第39話 プラチナ色の帳(とばり)(上)
※明日乃視点で始まります。
「瞬君! 瞬君!」
天城明日乃は、半狂乱の宇多川鏡子と、鏡子を必死で抱き止める五百旗伽子の姿を、すぐそばで見ていた。
鏡子は、泣きながら、瞬の名前を叫び続けいる。預言がどうの、ブレスレットがどうのと、明日乃には意味不明の片言を繰り返していた。
ふだん明るく、落ち着いた印象のある鏡子の姿からは、想像できないほどの取り乱しようだった。
だが、明日乃にも、朝香瞬が死ぬかも知れない、と分かっていた。
伽子の表情も、真っ青だった。
大河内の手もとで、火球は見えなくなった。つまり、大河内は、火球をテレポートさせたわけだ。瞬に向かって消えた火球は、瞬の体内に直接、入ったと見ていいだろう。
鏡子が金切り声をあげた。何度も、瞬の名前を呼ぶ。
強力なラベンダー光が鏡子の身体から発せられ、明日乃と伽子を包んていく。
動作光がフェードアウトすると、明日乃たちは、騒然とした競技場にテレポートしていた。バトルフィールドには、係員たちが殺到し、物々しい雰囲気だった。
伽子の腕から、鏡子が身を振りほどいた。瞬に駆け寄ろうとした鏡子は、途中で、係員に制止された。
それでも鏡子は、泣きながら、瞬の名前を呼び続けている。
「瞬君! 瞬君!」
鏡子は狂ったように叫ぶ。だが、瞬はぴくりとも動かない。
明日乃は立ちつくして、パニック状態の鏡子の後ろ姿を見ているしかなかった。
この日行われた準決勝の間、明日乃はずっと、鏡子の隣に座っていた。
鏡子は、良家の子女らしく、姿勢正しく座り、両手を膝のうえで握りしめながら、試合を食い入るように見つめていた。
明日乃は、まだ「恋」という感情を知らなかった。同じオブリビアスである瞬は、恋をしているようだが、明日乃には、ついに持てない感情なのかも知れないと、思っていた。
だが、その明日乃にも、わかった。
宇多川鏡子は、朝香瞬に恋をしている。
明日乃の知らぬうちに、鏡子は、瞬のことを「朝香君」ではなく、「瞬君」と呼ぶようになっていた。
恋する相手が突然、失われたら、つらいに違いない。
明日乃はまだ、泣いた覚えがなかった。もし鏡子と同じ立場なら、明日乃もまた、涙を流すのだろうか。
涙は、出ない。泣き方も、知らなかった。
だが、明日乃の心の中は、今にも降りだしそうな黒い雨雲に、どんよりと覆われている。今にも雷鳴がとどろき、降り出しそうだ。もしも、瞬がこのまま命を落としたら、二度とふたたび、明日乃の心に光がさすことはないだろうと、感じた。
(……胸が……重い……苦しい……痛い……。
……なぜ……どうして……?
……宇多川さんの気持ちが、わかる気がする……。
……わたしの身体には、何の痛みもないのに……
……どうして、わたしはつらいの……?
……朝香君が……傷ついたから……?
……死ぬかも、知れないから……?
……わたしに二度と、微笑んではくれなくなるから……?)
朝香瞬一郎殺害の使命を負う明日乃が、殺害対象の落命に心を動かされるとは、皮肉な話だった。研究所の瑞木所長が聞けば、おだやかな口調で、一笑に付すに違いないが。
瞬のかたわらには、ボギーが長い身体をたたんで、かがみこんでいた。めずらしく真剣な表情をしている。担架に乗せた瞬を運ぶ指示を、係員に出していた。
鏡子が泣きながら、ボギーにすがりついた。
「教官は、時間操作ができるんでしょ! 逆行して、瞬君を助けてください!」
ボギーは苦い顔で、小さく頭を振った。
「オブリビアスには、効かねえんだ。応急処置は済んだ。これから、軍の救急病院にテレポートする。ついて来い」
鏡子は、担架の上の瞬にすがりついて、瞬の名前を繰り返し叫んだ。
だが、瞬が眼を覚ます気配は、まるで、ない。
ボギーは、発動モーションさえ見せずに、瞬の担架ごと、何人かを赤銅色の光に包んだ。
赤銅光がフェードアウトした時、明日乃もまた、病棟にいた。近くにいた伽子まで、テレポートさせられていた。
テレポート先は、市ヶ谷にある第四軍の附属病院らしい。軍属だったボギーは、勝手を知っているのだろう。ボギーはふだんと違い、テキパキと指示を出していた。
***
宇多川鏡子は、泣きじゃくった。
泣きだすと、止まらなかった。大災禍で、優しい母を失った時も、泣きたいだけ、泣いた。その時の感情と、似ていた。
それほどに瞬は、鏡子にとって、大切な存在となっていた。
絶交中なのに、伽子のやわらかい胸に取りすがって泣いたのは、伽子がすぐそばに寄り添っていたことと、伽子が、鏡子と瞬の関係を知っていたからだろう。
ボギーによるテレポートの後、瞬はただちに、集中治療室に運ばれた。鏡子たちは、中に入れてもらえなかった。
鏡子はずっと、泣いていた。
やがて、ICUから、誰かが出てきた。涙で、姿が、良く見えない。
ボギーのようだった。鏡子が、駆けよる。
「教官! 瞬君は?」
「まだ、生きている」
ボギーの言葉が、鏡子の心に突き刺さった。
裏を返せば、「まだ、死んではいない」という意味に過ぎなかった。予断を許さない状態が続いているのだろう。
ボギーが、鏡子の肩にそっと手を置き、壁ぎわの白いベンチに座らせた。
ボギーは鏡子の隣に座り、長い脚を組んだ。
「鏡子。お前、確定存在って、聞いたこと、あるか」
泣きながら、うなずいた。
≪確定存在≫とは、時間操作による過去の改変ができない存在を指す。時間操作の歴史の中で、確認されるようになった存在だ。
普通の人間は、過去改変の影響を受ける≪暫定存在≫とされる。
例えば、事故死した人間でも、事故前に逆行して危機を回避すれば、事故がなかった歴史が上書きされ、存在を維持できる。
これに対し、≪確定存在≫に関しては、過去改変ができない。そもそも逆行自体が拒否されたり、逆行し過去を改変したつもりでも、別の因果律を経て、必ず同一の結果がもたらされる。
確定存在は、預言者に多いと言われた。優れた預言者であればあるほど、確定存在に近くなる。
鏡子の祖母、宇多川鶴子も、確定存在だと聞いていた。
「忘却の日からまだ、数か月だ。わからない話のほうが、多い。だが、どうやらオブリビアスはみんな、確定存在らしいんだ。理由は知らんがね。つまり、後出しじゃんけんは、通用しない。オブリビアスの場合、一度死んだら、それで終わりって、話になる。時空間操作ができなかった昔のようにな」
言葉のかわりに、涙しか、出てこなかった。今は、瞬が生きて欲しいと、それだけを願った。
「骨折とか、命にかかわらない怪我なら、軽い時間操作で、俺も治せたんだがな。瞬の場合は、致命傷だった。俺のサイじゃ、通用しなかった」
鏡子が嗚咽すると、ボギーが背をなでてくれた。
「通常、パイロキネシスの火球は、予科生レベルなら、光壁を通過させられない。だが、体内にあれが入ると、やっかいだ。なぜ、即死をまぬがれたのか、不思議なんだがな……」
瞬の体内が焼けただれていると思うと、耐えられなかった。鏡子の身体が、意思に関係なく、激しく震えだした。




