るくする。
「今思ったんだけど、あなた『百鬼夜行』の本はどこにあるの?」
「え、おじいちゃんの部屋」
「ちょっと取ってきなさい。それを読みながら説明した方が早そうだから」
「分かったよ。ちょっと待っててくれ」
俺は麗奈に言われて客間から出ていく。
「まったく、最初からこうしておけばよかったわ」
麗奈が溜息を一つしてそんなことを言っていた。
おじいちゃんの部屋に行くと、机の上に本が置いてあった。
「あったあった」
『百鬼夜行』という題名が書かれた本を手に取って、試しに目次を見てみる。そこには『妖怪について』と書かれた章があった。
「...あながち嘘でもないのか」
客間に行くには一旦居間を通らないといけない。俺が客間の扉に手をかけると居間で話している父さんと母さんの話し声が少し聞こえてきた。
「...だから、あの子を...」
「別にそのくらいなら...でもなんでもっと早く....」
何の話をしているのか気になったけど、あんまり麗奈を待たせてもいけない。俺は客間に戻った。
「持ってきた?」
「うん。これでいいんだろ?」
俺は机の上に本を置く。題名を見ると麗奈の表情が明るくなる。
「これこれ。じゃあ本を開きなさい」
「おっけー。妖怪の話だったよな」
「そうね。確か『妖怪について』と書かれたページがあるはずよ」
「あるある」
パラパラと目次に書いてあるページを開く。途中に挿絵はなかった。
「開いた?」
「うん」
「じゃあ改めて話し始めるわ。『妖素』については見た方が早いから今はスルーするわ」
「おう。スルーするな」
「...」
「...」
こういうのって狙っていないってわかっていても気になっちゃうよな。
ああ、ちなみに本には『妖素とは扱う妖怪によって色や特性、大きさの変わる物質。扱える妖怪は多い』と書いてある。ようわからん。
「じゃあ次に」
「ちょっと待ってくれ。先に『妖怪』について説明してくれないか?」
俺が麗奈のセリフをぶった切って尋ねる。
「...そうね、少し焦りすぎたわ」
麗奈は咳払いをして改めて話し始める。
「まず『妖怪』にはどんなイメージがある?」
「そうだなあ...お化けみたいな感じで、悪い奴もいればいい奴もいる、って感じかな」
「悪い奴といい奴ね。それはどうやって区別するの?」
「それは勿論『種族』によってかな。メジャーな奴だと『鬼』なんかは悪い奴だし『座敷わらし』なんかはいい奴じゃないかな」
「そうね、一般的には『種族』ごとに区別すると思うわ。でも実際は違うのよ」
「どういうこと?」
「『鬼』でもいい奴がいるし『座敷わらし』でも悪い奴はいるってこと」
「へえー」
思わず感嘆の声を上げてしまう。そうなんだなあ。
でもよく考えれば人間だっていい奴と悪い奴がいる。それと同じ感覚なのかもしれない。
「...やけに素直に聞いてくれるわね」
麗奈から疑うような視線を向けられる。そんなこと言われても
「おじいちゃんの手紙に書いてあった本と同じことを言っているからな。信じるさ」
俺はおじいちゃんが嘘を吐くような人には思えないし、信頼している。そのおじいちゃんが俺に読むように指示してきた本と麗奈が言っていることは一致している。だから信じる。
「随分おじいさんを信用しているのね」
「まあな。正直今の性格があるのは両親よりもおじいちゃんに形成されたところが大きいから」
別におじいちゃんの性格をまねているわけではない。おじいちゃんに会っても恥ずかしくない性格を形成したのだ。
麗奈は俺を疑う視線をやめた。
「まあいいわ。話が順調に進むならそれに越したことはないし」
「そうだろ?」
「ええ。それで妖怪についてだけど...一言でいえば、『人間に何らかの影響を与えようとする化け物』って感じかしら。なんらかの影響っていうのは良い意味でも、悪い意味でも、ね」
「ふむ、分かりやすい」
ちなみに本にも同じことが書いてある。『人間に影響を与えることを生きがいとしている化け物。知力は個体によって様々、純粋な力や超越的な能力はともに人間をはるかに上回る』と。
超越的な能力?
「ちょっと質問」
「何かしら」
「この本に『妖怪は純粋な力や超越的な能力はともにはるかに人間を上回る』って書いてあるんだけど。超越的な能力ってなんだ?」
純粋な力っていうのは腕力や握力のことだろう。でも『超越的な能力』というのが良く分からない。
「ああ、それは人間でいう『超能力』のことね。スプーンを曲げたりとか透視とか。予知夢を見れる人もいるわね」
「え、スプーン曲げの力が人間をはるかに上回るって...俺の体が一瞬で曲げられたりするのか?」
「うーん...そういう妖怪もいるかもしれないけど、聞いたことはないわね」
「じゃあ妖怪はどんな超能力を使うんだ?」
「妖素を操れる。それが妖怪の超能力よ」
「??」
やばい、頭がこんがらがってきた。
「...整理すると、人間の操れる超能力っていうのは『念力』や『透視』など。で、妖怪の操れる超能力っていうのは『妖素』を操ること。その力がはるかに上回るっていうのは人間はスプーンくらいしか曲げられないでしょう?でも、もし妖怪が同じ超能力だったらスプーンどころか電柱を曲げることができるわ」
「...分かったような、分からないような」
でもなんとなくわかった。
「まあ妖素っていうのがそもそも分からないから仕方がないわ。そこも妖素を見たら理解できると思うわよ」
「そっか。じゃあスルーしようか」
俺はまだ温かいお茶を飲む。麗奈も話疲れたのか湯呑みを傾けている。
「まあ妖怪についてはこんなところかしら」
「ああ、『妖素を操れて、力が人間よりはるかに上回っていて、いい奴と悪い奴は種族ではなく個体として存在していて、人間に何らかの影響を与えようとする』...こんな感じか」
「ええ、その認識で間違っていないわ。さて、本題に入りましょうか」
次は『百鬼夜行』についてだろう。俺は目次を開く。
「『百鬼夜行の歴史』と『百鬼夜行について』ってページがあると思うわ。まあまずは歴史について話しましょうか」
麗奈が話し出す。俺は目次に指定されているページを開く。
「そもそも百鬼夜行というのは神様が行っていたの」
「へえ。妖怪が最初に始めたかと思ったけど」
これは意外だ。
「そうね。そのイメージが強いと思うわ。でも違うのよ」
「ちなみに百鬼夜行ってどういう行事なんだ?」
「昔は神様がある道をのんびり歩くの」
「...それだけ?」
「ええ」
嘘は言っていないようだ。本にも『元々神様が道をのんびり歩くだけの行事だった。ちなみにその道は今『神行道』と呼ばれている』と書いてある。
「なんで神様はその道を歩いたんだろうな」
「帰省」
「へ?」
「帰省よ。実家に帰ったの」
「...」
俺は信じられなくて本に書いてある文章を穴が空くほど見つめる。そして、見つけてしまった。
「...うわ、本当だ」
「ね?」
『神様は神行道を通って実家に帰った』
「何だ実家って。しかも帰省しただけでイベントになるのか」
「そんなわけないじゃない。神様は神行道を歩いている時に思いついたらしいわ。この道を利用して何かイベントを開催しようってね」
「暇だな、神さま」
「ええ、暇よ。当時はスマートフォンやインターネットは勿論のこと、漫画やテレビもなくて、あるのは貴族のつまらない蹴鞠や見かけだけ真面目な小説、そんなものしかない時代に暇じゃないなんてあり得ないと思うけど」
「まあ確かに」
ちなみに見かけだけ真面目な小説というのは言及しないでおこう。確かに昼ドラ並みにドロドロとした展開の恋愛小説とかあるしな。
「で、神様が開催したイベントというのが『百鬼夜行』。これに勝利すると願いをかなえてもらえるの」
「え、それ凄くないか?」
「勿論ある程度の条件はあるわよ。例えば自分以外に存在する妖怪を全部消してくれ、なんて頼みは聞いてくれないわ。ちょっと地位を上げるくらいならしてもらえるわよ」
「じゃあ今有名な妖怪って」
「この百鬼夜行で勝利した妖怪ね。でも知名度がある妖怪たちっていうのは自分の種族の力をできる限り強化してもらうっていうお願いを繰り返したのよ。別に知名度を上げるようにお願いしたわけじゃないわ」
「ふうん」
鬼とか天狗とか狐とか結構努力してたんだな。
「で、百鬼夜行の開催は百年に一度。最初に始まったのは...忘れちゃった、なんて書いてある?」
「えっと、今年から計算すると...千年前って書いてある」
「あら、じゃあ今年で十回目ね」
「...ふーん、十回目か」
意外と少ないんだな。
「なによ、なんか納得していない顔しているけど」
俺は考えていることを言ってみた。
「だってさ、同じ妖怪は優勝していないとして、九種族の妖怪しか願いをかなえられていないんだろ?それって優勝した種族しか強くならないんだからバランスがおかしくないか?」
「まあそう考えるでしょうね。でも神様にお願いを叶えてもらうだけが強くなる方法じゃないのよ。今一番強いと言われているのが『鬼』なんだけど、それが参加したのは確か五回目、そのまま優勝しちゃったのよ」
「へえ」
「そしてただでさえ強い鬼が願ったのはできる限りの強化。神様は少し考えてから、強化をしてもいいが『鬼』という種族の参加は五百年に一度、つまり五回に一回にする、って言ったの。鬼はそれを受け入れたわ」
「え、ってことは...」
「今年は荒れるわね。前回よりも強くなった鬼が襲ってくるのだから」
えらいこっちゃ。
「というか、百鬼夜行のルールってなんだ?」
そもそもの核心をついていなかった。
「そうね、何でもありの魂の奪い合い。勝利条件は『奪った魂の数が一番多いこと』、敗北条件は『魂を奪われる、もしくは奪った魂の数が一番多くないこと』ね」
「...魂?」
随分物騒な話だ。
「そう、『魂』。大体一般的なイメージで合ってる。これを奪われると身体が一切動かなくなるわ。というか身体がただの抜け殻になるの」
「取り戻す方法は?」
「奪った奴から誰かに取り戻してもらって身体に戻してもらう。それだけよ」
確かにそれしか方法はないだろう。
「というか魂ってどうやって抜くんだ?」
「色々な方法があるわ。ただ条件として一定以上体を弱らせてからじゃないと抜けないわ。殺してしまえば自然と魂が抜けるけど」
「ふむふむ」
そこまで話すと麗奈はお茶を口に含んだ。そして、湯呑みから口を離す。
「これが『百鬼夜行』という本を大体まとめた感じね。質問とかある?」
「いや、特にない。そっか、ただの祭りだと思ってたんだけどな」
俺が六歳の頃のおじいちゃんといったお祭りの思い出。あれにこんな深い意味があったとは。
すると急に麗奈がもじもじしだした。チラチラと上目遣いでこちらを見てくる。その表情は今までの堂々としていたものと打って変わって不安げなものだった。
なるほど。
「トイレか」
「違うわよ」
俺の予想は外れてしまった。というかこんなにセクハラに近い発言をしたのに腰の小刀に手を掛けなかった。
「どうしたんだ?」
「...あの、その、ちょっと、お願いしたいことが、あるんだけど」
随分途切れ途切れに言うな。
「なに?言ってくれよ」
「...その、『百鬼夜行』に、私と一緒に参加を、してくれたりとか...」
「ああ、構わないよ」
「...ほんとに?魂の奪い合いなのよ?下手をすれば死んじゃうかも...」
「なんだ、断ってほしいのか?」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ俺が参加してやる。それだけ」
というか、おじいちゃんの手紙には『百鬼夜行』で生き残れ、と書いてあった。おじいちゃんは俺が本を読んで参加することを信じていたはずだ。なら、その期待に応えないとな。それがおじいちゃんへのお礼の気がする。
「その、ありがと」
俺と目を合わせずにお礼を言ってくる。
「別に感謝されるようなことじゃないけどな」
俺はお茶を一口すする。すると扉をノックする音が。
「和輝、入るぞ?」
「どうぞ~」
俺は気の抜けた声で父さんの声に返事をする。
父さんは入って来ると麗奈に話しかけた。
「えっと、麗奈さん」
「何でしょうか」
先ほどまでで十分伸びていた麗奈の背筋がさらに伸びる。
「さっきの話だけど、いいよ。運んであげる」
「ありがとうございます。それで、おこがましいのですが、今晩ここに泊めてはいただけないでしょうか?」
「ああ、構わないよ。でも布団がないから和輝と一緒に寝てもらうことになるけど」
「大変ありがとうございます。とても嬉しいです」
そう言って綺麗に三つ指をついて丁寧に頭を下げる麗奈。というか...
「父さん、今の話なに?」
「ん?ああ、麗奈さんがうちの近くに引っ越すらしいんだ。だからここからそこまで車で乗せて言ってくれないかとさっき頼まれたんだ」
「へえ。で、布団の話だけど」
「おっと、夕飯の支度をしないと。それじゃあ和輝、麗奈さん、また後で」
「あ、待て!」
父さんが客間から出ていく。
「...はあ、まったくもうなんていうか...」
溜息を吐く。
「そんなに私と一緒に寝るの嫌?」
「お前は俺と一緒に寝て嫌じゃないのかよ」
「別に嫌じゃないわよ。襲われるわけでもないし」
「...はあ」
再び溜息。まあいいや、まだやることがあるんだ。
「じゃあ麗奈は適当にくつろいでいてくれ」
それだけ言って俺は立ち上がる。
「どこに行くの?」
「ん、ちょっと探し物というか...」
「付いて行っちゃだめ?」
「別にいいけど、面白くないと思うぞ」
「構わないわよ」
「じゃあ行くか」
俺は麗奈を連れて外に出る。外は橙色に染まり始めていた。俺は物置の横に立てかけておいたスコップを手に取り、ポケットからおじいちゃんの手紙を取り出す。えーっと、庭にある一番大きい木の近くにあるいくつかの石碑の一つが綺麗に整っているはずだからその石碑の近くを掘り起こせ、と。
俺は一番大きい木の傍に行く。そして、生い茂る草の中石碑を見つけていく。その中の一つに確かに他とは違って綺麗な石碑を見つけた。
「よいしょ」
俺は早速手に持ったスコップで石碑のそばを掘り起こす。とりあえず石碑を囲むように掘ってから深く掘っていこう。
カツン、と石碑の周りを掘り起こしている時にスコップの先が何か硬いものに当たった音がした。お、早くもあたりかな?
俺は腰をかがめてスコップの先が当たったものを手で掘り出す。すると、真っ黒な箱が。軽く叩くと金属音が響く。
そして、その箱を開く。すると、そこには一個のお守りが。
「...なんじゃこれ」
「ただのお守りみたいね。なんでおじいさんはそんなものを残したのかしらね」
「いや、おじいちゃんが意味のないものをここにきて渡してくるはずがない。えっと、次にこれと『気宿刀』をもっておじいちゃんの部屋に行けと」
俺はスコップを物置にしまっておじいちゃんの部屋に向かう。
「さて、最後に...なるほど」
「何をするの?」
「ちょっと麗奈は離れていた方がいいみたいだ」
俺は部屋の中心に『気宿刀』と先ほど掘り起こしたお守りを置く。そして、俺がそのすぐそばに正座をする。
「危なくなったら逃げなさいよ」
「多分大丈夫だと思う」
最後に、おじいちゃんの手紙を二つ、俺の左右の太ももの上に置く。
「...」
「...」
「...!」
「ちょっと!」
しばらく待つと、俺以外の4つのものが輝きだす。そして、お守りの中から輝く球体が飛び出してきた。その球体は俺の心臓に吸い込まれた。
球体が吸い込まれると、まずお守りが輝きを失い、次におじいちゃんの手紙が輝きを失い、しばらく経ってから『気宿刀』が輝きを失った。
「大丈夫なの?」
謎の儀式のようなものが終わったのを確認してから俺に近づいて、ぐいっと俺の肩を掴む麗奈。
「...」
「!?ちょっと、大丈夫なの!?」
俺は座ったまま目を閉じていた。ものすごい眠気が襲ってきた。目も開けていられない。
「だ...」
大丈夫、と言い終わる前に俺は眠っていた。
「もしかして、さっきのはたまs」
そこまで麗奈の独り言が聞こえた。
『第二章 出発』
「おっす、和輝」
「おう、おはよう」
春休みの出来事から大体一週間後。高校二年生の一学期が始まった。
今挨拶を交わした友人ともう一人以外は全く知らない。帰宅部っていうのはこういう時に不便だ。
自分の座った席が間違えていないか不安を持ちながら座る。
そんないつもと違って緊張した雰囲気の中始業の鐘と同時に教室の扉が開く。
「まだみんな自己紹介はまだだよな?一時間目は始業式だから紹介されるが、このクラスに転校生が来る。二時間目にそいつ含めて自己紹介をしろ、SHRは以上。体育館に移動しろ」
クラスが更に変な空気になる。
『転校生ってどんな奴だろうな』『さあ。あれ、お前三組の佐藤?』『おう、よろしくな。お前は四組だったっけ?』『おう。田中だ。よろしく』
『かっこいい人だったらいいね。あ、私二組だった須田、よろしく』『そうね。私は七組だった小峰。よろしくね』
でも転校生を利用してみんな打ち解け合っているみたいだ。
「...行くか」
「...そうだな、後で仲良くなればいい」
俺と、先ほど挨拶を交わした友人、『尾崎直人』は話しかけられなかった。
「じゃあ、改めて自己紹介をよろしく」
「はい。月島麗奈です。よろしくお願いします」
そう言って軽く微笑む麗奈。あら可愛い。女子も男子も目が釘付けだ。もちろん俺も。
「よし、じゃあ一番後ろに座ってくれ」
「はい」
ちなみに一番後ろは俺の隣の席ではない。なんかモテそうな雰囲気の男子のとなりだ。恋愛小説みたいなのを期待したか?残念だったな!俺だってその展開を期待したけどな!
「よろしく、麗奈さん」
「ええ、よろしくね」
早速口説きに行ったか。もう駄目だ、俺の負けだ。
「和輝、お前の知り合いなんじゃないのか?」
「そうなんだけど、別に付き合ってるわけでもないしな」
「そっか。なんか悲しいな」
「全くだ」
直人が後ろを振り返って俺に話しかけてくる。ちなみに俺は麗奈がこの学校に転校してくることを知っていたので仲のいい直人には話しておいたのだ。
「それじゃあ自己紹介の時間だ。同性だけでなく異性とも話せよ。俺は数学担当の岩崎だ。よろしく」
そう言って教壇の傍にある椅子に座る岩崎先生。
「それじゃあ始めるか。えっと、直人は文科系の部活に所属してたよな?」
「ああ、音楽部だな。部活仲間を紹介してやるよ」
「助かる」
ちなみに直人は凄いカラオケ好きだ。一年生の頃も何度も一緒にカラオケに行った。歌うのが好きらしい。昔から音楽系の部活に所属するがちょっとした偏見に悩まされていたらしいが、まあ高校に入ってまでそういうのを馬鹿にするやつはいないだろ。...と思ったんだけど、ちょっとトラブルがあった。まあ今はこうやって友達を紹介できるくらいだし、直人は結構部活を楽しめてるみたいだ。
直人に紹介されて身長が低めで細身の男子とあいさつをする。
「鈴木孝信だよ。よろしく」
「鹿嶋和輝だ。よろしくな」
「...なんか、趣味とか言った方がいいのかな?」
「俺は特にないよ。音楽部なんだから孝信は歌うのが趣味か?」
「うん、そんな感じ」
「そっか。直人をよろしくな」
「お前は保護者か」
よし、いい感じで友達を一人作れた...かな。
「よろしく、月島さん」
「ええ、よろしく、染島さん」
俺たちのすぐ近くで自己紹介をしあう女子。お、あれは...
「染島か」
「和輝、知り合い?」
「ああ。紹介するよ...って直人が紹介してもいいと思うけど」
「馬鹿。お前が紹介して孝信との仲を深めてやろうっていう俺の良心だ」
「そうか、さんきゅ。おーい、染島」
「なに?鹿島君」
「いや、ちょっと孝信に紹介しようと思ってな」
「私を?ありがとう」
ここで染島と直人の容姿を紹介しよう。
まず直人。そこら辺にいる男子高校生を想像してくれ。(黒い髪をショートカット、ちょっと細身の175センチの身長。眼鏡は掛けていない)。
続いて染島。フルネームは染島朱里身長は俺の顎のあたりに頭のてっぺんが来るかな。黒い髪をおさげにしていて、眼鏡をかけている。文芸部にでも所属していそうな外見だが、帰宅部。委員会は強制参加だけど、一番暇そうなのを選ぶ。というのも、
「染島は家が和菓子屋さんなんだ。俺もすごいお世話になってる」
「よく来るよね、鹿島君」
「へえ、凄いんだね、染島さん。なんでお世話に...って、まあ理由は一つだよね」
「そうそう。俺は和菓子が好物なんだ。で、近くにある和菓子屋さんなんて染島の家くらいだからさ」
「なるほどね、常連さんになっていると」
「そんな感じ」
「えっと、鈴木君でいいのかな?」
「あ、うん。鈴木孝信。よろしく、染島さん」
「よろしくね」
ふむ、いい感じじゃないか。まあ去年もこんな感じで乗り切ったけど。
「和輝、俺に月島さんを紹介してくれよ」
「そうだね、僕からも頼むよ」
直人と孝信が頼んでくる。
「別に構わないよ。えっと...いたいた。麗奈」
「なに...って、そういうこと」
「そういうこと。自己紹介よろしく」
「ええ。月島麗奈よ。よろしくね」
「えっと、尾崎直人だ。音楽部に所属してる。よろしく」
「鈴木孝信。僕も音楽部に所属してるんだ。よろしくね」
「尾崎と鈴木ね。覚えたわ」
「えっと、趣味とか聞いても大丈夫?」
俺がちょっと話の種をまく。というか俺も気になる。
「趣味、そうね...ありきたりだけど読書、かしら」
「読書か。どんな本を読むの?」
「推理小説かしら。『そして誰もいなくなった』は面白かったわ」
「あ、俺も読んだことある。面白いよな、あの本」
「ええ、趣味が合いそうね」
そう言ってまた微笑む麗奈。男子キラー発動だ。
「...まあ、そんな感じだ。じゃあ別の人のところに行くか」
「そうだな改めてよろしく、月島」
「よろしくね、月島さん」
「ええ、よろしくね」
俺たちは麗奈と別れる。
「...あの人滅茶苦茶かわいいな」
「そうだね。ちょっとドキッとしちゃったよ」
「そうだな。可愛い」
俺たちは思い思いの感想を言う。
まあこんな感じで自己紹介は進んで、その時間が終わるまでの間に半分くらいの人とは自己紹介ができた。これからの学校生活が楽しみだ。
四月下旬。新しい環境には慣れ切った。意外と何とかなるもんだ。
「次の授業なんだっけ」
直人に話しかける。調べればわかることだけど、こういうのもコミュニケーションの一つだ。
「物理。お前前回の授業理解できた?」
「当たり前だろ。まだ躓くには早すぎるだろ」
「確かにお前は毎回テストの順位一桁だからいいけどさ。俺はちょっと厳しくなってきたぜ」
「全く...どこが分からないんだ?...?」
そんな話をしていると誰かに肩を叩かれる。振り返ると、
「ん、麗奈。どした?」
「ちょっと話したいことがあるの。来てくれない?」
「休み時間中に終わるか?」
「ええ。すぐに終わるわ」
「そういうわけだ。先に行っててくれ」
「おう。遅れんなよ」
俺は麗奈に手を引かれて特別棟に行く。ちなみに物理室も特別棟なので遅れずに済みそうだ。
そして、人気のない場所に来た。
「どうしたんだ?」
「明日から三連休でしょう?」
「ああ、そうだな」
「ちょっと行きたい場所があるの。来れる?」
「ああ、行けるぜ。どこにー」
行くんだ?そう聞く前に麗奈が一枚のメモを渡してくる。
「...なにこれ?」
ざっと中に目を通すと、泊りがけの計画だった。ちなみに題名は『妖狐確保大作戦☆』と可愛らしい星までつけちゃってまあ。
「目を通しておいて。よろしく」
それだけ言うと麗奈は物理室に向かってしまった。『妖狐』ってことは『百鬼夜行』関連か。学校ではこのメモを見ない方がいいな。俺はメモを学ランの胸ポケットにしまった。
ガタンゴトン ガタンゴトン
一定のリズムで聞こえてくる音。俺は今電車に揺られている。朝早くに起きてかれこれ二時間ほど乗り換えなどをして移動をしている。目的地はちょっと遠い。
傍にはちょっと大きめの荷物。泊りがけということで着替えなどを準備しろとメモには書いてあった。
俺はこれからやることを麗奈に電話で聞いた時のことを思い起こす。
「つまり、『妖狐』を頂けないか尋ねに行く、と」
「そう。あなたも気をつけなさいよ。行くところは人間の法律ではなく妖怪の法律で動いているところだから」
「気をつけろって言ったって、なんか注意した方がいいことはあるか?」
「ないわ。ほとんど人間の法律と一緒だし」
「なんで緊張感を持たせた」
「ああ、それと絶対に気宿刀は持っていきなさいね。あとはメモに書いてある通りだから」
「分かってるよ。妖怪が絡んでいるのに気宿刀をもっていかないわけがない」
「その心がけがあれば十分よ。それじゃあ私はもう寝るから」
「あ、妖狐を貰いに行く理由は?」
「そんなの百鬼夜行で有利になるために決まってるでしょ。もう遅いんだから、女性にあんまり夜更かしさせないでちょうだい。それにお互い明日の朝は早いんだから」
「それもなんでお互いに現地集合なんだ?」
「別にいいでしょ。色々あるのよ」
「あんまり納得できないな」
「まあまあ。もう寝なさいね。どうせゲームでもやってるんでしょ?」
「...そんなことはない」
「ほどほどにしなさい。おやすみ」
というわけで今俺は『妖狐の里』に向かっている。昨夜の電話を思い返して考えたことは...
なんでばれたんだろう。
いやいや、そっちじゃないな。結構麗奈って自分勝手なところがあるのか?いや、百鬼夜行のためにやってることだから自分勝手とは違うか?
悶々としていると、目的地に着く。えっと、この近くにある『天狗の待ち合わせ所』という場所で待ち合わせのようだ。
駅から出て、スマートフォンの地図アプリを頼りに天狗の待ち合わせ所に行く。えっと、ここを曲がってこの道をまっすぐ歩いて...
しばらく歩くと田んぼ道に着いた。この田んぼ道を道なりに行けば天狗の石像があるらしい。そこが天狗の待ち合わせ所みたいだ。
その田んぼ道を歩いていると、向かいから女性が歩いてくる。和服...いや、白装束をきて、口を大きなマスクで隠している。
女性はいきなり立ち止まると、俺に話しかけてきた。
「...私、綺麗?」
これは、『口裂け女』!間違いない。えっと、対処法はどうすればいいんだっけ。確か走ってもすぐに追いつかれるくらい足が早い。というかこんな荷物を持っていたら逃げられない。にんにくが必要だっけ?あれ、呪文みたいなの無かったか?三回叫べばいいんだ。たしか、ポ...ポ...
「ポエム!ポエム!ポエム!」
「いやああああああああ!私...ちがうのおおおおおお!」
効果抜群。女性はその場にしゃがみこんで思いっきり叫んだ。というか声量がすごい。マスクをしているのにこの声量は直人と孝信が音楽部に勧誘しそうだ。
「『白馬の王子様、バラの男爵様、私を争って戦争を起こさないで....』...いやあああああああ!なんで喧嘩で済ませないで戦争しちゃったのおおおおお!」
盛大に自爆をして俺のそばを叫びながら走り去っていった。俺はその背中を眺めながら本当は何だったのか検索してみた。そこには『ポマード』と書かれていた。
「...案外、何でもいいんだな」
人生の教訓がまた一つ増えた。
気を取り直して歩き始める。さっきはうまくいったけど、妖怪が現れたってことは...俺はすでに命の危険性があるということだ。気を抜いたら殺されてしまうだろう。
と、向かいから男が歩いてくる。俺は思わず身構えた。その男は全身を鎧で固めていて、その鎧に矢を撃ち込まれていた。腰に差した刀が攻撃手段だろう。『武士』だ。
俺はいつでも荷物を地面に下ろせるように意識をしながら、腰に付けておいた気宿刀の柄に手をかけておく。いつでも鞘ごと取り外しできるように身に着けてある。大丈夫だ。闘える。
「...青年よ」
「...なんだ」
「そう身構えるな。ちょっと道を歩いているだけだ」
「...信じると思うか?」
「そうなのだ。誰も信じてくれないのだ。何故だと思う?」
「鏡を見たことはあるか?全身写るやつ」
「最近はない」
「...これって分かるか?写真が撮れるんだ」
俺はポケットからスマートフォンを取り出す。すると、男のテンションが跳ね上がった。
「えー、うそ!最新機種じゃん!ね、一緒に写真撮らない!?」
「...は?」
テンションが上がったというか、これは...
「早く早く!もー、私が撮る」
スマートフォンを奪われて、そのままカメラのアプリを起動する男。なんだこいつ、二重人格?
「もっと近寄ってよ!」
「痛い!鎧が当たって痛いんだよ!」
先ほどから身体を密着させて来る男。鎧には確かな硬さがあって結構な力で近寄らせるものだから鎧が当たって痛いのなんの...。
「はい撮るよ...三、二、一、はい、牛などから得られる乳を原料とした乳酸発酵や柑橘果汁の添加で酸乳化したあとに「長い長い!何枚とる気だよ!っていうかチーズの説明なんか聞いてないから!」
チーズの説明をしている間ずっとシャッターを押していた。俺はスマートフォンを無理やり取り返して男から離れる。
「...は、少し意識が飛んでいた。やはり魂を複数持っていると乗っ取られやすい」
「魂を奪った?誰から?」
「昨日このあたりを歩いていた女子からだ。今から魂を返しに行くところだ。
「返しに行くって...昨日からその子はどうし「ワンワン!」
...随分高い声で鳴く犬がいるもんだ。さすが妖怪の世界。
「おお、女性よ。今から魂を返すからな」
「おい!この子の魂は...」
「犬の魂だ」
「その犬はどうしているんだ!」
「倒れているはずだ。野良だからな。だがこの子に魂を返したらすぐに返しに行く」
「本当かよ」
「武士に二言なし」
さっきまでスマートフォンを見てテンションを上げていたくせに武士だと言うか。
武士はその体から光り輝く球体を取り出して、女子の体に吸い込ませた。代わりに女性の体から出てくる球体。犬の魂だろう。
「う...うん?ここは...?」
「大丈夫ですか?」
俺はしゃがみこんで尋ねてみる。
「えっと、私夜に武士にあって大声で叫んだ瞬間から意識がなくなって...今何時?」
「八時です」
「朝帰りみたいになっちゃった」
「大変ですよね。ほら、謝れよ」
「済まぬ、迷惑をかけたな」
「ああああ!昨日の!ね、ね、一緒に写真撮って!」
女性は返事も聞かずに身体を密着させて写真を一枚とると、満足した様子で、
「ありがとう!じゃあね!」
駅の方へ歩いて行った。結構気にしていなかったみたいだ。
「昨日は夜に人里に行ってしまってな、引き返そうと思ったら彼女と会ってな。存在がばれたら大問題になってしまうから身体から魂を引き抜かせてもらった」
「...ん?魂を引き抜くには身体を弱らせないとだよな?お前、まさか...」
「斬りつけてなどいない。私は人を傷つけないで魂を抜く方法を見つけたのだ。ただ、妖怪の存在を知らないものに限るがな。魂を抜かれるということを知られていると、無意識のうちに警戒心が出来上がるから身体を弱らせる必要があるのだ」
「それってすごいじゃん。...というか、犬の魂を入れる必要があったのか?」
「野良犬が私を吠えたからな、万が一を考えて魂を先に抜いていたのだ。その犬は夜寝るときに人目のつかないところで寝て、早朝この道を散歩する。そのことまで知っていたのだ。だからあの少女が犬であるときのことは見られていないはずだ」
「...結構考えてたんだな」
少し見直したのと同時に少し反省。鎧を着ているというだけで敵意をむき出しにしてしまったからなあ。
「それより青年。何か考えがあったようだが...」
「...あ、そうだ。さっき写真を撮った。ちょっとこれを見てくれ」
俺は先ほど撮った(撮られた?)写真を見せる。
「これは、スマートフォンか。私も持っているぞ」
「じゃあ話は早い...って、え、妖怪ってスマートフォンを持っているのか!?」
「無論」
「なのに自分の姿を見なかったのか?」
「うむ。実際はおとといからだな。ちょっと野暮用があってな...」
「そっか。お疲れ」
「うむ。して、この写真は本物か?」
武士がスマートフォンの画面を指さす。
「うん。さっき魂が入れ替わってるときに撮ったんだ」
「そうか、矢を受けた鎧を着けっぱなしだったからみなの反応が...」
「早いところ外せよ」
「うむ、そうさせてもらう。ありがとう、青年よ」
「大したことじゃないよ、それじゃあな」
「私も犬の魂を返しに行く」
俺は返事を聞いて再び歩き始めた。
「この恩は必ず返すぞ、青年」
そんな声が聞こえてきた。
俺は再び歩き始める。すると、石像が見えてきた。あれかな?
大きさは3メートルくらい。その石像を囲むように屋根付きの座る場所が設置されている。ふむ、間違いなさそうだ。
俺は近づいて石像を見上げる。大きな羽、鼻の長い恐ろしい表情、高下駄を履いている。まさにイメージ通りの妖怪、『天狗』といった感じだ。さっき出会った二人も見習ってほしい。というか『武士』は妖怪なのか?『口裂け女』も都市伝説に近いような...
と、椅子に座っている和服の女性に目が行く。麗奈か?俺は近づく。
「...んむぅ?しまった!何時だ!?」
女性は突然俺に聞いてきた。
「うぇ!?えっと...まだ八時十五分です」
「そうか、大丈夫だな...あ、初対面なのに失礼な態度をとってしまった、大変申し訳ない」
女性は安堵した後居住まいを正して立ち上がり俺に対して頭を下げた。俺は慌てて頭を上げてもらう。
「いえいえ、俺は気にしていませんから」
「そう言ってもらえると嬉しい。って...お主、人間か?」
女性は顔を上げて俺の顔を見ると、そんなことを言い出した。
ここで女性の容姿を。胸のあたりまで届く黒い髪の毛をツインテールにしていて、二部式の和服を着ている。といっても和服を少し変えたような服装で、黒い袴がやけに短い。スカートみたいだ。上の和服は白く、動きやすそうな和服、といった感じだ。身長は頭が俺の胸に来るくらいで、少し大人びた雰囲気があり、目は少し吊り上がっていて勝気な印象を受ける。美人よりも可愛らしいという印象を受ける人だ。腰には一本の小刀を差している。そして何よりも特徴的なのは背中から生えている真っ黒な翼。この人は、『天狗』かな。
「はい、人間ですが...どうして分かったんですか?」
こんな質問をしてきたということは相手は人間ではないはず。だけど女性の容姿は人間と見分けがつかない。なんで俺を見ただけで人間と判断できたのだろう。
「ふむ、なんというか...雰囲気だな、うん」
「はあ...」
あんまり煮え切らない返答だ。
「して、人間よ。なぜこんなところに?」
「人と待ち合わせをしているんです。まあ九時集合なんでまだいないと思っていましたけど」
麗奈のメモには天狗の待ち合わせ所に九時に来るように書いてあった。大分早く来てしまったのは知らない土地だから道に迷うことを考慮してのことだ。まあスマートフォンがあるから大丈夫だろうけど、ちょっと昔の出来事がトラウマみたいになっているせいでもある。
「ふむ、私は人間と出会うのは初めてだ。ちょっと話さないか?」
「構いませんよ。俺も天狗様と話してみたいですし」
女性が座り、その隣を座るように促してくる。俺はそれに従って隣に座る。
「さて、まずはなぜ私が天狗だと分かった?」
「え、いや、真っ黒な翼が生えているじゃないですか」
「...なるほど、観察力はあるようだ」
「いやいや、観察力も何も翼なんか生えていたら目が行くでしょう」
「確かに。ところで、人間。名をなんと申す?」
「あ、名乗っていませんでしたね。鹿島和輝、です」
「和輝と呼ばせてもらおう。私の名前は『カエデ』だ」
「カエデさんですね。覚えました」
「敬語も慣れないな。少し砕けて話してもらって構わないのだぞ?」
「いえいえ、天狗様って見た目よりも年を取っているとよく聞きますから。俺より年上でしょう?」
「いや、同じだと思うぞ。私は今年で十七だ」
「あれ、意外ですね。俺も今年で十七ですよ」
「同い年ということだな。そういうわけで敬語をやめてもらって構わない」
「そうですか...それじゃあ、お言葉に甘えて」
「ふむ、素直な人間だ。嫌いではないぞ」
「ありがとう。まずは何を話そうか...っと、聞きたいことができた」
「なんだ?」
「妖怪って普段何をしているんだ?」
「ふむ、それは種族によってさまざまだ。例えば私たち『天狗』は人間でいう『警察』の組織だ」
「へえ。俺も逮捕されちゃう?」
「逮捕されるようなことをしたのか?」
「いや、別にしてないけど。そうじゃなくて、人間でも逮捕とかされるのかなって」
「当然。しかも妖怪のことを知っている人間の場合、軽犯罪でなければ即死刑か終身刑だ。妖怪に害をなすような奴が人間の町に戻ったときに妖怪について吹聴されては困るのでな」
「なるほど、覗きをするときはバレないように...か」
「そんなことをするつもりだったのか...?」
「いえ、とんでもない」
「そもそもお主はどこに行くのだ?」
「『妖狐の里』。なんか妖狐を一匹貰いたいって」
「それはまた随分と無謀な...」
「まあやりたいようにやらせるのが一番でしょうし」
「待っている人は女性か?」
「うん」
「随分と尻に敷かれているな」
「そういうわけじゃないけどね」
「まあ無理はしないようにな」
「無理なんかしない。するときは誰かの命がかかっている時だけ」
「...つかみどころのない人間だ」
「ところで、妖怪って恋愛とかするの?」
「うむ、というか妖怪の繁殖方法は人間と変わらないぞ」
「繁殖って...もう少し言い方があるだろうに」
「言いたいことは分かるが何分私が恋愛をしたことなどないからな」
「うーん、どんな妖怪がタイプとかあるのか?」
「ないな。考えたこともないというのが第一、そもそも恋をした妖怪がタイプということになるからな」
「なるほど、深い」
「お主は恋をしたことはあるか?」
「いや、ない。してみたいもんだ」
「お主ならできるはずだ」
「ありがとよ。カエデはモテそうだけどな。その話し方は生まれつきなのか?」
「...うむ、少し真剣な話になってしまうのだが」
「構わないよ」
「ありがたい。実は、私はただの天狗ではない。『烏天狗』なのだ」
「カラス天狗か。それが口調と何の関係が?」
「実は、烏天狗というのは天狗の里ではあまり良い印象ではないのだ。でも、私には運がよく才能があった。十五歳の頃には里の中でも高い役職に就けた。烏天狗なのにそんな役職に就いたのは天狗史上私が初めてだ。だから私は考えたのだ。烏天狗でも優秀であることを他の天狗に見せつけて、これから生まれてくるであろう烏天狗が差別されないようにしたいのだ。そのためには私が立派でなければいけない、堂々としていなければいけない、皆の手本にならないといけない。そのための手段の一つがこの口調だ。まあ形からということだな」
「...苦労しているんだな」
「なに、もう慣れた。本来の話し方など忘れてしまった。でも、ここまでしたからこそもう引き返せない」
『引き返せない』、そう言ったカエデの瞳には確かな決意と、寂しさが見えた気がした。
「俺はカエデがどんなに凄い決意をしているか知らないけど、分からないけど、でも人間の俺なりに感じたことを言わせてもらうと...もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかな」
「...」
カエデはキョトンとして俺の目を覗き込んでくる。俺は言葉を続ける。
「だって、カエデは他の天狗に劣らない才能があるんだろ?だったらその時点で『烏天狗でも優秀』だってことは見せつけられただろうし、周りの天狗も分かっているはずだ。その証拠に高い役職を与えてもらったんだから。じゃあもう少し自分のしたいこととかしても罰は当たらないんじゃないかな、なんて」
「...人間というのはみんなお主と同じような考えなのか?」
「さあ?ただ俺はそう思うよ」
「やはりお主のことは嫌いではない。素直な人間は好感が持てる」
「ありがとよ。さあ、まだまだ待たなきゃいけなさそうだな...ってカエデは何時に待ち合わせなんだ?」
「お主と同じ、九時だ。交代で見回りがあるのだが、今回のパートナーは新入りでな。色々教えることもあるから普段よりも一時間早い見回りだ」
「大変だな。でも頼られてるじゃん。自信もっていこうぜ」
「...調子が狂うな」
「まあまあ。そういえばさっきまで寝てたよな?」
「うむ。昨夜は少々仕事が込み合ってな」
「朝ごはんは食べたか?」
「食べてはいないが、大丈夫だろう。あまりお腹は空かない体質なのでな」
グウ~とお腹が空いている時になる音が響いた。アニメみたいな展開だ。ちなみに俺はちゃんと朝ご飯を食べてきた。当然カエデのお腹が鳴ったのだ。
「和菓子があるけど、食べる?」
俺は鞄の中から日持ちのいいもみじ饅頭を取り出す。他にも複数日持ちのする和菓子を持ってきてある。
「...頂こう」
真っ赤な顔をして消え入りそうな声で返事をするカエデ。俺はもみじ饅頭を渡す。
カエデは俺と顔を合わせようとせず、そのまま一口。
「美味しい!」
カエデは今日で一番の笑顔を浮かべてパクパクと食べ進める。俺は微笑みながらその様子を見つめる。そんな俺に気づいたカエデは咳ばらいを一つして
「...美味だな、これは」
と落ち着いた様子で食べ進める。
「もう一つ食べる?」
「いいの!?...い、いや、構わないのか?」
『本来の話し方など忘れてしまった』とは誰の言葉だろうか。俺はもう一つもみじ饅頭を渡す。
「美味美味」
満足そうな表情で和菓子を食べ進めるカエデ。こんなに喜ぶとは、さすが和菓子の力。やっぱり和菓子って最強だ。
しばらくカエデがもみじ饅頭を食べている様子を眺めている。すると、カエデが口に入っているものを飲み込むと、口を開いた。
「...お主といると調子が狂う。だから、私は考えた」
「なにを?」
「最初から調子を狂わせておくの。あなたの前にいるときだけは口調も天狗も人間も関係ない。どう、いいと思わない?」
「うん、いいと思う。俺も本当の姿で話してもらえるのは嬉しいし」
「でしょ?」
そう言って歯を見せて笑うカエデの笑顔はとても魅力的なものだった。
さて、時刻は八時五十分。カエデと一緒に談笑しているとそこに人影が二つほぼ同時に来た。
「カエデ先輩、お待たせしました。本日はよろしくお願いします」
「和輝、もう来てたのね。さ、行きましょ」
一人は顔全体が真っ赤で鼻が長い...お面をしている。カエデと似たような恰好、恐らく女性だろう。翼は真っ白...かと思いきや少しだけ緑色に輝いている。
もう一人は巫女服の麗奈だ。わきに抱えている鞄は俺と同じように大きい。
「うむ、よろしく頼むぞ。さて和輝、名残惜しいが...」
カエデが立ち上がる。俺以外の人がいるからか、口調は戻っていた。
「おう、頑張ってくれよ」
「言われなくても頑張る。それと、もみじ饅頭大変美味だった。ごちそうさまでした」
「ああ、俺も暇な時間にならなくてよかった。ありがとな」
「それはこちらのセリフだ。それでは...行くぞ、ミツバ」
「はい」
カエデが空に飛び立つ。日陰から日向へ移動したカエデの真っ黒な翼は少しだけ緑色に輝いた気がした。それに続くようにミツバと呼ばれた天狗も飛び立った。
俺はそれを見送ってから立ち上がる。
「さて、行くか」
「ええ。それにしても随分仲が良かったみたいね」
麗奈と会話をしながら歩き始める。
「まあな。さっきも二人...二匹?まあ妖怪に会ったけど、害は無いみたいだし。結構うまくやっていけそうだ」
まあ片方は害があるのかないのか良く分からなかったけど。
「ならよかったわ。『妖素』は見た?」
「あ、見せてもらえばよかったな」
「ということは見ていないのね。まあ妖狐の里に着いたら見れると思うわよ」
「ならいいけど。そういえばカエデもミツバって天狗もあんなに小さい翼でよく飛べるもんだ」
俺は何となく疑問を口にする。すると、思い出したかのように麗奈が口を開いた。
「ああ、そういえば天狗の翼が少し緑色に光っていなかった?」
「見間違いじゃなかったんだな。確かに輝いてた」
「それよ。それが妖素」
「...あんなに小さくて緑色なのか?」
「本にも書いていなかった?妖素とは扱う妖怪によって色や特性、大きさが変わる物質、みたいな感じで」
「書いてあったような気がする」
「そういうことよ。『天狗は風を操ることができる』なんて聞いたことがない?それは天狗の扱う妖素の特性で、あの小さな妖素を自分の意志で爆発させることができて、爆発したら大量の風が巻き起こるの」
「...?」
「つまり、天狗が念じただけで妖素が破裂してそこから大量の風が噴き出すのよ。それを利用して移動速度を上昇させたり、空を飛べたり、妖素って意外とすごいのよ」
良く分からないけど凄いらしい。
「さて、少し歩いたら『妖狐の里』に着くわね」
「え、意外と近かったんだな」
「ええ。さあ、気合を入れて頂戴。妖怪に会ったのならわかると思うけど、いつ命が危険にさらされてもおかしくないんだから」
「俺が出会った妖怪は全員害は無かったけどな」
「そういう心構えが駄目なの」
『第三章 妖狐の里』
午前九時半。俺たちは『妖狐の里』に足を踏み入れた。
眼前に広がる光景は田舎の村という印象を受ける緑豊かな村。イメージ通りだ。
「うーむ、こんな田舎な雰囲気でもスマートフォンが普及しているのか」
「あら、知ってたのね」
「さっき出会った妖怪が持ってたからな」
だがなかなかいい雰囲気だ。視界に映る建物はほとんど木造。近くには田んぼなんかもあるんだろうなと予想ができてしまう。こういう時間がのんびりと流れている感覚を覚える場所は好きだ。
「ところで麗奈、ここの地図は持っているのか?」
「え、持ってるわけないでしょ」
「...へ?」
「だから、持ってないわよ」
「どうするんだ?」
「どうするって?」
「いや、妖狐を一匹貰う話。誰に話せばいいのかとかわかるのか?」
「...ああ、言いたいことが分かったわ。大丈夫、色々と手続きは済ませてあるのよ。とりあえず、お互いに荷物をなんとかしましょう」
確かにこの重い荷物を一旦どこかに置きたい。
「付いてきなさい」
「言われなくても」
俺は麗奈の背後を歩く。
「~♪」
麗奈が鼻歌を歌っている。なんだか上機嫌みたいだ。
「ねえねえ、お兄さん」
それにしても頭から耳が、腰のあたりから尻尾が生えている和服を着た人ばかりだ。尻尾の数が各々違うのは何でだろう?とりあえずわかるのは、全員『妖狐』なんだろうということだ。
「ねえねえ」
肩を叩かれる。俺に話しかけていたのか。誰かに声をかけているのは分かったけど。
「なんですか?」
振り返ると、ズラッと行列ができている。
「...麗奈、ちょっと」
「~♪」
なんでだ?無視されているのか?
「お兄さんって、人間?」
「あ、はい。そうですけど」
「こんなところに何の用事?」
「ちょっと色々ありまして...、おい、麗奈」
どんどん離れていく麗奈。その間に俺は囲まれてしまった。
先ほどまでの落ち着いた景色はどこへ、今俺の周りは獣耳と尻尾が生えた妖狐しか見えない。
「あの...殺さないでいただけますか?」
「え、そんなことしないよ」
俺に声をかけてきた妖狐はこの中でも代表なのだろうか?とりあえずこの子と話してなんとかこの場を何とかしよう。
俺と話している妖狐は、中学生...いや、ぎりぎり高校生かな。身長が低い。獣耳がぎりぎり俺の顎のあたりに届くくらいか。髪の毛は周りの妖狐と同じように金色、肩より少し下の位置までストレートに下ろしている。服装は他の妖狐もだけど、全員和服。尻尾は各々数が違うけど。
「それじゃあなんで俺を取り囲むんですか?」
「実は私、人間って初めて見たんだよ」
「はあ」
「それで...ちょっと触らせてもらえないかな、って」
「は?」
言っていることの意味が分からない。
『コーヨの奴意外とやるじゃない』『全くね。早速人間を見つけるんだから』『来るとは知ってたから待機してたけど、コーヨが一番に見つけるなんてね』『そうね。普段お昼まで寝ているような奴なのに』
「...」
今俺は本気で身の危険を感じている。だが、ちょっと気になることがある。
「なんで人間に出会ったら触りたくなるんだ?」
「それは妖狐という種族の性質として...って説明はあと。とりあえず...」
じりじりとにじり寄って来る女の子。俺は後ずさりをする。
「落ち着こう。俺は人間の中では容姿端麗の部類には入らない。普通だ。いいか、普通だ」
「関係ないよ。不細工でも何でも人間に触れたいの」
「マジか。これがモテ期...?」
「別にあなたに魅力があるわけじゃないんだよ?『人間』に魅力があるの」
「...」
俺は空を見上げた。この青い空の下でこんなに心に来る言葉を言われるなんて。
「今だ!えーい!」
意識を戻すと、女の子が俺に飛びついてくる。俺は受け止める姿勢をとって...
「ガハァ!」
思いっきり横から衝撃を受ける。俺は痛みを感じながら鞄と一緒に地面に転がる。
『いつ命が危険にさらされてもおかしくないんだから』...そういえばこんなことを麗奈が言ってたっけ。
「なにをしているの?」
「...人間の女か。出来れば男がいいな?」
「こいつから離れて頂戴。こいつを危険な目に遭わせて...」
「一応言っておくと回し蹴りをしてその男を吹き飛ばしたのはあなただからね?」
「これ以上の問答は無用みたいね」
「問答しよう?」
俺は痛む体を起こす。すると背後から抱きしめられる。
「大丈夫?」
「あ、はい、...、あの、もう大丈夫です」
なんかものすごく強い力で抱きしめられている。花のような甘い香りが鼻をくすぐる。俺はそれとなく離れようとする。が、さらに強い力で抱きしめられる。
「あの、痛いんですけど...」
「ああ、人間、人間、人間」
怖くなってきた。結構本気で振りほどこうとする。が、ほどけない。
「あと少し、あと少し...」
「そいつに手を出すなって...言ってんの!」
「グハァ!」
思いっきり腹を殴られる。衝撃で腰を思いっきり後ろにのけ反らせる。その衝撃で俺を抱きしめていた妖狐が手を離した。俺はその場にうずくまる。
「ちょっと、痛いじゃない。この子がいなかったら私もうずくまってたかもしれないのよ?」
「放してくれればいいのよ。とにかく手を出さないでちょうだい」
「あ...ぐ...うぉ...」
俺は奇声を発しながらその場で悶える。というか、さっきの攻撃も麗奈の仕業か。妖怪といるときよりもお前といるときの方が命の危険にさらされているじゃないか。
「早く立ちなさいよ」
「ちょっと待って...マジで苦しい...」
「...ちょっとやりすぎちゃったかしら」
「これは何事だ?」
そこに響く凛とした声。凄く透き通ったその声は確かに俺の耳にまで届いた。
「コクウ」
『コクウ様よ!』『どうしてこんなところにいるのかしら?』『それを考えるのはあと!握手してください!』
「ちょっと待っていてくれ。...君たちは、人間か?」
コクウ、と呼ばれた妖狐は俺と麗奈の前に近寄ってきた...ようだ。地面しか映っていない俺には良く分からない。
「...ひどく苦しそうだ。君たち!この青年に何をした!」
「何もしてないよ」
「...コーヨ。君がなぜこんなところに」
うずくまっている俺は地面しか見えない。ここからは音声のみをお楽しみください。
「私が何をしていようが私の勝手でしょ」
「それを言っていいのは自分以外に迷惑が掛からない時だけだ」
「誰に迷惑がかかるの?」
「君は確か今日大事な会議の場に呼ばれていなかったか?」
「...何で知ってるの」
「風の噂とでも言っておこう。一応私だってもと村長候補だったからな」
「情報網くらいはあるってこと?」
「どう捉えてくれても構わない。いいから絶対に会議に遅れないようにしなさい」
「...分かったよ。そこまで言われたら引かないわけにはいかない」
「会議は十一時から。分かってるな?」
「分かってるよ。それじゃあね、人間のお二人」
ここで足音が遠ざかっていく。
「さて、他のものも人間にあまり迷惑をかけないように。...それでは失礼する」
それだけ言い残してもう一つの足音が遠ざかっていく。
大分回復した。俺は顔を上げて立ち上がる。もう妖狐には囲まれていなかった。歩いている妖狐もこちらを一瞥はするものの触ってこようとはしない。
立ち上がった俺に麗奈が謝って来る。
「ごめんなさいね、少しやりすぎちゃった」
「...」
俺は少し麗奈から距離を置く。すると麗奈は本気で慌てた様子でさらに謝って来る。
「ごめんなさい、もうしないから」
「いや、別にそこまで怒ってはいないから」
そこまで必死になられるとは思わなかった。俺もあわてて怒ってはいないことを伝える。
「ならいいけど」
麗奈はまだ少し表情が暗かった。
しばらく歩くとある建物が目に入る。
「宿屋か」
「ええ。もう予約はしてあるしお金も払ってあるわ。一応二泊はできるわ」
「なるほど。とりあえず荷物を何とかしよう」
他の建物よりも何回りか大きい建物。村のはずれにあるこの建物は『宿屋』のようだ。とりあえずここが活動の拠点になるみたいだ。
中に入ってカウンターにいる妖狐に話しかける麗奈。俺は少し離れた場所でキョロキョロ辺りを見回す。一階はご飯を食べるところと、温泉もあるみたいだ。
「手続きが終わったわ。はい、鍵」
「ありがとう」
俺は手渡された部屋の番号を確認する。二五七か。
「麗奈は何号室なんだ?」
「二五七」
「...?」
俺は持っている鍵の番号と麗奈の持っている鍵の番号を見比べる。
「...おい、間違ってるぞ」
「部屋をいくつもとるお金なんてないわよ」
「別にお金なら払うけど」
「いいじゃない!とりあえず部屋に行きましょ!」
なんか無理やりだな。まあ麗奈がいいならいいんだけどさ。
とりあえず部屋に入る。床は畳ではなく木材だ。大きな木の机と座布団が部屋の隅に置いてある。好きなように使えということだろう。部屋にはお風呂とトイレがある。
俺と麗奈は適当な場所に荷物を置く。ふう、意外と重たかった。鞄を下ろすと体の軽さを実感できるな。
「さて、それじゃあ早速行くわよ」
「妖狐の件?ついてきてくれるあてがあるのか?」
「ないけど。とりあえず村長に会いましょう」
ふむ。ついてきてくれる妖狐がいたとしたらまずは村長に許可をもらわなくてはいけないはずだ。その村長に先に話しておけばスムーズにいくというわけか。
「そうだな。行こうか」
俺と麗奈は宿屋を後にした。
麗奈の後に続いてしばらく歩くと、そこらの建物とは大きさというか雰囲気が違う場所に着いた。
「ここが村長の家。集会の場とかにもなるのよ」
「へえ、詳しいな」
「ええ、事前に調べておいたから」
村長の家の仰々しい門をくぐる。すると綺麗なお屋敷が目に飛び込んできた。庭の大きさもかなりのもので、池なんかもある。
やはりいろいろなところに目が行ってしまう。キョロキョロと頭を動かして周りの風景を堪能する。床が少し地面より高い位置にあるので玄関前には階段がある。躓かないように階段を上る。
麗奈が玄関の扉をノックする。すると扉が開いて和服を着こなしている綺麗な女性が出てきた。
「月島神社のお方ですよね。とりあえず中へどうぞ」
「「おじゃまします」」
こちらに背を向けて廊下の奥へ歩みを進める女性。俺と麗奈は屋敷に足を踏み入れた。
「座ってください。あまり時間がないので長居をさせることはできませんが...」
和室に案内された俺たち。恐らくここが客間なのだろう。俺と麗奈は机を挟んで村長さんの対面に座る。
「構わないわ。そんなに時間はとらせないから」
「お、おい。敬語を使えよ」
俺は敬語を使わない麗奈を慌てて注意する。
「この方は村長なんだろう?敬語を使わないなんて首相官邸にドローンを飛ばすことくらい許されないだろ」
「いや、そこまでじゃないと思うわよ...」
「冗談めかして言ってるけど、結構本気だぞ?」
「うるさいわね、あんたは私の母親なの?」
「俺は男だ」
「じゃあ父親?」
「お前は俺が父親でいいのか?」
「ううん、いや」
「...」
「...」
俺と麗奈が黙ってみつめ合う。こいつ何を考えていやがる。
「あの、もうお話を始めて大丈夫ですか?別にどんな言葉遣いでも気にしませんよ」
「あ、すみません」
「ごめんなさいね。ささっと済ませちゃいましょう。とりあえず、自己紹介をお願い」
村長を促す麗奈。まあ本人がいいって言うなら大丈夫かな。
「それでは。私の名前は『イナリ』。この『妖狐の里』の村長を務めさせていただいています」
言いながら微笑むイナリさん。日本人がほとんど黒い髪の毛なのと同じように妖狐の里の妖狐はほとんど金髪みたいだ。その例に漏れずイナリさんも金髪だ。そしてナイスバディ、いやダイナマイトボディ?言い方は良く分からないし、あんまり女性の体をじろじろ眺めるのもあれなので、出るところは出てて引き締まっているところは引き締まっているとだけ。あ、身長は俺よりほんの少し低いくらいだったかな。多分百七十三cmとか。あと、イナリさんはやけに尻尾が多い。
「俺の名前は鹿島和輝です」
「私はこの間挨拶した通り、月島麗奈」
麗奈はどこかであいさつを交わしたのか。
俺は麗奈に気になったことを尋ねてみる。
「麗奈、妖狐って尻尾は何本くらいが平均なんだ?」
「えっと...成長した妖狐だと六本くらいかしら」
「一、二、三、...八、九?イナリさんは九本ある。どういうこと?」
「それだけすごい妖狐ってことなの。あんまり失礼なことはしないで頂戴」
「失礼なのはお前の言葉遣いだ」
「あの、そろそろ本題に入りませんか?」
柔らかい物腰で言い合いを止めてくれるイナリさん。ああ...
「こういう人が結婚するべき人、なのかな...」
「...」
俺が呟くとものすごい怒った顔で睨みつけてくる麗奈。般若みたいだ。
「冗談だ。いいから本題を話そう?」
「...そうね」
コホン、と咳ばらいを一つする麗奈。
「まずはお願いごとから。この里にいる妖狐、誰でもいいわ。一匹頂けない?」
「...難しい話ですね。この里の妖狐の意志で外に行くのは構いません。少し外の世界についてのお話とかさせていただきますけど...。でも、私の意志で『外の里へ出ていけ』なんて言うのは村長という立場ですからできないわけではありませんが、絶対にしません。快い返事が返せなくて申し訳ございませんが...」
「そう」
イナリさんの返事に対して麗奈は無反応だった。冷静に別の手段を考えているのか...いや、そもそもどうでもいいって思っているような気さえする表情だ。
「なぜ妖狐が欲しいのです?」
「私たちが百鬼夜行で生き残るため。別に優勝を目指しているわけではないわ。ただボディーガードを集めているとでも言った方がいいかしら」
「ちょ、ちょっと待って」
俺は二人の会話に横槍を入れる。
「何よ」
「優勝が目的じゃないって...それじゃあお前は何で百鬼夜行に参加するんだ?」
俺はイナリさんがいるのも忘れて声を少し荒げてしまう。
「...それが、『月島家』のしきたり。百鬼夜行で生き残る、これを月島家の人間は必ず達成されなければいけない」
「しきたりだけで命を懸けなくちゃいけないのか?そんな理由でお前は『百鬼夜行』に参加するのか?」
俺は思わず立ち上がってしまう。見下ろす麗奈の表情は冷たさ...いや、寂しさのようなものが感じられる。
「...いいのよ」
「何が」
「私を見限ってくれても。すぐにここからいなくなっても」
俺を見上げるその瞳が潤んでいるのは気のせいだろうか。俺がお前を見限る?
「馬鹿言うなって」
「...え」
次はきょとんとした顔になる。表情の変化が激しい奴だ。
「そんなくだらない『月島家のしきたり』なんかでお前を死なせてたまるもんか。絶対に守ってみせる」
「「...」」
今度は麗奈だけでなくイナリさんの視線まで感じる。しまった、口を滑らせてしまった。
「い、いや、何でもない。別にいい、いいんだ、うん」
なんだか恥ずかしい。顔が真っ赤なのが自分でもわかる。良く分からないことを言いながら座って俯く。
「...ま、まあそういうわけよ。だから妖狐がもらえないか頼んだの」
しばらくの沈黙の後麗奈が口を開いた。その声が明るいのがまた俺を気遣ってのことだと思うと...くそ、さらに恥ずかしい。
「そ、そういうことでしたか...それではこの話はおしまいということで...」
「「...」」
二人が黙る。誰か、早く次の話題を!
「あ、そうだ。麗奈さん、もう一つのことですけど。一緒に会議に来て話していただけませんか?お時間は...三十分もかからないって聞いていますけど、もう少しかかってしまうかもしれません。この機会を利用してちょっと情報交換もしたいですし」
イナリさんが突然口を開いた。
「構わないわよ。会議の相手は誰なの?」
「『大天狗』様です」
「あら、あの大妖怪ね。まあ警察のようなことをしてるし...この話をするにはちょうどいいかもね」
「少々緊張してしまいます」
「あなたも大妖怪の『九尾』でしょうが。コクウも八尾で十分凄かったのにそれを抑えて村長になったんだから」
「あの、少しいいですかね」
俺は井戸端会議に参加している母親に用事を言いつけるとき並みに緊張しながら二人の会話に横槍を入れる。
「なによ」
「あの、もう一つのことって何?」
イナリさんは内容を知らないみたいだけど。
「ああ、気にしなくていいわよ。あなたには言っても分からないことよ」
「なんか冷たい」
「まあ会議は...十二時には終わる?」
「ええ、十分終わる時間です」
「それじゃあ十二時にここにきてくれる?」
「いや、いいけどさ。その間俺は何をしていればいいんだ?」
「適当に過ごしてて。それとこの村の妖狐を傷つけたらだめよ?」
「いや、そんなことしないよ」
「一応私たちは妖狐の里にいるんだから。あんまり肩身が狭くならないようにしないと」
「...あ、だからさっきお前は俺を助けるときに妖狐じゃなくて俺を殴ったりしていたのか!」
「ええ。村長に会う前に妖狐に手を出したら何を言われるか...」
「いえ、こちら側から失礼なことをしてしまったのなら正当防衛だと思いますけど」
「...だって」
「そう。次から気をつけるわ」
麗奈のそっけない返事。さっき必死に謝ってきたのが嘘みたいだ。
「...はあ、まあいいや。とりあえずお先に失礼します」
「どうもご丁寧に。こちらこそ大したおもてなしができず申し訳ございませんでした」
丁寧に頭を下げるイナリさん。
「いえいえ。それでは会議頑張ってください」
「はい...といっても頑張ることなんてありませんけど」
そう言って口元に手を当てて上品に笑うイナリさん。ああ、いい...何がとは言わないけど、良い...この大人の余裕というか...
「それでは改めて失礼します。麗奈、失礼なことするなよ?」
「大丈夫よ」
俺は最後に頭を下げて客間を出る。やっぱり少し緊張していた、客間を出て脱力感を味わいながらそう思った。
「...十時二十分、か」
俺はスマートフォンで時間を確認する。さて、あと1時間半も何をしていよう...
俺は村長の家を後にする。さて、とりあえず適当に歩き回ろうかな。とはいってもここの土地勘なんてないし...
そうか、宿屋の女将さんに聞いてみよう。俺は早速宿屋に戻って女将さんと話す。
「あの、どこか時間を潰せる場所はないですか?」
「あるわよ。どのくらい時間を潰したいの?」
「一時間くらいですね」
「それなら『妖狐神社』ね。それも麓にある拝殿の方」
「妖狐神社?」
「そう。このそのまんまねこまんまな名前の神社には拝殿と本殿があるの。まあある程度の大きさがあったら拝殿なんて珍しくないと思うけど」
「そうですね」
「で、この本殿なんだけど、『妖狐山』っていうこれまたひねりのない茹でる前のそうめんみたいな名前の山の頂上にあるの。こっちは往復で三時間はかかると思うわ」
「なるほど。拝殿は?」
「往復一時間もかからないくらいね」
「それはいいですね。そこに行ってきます」
「ええ、気をつけてね」
「はい。ありがとうございました」
俺は宿屋を後にした。さて、道を聞き忘れた。俺はスマートフォンを取り出そうとして、やめる。折角だから道行く妖狐に尋ねながら行ってみよう。正直一時間半くらいあるし。
「あの、妖狐山ってどこですか?」
「うん?ああ、人間か。それならこの道をまっすぐ行って、そこの角を右に曲がって....って感じかな。気をつけて」
「ありがとうございました」
覚えきれなかった。結構遠いみたいだ。というか妖狐の里がそもそも広いみたいだ。少し行ったら別の妖狐に聞いてみよう。
「...そしたら目の前に川が流れているから、左手の階段を上って。どう?分かった?」
「はい。ありがとうございました」
「いいのよ。それじゃあね。...それにしてもやっぱり人間って凄いわあ」
女性の妖狐と別れる。あとはこの角を左に行ってまっすぐか。帰り道も心配しなくてよさそうだ。
それにしても、妖狐の特性について少し考えてしまう。道行く妖狐に話しかけるのは良かったんだけど、女性の妖狐はなぜか俺に触りたがった。減るものでもないので触らせたが、触った妖狐全員が満足しているのだ。不思議なものだ。
ここで時間を確認。十一時五分。妖狐に触られることを想定していなかったので予想以上に時間がかかってしまった。なかには五分くらい抱きしめてくる人もいた。ごちそうさまでした。
もう会議とやらが始まっている時間か...麗奈は大丈夫かな。
「羨ましいです。あんなこと言われてみたいです」
「まあ、私もあそこまで言うやつだと思わなかったわ」
「いいですねえ、お顔真っ赤にしちゃって。お熱いですね」
「ふふ、意外とキュンキュン来ちゃったわ...って来たみたいよ」
「ええ。多分従者が案内してくれると思います」
「...失礼する。天狗の『キブシ』だ。そしてこちらが」
「烏天狗の『カエデ』だ。よろしく頼む」
「...あら、さっきまで和輝と話していた妖怪じゃない」
「そういうお主は、和輝の連れか」
「ええ、月島麗奈、好きなように呼んで頂戴」
「では麗奈と呼ばせてもらおう」
「構わないわ」
「...ところでどうして『月島家』のものがここにいる」
「話したいことがあるの。ちょっと厄介ごとが起きるみたいでね」
「ふむ、正当な理由があるのならば咎める気はない」
「さあ座ってください。後はコーヨだけですね」
「って言ったそばから来たみたいよ」
「失礼します。遅れました、コーヨです」
「あら、和輝に絡んでいた妖狐じゃない」
「そういうあなたはさっき見た女ね。私は『コーヨ』あなたの名前は?」
「月島麗奈、好きに呼んで」
「雑ね」
「二回目だから」
「なるほどね」
「コーヨも座ってください。それでは、会議を始めます」
「うむ。今回はわしがこの会議を提案した。というのも勿論理由がある」
「それはそうでしょうね」
「さて、なぜわしが『コーヨ』殿と『カエデ』をこの場に集めたかを説明する。実はこの二人には共通点がある」
「「...?」」
「なんでしょうか。二人を見比べても分かりません」
「ほら、見つめ合ってないで身体的な特徴とかを見なさいよ」
「そのようなことを言われても...」
「共通点なんて『女』ということしか...」
「ふむ、まあ分からなくて当然だ。もったいぶらずに説明しよう。お主たちは、ただの『天狗』、『妖狐』ではないのだ」
「...なるほど、私は分かりました」
「イナリ、どういうこと?」
「カエデさんは先ほど自分から言ったように『天狗』ではなく『烏天狗』、コーヨは言わなかったけど『妖狐』ではなく『犬狐』」
「そのとおりじゃ」
「ふうん。でもそれがなんなの?」
「そう、問題はここからじゃ。実はわしの家の書物庫を整理したらこんなものが出てきた」
「...なにこれ。大分昔に書かれた本みたいだけど」
「題名は...『亜種』?」
「奇妙な本だろう?今から読み解いてもらう時間はないのでわしが解説しよう。この本にはここにいる二人のような妖怪の『亜種』について書かれているのだ」
「それで?」
「...残酷なのじゃが、『亜種』の寿命について書かれていた」
「「「「...」」」」
「話を続ける。そもそも妖怪は不死身だ。ある一定の期間を経ると転生ができるが、これは知っているだろう」
「ええ、知ってるわ」
「亜種は不死身ではない」
「...寿命は何年なんですか?」
「人間と同じだ。生きて百年と少し...「ちょっと!コーヨ!」
「追いかけた方がよろしいか、キブシ様」
「今はいい。だが、カエデ。あとで彼女とゆっくりお話でもしなさい。彼女のことを理解してやれるのは、彼女の心を軽くしてやれるのは、『亜種』だけ。無理もないんじゃ、なくならないと思っていたものが無くなるなんて、受け入れることができるはずもない」
「それに比べてカエデは落ち着いているわね」
「いや、内心焦っている。だが、落ち着いている自分がいるのも事実」
「なにがあんたを落ち着けているの?」
「...『和輝』、だろうな」
「は?なんであいつが出てくるのよ」
「あいつが死んだ後に生きているのは...少し、ほんの少し辛い。そう考えてしまうんだ。まったく、あの数十分でここまで思わせるなんて、なんて大きい人間なんだろうか」
「...ふふ、カエデ、わしは嬉しいぞ」
「何がだろうか?」
「普段お前はだれにも頼らない。そんなお前が一緒に生きたいと思える者と出会えていたことだ」
「...自分でも良く分からない」
「いいのじゃ、分からなくていい。さて、わしからの話はここまでじゃ。実はこの本、まだ読み解ききれていないのじゃ。また何か分かったら伝えに来る」
「本日は大変貴重な情報ありがとうございました。次は麗奈さんからのお話ですね」
「そうね。まあ『月島家』なんて良く分からない血統のせいで私は少し特別なことができるように訓練してきた...いや、させられてきたわ。今は少し人間以上のことができる。そんな私が最近『月島水晶玉』を使ったの。有名だから知ってると思うけど」
「ええ、知っていますよ」
「うむ、聞いたことがある。確か、不吉な前触れを予測できるものであったな」
「その通りよ。まあここまで聞いたのなら分かったと思うけど...この里に『不吉なこと』が起こるわ」
「内容は分からないのか?天狗としても対策をしたい」
「...分からないわ。でも、規模は分かる」
「どのくらいの規模なんですか?」
「この里は明日の夜に大きな騒動が起きて、止めることができなかった場合、『妖狐の里』はこの世界から消滅する...そのくらいの大きさの規模よ」
やっと着いた。まあ帰りは道を尋ねる必要もないし、意外と早く戻れるだろう。
少し先には綺麗な川が太陽の光を反射しながら流れている。どうやらここで行き止まりみたいだ。右手には河原、そして左手には階段。山の頂上までの道は整備されているみたいだ。
階段を上り始めて五分もたたないうちに広場に出た。真っ赤な鳥居に出迎えられて広場に足を踏み入れる。さらに続く階段と広場には神社と整備された道が一本。整備された道がどこに続いているかは分からない。まあ今回の目的はそっちじゃない。道の中心避けて歩きながら神社に近づく。おそらくここが拝殿なんだろう。とりあえず参拝だけして戻ろうかな。手水舎で身を清めてさらに拝殿に近づく。
「...」
俺は五円玉を取り出して賽銭箱の前で固まる。何をお願いしよう。無病息災、合格祈願、恋愛成就...まあ色々あるけど迷った時はこれだ。
「よし」
鈴を力強く鳴らしてから、五円玉を賽銭箱に入れる。そして、二回礼をしてから二拍手。
...有言実行ができますように...
俺はそれだけ祈ると、最後に一礼をしてその場を去る。さあ、そろそろイナリさんの家に戻ろう。いい時間になるはずだ。
ちなみにこの有言実行できますようにというお願い事は具体的にお願いすることがない時に必ず願う。それにはちょっとおじいちゃんとの思い出があるからだ。
俺は階段を下りて村長の家に戻ろうとする。ふと顔を川の方へ向けると、河原に先ほどまでなかった丸まった背中が視界に入った。
何となく近づいてみる。
「...グス...うう...」
頭から生えている耳は垂れていて、四本ある尻尾は地べたを這っていて少しも動かない。
よせばいいのに、俺は声をかけてしまった。
「あの...どうしたんですか?」
この言葉は無責任だ。『どうしたか』の理由を知ったところで力になれない可能性の方が大きい、いわばただの好奇心と言えてしまうだろう。悪くいってしまえば『偽善』。善のように見える行い、まさに『偽った善』。ここまで頭で理解していながらも声をかけてしまう。
振り返った妖狐は顔を涙でクシャクシャにしている。赤くなった目が俺の瞳をとらえた。
「...あなた、は」
「すいません、声をかけてしまって。何か力になれることがあるかな、なんて...」
俺はできるだけおどけたように言う。俺はこうやって生きてきたのだ。どんなまじめなことにもおどけながら、生きてきたのだ。
「...そう、だね。私の横に座って貰える?」
震えている声。その声はどんなことでもしてあげたくなるような悲壮感を感じさせた。
俺は言われた通りに妖狐の隣に座る。座ると硬い感触が尻に伝わる。流石にここで正座はしない、あぐらをかいて座る。目の前に流れる川の綺麗さ、対岸には木々が生えている山がある。少し辺りを見回すと、俺が参拝した拝殿よりも高い位置から対岸の山に向かって橋が架かっている。綺麗な景色だ。
「綺麗な景色、だよね」
「そうですね」
「敬語なんかやめてよ。私はまだ十七歳だよ?」
「あ、そうなんですか...そうなんだ」
「うん。それで、さっきどうしたのか?って聞いてきたよね」
「うん」
「教えるよ。ただ、ちょっと涙なしには語れないんだ」
そう言いながら微笑む少女の目には涙が溜まっていた。
「だから、こうしながら話してもいいかな」
少女は俺の背中に手を回して、俺の胸に顔を埋めた。尻尾が俺の肩や背中に触れる。
「構わないよ」
俺はできるだけ優しい声を意識しながら返事をした。片手で背中をさすって、もう片方の手で頭をなでる。
「ありがとう。それじゃあ、まずは私の名前を覚えてもらおうかな。私の名前は『コーヨ』だよ」
「俺の名前は『鹿島和輝』、和輝とでも呼んで」
「うん、じゃあ和輝。あなたって無くならないと思っていたものがなくなったことって...ある?」
「...あるよ」
その質問は俺の胸をえぐった。今はもう帰ってこない...おじいちゃんの笑顔が自然と頭に浮かんだ。
「...ごめんね、辛い質問をして」
「いや、もう十年も前の話。気にしてないよ」
「でも、あなたの『魂』は確かに動揺した」
「...?」
「あ、分からないんだったら後で教えるよ。とりあえず先に進むね」
「うん」
俺は『コーヨ』の話に耳を傾ける。
「私はさっき会議に参加していたの」
「あれ、もう終わったの?」
「まだ。飛び出してきたの」
「...」
よっぽどつらいことを言われたのだろう。自然と手の力が強くなる。コーヨはポツリポツリと話し出す。
「私たち妖怪はね、寿命では死なないの。でも、私は違った...」
声が震え始める。俺は黙って聞き続ける。
「私はね、『妖狐』じゃなくて、『犬狐』。これは知っていたの。でも、『犬狐』っていうのは妖怪の中でも『亜種』っていうのに含まれるんだって」
長い時間をかけて、俺に伝えるというより自分にその事実を確認させているかのようだ。震えていたのは声だけではなかった。
「それで、ね。『亜種』って...人間と同じ、くらいしか、生きられない....だって」
その事実はとてつもなく鋭く、強い刃となってコーヨの心を傷つけたのだろう。『命』というとてつもなく大きなものが無くならないと思っていたのに、なくなる。しかも、自分のような限られたものだけ。それはどれだけ重たい事実だろう。...俺には、想像できない。
「...それを聞いて飛び出して、ここにきて。『死』っていうものについて、考えて。それがとんでもなく恐ろしいものってことに、気づいて、...怖かった」
俺の胸が温かい液体で濡れる。嗚咽交じりの彼女の声に俺は返事ができない。だが、返事をさせられる時が来た。好奇心の代償がきた。
「...ねえ、和輝はどう思う?」
「...」
無責任なことは言えない。俺の考えていることは無責任だ。だけど、それ以外に掛ける言葉が見つからない。
俺は少し間をあけてから、意を決して言う。
「...楽しめば、いいんじゃないかな」
「...」
反応がない。こんなに無責任な言葉、ほかにないだろう。だけど、俺は言葉を続ける。
「限られたからこそ、終わりがあるって分かったからこそ、『命』の大切さ、『時間』の大切さが理解できたコーヨなら誰よりも優しくできるはずだし、優しくしてくれる人...いや、妖狐を邪険に扱う奴なんていない。なら人付き合いにも困らないし。なによりこうやって泣いている時間の方がもったいないんじゃないかな。だって、もう逃れられないんだから。俺も、麗奈も、『人間』、そして『亜種』も」
何を言っているか自分でもわからない。自分が彼女の立場になったら、こんなことを考えたりはしない。だけど、とにかく言葉を絶やさないように気をつける。
「和輝は、怖くならないの?」
「怖くない、かな。確かにコーヨと同じようになくならないと思っていたものがなくなった経験はあった。おじいちゃんが死んじゃったんだ」
「...」
次はコーヨが黙った。
「でも、おじいちゃんは死に際に、『わしは幸せ者じゃ』って言っててさ。おじいちゃんは今から死ぬって時に『怖い』じゃなくて『幸せ』って言ったんだ。なら、俺だって死に際に『幸せ』って言えるように頑張って生きようと考えたんだ」
「...」
コーヨは何も答えない。しばらくたってから、呟いた。
「人間って、強いんだね」
「みんながこういう風に考えているわけじゃないと思うけどね。俺だっておじいちゃんがいなかったらこんな考え方しなかったと思う」
「じゃあ、和輝のおじいちゃんって凄いんだね」
「ああ、すごい人だぞ。どんな人よりもすごいと思う」
「...ふふ、和輝の魂、嬉しそう」
「尊敬している人が褒められたら嬉しいものだよ」
「...私は、そういう風には考えられないかな」
「それはそうだ。今すぐこの事実を受け入れて楽しく生きていけなんて言わない。でも落ち着いたなら、俺と同じ考えをしてくれたらなあ、なんて」
最後におどける。これが、俺なりの人生の楽しみ方の一つ。終わり良ければすべてよし、なんて言葉がある。俺は終わりだけは笑えるように生きていきたいんだ。できるだけ笑って、楽しんで生きたいんだ。
「...ありがとう、もう少し、もう少しだけこのまま...」
俺は手を休めずにコーヨの頭をなで続け、背中をさすり続ける。どこからか鳥の鳴き声が聞こえる、水の流れる音が心地いい、目に映る景色全てが今は輝いて見える。不思議なものだ。
「...ねえ、ちょっとお話でもしてよ」
「お話?」
突然の要求に困惑する。思わず手を止めてしまった。
「うん、このまま眠るのは怖いの。あなたの確かな『魂』を感じているのに、怖いの」
「...そっか。なら、俺とおじいちゃんのある話をしようかな」
なんとなく気持ちは分かる、眠るのが怖いっていうのは。
早速俺は話し始める。できるだけ明るく、できるだけ穏やかに。
「俺はさ、神社でお願い事をするときに、特にお願いしたいことが無かったら『有言実行ができますように』ってお願いするんだ。これにはおじいちゃんとのある出来事がきっかけで願うようになったんだ」
俺は手を休めずに話を始めた。
そもそも俺は昔は弱虫だったんだ。ある日保育園で友達と喧嘩した。喧嘩に勝ち負けなんてないけどあえて言うなら引き分け。だけど俺は見栄を張った。おじいちゃんに『自分が勝った!』って言ったんだ。おじいちゃんは微笑みながら『そうか』とだけ言って俺の話を黙って聞いてくれた。今考えると、見栄を張るっていうのは弱い行為だって思うんだ。だって、見栄を張らなきゃ誰も自分を見向きもしてくれない、強い自分を見せなくちゃ誰も自分を認めてくれない、そんな不安に負けて俺は強い自分を演じたんだ。他の人はどうか分からないけど。
俺はしばらく見栄を張っていた。でも、見栄を張るのをやめる時が来たんだ。
初夏に入る少し前のこと。保育園で一年間の目標っていうのを書かされたんだ。みんな『小学校の準備をがんばる』とか、『優しくなる』とか。具体的に書いている人もいれば、一言だけで済ませちゃう人もいた。そんな中で俺は『困っている人を助ける』って書いたんだ。おじいちゃんは俺の目標を見て嬉しそうに笑った。もうわかったと思う。先に言ってしまうと、俺は達成できなかったんだ。『困っている人を助ける』っていう目標をさ。
俺がいたところは田舎だった。保育園では一日一回、園の外を散歩するんだ。川の傍の土手の道を歩いて、近くの森に行って...でも、長い時間じゃない。一時間とかそのくらい。そして俺は出会った。困っている人に。
土手を歩いている時、川の傍を走っている男の子がいた。まだ保育園にいる全員を覚えていたわけじゃない、とはいっても初夏のころにはほとんど覚えたんだけど。その男の子は何で走っているんだろう、俺は当然の疑問を抱いた。保育園の先生は他の子の面倒を見るので手一杯。そもそも保育園の先生が少ないから、子供全員に集中して気を配らなくちゃいけない。だから川のそばを走っている男の子に目が行くわけはなかった。それで俺はその男の子を見ていたんだけど、なんでその男の子が走っているか分かった。川で犬がおぼれていた。男の子はその犬に向かって走っていたのだ。俺は見ているだけだった。もちろん最初は助けようと思ったよ。でも、俺なんかじゃどうにもならない、そう決めつけた。だから見ているだけだった。
結局その犬がどうなったかは分からない。俺はしばらく見ていた後に目を背けたから。罪悪感に押しつぶされそうになる自分に気づいたから。俺は家に帰って、おじいちゃんにこのことを話した。『和輝は悪くない』この言葉が欲しかった。でも、そんな言葉はくれなかった。その時の会話はよく覚えている。
『お前は目標になんて書いた』
『...困っている人を、助ける』
『和輝、わしは怒っている。お前は言ったことを出来なかった。自分の言葉を守れなかった』
『でも!川に飛び込んだら溺れてたかも...』
『そういうことを言っているんじゃない。いいか、和輝。わしは犬が助けられなかったことを怒ってはいない。もしかしたらお前が見た時には溺れてしまっていたのかもしれない』
『だよね?俺は悪くないよね!?』
『だが!お前は自分の言ったことを守れなかった!このことを怒っているのだ!』
『じゃあ溺れろとでもいうの!?』
『違う!助ける努力をしなさいということだ!保育園の先生に言うとか、方法はあったはずだ!』
『でも、先生は他の子を見ていたし...』
『他の子がやんちゃしているのを注意することと、命。どっちが大切かは賢いお前ならわかるだろう?』
『...』
『できないなら最初から言うな、書くな。お前が助けようとして失敗したのならわしはお前を叱ったりしない。むしろ褒めている。いいか、和輝。言葉っていうのは重たいんだ。...今は分からなくていい、ただ、自分の言ったことはできるようにしなさい。そしてできることなら有言実行ができるように...。助けようとした、ではなくて助けることができた。...そんな言葉が欲しい』
その後俺はその場から逃げ出して、布団にもぐりこんだ。俺が最後に言い返せなかったのはおじいちゃんの言っていたことが正しいと感じたから、自分が間違っていると認めたから。おじいちゃんの寂しそうな顔が見ていられなかったから。
俺はその日以来困っている人を見捨てることはなかった。そして助ける度に俺はおじいちゃんに報告した。おじいちゃんはいつも俺の武勇伝を嬉しそうに聞いてくれた。
俺はその日以来、『有言実行』を目標にして生きてきたんだ。
「...だから、俺は神様に『有言実行ができますように』ってお願いするんだ」
俺は最後まで語った。もうコーヨは眠っていた。話の中盤頃には眠っていただろう。
「...ふう」
息を吐いた。俺はコーヨを救えたのだろうか?救えたのだったらこれ以上に嬉しいことはない。
小さいころ麗奈を助けたのも、『困っている人を助ける』ため。結局俺は自分のために人を助けてきていたんだ。
俺は欠伸をする。うむ、気温もちょうどよく、目の前に映る景色は素晴らしい。聞こえてくる音の一つ一つが睡魔を強くする。
麗奈にメールを送って少し寝よう。
『妖狐神社の前の川辺にいる』
俺はメールが送信されたことを確認して目を閉じた。すると、俺の意識は一瞬のうちに睡魔に奪われた。
『第四章 異変』
「...なさい、起きなさい!しっかりして!和輝!」
「...んぁ?」
俺は間の抜けた声を上げながら目を開け、体をゆっくり起こす。なんだか頭がボーっとしていて、寝ていた、という感覚はない。手を地面に着くと、硬い感触が伝わってきた。
まず視界に入ったのは必死の形相で俺を見ている麗奈。その目には涙がたまっている。
「和輝!起きたのね!ああ、よかった...!」
麗奈は俺を抱きしめる。なんだ、何が起きている?
次に俺の視界に映ったのは真っ暗な空。浮かぶ月は綺麗に輝いていて、辺りをある程度見えるくらいには照らしてくれている。あれ、俺...?
麗奈はしばらく俺を抱きしめてから、身体を離した。
「動かないで。今から運んであげるから」
「いや、立てるよ。しっかり動ける」
「いいから動かないで!」
俺を怒鳴りつけると、麗奈はスマートフォンを取り出した。
「もしもし、カエデ?...うん、見つけたわ。でもコーヨはいない。すぐに来て頂戴。ええ、もちろん。早く来て...」
麗奈はスマートフォンをこちらに向けて、懐中電灯の機能をONにした。
「うわ、まぶしい!なんだよ」
「...腹部、肩、足...出血量が少ないけど、確かに傷ついてる」
「...出血?」
俺は自分の体を眺めた。ライトに照らし出された俺の体はところどころ赤く染まっていた。
「うわ、なんだこれ!」
「落ち着きなさい、大丈夫、助かるから...!」
麗奈の震えている声。これじゃあどっちがけがをしたのかわからない。
俺は顔に手を当てて溜息を吐く。
「トマトジュースこぼしたみたいになってる。おいおい、服が汚れちゃったよ...血って洗い流せないよなあ...」
「な、なに言ってるの...?」
麗奈が本気で動揺した表情を見せてくる。こいつがこういう表情をするとは、新鮮だ。
まあ冗談はこの辺でやめよう。
「麗奈、安心しろ。俺は今痛みを全く感じない。万全とは言えないけど動くくらいならなんてことない。だから、安心していい」
「...そ、そう。でも、今カエデが来るから念には念を入れて動かないで」
「大丈夫だってのに心配性だな...。あ、あれ、あれ?」
「どうしたの?」
俺は辺りを見回す。なぜか俺の寝ていた場所の周りの石が吹き飛ばされていて、俺の寝ていたところより地面が少し低くなっている。でもそれどころじゃない!
「麗奈!そこらへんに刀が落ちていないか!?」
「刀?...ないわよ」
「.....」
俺は立ち上がる。身体の心配なんかしていられるか!
「ちょっと!何をする気!?」
「刀を探しに行くんだ。『気宿刀』を...!」
「やめて!動くなって言ってるでしょ!」
「うるせえ!」
俺は麗奈を怒鳴りつける。こんなに気分が苛立っているのは生きてきて数回しか味わったことのない感覚だ。
麗奈は黙った。俺は麗奈に背を向けて歩き始める。すると、羽交い絞めにされる。
「離せ麗奈!」
「落ち着くのだ、和輝」
その声は麗奈とは違っていた。俺は顔だけ後ろに向ける。
「...カエデ」
「そうだ。いいか、落ち着け」
「これが落ち着いていられるか!あの刀は...」
振りほどこうと身をよじる。
「だから落ち着け!」
カエデに耳元で怒鳴られる。その声は俺を黙らせることに成功した。
「...分かった、落ち着く。だからもう離せ」
実際に頭は多少冷えた。俺は抵抗する力を抜く。
「...とりあえず治療をしよう。麗奈、もう一つのことも教えてやれ」
カエデが地面に転がっている箱を拾い上げて中から包帯や消毒液を取り出す。俺は地面に座り込む。
「コーヨが、いなくなったの」
「...」
俺は思考を始める。いいか、落ち着くんだ。自分に言い聞かせる。深呼吸をする。爪が食い込むほど強く握っている拳から力を抜く。
カエデが俺の傷口に消毒液を塗っていく。痛みを感じる。俺は確かに怪我をしているようだ。だが、出血をしている部位から消毒液がしみている痛み以外はない。
まずは周りの景色に目を向ける。聞こえてくる音は水の流れる音。ここは河原か。月が出ていることからも分かるが、空の暗さなどから判断しても完全に夜だ。
「...俺はコーヨと一緒にここで寝ていた。コーヨが泣いていたから声をかけた。コーヨに俺の話をした。コーヨが寝たのを確認した。妖狐神社で参拝をした」
一つ一つ思い出していき、時系列をはっきりさせる。
「妖狐神社で参拝をしてからコーヨと話して、コーヨと一緒に寝てからそのまま目が覚めたらここにいた」
「「...」」
二人は俺の話...いや、つぶやきを黙って聞いていた。そうだ、ここまで正しい。
「つまり、俺が眠っている間にコーヨをさらって『気宿刀』を奪った奴がいる...間違いない」
いや、待てよ。
「麗奈、俺のメールを見たのはいつだ?」
「会議が終わってすぐ。十二時ピッタリだったわ」
「...そこからここまで来るのに三十分もかからない。往復で一時間かからないからな。麗奈はここにきたのは何時だ?」
「あんたの推測通り十二時三十分にはここに着いたわよ」
「なんでだ...今何時だ?」
「八時」
「おかしい...麗奈はどこまで探した?」
「河原一帯。ここから行き止まりまで」
「俺が血を出した後に運ばれた形跡は?」
「ないわ。今見つけたのも偶然。しばらく里中を探してからもう一度来たらいたのよ」
「河原を探索した時間を三十分として、大体十三時から二十時までの七時間...俺は眠ったままだった?誰が俺の刀を奪った?なんで俺は...生きているんだ?こんな傷口があるのに?」
「「...」」
「駄目、だ。分からない。目撃者もいないんだ...」
謎だらけだ。どうすることもできない。
すると、俺の体に異変が起きる。
「!?グあああああ!!」
「和輝!?」
痛い!痛い痛い痛い痛い!肩が、足が、腹部が...!
「治療はもうすぐ終わる!麗奈、押さえつけろ!」
「分かったわ!」
「あああああああああああああ!!!!」
俺の絶叫が夜の川辺にこだました。そして、意識が飛んだ。
「どのあたりかしら...って、あの人間?」
「...むぅ、女の子を二人も侍らせて...結構人気者みたいね」
「でも、私のものにするわ」
「その前に、本当にあの子なのか確認しないと...」
「しばらくは観察ね」
「...」
目が覚めた。今は何時だ。俺はどこにいるんだ?
「...宿、か?」
真っ暗だ。なんとか木製の天井が目に見えるくらいの暗さ。
俺は体を起こして、キョロキョロと辺りを見回す。
「...服はそのままか。まあ着替えさせられていたらそれはそれで...」
いや、ご褒美かもしれん。まあ、いいや。
俺は立ち上がる。お腹が空いた。自分の鞄を漁る。和菓子があったはず。
煎餅があった。俺は早速かぶりつく。この歯ごたえ、醤油の香り、海苔からの磯の香り、たまらねえぜ。
食べながらスマートフォンの電源を入れる。四時三十分。...寝なおそうにも眠気が吹き飛んでいる。ちょっと夜風に当たって来るか。その前にシャワーでも浴びたい。...って思ったけど、俺の体は包帯まみれ。炎症を起こす可能性があるからシャワーとかは駄目なはず。昨日の痛みが嘘のように全く痛みを感じない。もう体を動かしても痛まない。でも、シャワーはやめておこう。ちょっと嫌な気分だけど。
仕方がないので服だけ着替えて宿を出ることにした。片手には煎餅。もう片方の手には宿の自販機で買ったミルクティー。実は和菓子は大好きだし、温かい緑茶も好きなんだけど、冷たい緑茶はあまり飲まない。飲めないことはないんだけど。
宿を出て風を浴びる。もう風に冷たさはなく、気持ちのいい風が俺を包んだ。外はまだ暗くて、月光が辺りを照らしている。足を向けるのは妖狐山周辺。まだ『気宿刀』がどこかに転がっているのかもしれないと思うと居ても立っても居られない。でも誰かが既に落とし物センターみたいなところに届けているかもしれない。まあ朝になったらそういう施設を探して聞いてみよう。とりあえず今は妖狐神社で探してみよう。
道は覚えている。真っ暗かと思ったけど、里の中はぼんやりとした火が浮かんでいて、里を明るくしていた。
ボリボリと煎餅を食べ続ける。うむ、やはり和菓子は最強だ。お腹も大分満たされてきた。気が付くと煎餅はなくなっていた。煎餅が入っていた袋をポケットにしまい込んで、ミルクティーを飲みながら夜の自然の中を歩いていく。
しばらく歩くと、向かいから歩いてくる人影が。まあ妖怪の世界なんだ。別に何がいてもおかしくない。
「...失礼」
人影は俺に話しかけた、ようだ。もしかしたら気のせいだったかもしれない。
「失礼、そこの青年」
今度こそ間違いない。というか立ち止まったりしないで俺に向かって歩きながら話しかけてくるとは。もっと落ち着いて生きようぜ?
俺に話しかけてきた人、もしくは妖怪は女性だ。和服を着ていて、身長が低い。俺の胸に頭が来るくらいだ。おかっぱ頭の黒い髪の毛が月光に反射している。髪の毛が長くて目が見えない。歩きにくくないのかな?
「何ですか?」
そんな態度はおくびにも出さず、俺は返事をした。女性...いや、少女かな、は俺の目の前で立ち止まった。
「この里に...『鬼』がいる」
『鬼』。麗奈から聞いた。百鬼夜行への参加を制限されるほどの実力がある恐ろしい妖怪だ。
「どこにいるかは分からないんですか?」
「分からない。だから、警告した」
「ありがとうございます」
「...ところで、青年。あなたは今からどこへ?」
「少し妖狐山周辺をうろうろしようと思いまして」
「完全に不審者」
「深夜...いや、早朝かな?まあそんな時間帯に徘徊しているあなたも同レベルですよ?」
「...それは嫌。だからもう帰る」
「そうしてください。女性が一人で歩くものじゃないですよ」
少女とすれ違う。すれ違いざまに聞こえてきた声。
「...あなたに、幸あれ」
それは幻聴だったのかもしれない。俺は振り返った。だけど、そこに少女はいなかった。
「...あると、いいな」
俺は呟いた。
さらに歩く。すると道端に和傘が転がっていた。色は真っ赤。なんとなく拾い上げる。
「なあなあなあ、お兄ちゃん」
「うわ、うっざ!」
凄い馴れ馴れしい傘がいたもんだ。いきなり目と口が現れて話しかけてくる傘。
「どこ行くん?」
なんで関西弁なんだこいつ。
「妖狐山だよ。お前は何してんだ?」
「暇だったから寝てた」
訳が分からん。
「何時くらいからここにいたんだ?」
「何時くらいって言われても、ずっといるさ。ただ昼頃に寝てついさっき起きたばっかだ」
「そっか。じゃ、俺はもう行くから」
「まあ待てよ。俺も連れていけ」
「はあ?いや、俺ミルクティーあるし」
わざとミルクティーを両手で持って手が空いていないアピールをする。
「いやいや、片手で持てばいいだろ?頭わりぃなぁお前」
「ライターって持ってたかな?」
「悪かったよ。頭悪いのは俺だったみてえだ」
「分かればいいんだ」
俺は片手に和傘を持つ。
「はあ、ミルクティーの蓋開けられないじゃないか」
「まあまあ、細かいこと気にすんなよ。お前の名前は?」
「鹿島和輝、好きなように呼んでくれ」
「俺は...『わがっさー』とでも呼んでくれ」
「長い。『わ』で良くないか?」
「めんどくさがりすぎだろ。分かったよ、『アガサ』でいいや」
「どこの博士だそれ」
多分『アンブレラ』と『和傘』が合わさったのだろう。...いや、アガサったのだろう。
「ちなみにこれは『アンブレラ』と『和傘』が合わさったんだ....いや、アガサったんだ!」
「うざい、つまらん」
俺はギャグセンスがこいつと同レベルなのか。妙に悲しくなる。
「なあなあ、なんで妖狐山なんか行くんだ?」
「ちょっと落とし物をしてな...あ、お前『刀』見なかったか?」
「刀ぁ?んなもん持っている奴は多いぜ?見たかって言われたらいくらでも見たさ」
「そうか...」
俺は考える。確かにそうなんだ。『気宿刀』には特徴がない。ただの一本の刀なんだ。
「...そんな顔すんなって。見つかるはずだ」
「気色悪いな、心配なんかしてくれなくていい」
「へ、人の心配をなんて扱いしやがる」
言い合いながら妖狐山に着いた。さて、まずは河原周辺からだな。
俺は風に揺れる木の音、川の流れる音を聞きながら下を向いて歩く。月光は変わらず辺りを照らしてくれている。が、月光だけではなく、太陽の光も辺りを照らし始めた。
そんな中アガサが震えた声を出す。
「...なあ、この血、なんだか分かるか?」
河原にある血だまり。驚かそうとしたってそうはいかない。
「これは俺の血だ」
「...なんか、変な感覚がする。なんか、やばい予感がする」
「何を言ってるんだ?」
アガサが怯えたような声を出す。
「...は、ははは。和輝、悪いことは言わねえ。戻るぞ」
「だから何だよ。言いたいことがあるなら...」
俺は立ち止まった。気配を感じた。俺は振り向く。そこには『何か』が立っていた。
お面を覆面の上から着けている。お面から表情は読み取れない。それがなおさら恐怖心をあおる。そして、体格がおかしい。大きい。頭も含めて俺の倍はありそうだ。腕の太さ、腰回り、足の太さ、何もかもが大きい。和服を着ていて、腰には刀を二本差している。
「...」
「...」
誰だ?誰だかは分からない。けど、確かに何かやばい予感がする。逃げるか?いや、この先は行き止まり。俺の帰り道を遮るのはヤバそうな奴。幸なんかなかったんや!
「...和輝、闘うしかないぜ」
「無茶言うな。俺はただの高校生だ。そして相手は妖怪であろう『何か』。...逃げる、これに尽きる」
俺は足腰に力を込める。
「...少し逃げるのに協力してもらうぜ」
「構わねえよ。俺が生きて帰れるならな」
「安心しろ、お前の『命』は守ってやる」
さあ、声に出した。こうなった俺は...強いぜ?
俺はミルクティーの蓋を開けて、ポケットから煎餅の袋を取り出して少しミルクティーを入れて口を結ぶ。片手にはペットボトル、片手にはアガサと袋入りのミルクティー。
「おい、俺は刀を受け止めることくらいならできるはずだ。ただ一回だけしか受け止められない」
「OK、十分!」
俺は走り出す。当然『何か』は俺の道を阻むように移動した。
「喰らえ!」
俺は手に持っているミルクティーをぶちまける。できるだけ顔めがけて。『何か』は動じない。目の位置に腕を持っていく。これが狙いだ。俺は次に持っているペットボトルを投げつける。これでもう片方の手でペットボトルを弾いてくれれば...!
だが、期待通りにはいかなかった。『何か』はペットボトルを弾かずそのまま俺に向かって刀を鞘から抜いた。まずい!
「いっでええええ!!」
俺はとっさに空いた片方の手にアガサを持ってアガサで受け止めた。悪い、アガサ...!だけどこれで..!俺は『何か』の腹を思いっきり蹴とばす。『何か』がよろめいた。これでいい、これで十分!
駄目押しに俺は袋入りのミルクティーを『何か』に向かって投げつける。『何か』はそれを刀で斬りつける、すると中からミルクティーが飛び散った。それは運よく『何か』の顔に飛び散った。
「あばよ、とっつあ~ん!」
俺は里の方へ走る。行ける、行ける!俺はスピードを一切緩めない、むしろ上げていく。
「はあ、はあ、はあ!」
「いでえよ、いでえよ...」
悪かった、だからあんまり罪悪感をあおらないでくれ。
辺りはもう明るくなっていた。
「バカバカバカバカ!限りない馬鹿!学習能力のない馬鹿!全世界で一番の馬鹿!」
「...」
俺は正座をして麗奈の罵倒を受け止める。
「なんでそんなに馬鹿になったの?私と同じようなもの食べて生きて来たでしょう?もしかして泥水をすすりながら土を食べて生きてきたの?」
「言いすぎだろ」
「口答えしないで。もう、馬鹿...果てしない馬鹿」
宿に戻って部屋に駆け込むと、麗奈が起きていた。俺は息を切らしながらとんでもない奴と出会ったことを言った。すると麗奈はこんな感じになってしまったのだ。
「...なあ、和輝。とりあえず俺を治療してくれないか?」
「そうだよな。おい、麗奈。いったんストップだ」
「なによ」
「ちょっとこの妖怪を治療してやりたいんだ。とりあえず説教は後回しにしてくれないか?」
「...仕方ないわね。まあ和輝の命を救ってくれたんだし...いいわ、行きましょう」
「よし、行ってく...え、付いてくるのか?」
「当たり前でしょ。『気宿刀』のないあんたがどうやって妖怪の襲撃を退けるのよ」
「...まあ、確かに」
その通りなんだけど。まあ、いいや。
「それじゃあ行きましょうか」
俺は麗奈に手を引かれながら宿から出て行った。
向かう先は服屋さん。アガサ曰くここで治してもらえるらしい。
「いらっしゃい...あら、アガサ。どうしたの?」
「ちょっと厄介ごとに巻き込まれてな」
「おい、その言い方だと俺がついてきてほしいって言ってたみたいじゃないか」
「過程はどうであれ結果としては助けてやっただろ」
「まあ確かに」
「ほら、その辺にしておきなさい。アガサ、今治してあげるわよ」
「助かる。それじゃあな、和輝」
「おう」
俺はアガサを店員さんに渡す。声には出さなかったけど、感謝はしている。ありがとな、アガサ。
と、また一つの別れを告げようとすると、麗奈が口を開いた。
「ああ、アガサ、かしら?」
「なんだ?」
「もしかしたらあなたのところに天狗が来るかも。こいつに起こったことの証人としてね」
「ああ、それぐらいなら問題ねえよ。むしろかわいい女の子と喋られるならウェルカムだ」
「マジか!じゃあ俺が証人になる!」
「馬鹿なこと言わないで。今から天狗に話しに行くのにあんたが証人になれるわけないでしょ」
「...じゃあアガサ、行って来い」
「「「馬鹿なこと言うな」」」
店員さんにまで言われた。仕方ない、今回はあきらめるか...俺と麗奈はおとなしく服屋さんを後にした。
「...おい、なんだよ」
服屋さんを出た途端、麗奈が腕を組んできた。
「なによ、守ってあげているのよ?」
「いや、腕を組む必要はないだろう?」
「何言ってるの。できるだけ近づいていた方がいいに決まってるじゃない」
「...恋人同士に勘違いされるぞ」
「私は構わないわよ」
「...」
やっぱりこいつが何を考えているのかわからん。もしかして、俺のことが好き、とかな。
「ああ、ちなみに恋人同士に見えても問題ないわよ」
「!?ど、どういうこと?」
思いっきり動揺してしまった。な、なんだ?
「だって...」
だって...?
「もしあなたを狙っている奴があなたのことが好きっていう理由だったら、諦めてくれるかもしれないでしょう?」
「...」
へ、俺はいっつもこんな感じなのさ。
「あきらめさせてどうすんだよ」
「あら、刀を勝手に奪ってもしかしたら嫉妬っていう理由だけで近くにいた女の子を誘拐する人がお好み?」
「...そうだな、諦めてもらおう」
なんかこいつの言葉は『鹿島和輝キラー』でもついているかのように俺の胸を確実にえぐって来る。
さて、麗奈に連れられて村長の家の前にやってきた。村長の家の前には見知った顔がそろっていた。
「和輝さん、お怪我は大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。お心遣い感謝します」
「和輝、痛みはないのか?」
「ああ、大丈夫だ。カエデの治療のおかげだよ」
「うむ。まあ元々傷口はひどく浅かったからな」
「そうなのか」
俺は言葉を交わしてから疑問を口にする。
「ところでなんでイナリさんとカエデはここに?」
「麗奈さんから連絡があったんですよ。厄介ごとが始まりそうだから伝えたい、って」
「私も同じ理由だ。して、麗奈。何があったのだ?」
「それはこの馬鹿が話すわ。ほら、喋りなさい」
「なんでそんな命令口調なんだよ(分かった)」
俺は麗奈の言葉に返事をしながら今朝味わった出来事を話す。
「...なるほど、そんなことが...」
「その『何か』の正体が気になりますが、もう一つの『おかっぱ頭の女性』の発言も気になりますね」
「ええ。この二つを照らし合わせると...」
「「「『鬼』がいる」」」
見事に声が重なる。そう、鬼がこの里にいる可能性が高い。
「...大天狗様は今別の場所に人員を割いている。大天狗様は私に『天狗代表として妖狐の里を救え』と命じた。そのため私ともう一匹天狗を扱えるが、『鬼』となると...」
「まあ私ならぎりぎり倒せるかどうかってところかしら」
「...」
「ちょっと、なんか言いなさいよ」
「正直、九尾である私でも倒せないと思います」
「ええ?それは持ち上げすぎじゃないですか?」
「いえ、事実です。大天狗様が協力してくれてやっと五分五分ですかね」
鬼って凄いんだな。俺たちで対策を話し合っていると、人影が一つ。
「...すまない、少々お時間をいただけないか、イナリ」
「コクウ、どうしました?」
そこに現れたのは美青年だった。和服を着ているからスタイルの良さがはっきりわかる。高身長で、美形の顔。腰には刀を一本差している。金色の髪の毛をショートカットにしていて、妖狐の特徴である耳が生えている。尻尾の数は...七本。
コクウはなぜか俺の顔を見て驚いた表情を見せた。
「和輝、だったかな」
「何ですか?」
コクウさんも村長候補になるくらいだからかなりの実力者だろう。敬語になるのは仕方がない。
「君は昨日怪我をした状態で発見されたみたいだが...もう動いて大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。カエデの治療が速かったので、動けるくらいには回復しました」
「それは良かった。さて、ここに来たのは有益な情報を手に入れたからだ」
コクウは話題を切って本題に入る。
「実は、奇妙な人影を目撃した妖怪がいる。そのことを報告しに来た」
「本当ですか!麗奈さん、早速行きましょう!」
「ええ、そうね」
「一応応援を呼んでおこう。少し遅れてから行く」
カエデが空に飛び立つ。
「...白」
「何を言ってるの?」
「いや、なんでもない」
ラッキーだった。
早速俺たちもコクウに続いて移動を始める。すると、女性が一人待っていた。
「...あ、あなた...」
「ん?あなたは...」
おかっぱ頭の和服の女性。この人は...
「今朝出会った...」
「...ええ、さっきぶり」
今朝も思ったけどとても物静かな人だ。何を考えているかも良く分からないし、表情から読み取ろうにも顔の上半分は髪の毛で隠れていて表情が読み取りづらい。
コクウが話を進める。
「それで、奇妙な人影とは...?」
「今、案内する」
そう言って少女が歩き始める。そしてついた場所が...
「...ここは、私の家」
コクウが驚いた声を上げる。たどり着いたのはいたって普通の木造の家。ただ周りの建物より少し広い庭があるくらいか。
「私は、戦力にならない...ここでさようなら」
そう言って俺の腕を引っ張る少女。
「いや、俺も見に行きますよ?」
「やめた方がいい....」
そうは言われてもなあ...俺だけここから逃げるっていうのも...
「情報を教えてくれたのはありがたいわ。でも、こいつにもついてきてほしいの」
麗奈の説得に対して首を振る少女。
「...本当にやめた方がいい...死ぬかもよ?」
「「「「....」」」」
それほど危険な『何か』が潜んでいるのか...
でも、危険なら危険なほど退けない。だって恥ずかしいけど『絶対に守る』とか言っちゃったからな。
「ま、死なないように頑張ろうかな」
「そう...あなたのことは、忘れない」
「いやいや、別れの挨拶は早すぎますよ」
それだけ言うと少女は俺たちに背中を向けた。
「...それだけ、危険ということだな。私の家だ。私が先導しよう」
「お願いします」
俺たちはコクウの家に土足のまま上がる。靴を脱いでいる時間はない。
コクウさんは居間、和室、調理場、お風呂場...二階はない、トイレにはサイズ的に入れない。そして、コクウさんの部屋に行く。だがやはり、
「...なにも、いない」
コクウさんが呟く。
「後はどこがあるんですか?」
「書斎だ。そこに行って何もいなかったらデマかすでに移動したか...」
言いながらコクウさんは歩き始める。そして、書斎の扉を開ける。瞬間、コクウさんの胸に鋭い何かが突き刺さる。それも複数。仰向けに倒れたコクウさんの胸から血が噴き出す。
「...これ、は、万年筆...?」
「大丈夫ですか!?」
「大分深く食い込んでしまった...だけど、見つけた」
「ええ、後は任せなさい!イナリ、コクウを治療してきなさい!」
「分かりました!」
麗奈がコクウの前に躍り出る。俺もそれに続く。背後では足音が遠ざかっていく。
「...間違いない、こいつだ!」
俺はその姿を見て判断する。異様な大きさの体、覆面の上からお面。明るい今だから分かるが、お面には目の位置に黒い丸が書いてあるだけ。他は真っ白だ。その白さがやはり恐怖心をあおる。腰に差している刀は...一本?
部屋の中は整理された本が綺麗に壁の一面を埋め尽くしている本棚にしまわれている。もう片方の壁の傍には机と椅子が置いてある。机の上には開かれたままの本とペン立て。もう片方の壁は窓があり、太陽の光を取り入れている。...。
「...」
『何か』は窓に強く激突した。当然窓は高い音を立てて崩れる。そこから逃げ出す計算らしい。当然それを簡単に許すはずがない。麗奈は素早い動きで腰の小刀を抜いて斬りかかる。
「...」
『何か』は麗奈以上の速さで腰の刀を抜いて麗奈の刀を受け止める。一瞬真っ黒な手が見えた。腕の異様な太さもはっきりとわかる。
「なんて力...!」
麗奈は一旦バックステップを踏んで、再び斬りかかろうとする。だが、その一瞬で『何か』は外へ逃げてしまった。
「待ちなさい!」
俺は追いかけようとする麗奈の肩を掴む。
「何よ!」
「落ち着け、麗奈。あいつはまたどこかに姿を隠す。だがもうたくさんの妖狐が里中にいるはずだ。目撃情報は確実にある」
「でもほかの妖狐を襲ったら...!」
「襲うわけがない。そこら辺を歩いている妖狐を傷つけることに何のメリットがある?」
「...」
「それに襲ったとしても多くの妖狐対あいつ一匹だったらあいつが負けるだろう。だから余計に戦おうとはしないはずだ」
「...なら、いいわ」
麗奈は小刀を鞘に戻す。
「ところで、麗奈。何か変じゃないか?」
「...?」
俺はきょとんとしている麗奈から離れて本棚に向かう。
「あいつは、なんでここに来たんだと思う?」
「それは、もちろん本を探すためじゃない?」
「そうだよな。でも、なぜかあいつは本を一冊も持っていなかった。そのうえ、探した痕跡もない」
「それは、袖とかに入れたんじゃない?痕跡がないのは...もしコクウが戻ってくる前に目的の本を手に入れたら荒らしてあるより元の状態の方がいいからじゃない?盗んだことに気づかれないだろうから」
「多分どっちもない」
俺は言いながら本棚を眺める。
「ほら、この本棚...隙間がないだろう?」
「...一か所あるじゃない」
「それは、あの本だろ」
俺は机を指さす。その机の上には開かれたままの本が置いてある。俺は机に近づいてその本を手に取る。開いてあったページには『式神の召喚には大量の妖素が必要』...なんか良く分からんことが書いてある。背表紙には『式神』というあっさりとした題名が書いてあった。
俺はそれを本棚にしまう。ギリギリ一冊はいるかどうかのスペースに押し込むと、本棚には完全にスペースがなくなった。
「...それに、この本が開きっぱなしっていうのもおかしいんだ。普通本を探しに来たのなら机の上にあるこの本を最初に手に取るはずだからな。まあ内容だけ見て目的のものじゃないって判断したなら辻褄が合うかもしれないけど」
「...」
俺は更にもう一つ気になったことを口にする。
「なんであいつは刀を一本しか持っていなかったんだ?今朝は二本持っていたのに」
どこに、置いてある。その場所があいつの本拠地だ。
「...外に出ましょう。カエデが目撃しているかもしれないわ」
「そうだな。考えていても仕方がない」
俺と麗奈はコクウの家をでる。それとほぼ同時にカエデが目の前に降り立つ。
「特定した!『妖狐山』だ!」
「「!」」
よし、いよいよだ!
「追い詰めたぜ...!」
俺たちは妖狐山に向かった。時間はまだ七時。確実に追い詰めていくぞ。
妖狐山に着くと、お面をした天狗が待っていた。
「カエデ先輩。拝殿に入っていくのを確認しました」
「うむ。よくやった、ミツバ」
「ありがたきお言葉」
「なるほど、拝殿ね」
俺たちは拝殿に向かう。緊張感が高まっていく。階段を上って、鳥居をくぐって、拝殿の前に立つ。
「...そこに隠れている者!おとなしく姿を現せ!」
言いながらカエデは刀を鞘から抜く。麗奈とミツバ、と呼ばれた天狗も刀を抜く。拝殿の中から返事はない。
「少し離れていろ」
カエデが拝殿の扉に手を掛ける。そして、扉を一気に開く。あり得ない速度でカエデがこちらの傍に戻ってくる。少し風を感じた。
「「「「...」」」」
だが、何も起こらない。そして、見つける。
「おい!拝殿の中に誰かいる!」
俺が叫ぶ。それに反応してカエデがミツバさんに指示を出す。
「ミツバ、辺りの警戒をしろ!」
「はい!」
「麗奈、行くぞ!」
「分かってるわよ!」
俺と麗奈とカエデが拝殿の中に入る。当然警戒心は最大だ。拝殿の中に恐る恐る足を踏み入れる。
「...だれも、いない?」
麗奈が呟く。カエデも俺もキョロキョロと拝殿の中を見回す。
するとカエデが口を開く。
「和輝、コーヨがいる!」
「なに!?」
俺はカエデの視線の先に金髪の妖狐を見つけた。
「コーヨ!」
「馬鹿!警戒して近づきなさいよ!」
俺は駆け寄る。...息はある。というか寝息を立てている。そして、コーヨの傍らにあるものを見つけて警戒心を解く。と同時に気分が落ち込む。
「もう、大丈夫だ。ここじゃない」
「「...は?」」
俺はコーヨの傍らにあるものを拾い上げて麗奈とカエデに見せる。
「...『何か』が、着けていたお面と覆面だ」
「ということは...」
「見失った、のか」
「とりあえずコーヨを運ぼう」
俺たちは妖狐山を後にした。
後編の方にまとめて書きます。