第32話 戦いの後(上)
朝香瞬の身体には、一〇か所近い傷ができていた。
高性能な宇多川家の特注コンバット・スーツのおかげで、深い傷はひとつもないが、軽い傷でも、痛いものは、痛い。
宇多川家の控室でシャワーを浴びた後、バスタオルを腰に巻いた瞬は、鏡子に言われるまま、ソファに横になって、手当てを受けていた。
瞬が、美少女に身体じゅうのケガの手当てをしてもらうのは、これで二度目だった。考えてみれば、瞬はよく負傷する日常生活を送っていた。
鏡子は器用だった。実に手ぎわよく、消毒をし、絆創膏を貼っていく。打ち身にはシップを貼り、包帯を巻いてくれた。
(……鏡子さんは、何でもできる人だな。
……明日乃さんは、絆創膏の包みを開けるのにも、苦労していたけど……
……明日乃さんは今、何をしているんだろう……?
……だいじょうぶかな……)
「どうしたの? 朝香君?」
鏡子が、顔を覗きこんできた。
「……あ、ああ、ちょっと、疲れと、眠気でね……」
明日乃を想っていたとは答えにくく、別のことを言った。
「それはそうよ。今日はじ~っくり休んでね」
瞬は眼を閉じて、うなずいた。二人の格上のカイロス相手にフルコースを戦って、お腹いっぱい、実に長い一日だった。
「瞬君、明日は一日休みだけど、じっくり休むか、それとも、準決勝、決勝に向けて特訓するか、どうする?」
新人戦の準決勝と決勝は、例年、第二兵学校だけでなく、東京にある三校がそろって、千駄ヶ谷の新国立競技場で開催される。他校の日程もあり、今年は、中日をはさんだ五月五日に予定されていた。
「鏡子さんさえ良ければ、お願いしたいな。長介のぶんまで頑張るって、約束したから」
「了解。実家でビシビシ、しごいてあげるからね。さ、終わったわ」
優しい顔をしているが、鏡子のしごきは半端でなかった。だが、瞬は嫌だと思ったことはない。
「いつも、ありがとう」
「今夜、お風呂を出てから、もう一度、貼りなおしたほうがいいわ」
夜、鏡子はいないだろうが、そんな元気が、瞬にまだ残っていれば、そうしよう。
その日の夕方、長介が寮に戻ってきた。
対決も終わったので、久しぶりに夕食を共にしようとの提案を、瞬は喜んで、請けた。
鏡子と直太を交え、四人で、リビングのローテーブルに向って座り、寮の貸出しコンロを囲んだ。
豪勢な焼肉だった。大皿には、大量の肉塊が積みあげられていた。
控室で鏡子が瞬の手当てをしている間に、直太が買い出しに行ってくれたらしい。
直太がファンタのグレープを各人のグラスに注いでいった。見た目はワインのようだ。
乾杯の音頭を、直太が取った。
四人がワイングラスをかかげる。
「お前ら。何はともあれ、ようやった。ワシの家系、高血圧でなぁ。父方、母方の祖父ちゃん、祖母ちゃん……それから、俺の叔母はんまで、全員、心臓をやられて、わりと若うに逝ってもうとんねん。何が言いたいかぁ言うとやな」
直太の前置きは長くなりそうだった。瞬は、疲れ切った手であげていたグラスを、いったん下ろした。
「今日は、二人とも、エライ心配させおってからに、ワシの寿命、何年分か、縮んでしもたやないか。この埋め合わせは、追々してもらわなあかんけどな。でもまあ、終わり良ければすべて良しや。ワシとしてはもう、何も、言うことはないんやけどな――」
「ない割には、けっこう言っているじゃないか、直太。乾杯のスピーチが長いと、大人になってから、嫌われるらしいよ。炭酸もはじけちゃうし」
直太が期待しているのかと思い、瞬は一応ツッコミを入れておいた。
「じゃかあしいわい。ほな、とにかく乾杯や!」
ワイングラスを鳴らす。試合が無事終わったことに、皆で乾杯した。
鏡子が、瞬と長介に取り分けてくれる。皿への盛りつけ方も、鏡子らしく、見た目がきれいだった。
鏡子は、何でもできる才媛だが、主婦志望だけあって、家事でも抜群の能力を持っているらしい。
明日乃は、どうだろうか。少しは料理でもするのだろうか。
瞬が鏡子を想う時、いつも明日乃と比べてしまうのは、同時に同級の予科生二人ともを、同じくらい好きになってしまったからだろうか。
「今日の試合の時、隣にボギーがおってんけど、『ごっつエエ試合やないか。会議 をサボった甲斐があっわい』言うて、関心しとったで」
江戸っ子的なボギーは、そんな言葉づかいをしないだろうが、似たようなコメントを発したのだろう。
「こ、こんな日にも、会議、やっているんだ。教官って、大変だね……」
長介の言葉に、鏡子が玉ねぎの輪切りを裏返しながら、首を傾げた。
「変ね……。他の教官、だいたい、来ていたみたいだけど……。本科や研修所もかけ持ちしているから、そっちの会議かも知れないわね」
「今でも、軍に呼ばれたりしとる、みたいやしな。ま、単に、野暮用やったんかも、知れんけど。……なあ、お前ら」
直太がすこし身を乗り出して、声を落とした。
「……あの兄ちゃんが、軍の情報将校をやっとったって、話、知っとるか?」
TSCAに優れるクロノスは、諜報、すなわちスパイとして、究極の能力を持ちうる。ボギーなどは最適任者だろう。
ボギーが裏事情に詳しい理由は、どうやら彼の職種にも、あるらしかった。
「でも、どうして教官なんかになったんだろ?」
瞬の疑問に、鏡子がためらいながら、口を開いた。
「詳しくは教えてもらえないんだけど、お父様のお話では、兵学校に来る前、ボギー教官のミスで、部下がたくさん戦死したらしいの…… 」
「それで、左遷されたって、ことか……」
いつもチャランポランで飄々(ひょうひょう)とした風だが、ボギーにも背負っている過去があるようだった。
ボギーの話題で座はしんみりとしたが、その後は、直太が、バーコードの真似をしながら、場を盛り上げてくれた。
「なあ、気晴らしに、『バーコード遊び』せえへんか? G組でごっつはやっとるらしいで」
眠気を誘う語り口で悪名高い「サイコキネシス基礎理論Ⅱ」を担当する教官「バーコード」は、二年次の全クラスを受け持っていた。バーコードは、語尾を「な」で終える場合が多いため、予科生はよく物真似をしていた。
兵学校で流行している「バーコード遊び」とは、会話中、すべての語尾を自然な形で「な」で終えなければならず、失敗した場合には罰ゲームがあるという単純な内容だ。
「ほな、ワシからな。バーコードの授業ってな、全クラスでな、一言一句、変わらへんらしいな」
「ある意味、それも、凄い技術だね……な」
瞬は、あわてて取りつくろったが、直太が瞬を指さして反応した。
「お前な、今のな、失敗やったな。罰ゲームはな、ペットボトルのジュース一気飲みやな」
「そ、そんな。後出しジャンケンは、ずるいんじゃないかな。それに、ジュースがもったいないよな」
瞬に、鏡子が続いた。
「女子には不利な、遊びなんじゃ、ないかな」
「ぼ、僕も、そう思うな」
「まずはな、罰ゲームをな、決めな、あかんねんな」
不自然な会話を無理して続けるうち、勝手に笑いが生まれたが、瞬にとって、今、一番欲しいのは、睡眠と休息かも知れなかった。
「例えば、どんな、罰ゲームなのかな?」
「G組ではな、コクるんが、流行っとるらしいな」
瞬は内心、あわてた。
「みんな、この遊び、もう、やめようよ。疲れるからさ」
「瞬の負けやな」
「か、関西弁のほうが有利だと、思うんだよな」
「まあ、もう、やめましょ。特に、二人は疲れているんだし」




