-1- 街も人も壊れている。
人間はどこまで生きることに貪欲に、人間らしさを捨てられるのでしょうか。
僕はこんな生き方するくらいなら自殺する人間だと思います。
年号すら忘却の彼方に行方を晦ました東京、ここには雑踏に埋もれた街なんて有りはしなかった。
ビルの影で膝を抱えた老人もいつしか骸と化していて、摩天楼に揺蕩う人影は屍。かつて交差点を行き交った老若男女はコンクリートの上で終末を得ている。
少し前に首吊り自殺をした女性の、形を保つ事を諦めた死体に生きている人が群がって、湧いた虫を貪り食っているのがここから見える。
ビルにもたれかかった私から30m程先で行われている野性的な食事、それに私は嫌悪感すら覚えない。
「旨い…… 旨い……」
と、病原菌だらけの死体から生まれた虫を空っぽの胃袋に詰め込む。もうこの人たちは助からない、膝を抱えた私はその人たちを見て、静かに手を合わせる。
「俺のだ! 退け! 」
冥福を祈ろうと目を瞑りかけた時、死体に群がる人のうちの一人の男が声を荒らげた。男の目は黄疸が出て充血している。
その男に殴られたのは、痩せ細った10歳くらいの少女だった男の力で殴られた脆くなった身体は、おそらく骨が数本折れている。
「ぁぁ…… ゔぅ…… 」
男も、それ以外の人も、呻き声を上げて悶える少女に見向きもせず、死体の虫を食べ続ける。
この世界にはまともな人間なんてもういない。
私を含めて、ひび割れた交差点をかつて行き交った人々は壊れてしまった。本当の事を言ってしまえば、私はこの狂った世界しか知らないのだが、それでも壊れきっていると思う程だ。
以前に一度軍人の家族らしきものを見たが、彼らの生き方は私達のような一般人とは似ても似つかないものだと感じたものだ。彼らはちゃんと調理された食料を食べ、ビルの影よりも居心地のいいであろう車で生活していた。
本来は彼らの生き方が正しいのだろうが、この街で生きている人は全員そんな生活は出来ていないだろう。
戦争前、生きるためならと人を殺して食べ物を奪った人を罪人だとしていた時代からすれば、この世界には人間の数だけ罪人が居るように見えるのだろうか。
いいや、最早同族にすら思えないのではないだろうか。
アサルトライフルで穴だらけになった死体を踏んで行進する軍隊を「狂ってる」と言った人がいたというが、今の世界はもっと酷い。
穴だらけの死体を食べるのが今風の狂気だ。
昨日まで隣で笑っていた青年の肉を食べながらそんなことを思った。その青年は誰よりも人間らしい、生き物として欠陥した人間だった。
私は彼の笑顔が大嫌いだった。
けれども何故だろうか、彼の肉を食べていると昨日までの事がフラッシュバックして泣きそうになる。
「……死なないでよ」
段々とパーツの欠陥していく身体、それでもまだ生きている彼は私の言葉に返答を寄越そうと擦れた声を出した。
「し…な、な、い……よ……。僕は…」
その言葉に私は何も反応出来ない、反応してしまえば彼の肉を食べることが出来なくなると思ったからだ。
だからただ、そのやせ細った腕を食べた。
「ありがとう」
今の言葉は私のものだったのだろうか、それとも彼のものだったのだろうか。
目から溢れ出る涙の味がする、冷たくなった彼の肉を胃袋に詰めて今日も生き残ろうとする私は、彼とは正反対の人間だ。
そんな私が礼を言う事なんて許されないだろう、そんな私は礼を言われる事なんて許されないのだろう。それでも横たわる男は礼を言い、礼を求めた。
私に人間らしさを与えようとした。
________きっと君は、僕よりも長生きするよ」
まだ彼がちゃんと生きていた頃に笑って言った言葉だ。
彼はいつも笑顔でいた、この世界に似つかわしくない、人間味のある人だった。
優しい目つきで私の頭を撫でて、自分が何処からか取ってきた食料を私に渡したりするような、頭のおかしい男だった。
「私はあなたを殺してでも生き残る」
対して私はいつも何かを敵視していた。自分を憎んで、他人を妬んで、世界を嫌っていた。
生まれる時代が違っていたならと、いつも思っていた。
いや、それは今も同じだ。
きっとそれは私の背負った罪のせいなのだろう、過去の自分が崩した最低限の人間らしさを拾い集めようとしているのだろう。
「僕は君に生き残って欲しいからね。君のその底知れない負の感情は、何とも人間らしい」
機械みたいな僕とは正反対だ、と付け足して私の頭を撫で、私はその手に心地よさを感じて彼を睨んでいた。
「でも女の子何だから、もう少し愛想よくしてもいいと思うよ」
「私はあなたみたいに笑えない」
「ならせめて、睨むのをやめてみようよ」
また笑う彼を見て私は「善処する」と、思ってもない言葉で話を終わらせようと試みた。
それを見透かしたようにまた頭を撫でて「もし僕より長く生き残ったら、その時は僕を食べてでも生きろ」と、いつにも無い声のトーンで言う。
____この男はそういうやつだった。
そして私はその言葉の通りに、彼を食べた。
彼が望んだ笑顔を浮かべて、彼の供養と私の滋養のために痩せこけた死体同然肉を食べた、まだ死んでいない、彼の肉を。
もう助からないと考えたから食べた、死後になると感染病のリスクが高まるから食べた。
彼に笑顔を見せるために食べた。
言い訳と後付けの理由を並べてみても、どうも隣に空いた彼の空間に虚しさを感じていた。
私は上手く笑えているのだろうか、笑顔の作り方はこれで正しいのだろうか、誰か教えて欲しい。誰か、誰でもいい。
その冷たい身体から、痛い程に孤独を感じてより一層涙が溢れ出た。
しばらくの間隣に誰かがいることが当たり前だったから、その状況に慣れてしまっていたのだろうか。久々の孤独を、私は嘆いた。
それが当たり前だったと思い知らされる、この世界はそういう世界だと思い出さされる。
ただ偶然隣にいた人間が死んだだけなのに、どうしようもない感情が込み上げていた。
家族が死んだ時ですら何も感じなかったのに、弟を殺した時でも涙の一つも浮かべなかったのに。
どうして彼の死をここまで悲しんでいるのだろうか。
私には何故か分からなくて、ただただ彼の血に染まった小さな手で顔を覆った。
「嫌だよ…独りは、怖いよ…」
いつもなら「君が怖いなんて、らしくないね。それもまた人間らしいと思うよ」などと気を利かせた言葉が返ってきたのだろうか。もう確かめようもない。
彼は二度と目覚めないし、私は二度と彼には会えない。
それが現実なのだから。
過去作読んでいる人なら分かると思いますが、短篇版の改変版になってます。
しばらくの間は「街も人も壊れている。」のストーリーを加筆修正したものになります。
一度そちらも読んでみてください。
一応合作ですが、一章はまだ自由帳1人でお送りしています。
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