第39話 プラチナ色の帳(とばり)(下)
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鹿島長介は、天城明日乃と二人、待合室に取り残された。
悲嘆のあまり気を失った鏡子は、別室で休んでおり、伽子がつき添っていた。ボギーは喫煙ルームにこもり、さっき直太は、トイレに行った。
長介は、ちらりと明日乃を見た。
うつむき加減の明日乃は、彫像のように、行儀よく鎮座していた。
明日乃の思考の中には、長介など、存在しないに違いない。
長介は、よく緊張するタイプだった。
試合の時のように、緊張が極限状態に達すると、かえって開き直れるのだが、明日乃の前では、うまく行かない。もしかしたら、試合よりも、緊張しているのかも知れなかった。
「あ、天城さんも、朝香君のことが、心配なんだね……」
明日乃が、漆黒の瞳で、長介を見た。
別に、にらんでいるわけではない。
分かってはいるが、それでも、人によっては、反発を買いそうなくらい、冷ややかな視線だった。
「……どうして、そう、思うの……?」
「……だって、僕たち、友達だもんね……」
「…………ともだち……?」
明日乃は、噛みしめるように、言葉を発した。まるで、自問自答でもするように。
「そ、そう。友達……」
「……友達って……なに?」
素朴な問いに出くわして、長介は懸命に思案した。
「む、難しい質問だね……。その人が苦しんでいたら、いっしょに心配してあげられる。その人が幸せだったら、いっしょに喜んであげられる。……そんな関係、かな……」
明日乃は、まっすぐに長介を見た。あわてて、視線をそらした。
長介には、明日乃の心のうちが、読めない。
長介はこれまで、幼なじみの宇多川鏡子に、ずっと憧れていた。鏡子に認めてもらおうと、努力してきた事情もある。
だが、鏡子ほどの女性に、自分が相応しいとは、思っていなかった。鏡子は、長介にとって、ずっと高嶺の花であるべきだし、現にそうだと思っていた。
鏡子ほど美しい少女は、他に、五百旗伽子くらいしか、いないと思っていた。が、長介は、伽子が苦手だった。格上の≪三旗≫で高慢だし、いっしょにいても、一方的にしゃべられるだけで、意思疎通ができなかった。優しく、親しみやすい鏡子に惹かれたのは、当然だった。
だが長介は、この春、生まれて初めて、鏡子よりも美しい女性に、出会った 。
もちろん最初から、長介には、とうてい手の届かない女性だと、思ってはいた。だが明日乃は、鏡子にはない儚さがあり、脆さに似た弱さを持っているように、感じた。
明日乃を守ってあげたいと、思った。
その想いを、恋だと指摘されるなら、長介も否定はしない。高嶺の花がもうひとつ、増えただけの話なのだが。
「……そうね……朝香君は、友達、なのかも……知れない……」
数分後にようやく発せられた明日乃の言葉は、ほろ苦さを帯びて、長介に伝わった。
明日乃は、まだ、朝香瞬以外の同級生を「友達」とは認めていないのかも知れない。
明日乃が立ちあがって、窓際に向かった時、長介は気づいた。
試合終了のまぎわ、カメラのフラッシュのように閃いた光は、いつか明日乃が瞳につけていた、吸い込まれるようなプラチナ色のカラーコンタクトと同じだった。
「あ、天城さんの霊石って、なに?」
たいてい時間差がある明日乃の答えがされる前に、直太が戻ってきた。
「明日乃ちゃん、すまんなぁ。ジンジャーエール、自販機で売っとらんかったわ。せやし、似たようなやつ、買ってきたで」
明日乃は、直太から差しだされた三ツ矢サイダーを、黙って受け取った。
「ほれ、長介。お前はトマトジュースや。文句ないやろ?」
「あ、ありがとう」
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宇多川鏡子は待合室に戻った。
さっきは、どうやら泣き疲れて、眠ってしまったようだった。
瞬の受傷のあと、自分でも信じられないほどの錯乱状態におちいった記憶があった。だが、今は、落ち着いていた。
深夜になっても、朝香瞬の手術は続いていた。
夜の待合室では、物音ひとつしなかった。
鏡子の左隣には、天城明日乃が座っていた。
明日乃なりに、寄り添っているつもりだろうか。翼を捥がれた天使の彫像のように、姿勢正しく、黙って端坐している。
実に無口な少女だと、鏡子は思う。明日乃は、不気味なくらい、自分からは言葉を発しなかった。
オブリビアスの瞬には、つき添ってくれる家族が、いない。
さっきまで、ボギーと直太、長介もいたが、今は、ボギーに誘われて、夜食を買いに出ていた。単に、ボギーがタバコを吸いたかっただけかも知れないが。
ソファにだらしなく横になっている五百旗伽子が、大きなあくびをした。
伽子まで、待合室に残っている理由は、はっきりしなかった。
本当に鏡子を心配しているのだろうか。あるいは、瞬に横恋慕しているのだろうか。
伽子は昔から、鏡子の持っている物を欲しがった。欲しい物を、必ず手に入れようとした。伽子が次兄のケンに恋をしたのも、鏡子が兄を慕っていたからだと、思う。
「オブリビアスって、面倒くさいわねえ。時間操作が通用しない確定存在なんてさ」
「天城さんも、オブリビアスなのよ。言葉に気をつけなさい、伽子」
伽子は身を起こして、鏡子の右隣りに座ると、鏡子ごしに、明日乃の顔を露骨にのぞき込んだ。
鏡子の前で、二人の美少女が、にらみ合っている。
「ふうん。明日乃、あんたも、瞬に、気があるんだ」
初対面の相手でも、勝手に、ファースト・ネームで呼ぶのが、伽子のクセだ。しかも、遠慮会釈なく、思ったままを口にする。
だが、伽子の問いは、鏡子も、気になっている点だった。
伽子の「あんたも」の中に、鏡子のみならず、伽子自身が含まれるのかも、気になり始めてはいたが。
ずっと休んでいた明日乃が今日、突然、登校した。
予科生である以上、明日乃が、授業の一環である新人戦の観戦に出席するのは、当然だ。それはいい。だが、病院で夜半、手術が終わるまで、ずっとつき合っているのは、なぜだろうか。
「……気が、あるって?」
無神経なほど落ち着きはらった明日乃の問い返しに、伽子はいらだちを隠さなかった。
「あんた、日本人でしょ? ホレてるって意味に、決まってるじゃないの」
明日乃は黙って、うつむいた。
半身を起こした伽子が容赦なく、沈黙を破った。
「どうなのよ、あんた? ハッキリなさいよ! 大事な婚約が、かかってんだからさ」
なるほど伽子は、宇多川、五百旗の婚約の帰趨を確認する目的で、残っているのもかも知れない。明日乃には、意味がわかるまいが。
考えこんだ様子で、明日乃はうつむいた。
伽子は椅子の背にもたれて、大きく伸びをしてから、腕を組むと、だらしなく天井を見あげた。
「愚問だったわね。鏡子みたく、ここに張りついているんだから、聞くまでもない、か」
技術革新がいくら進んでも、ワンテンポ遅れて聞こえる衛星放送のように、明日乃がぼそりと答えた。
「……朝香君は……友達……だから……」
鏡子は、明日乃の顔を凝視した。
「友達?」
明日乃がこくりと、うなずいた。
「友達ねえ……。明日乃。あんた、実効年齢、いくつだっけ?」
「……知らない」
瞬も同じだが、オブリビアスには、異時空滞在記録もないから、実効年齢を推定するしかない。
「オブリでも、友情と恋愛の違いくらい、覚えてるんじゃないの? 友情ってのはね、必要とされる時に、相手に与えるものよ」
伽子は、明日乃のまそばに、顔を近づけた。
「でも、恋はね、違うの。誰かを好きって意味は、例えば瞬なら、瞬のことを、日がな、ひねもす、四六時中、考えているってことよ。気づいたら、いつもソイツのことを思っている、そういう心理状態が、恋なのよ。相手も同じなら、晴れて、恋愛成立ね」
明日乃は、がん宣告でも受けたように、真剣な表情で考えこんだ。
「瞬もそうだけどさ、男は、顔だけで、決めないことね……」
明日乃のゆっくりした反応と、苦い沈黙に耐えられなくなったのか、伽子は、また大きくのびをして、口を最大限に開けながら、やかましく、あくびをした。
「……あなたは、なぜ、ここにいるの?」
明日乃の問い返しに、伽子は一瞬、どぎまぎした様子だったが、すぐに胸を張った。
「ば、バカね。あんたも、鏡子も、変な誤解、しないでよね。鏡子を見たでしょ。いろいろ事情があって、今は絶交中だけど、鏡子とはいちおう、幼なじみだし、義理があるから、いっしょにいてやっただけよ。言っておくけど、あたし、瞬みたいにキザなヤツ、ぜんぜんタイプじゃないから 」
待合室の扉が開き、医師の白衣が見えた。
鏡子は、氷の手で心臓をつかまれたような思いで、医師の言葉を待った。
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■用語説明No.39:確定存在
確定された時空間を歩む者。
時間操作士と時流解釈士に多い。確定存在については、基本的に過去改変が不可能であり、確定事象しか生じないとされる。
確定存在に関わる周辺者の過去を改変した場合でもい、確定存在そのものに生ずる確定事象は変更できず、同一、または同種の事象が必ず出現し、最終的に辻褄が合わされる。
オブリビアスは確定存在であることが確認されている。
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※最後までお読みくださり、ありがとうございました。
次回、第四〇話「預言者の忠告」
第一部、最終回です。




