第37話 炎の貴公子―大河内信也戦(3)(上)
宇多川鏡子が、新国立競技場の特等席に入った時には、すでに五百旗伽子が一番前に座っていた。
伽子が、鏡子に気づいて、手招きをした。
鏡子が、伽子の隣の席に座ったのは、他に良い席がなさそうだったからだが、歓喜と不安の入り混じった気分も、手伝っていた。
「おはよう、鏡子。あれ? 何か、いいこと、あったの?」
自分でも、わかった。澄ましているつもりでも、顔が勝手に、輝いていた。
鏡子は昨夜、瞬の心を知った。
まだ、恋の決着はついていないが、瞬と口付けもかわした以上、瞬とはもう、恋人関係になったと、鏡子は考えていた。
幸せで舞い上がりそうな心地だったから、伽子にも寛容になり、幸せを分けてあげたいとさえ、思った。
「今日は、恋人の晴れ舞台よ。誇らしく思って、不思議はないでしょ」
鏡子は「恋人」という言葉をさらりと言ってみるつもりだったが、わずかに、言いよどんだ。
「ヘン、恋の進展があったって、わけか。おおかた、キスでも済ませたか」
変に感の鋭い伽子には、昔からヒヤリとさせられてきたが、別に答える必要のない質問だった。
鏡子は澄ました顔で、円形に仕組まれた競技場を見た。
心は不安でいっぱいだった。
鏡子は、ブレスレットの啓示を、怖れていた。
今朝、瞬を迎えに行き、新国立競技場へ向かう道すがら、もう一度意思を確認してみたが、瞬を止めることは無理だとわかった。
瞬のように優しい少年にも、女には理解しがたい闘争心があるようだった。
その厄介な感情は、恋する女性を守りたいという感情に発するようで、うれしい気もしたが、一方で、もろくも思えた。
全国でもトップレベルを誇る東京三校のカイロスたちの新人戦の決勝、準決勝とあって、さすがに人気は高い。
特等席も含めて、早くから満席に近い盛況で、前列で空いているのは、伽子が荷物を置いている左隣の席くらいだった。
「で、勝てそうなの? 美男子の恋人は?」
「顔だけじゃないわ。瞬君は、強いもの。必ず、勝つわ」
「あたしにも、大河内にも、勝つってことはさ。隼人もいなくなった今、アイツが、ウチの序列一位になるって、わけ?」
「もちろん、そうよ」
「サイも、使えないのに?」
「強いんだから、しかたないでしょ? 瞬君はどんな戦いでも、極限まで努力を重ねたうえで、知恵と勇気と抜群の身体能力で、勝ち抜くの。誰も、彼には、勝てないわ」
「ご馳走さま。あたしは負けたから、今は文句言わないけどさ。サイなしで勝てるんだとしたら、いったい何を学ぶ兵学校なのかしらねぇ」
グチを言う伽子の左の座席に近づいてくる、第二兵学校の制服が、鏡子の眼に入った。
「……ここの席、空いているかしら?」
「あんた、誰? 見慣れない顔だけど、ここは、名のある家の出しか座れないのよ。どこの家の出?」
憎らしいほど落ち着きはらった返答があった。
「……研究所」
「それって、あの、得体の知れないとこ?」
鏡子が眼をやると、同性でも、ハッと息を呑むほどの美貌があった。
久しぶりに会う、天城明日乃だった。
幼い頃から容貌には自信のあった鏡子でも、危機感を覚えざるを得ないほどに、鏡子の恋敵は、美しかった。
瞬がうっかり恋してしまう理由も、わからないではない。
「天城さん、おはよう。もう、身体はだいじょうぶ?」
「……問題、ないわ」
天下の研究所関係者と聞き、伽子はぶっきらぼうに自己紹介すると、しぶしぶ荷物をどけた。
鏡子は、明日乃の横顔を見つめた。
明日乃は、どこか心配そうな面持ちで、競技場で何かを探していた。
もしかして、瞬の姿を探しているのだろうか。
ずっと休んでいた明日乃が、今日に限って、現れた理由は何なのだろう。病気が治れば、登校するのは、当たり前の話だが、ただの偶然だろうか。
鏡子の視線を感じたのか、伽子が鏡子の耳元でささやいた。
「世の中には、ものすごい美人がいるものね。美少女のこのあたしが認めるんだから、ハンパないわ。あんなのが相手じゃ、あんたの恋も、大変そうね……」
伽子は昔から耳が早いが、情報源はどこなのだろう。
「鏡子。あんた、この子の友達なら、替わってあげるわ」
半ば強引に、伽子が席の変更を迫った。明日乃の隣では、落ち着かないのかも知れない。
席を移りながら、鏡子は明日乃を見た。
恋敵として見た場合、普通の女なら、絶望するような美貌だった。
だが、鏡子は、瞬と二人で、いくつも思い出を作ってきた。新人戦の華々しい結果は、瞬と鏡子が、ふたりで勝ち取ったものだ。明日乃は、何もしていない。
***
和仁直太は、トイレから戻り、早朝から並んで確保した最前列の席に戻った。自分が試合をするわけでもないのに、妙に緊張して、何度もトイレに通った。
その度に、隣の長介に道を開けてもらう。
「すまんのう、長介」
準決勝戦と決勝戦は、正式な授業日程に組み込まれており、兵学校生の観戦席も設けられていた。
長介は本来、特等席に行けるはずだが、いっしょに応援したいと、一般席に座った。
「おい、お前ら。当然、瞬を応援すんにゃろな?」
「え? ああ、まあ、な……」
直太の詰問に、予選敗退組のサンジが、異口同音にうなずいた。
観客から声援が上がった。
見ると、競技者が試合場に姿を現していた。
東ゲートから先に姿を現した≪炎の貴公子≫こと、大河内信也は、腰に、愛刀≪日光助真≫を帯びていた。
大河内はこれまでの全試合を、開始後二分以内に終えてきた。絶対的な優勝候補である。
次に現れた朝香瞬一郎は、二つ名もなく、左手に黒い棒を持っているだけだ。
直太は雄叫びを上げたが、会場でも、大河内に負けない声援に、なっていた。
今回の新人戦で、瞬が勝ち進むうち、知性をも感じさせる甘いマスクが女子予科生を惹きつけ、人気が急上昇しているらしい。
直太にしてみれば、やっかみもあるが、外見だけでも、瞬は、鏡子が惚れてしまうのも無理はないと、認めざるを得ない。
大河内は、イーストサイドに陣取り、全身をオレンジ色の光で覆った。サイを発動するためのウォーミングアップだろう。
「ホンマ、身体が燃えとるみたいやな。炎の貴公子の二つ名も、ダテやないわ」
「お、大河内君、今日も、絶好調みたいだ。きっと十分な異時空特訓をしたんだろうね。」
隣の長介が心配そうにつぶやいた。
***
朝香瞬は、審判員にうながされると、太極にゆっくりと向かった。
瞬は、実技同クラスの大八木勲譲りの如意棒を、右手に握り締めた。
対する大河内信也は、≪日光助真≫を青眼に構えている。
「何だ? その邪道な棒は? 新国立競技場で、洗濯物でも、干す気かよ?」
嗤う相手に、瞬も応じた。
「君が干されないように、気をつけるといい」
大河内の身体を、さらに強いオレンジ色の光が覆い始めた。
≪炎の貴公子≫の二つ名に、偽りはない。見事な動作光は、強力なサイの証拠だった。
大河内が、瞬に人さし指を突きつけた。
「開始後三〇秒で瞬殺して、お前がしょせんは『別紙扱い』だって事実を、天下に認めさせてやる。お前なんぞに負けた五百旗と鹿島は、俺様より格下だって、こともな」
試合開始の鐘が鳴るや、瞬の目の前に、オレンジ光が出現した。
踏み込みが、早い。
大河内の連続テレポートが始まる。
瞬は、身体を引きながら、高速の十数連打を、やっとのことで、受け止めた。
鏡子、伽子よりも、大河内の敏捷性は、やや劣るだろう。だが、そのぶん、打撃力が大きかった。
APごしに受ける衝撃で、手が痺れた。
ほとんど間を置かず、もう一度、来た。オレンジ光の連撃が、瞬を襲う。今度もかわし切った。だが、壁ぎわに追いつめられている。
瞬に焦りはない。
連続テレポートなら、大河内より、鏡子のほうが上だ。それでも、攻撃のクセと光壁のゆらぎを見極めるには、もう少し攻撃させる必要があった。




