第36話 炎の貴公子―大河内信也戦(2)(下)
明日乃は、研究棟の一階にある警備課に着くと、身分証明書を見せた。
「……空操研(空間操作研究科)の天城です。公用車の手配を。一台、至急、お願いします」
「失礼ですが、ご予約は?」
いやいや仕事をしているようなキツネ目の中年の女だった。
「……していません」
「……少々、お待ちください」
警備課のドアが開き、一人の禿げ頭の老人が出てきた。
夜勤明けなのだろう、あくびをしながら、気持ちよさげに伸びをしていた。頭頂に髪がなく、タコのような頭をしていた。もしかしたら、瞬の書いていた「タコ入道」なのかも知れない。
キツネ目の女が、録音テープのような口調で、説明を始めた。
「申しわけありません。先日のテロ予告の件で、現在、警備体制が強化されておりまして、車両警備の人員が足りません。今すぐ手配しても、午後一時過ぎの配車になります。お待ちになりますか?」
明日乃は小さく首を振ると、小さな声で言った。
「……所長室につないでください。空操研の天城と言えば、わかります」
明日乃の声を聞きつけたのか、タコ入道のような老人が、急に、伸びを途中でやめた。
「……さっき、研究所を出られたそうですが……」
「……十一時までに、新国立競技場にどうしても、行く必要があるんです」
「そうおっしゃいましても、所長からは、警備に万全を期すよう言われておりまして……」
タコ入道っぽい老人が、明日乃のほうに、歩み寄って来た。
「おや、もしかして、お嬢さんが、天城明日乃さんかな?」
明日乃が黙ってコクリとうなずくと、タコ入道は笑い出した。
「やっとお嬢ちゃんに会えたわい。わしは来る日も来る日も、お嬢ちゃんの名前を聞かされとったからな。これでわしも、朝香君に、自慢できるぞ」
渾名なのか、本名なのかは知らない。だが、どうやら、この老人こそが瞬となじみの「タコ入道」に違いない。そう思っただけで、明日乃は、なぜか「タコ入道」を信頼していい気がした。
「ほう、すごい別嬪さんじゃのう。朝香君が毎日、お嬢ちゃんを訪ねてくる理由が、わかったわい」
タコ入道は、明日乃をじろじろと見た後で、キツネ目の女をふり向いた。
「若いの。ちょっと、待ってくれんか? わしが警備に入れば、どうじゃな?」
キツネ目の女は、露骨に迷惑そうな顔をして、吐き捨てた。
「タコさん! 勝手なことを仰っては、困ります!」
実際に、「タコ」とあだ名されているのか。それとも、「多胡」、「田古」といった姓なのだろうか、あるいは下の名前かも知れない。
タコ入道は、顔を真っ赤にして、受付の机を叩いた。
「わしに向って、勝手とは、何じゃ! 若いのは、とにかく責任を負うのが怖うて、何でも『できん、できん』と言いおる。そうしておけば、事故も起こらんで、安全じゃからな。じゃがな、わしらの役目は、安全をしっかり守りながら、研究所の先生方のお仕事の手助けを、して差し上げることなんじゃ。若いお嬢さんじゃから、三種警備で足りるじゃろうが。さっき、三三番の車が帰ってきとったぞ。もう小一時間も休んでおるし、出動できるはずじゃ……」
えんえんと続く、タコ入道の話は、いつの間にか説教に変わっていた。
根負けした様子のキツネ目の女が奥に消えると、しばらくして戻って来た。
「警備が一人足りませんけど、本当にタコさんが、回るんですか?」
「当り前よ。わしは警護の鬼じゃからな。このお嬢さんに万一の話があれば、朝香君に顔向けできんわい」
タコ入道は、明日乃を見ながら、大声で笑った。
二〇分後、明日乃は、公用車の後部座席にいた。
前後を公用車が警護している。助手席には、タコ入道が乗っていた。
「……タコさん。朝香君とは、知り合いなんですか?」
「ああ、友達じゃよ。最初の日は、大ゲンカしたがな」
「……どうして?」
「お嬢ちゃんに会わせろって、うるさかったんじゃよ。雨がザアザア降っとるのに、しつこう粘りおってな。会えんなら、届け物を渡してくれときたもんよ。じゃが、そんなもの、うかつに受け取って、爆弾が入っとったら、どうするんじゃ? ちょうどその時、所長さんがいらしてな、所長室で受け取って下さるっちことになって、丸く収まったがのう」
「……朝香君は……毎日、来ていたんですか?」
「わしの夜勤の間に、夜明け前と夜中に、だいたい二回、来とったな。疲れて寝てしもた、いうて、真夜中に来たこともあったわい。研究所をジョギング・コースにしとるらしいわ。わしも、朝香君が来んと、何かあったんかと、心配になるくらいじゃったわい」
いつか瞬は、顔を真っ赤にして、明日乃のことを、好きだ、と言った。
好きだから、瞬は毎日、研究所を訪れ、明日乃にノートのコピーや手紙を届け続けたのだろう。
だが、明日乃には、人を好きになるという感情が、まだ十分に理解できない。
「朝香君は、お嬢ちゃんのことが、よほど好きなんじゃのう」
タコ入道が後部座席を振り返りながら笑うが、明日乃は、窓の外を見たままだ。
「……どうして……分かるんですか?」
「とにかく一生懸命だからじゃよ。朝香君は、お嬢ちゃんのことになると、必死になりおる。会えんと分かっとっても、毎日やってくる」
「……一生懸命って?」
明日乃は、何かに一生懸命になったことがあるだろうか。授業に出ても、まともに聞いていない。サイの発動も、最初からできるから、鍛錬などろくにしない。殺害指令も役目だから、実行しようとしただけだ。
明日乃は、何事に対しても、一生懸命になど、なった覚えがなかった。
「ほら、お嬢ちゃんもさっき、一生懸命になっとったじゃないか?」
明日乃は、ハッとした。
新人戦があると知り、明日乃は、十一時の試合開始に行こうと、警備課にかけ合った。自分でわざっわざ公用車の手配を頼むなど、初めての経験だった。一生懸命だったから、やったのではないか。
黒服の男たちから、逃げようとした時、明日乃は一生懸命だった。生きたいと願った。それはなぜか。
瞬といっしょに襲われた時、命の限り、生きたいと願った。あの時の明日乃は、一生懸命ではなかったか。
「朝香君は、毎日毎日、ようも飽きんと、届け物をしとったが、お嬢ちゃん、そんなに大事な物じゃったんか?」
タコ入道の問いに、明日乃は、流れていく車窓を見ながら、小さな声で答えた。
「……はい……とても……大切な、ものです……」
(……わたしが、独りで、苦しんでいる時にも……
……ずっと、わたしを想ってくれている人が、いた……
……でも、朝香君に会って、どうするの……?
……何を言うの……?
……会って、何の意味があるの……?
……そんなことは、知らない……。
……わたしは、朝香君に……会う……。
……会いたいから……会うのよ……)
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■用語説明No.36:時流解釈士(預言者)
時流解釈すなわち、未来予知ができる日本の最高の国家資格。
クロノス三士の頂点に位置付けられ、「預言者」と俗称される。
時流解釈能力は、数千万人に一人と言われるほど稀有の能力であるため、適性が認められ、かつ他の時流解釈士により認められた者しか、養成を受けられない。
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次回、第三七話「炎の貴公子―大河内信也戦(3)」




