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虹色のカイロス ◆メサイアたちの邂逅  作者: 白川通
第3章 ファム・ファタールたち
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第21話 ラベンダー・アメジスト(上)

 宇多川家秘伝の特訓マシンは、容赦なかった。

 朝香瞬は、前からの気配に、左へよける。右横のボールを刀で防ぐ。

 身を引いて、左斜め後ろのボールをかわす。

 眼だけでは、反応が間に合わない。耳と感覚と本能で、攻撃を読む。


 瞬が、宇多川鏡子の特訓メニューを開始して、三時間ほど経ったろうか。

 訓練場の扉が開く。鏡子が戻ってきたようだ。

 鏡子は顔に似合わぬ鬼コーチだった。三〇分ほどでボールが切れ、一面に転がったボールを拾う時だけが、瞬の休憩時間だった。


 疲労でふらついた瞬は、足元に転がるボールに、足を取られた。

 急いで体勢を立て直す。が、間に合わない。背にボールの一撃を食らって、突っ伏した。


 小猫丸を頼りに立ち上がろうとする。前から、ボール。避けられない。肩に直撃を受けて、あおむけに倒れた。


(だめだ、もう……。身体が、動かない……)


 鏡子があわててスイッチを切る音が聞こえた。


「だいじょうぶ? 朝香君?」


 鏡子が駆けよって、瞬の顔をのぞき込んだ。


(優しいけど、厳しい人だよな……)


 鏡子が白い手で、肩をさすってくれた。


「痛いいたいの、飛んでけー」


 大人になりかけた子供のようだ。

 鏡子の手がくすぐったくて、瞬は笑いだした。

 その瞬の様子を見て、鏡子も笑った。


 すでに外は暗くなっている。

 訓練室の蛍光灯が、ずっと遠くの高い天井にあった。

 あたりは静まり返っていた。いったい今、瞬はどこにいるのだろう。東京、だろうか。


「今の朝香君だと、四台で、三三〇キロが限界のようね。これを五〇〇まで持っていければ、防壁なしでも、サイを使った攻撃に、対応できると思うわ」


 鏡子が訓練場一面に転がっている軟式野球を、一つひとつ拾っていく。

 瞬もさっきまで手伝っていたが、身体が動かなかった。身体中が痛い。手足が鉛の塊と化したように、重かった。


 地獄のような特訓だが、瞬にはあまり、準備期間がなかった。

 今日、一歩でも、進んでおかないと、明日は二歩、余計に歩まねばならない。


「……宇多川さん。次は三五〇で頼めるかな。後半は三四〇に下げて。もう少しで、ブレークスルーできそうなんだ」


 鏡子があきれたような表情で、なだめた。


「朝香君。今日は初日だから、もう充分よ。明日からもっとしごいてあげるからさ。疲れてるだろうけど、シャワーを浴びて食事にしましょ。さっきから私、ちょくちょく作っていたのよ」

「あと、一クールだけで、やめるから」


 鏡子が黙ってうなずいた。


 三〇分後、背後から来た最後のボールをかわした瞬は、そのまま訓練室の床に倒れ込んだ。


「よくがんばったわ、朝香君。おなか、空いたでしょ?」


 瞬は、鏡子に防具を外してもらい、助け起こされて、訓練室の隣に併設されていたシャワー室へ、案内された。


「バスタオルと着替え、出しておくから」


 瞬は、ふらつく身体でシャワー室を出て、身体をふいた。

 高級な(とう)のバスケットラックには、真新しい下着やワイシャツなどが入っていた。肌ざわりで、相当高級なしろものだとわかった。


 あの≪忘却の日≫、瞬は、同じような肌ざわりの、めかしこんだ服装で、TDSにいた。昔の自分は、宇多川家ほどの裕福な家でないにせよ、精いっぱいのオシャレをして、外出したのだろう。おそらくは恋人と、二人だけで。


 瞬は、甘ずっぱい気持ちにひたりながら、シャツに袖を通した。着てみると、ふだん着というより、正装に近い。


 鏡子の呼ぶ声がし、ついて行くと、ダイニング・ルームだった。

 あたりは、世界に瞬と鏡子しかいないように、静かだった。聞いてみると、宇多川家の屋敷は、世田谷の等々(とどろき)渓谷のすぐそばに、あるらしい。


 敷地が広く本館まで歩くのが面倒なこともあり、クロノスたちがよく利用する訓練場には、食堂やキッチンまで併設されていた。

 富と権力が集中する六河川だけあって、食卓、椅子も立派だった。


 鏡子が白いカーディガンを脱ぐと、ラベンダー色のワンショルダー・ドレス姿になった。大人の女の人のようだった。

 瞬は、言葉を失って、鏡子を見詰めていた。


(何て……美しい人だろう……)


 いつも雰囲気の違う理由が、分かった。

 鏡子が髪留めを外し、長い髪を、肩をこえるくらいまで、さらりと(なび)かせていた。それだけで、少女から淑女に変身したように、見えた。


 鏡子に勧められるまま、向かい合って座った。


「さ、乾杯しましょ。朝香君の特訓が成功して、無事に全国大会へ出られますように、って」


 鏡子がワイングラスに、グレープジュースを注いでくれた。

 乾杯をする。


「何か、大人になった気分ね」


 制服姿でも、コンバット・スーツ姿でもなく、ドレス姿の鏡子は、妖艶(ようえん)な若い魔女のようだった。


「私、実効年齢がもうすぐ、十八歳だから、あと少しでお酒も、飲めるのよ。運転もできるようになるし」


 ≪実効年齢≫とは、時空間操作が行われるようになってから、認識されるようになった概念だ。

 最近、瞬も、教本を読んで学んだ。カイロス、さらにはクロノスを目指す子弟は、将来の異時空間での活動に備え、また、厳しい競争を勝ち抜くために、幼少の頃から、異時空に滞在する。


 異時空では、肉体的な成長が生じない、つまり肉体年齢は変わらないが、精神年齢は成長する。

 保健の観点から、法律で、一年あたりの異時空滞在期間の上限が定められてはいた。だが、期間が長いほど技をみがけるから、特に名家の子弟は、上限期間まで滞在する場合が多かった。

 鏡子の場合、肉体的には十四歳だが、三年間分の異時空滞在期間を加えると、実際には十七年以上生きている計算になるらしい。


「朝香君の実効年齢って、わかるのかな?」


 オブリビアスの瞬については、異時空間の滞在記録もないから、正確にはわからない。だが、待機所での検査結果によると、肉体的には十四、五歳で、実効年齢はそれより数歳上だと推定されていた。


「僕も、十七歳くらいらしいんだけどね」

「じゃあ、私の実効年齢が十八になったら、一緒にお酒、飲んじゃいましょ」

「そうだね。愉しみだ」


 鏡子がそっとワイングラスを置き、優雅にほほ笑むと、瞬の心臓は早鐘のように打った。


「と、とても似合うね、宇多川さんに。……その、色」


 自分でも何をしゃべっているか、瞬は、よくわかっていない。


「私の霊石は、≪ラベンダー・アメジスト≫。この色の石。兄も、そうだったわ」

「きれいな、色だね……」

「青と言うより、紫系なの。だから、うちの家系はいつもガーネットのG組だった。それが私、L組だったから、びっくりしてたんだけど……。でも、L組で良かった。朝香君に、会えたから」


 時空間操作の技術開発が進むにつれ、人はそれぞれ自分に合う≪霊石≫を持つことが、次第に分かってきた。


 サイの発動能力には個人差があり、鍛錬しても一生開花しない者もいる。だが、エンハンサーの≪輝石≫を補助する霊石を用いることで、さらに潜在能力を引き出し、発動効率能力を高められることがわかった。名家の子弟では、幼少から霊石を用いた特殊なクロノス養成が行われてきた。


「僕にはまだ、とらえ切れない速さだけど、僕は君のサイの動作光、好きだな。優しい感じがする。香りも、好きなんだ」


 鏡子が首筋まで真っ赤になって、うつむいた。それを見た瞬も、自分が赤くなるのを感じた。


(エレガントなレディかと思えば、お嬢さんみたいで、可愛らしい人だな……

 もしかして、鏡子さんは、僕に好意を持ってくれているのかな……

 いくら優しい人だからって、わざわざ特訓もしてくれるものかな……

 いや、級長として、責任を果たそうとしているだけかも知れない……)


 こと女性に関しては、瞬は、臆病だった。

 瞬は、物音ひとつしない夜、広大な屋敷に、鏡子と二人きりでいる状態が、すこし怖くなってきた。沈黙を嫌って、話題をひねりだした。


「宇多川さんのお兄さんも、同じ霊石なんだね。今、何をしているの?」


 鏡子は、口許にさびしげな笑みをたたえながら、小さく首を振った。


「内務省でクロノスをしていたけど、亡くなったの。二年前に、未適応症で。発病してから半年ほどで、眠るように……」


 クロノスを襲う宿業の病――未適応症。

 天城明日乃と同じ病だ。

 明日乃の寿命はあと、どれくらいなのだろう。


「うちの家系は、未適応症で死ぬ人が多いの。最近は、症状の進行を遅らせる薬が開発されたそうだけれど、兄には、間に合わなかった……」


「ごめんね……。悲しいこと、思い出させて」

「ううん。去年の大災禍でも母を失くしたけど、世界中につらい思いをしている人がたくさんいるもの。私だけじゃない。朝香君のように、オブリビアスになった人も、いるわ」


 鏡子の父は健在だが、軍人で、この春から西ノ島基地に赴任しており、長兄も軍人で、東京にはいないそうだった。使用人はいるが、がらんとした大邸宅に、鏡子は今、だいたい独りで住んでいる。

 本当は、預言者の祖母がいるらしいのだが、放浪癖があり、今、どこにいるか分からないそうだ。


「私、寮生になろうかな。今はテレポートで通っているし、通学に不自由はないのだけれど。寮のほうが、楽しそうだから」


 もともと兵学校は、全寮制で、自宅通学は例外なのだが、鏡子は六河川の子弟だから、認められる。


「そうだね。寮にも女子は少ないけど、宇多川さんが来たら、みんな、喜ぶと思うな」

「どうして?」

「……だって、宇多川さんは、すごく人気があるから……」

「どうして?」


「……え? だって、みんな学校一の美人だって言っているし、賢いし、性格もいいし……」


 瞬は途中で、自分の顔が、また真っ赤になっていくのが分かった。

 他方、鏡子も、見ていて可哀想になるほど、真っ赤になっていた。

 ジュースがお酒だったら、酔っ払ったせいだと、たがいに言い訳できたのかも知れないが。


「……ごめんなさい。食事をすっかり忘れてたわ。お先にサラダをどうぞ」


 鏡子はあわてて席を立ち、急いで厨房に消えると、しばらくして戻ってきた。二人の間に、カルボナーラの入った深皿を置いた。


「あまり時間をかけられなかったから、簡単なスパゲッティで、ごめんなさい。さ、温かいうちに召しあがれ」


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