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虹色のカイロス ◆メサイアたちの邂逅  作者: 白川通
第5章 遠い約束
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第33話 夜、ふたり(下)

 鏡子は机の上に、小さな救急セットを置くと、瞬の前にやってきた。頬の傷から、処置してくれるらしい。


 瞬としては相変わらず、目のやり場に困る状況だった。


 不本意ながら、とりあえず眼を瞑っているうち、鏡子特製のホットミルクのおかげもあったのか、眠気が襲ってきた。


 本能が睡眠を求めていた。鏡子に対する(よこしま)な気持ちが吹き飛ぶくらい、瞬は疲れ切っていた。


 鏡子に指示されるまま、夢うつつで、腕を上げたり、身体を動かしていく。


 鏡子は、腕にシップをして、包帯で巻いてくれていた。

 上半身の手当てが終わると、鏡子は正座をして、すねの絆創膏をすばやく()がして、傷口に新しく貼りなおしてくれた。


「ひざ裏も、ケガしていたよね? 瞬君、立ちあがって、後ろを向いて」


 瞬が立ち上がると、(ゆる)んでいたらしいバスタオルが、ハラリと落ちた。


 鏡子が、悲鳴を上げた。両手を顔にあてているが、胸元まで、真っ赤になっていた。


 非常事態に気づいた瞬は、あわててバスタオルを拾いあげると、急いで腰に巻いた。後ろを向く。


「……ご、ごめん、鏡子さん。つまらない物を、見せてしまって……」


 鏡子は、黙って、ひざ裏の手当てをしてくれていたが、やっと聞こえるような声で、つぶやいた。


「……つまらなく、ないわ……」


 最後にハプニングはあったが、無事に手当てが終了した。


「鏡子さん、今日も、色々と、本当にありがとう」


 まるで恋人のように、鏡子は、瞬に尽くしてくれる。

 客観的に見れば、ふたりは、かなり恋人に近い関係だと思う。


 もしかして、鏡子はすでに、瞬の恋人でいるつもりなのだろうか……。それはそれで、うれしいのだが、もしもそうなら、もう一人の少女を、明日乃を、諦めなければいけない。


「今日は瞬君、疲れ切っているでしょ。もう寝て。私、片づけておくから」

「ごめんね、本当にありがとう……」


 鏡子のサイ発動にも、時間が必要だろう。誠に申しわけないが、そうさせてもらうことにした。

 歯を磨き、パンツを履いて、バスタオルを取る。


 瞬が、二段ベッドの上をのぞくと、布団がきれいに敷きなおされていた。


「鏡子さん、何から何まで、ありがとう。あれ? 僕のパジャマみたいなの、なかった?」


「ああ、あれね。長いこと、洗ってないみたいだったし、私の服といっしょに、さっき洗濯機に放りこんだの。私のも全部、今、洗っているから」

「……そうなんだ。ありがとう……」


 着る服がないが、とにかく今は、横になりたかった。

 布団の中にすべり込んだ。五月上旬でもあり、バスタオル姿でいたために湯冷めしたのか、身体が冷えていた。


「瞬君。洗濯機はもう一度、回したほうがいいね」

「うん。でも、時間がかかるし、鏡子さんは気にしないで、そろそろ帰ってね。もう、十二時、回っているし……」

「あれ? さっき、言ったじゃないの。私、今晩、ここに泊まっていくって」


 瞬は、目を丸くして、ベッドの上で、半身を起こした。鏡子は、食卓のコーヒーカップを片づけながら、けげんそうな顔をした。


「瞬君。もしかして、私の話、聞いてなかったの?」

「え? ……いや、その……」

「私も疲れているから、テレポート、きついのよ。もう終電もないし」


 瞬はひどく疲れていた。


 明日は、鏡子の地獄の特訓も、待っている。一刻も早く、眠りたかった。寮を出る時もテレポートだから、女子予科生を宿泊させたとは、誰にも分かるまい。


「ま、いいか。変に、気を回さなくても……。ベッドは二つあるんだしね。君が寝るんなら、長介も、ウェルカムだろうし」


 瞬はむしろ、長介が羨ましい気がした。


「鏡子さん、上に寝る? 僕が下に、行こうか?」

「ううん、そのままで、いて。さ、済んだわ」


 照明が消されると、月明かりが、部屋に差した。


「でも、私も疲れちゃったから、洗濯は、明日にしよう。……身体が、冷えちゃったな……」


 鏡子の独り言が聞こえるが、瞬はもう答える力もなく、眠りに落ちようとしていた。

 瞬がまさに睡魔に身を委ねようとした時、すべすべして生温かい感触が、瞬の半身を心地よく襲い始めた。


 温かい。天国のような感触が、瞬の身体のすぐそばを通って行く。


 懸命な努力で、瞬が寝ぼけ眼を開いた。


 温かい感触のほうに眼をやると、月あかりに、ぼんやりと、ちょうど鏡子のレースのブラジャーが見えた。


 鏡子が下着姿で、瞬の狭いベッドの隣に、すべりこんでいた。


 まるでバーコードの「サイコキネシス基礎理論Ⅱ」の授業を受けている間のような、高度の睡魔に襲われているせいで、瞬は意識がまだ覚醒していない。


 瞬が強い好意を持っている、優しい美少女が、すぐそばにいてくれる。温かい。気持ちいい。別に、それで何か、問題でも……


 ――あるに、決まっていた!


 覚醒した瞬は、がばりと半身を起こした。


「き、鏡子さん、何? どうして、ここに? 下、空いてるよ!」

「いやなの。他人(ひと)のベッドで、寝るの……」


 鏡子は眠いのか、瞬のほうに身体を向けて横たわり、眼を閉じていた。


「でも、だって、ここも――」

「瞬君は、別。あなたのベッドなら、いいの」

「……で、でもさ、鏡子さん。君みたいに良識のある人なら、分かると思うけど、これって、極めてまずい状況じゃないのかな?」


 鏡子は半身を起こすと、ひどく悲しげな眼で、瞬を見た。


「……もしかして……いや、なの? ……瞬君?」


 瞬はあわてて、両手を振った。


「ご、誤解しないで。け、決してそういうわけじゃないよ。君なら、もちろん大歓迎なんだけど……。それでも……だけど、世間一般の良識に照らした場合……」


 いや世間はともかく、瞬は、自分の理性にも、自信が持てなかった。


「世間は今、見ていないわ。もう遅いから、寝ましょ」


 鏡子は本当に眠そうに、あおむけになった。

 月に照らされて、鏡子の白い肌が、眼下に浮かび上がっている。

 瞬は、ごくりと唾を飲んだ。


「瞬君、見つめていないで、寒いから、布団をかけて。風邪をひくじゃないの」


 言われるがままに、とりあえず、横になった。布団を被る。

 成り行きとはいえ、瞬は今、鏡子と肌を接しながら、狭いベッドの上に寝ていた。ふたりとも下着姿だ。だが、幸か不幸か、見えてはいない。


 ちらりと、鏡子を見た。安らかな寝息を立てていた。


 もういい、寝よう……。


 睡魔にまかせて、瞬は、眠りに落ちた。



***

 宇多川鏡子は、眠っていなかった。

 寝たふりをしていた。不安と喜びで、胸が高鳴って、眠れなかった。

 瞬は、鏡子をどう思っただろうか。

 はしたないと、思いはしなかったろうか。


 布団をかぶった瞬は、すぐに寝息を立て始めた。

 よほど疲れていたに違いない。


 瞬の身体が規則正しく、上下し始めると、鏡子は、掛け布団をのけた。


 鏡子は、瞬の上から、覆いかぶさった。


 狭いベッドで寝返りを打てば、身体が重なり合う時だって、あるだろう。


 瞬の整った顔が間近にあった。月明かりで、よく見えた。


(……どうして、天城さんには、してあげたのかな……

 ……どうして、私には、しようとしないんだろう……

 ……天城さんとしたのなら……私、だって……)


 鏡子は、顔を近づけていく。


 ふたりの息が、交じり合った。


 鏡子は、自分の唇を、瞬の唇に重ね合わせた。



    †

 宇多川鏡子は、洗面室がカチャリと閉じられる音で、眼を覚ました。


 瞬も、起こさないように、そっと開け閉めをしている様子だが、静まり返った明け方には、金属音が響く。


 鏡子が、頭をリビングのほうに向けると、勉強机の照明がついていた。


 耳を澄ませた。

 瞬が、洗濯乾燥機から、服を取り出しているようだ。衣ずれの音もした。


 照明が消えた。


 瞬が近くに寄ってきた気がした。


「鏡子さん……起きて、ないよね……」


 ささやき声がしたが、鏡子は寝ているふりをした。

 しばらくして、玄関を出る音が聞こえた。

 あたりはまだ真っ暗だ。時計は近くにないが、午前三時か、四時くらいだろう。


(……瞬君、どこへ、行くのかな……トレーニング……?

 ……和仁君が言っていたように、天城さんの研究所……?

 ……届ける物もないのに……どうして……?

 ……会えないのに、……どうして……?)


 鏡子は寝返りを打った。


 掛け布団のおかげで、瞬の寝ていた部分の温もりが、まだ残っていた。

 そこへ、素足を入れ、さらに、身体を移動させた。

 甘いような瞬の匂いがした。


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■用語説明No.33:予科生寮

全寮制をとる国立兵学校に付属する予科生のための寮。

各兵学校予科(空間操作科)では、敷地内または近傍に、定員(一学年一八〇名)分の寮が付設されている。一年次は合同寮であるが、二年次からは霊石の六属性に対応して、寮が分けられる。

第二兵学校では、属性ごとに一学年三〇名程度、二学年で六〇名程度の定員で、三〇余の寮室(相部屋)が、塔状の建築物に用意されている。

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※最後までお読みくださり、ありがとうございました。


次回、第三四回「等々力渓谷」

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