第40話 預言者の忠告(上)
天城明日乃は、朝香瞬のベッドに群がる同級生たちの姿を見ていた。
明日乃の心に轟いていた雷鳴も、鳴りをひそめていた。今は、無数の星々が輝く、夜空のように澄んでいた。
(……朝香君の手術が、成功した……。
……わたしは、それだけで、いい……。
……たとえ所長に、命令されても……
……今のわたしには、もう、朝香君を殺せない……
……でも、≪サンの預言書≫が外れたことは、ない……
……いいえ……いざとなれば、わたしが消えれば、いい……
……わたしが、朝香君を守って、消えれば、いい……)
「お前ら。瞬の麻酔が切れるのは、明日だからさ。お前らも、帰れよ。面倒くさいけど、テレポートで送ってやっからさ」
ボギーは、ふだんのちゃらんぽらんな教官に戻っていた。
「まったく、なんで、確定存在なんて、面倒くさいものが、あるのかしらねえ」
明日乃は、口の悪い五百旗伽子の可憐な顔を見やった。
(……五百旗さんは、言った……
……必要とされる時に与えるもの……それが、友情……
……必要とされなくても、いつも思ってしまう状態、それが、恋愛……
……朝香君は、毎日、ノートや手紙を、研究所に届けてくれた……
……わたしを好きだと……守りたいと、朝香君は、言った……
……朝香君は、わたしに、恋をしているの……?)
鏡子と伽子の間から、眠っている瞬の顔をのぞき見た。
明日乃の胸が、体育の時間に短距離走をした後のような、激しい鼓動を打ち始めた。
(……朝香君が……生きている……眠っている……
……研究所の病室で、わたしは、雲を見ながら、ずっと、何を考えていたの……?
……わたしは、いつも同じことばかり、考えていた……
……同じ人のこと……ばかり……
……わたしが考えていたのは、いつも、朝香君のこと……
……恋をしているの……? わたしは……? 朝香君に……?)
ボギーがあくびを噛み殺しながら、伽子の問いに答えた。
「預言者が、オブリビアスの取り合いでも、していやがるのかもな。しもじもの俺らには、よくわからねえが」
明日乃もオブリビアスだから、確定存在だ。
確定存在は、決められた未来に向けて歩むしかないと言われている。瞬は知らないが、明日乃は瑞木所長から、確定未来を知らされていた。
「さてと、お前ら、帰ろうぜ」
大きく伸びをするボギーに向かって、鏡子が進みでた。
「私は、瞬君のそばに残ります。目が覚めた時、誰もいなかったら、かわいそうだから……」
「ほな、ワシも残ったるわ。鏡子ちゃん独りやったら、かわいそうやしな。ほれ、長介も――」
「直太! あんた、見かけ通り、気が利かないヤツね。恋人どうし、ふたりっきりにしてやろうって気づかい、持ちあわせてないわけ?」
直太が、口を尖らせて、長介の肩に手を回した。
「しゃあないな。ワシらも大人しゅう、寮に戻ろか。また、見舞いに来たらええ話やしな」
「明日乃は、残らないのか?」
ボギーの問いに、皆がいっせいに、明日乃を見た。
明日乃は、瞬の声が、聞きたかった。
ずいぶん返事が遅れたが、ノートのコピーや手紙が今朝、自分の手元に届いたと、伝えたかった。
できるかわからないが、自分の気持ちを、すなおに、瞬に伝えたかった。もう命など狙うつもりはないと、はっきりと言っておきたかった。
「帰ろや、明日乃ちゃん。病み上がりなんやろ?」
直太の言葉に、明日乃は沈黙した。
明日乃は、瞬に恋をしているのかも知れない。だが、明日乃は、恋のやり方も、知らなかった。≪サンの預言≫によれば、瞬は、明日乃によって殺害される宿命だった。
明日乃が瞬に近づけば、近づくほど、「その時」もまた、近づいてしまうのではないか。
いずれ手にかけねばならない相手を、恋する意味など、あるのだろうか。
いや、恋に意味など、必要ないのだろうか。
「さ、みんな、出な! 帰るわよ!」
伽子が、両手を広げて、明日乃や直太たちを、部屋から押し出しはじめた。
「あたしは、六本木だからすぐだけど、あんたたちは、ボギー・タクシーを使うんでしょ? 明日、学校、あるんだからね。ちょっとでも、寝ておきなさいよ」
鏡子を残して、皆が押し出されると、ボギーがあくびをしながら、赤銅光を身にまとい始めた。
明日乃も、光に包まれて行く。
これで別に、いいのだと、言い聞かせる。
瞬の病室に眼をやるが、明日乃を拒否するように、閉じられていた。
ボギーがいつも吸っているタバコのような、匂いがした。
†
天城明日乃は、腰に手を当てて缶ビールをグイグイ飲んでいるボギーの姿を見ていた。
ボギーはいったん、兵学校の教員宿舎にテレポートした。直太と長介はそこから、徒歩で帰って行った。
ボギーは、また缶ビールを開けながら、肩と首をコキコキ鳴らした。
もう一本空けた後で、研究所の正門までテレポートで送ってくれるらしい。
「明日乃。お前も、残りたかったんじゃないのか?」
「……どうして……?」
「お前は、好きなんだろ? 瞬を?」
ボギーは、二本目のビールをグビグビ飲んでいる。
「……だとしたら、どうだと言うの?」
明日乃の反問に、ボギーはヘラヘラ顔を真面目な顔に戻した。
「恋には別に、理由なんて、要らねえんだよ。好きなら、好きで、いいのさ」
黙ったままの明日乃に、ボギーが尋ねた。
「瞬の命を救ったのは、お前だろ?」
やはり、ボギーは気づいている。
ボギーは、飲み干したビール缶を、両手でペチャンコに潰した。
「気づいたのは、俺だけじゃないだろうな。大河内がパイロキネシスを発動した時、一瞬、プラチナの光壁がよぎった。あれがなければ、瞬は即死していたはずだ。何しろ、測定下限値以下の防壁しか張っていない、生身の身体だからな。観客席からとっさにピンポイントで光壁を張るなんて芸当ができる奴は、クロノスでも、数えるほどだがね」
明日乃は、大河内がパイロキネシスを使った時から、警戒していた。万が一、瞬の身に危険が生じれば、迷わずサイを使おうと、身構えていた。
研究所からは当面、サイの発動を控えるよう言われていた。
だが、瞬のことをずっと考えているうち、明日乃の中で、瞬を守りたいという気持ちが強くなっていた。
気づいたら、発動していた。
「……研究所には?」
「安心しろ。伝わらないさ。誰かに助けてもらわなければ、競技者が実は死んでましたって話じゃ、主催者側の落ち度になるからな」
明日乃は、赤銅光を帯び始めたボギーを見あげた。
「……なぜ、同じメサイアなのに、あなたが救わなかったの?」
「頼りになる預言を信じていると、誰でも、無警戒になるものさ。俺の預言者が、瞬がヤバイって、俺に知らせなかったのは、お前が瞬を助けると読んでいたからだろうさ。それより、研究所の預言者もだらしないな。お前を外に出さなければ、目障りなメサイアを一匹、覚醒前に、始末できたかも知れないのにさ」
違う。ボギーは知らないだけだ。
最強のクロノスである末永了一郎を討つために、朝香瞬が利用される宿命を。ボギーの死の時まで、瞬は生かさねばならない。その後、ヴィーナスこと、天城明日乃が、瞬を殺害する。
未適応症の明日乃の寿命を考えれば、その結末は、それほど遠い未来でも、ないはずだ。
「なあ、明日乃。瞬はお前に片想いじゃないって、思ってたんだけどな。俺の眼鏡ちがいか?」
「……ボギー教官。質問に答える必要が、あるのでしょうか……?」
ボギーが愉快そうに笑い出した。
「へっ、都合の悪い時には、生徒ヅラしやがって。でも、お前はごまかし方が、ヘタクソだな。俺みたいな恋愛のプロに、答えを教えているようなもんだよ」
ボギーは急に真顔に戻った。
「だが、瞬のファム・ファタールは、一人だけじゃなかったのかもな。俺も一人じゃ、なかったが、瞬もプレイボーイらしい」
タバコのような匂いとともに、明日乃は赤銅光に包まれた。




