第18話 届け物(下)
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――同じ日の夕刻。
天城明日乃は、国立時空間研究所附属病院の一室から見る景色が、嫌いではなかった。今日も、半身を起こして、寝台のヘッドボードに背をもたせかけながら、窓の外を眺めていた。
午後からは、春の雨が降りしきっていた。
元々、昨日は、久しぶりに登校する予定だった。
だが、朝からまた、高熱が出た。
薬を飲んで、午後から遅れて登校したが、やはり無理が、たたったらしい。途中で、立っていられなくなった。
なぜ、こんな馬鹿な真似をしたのだろう……。
明日乃は、雲が好きだった。
雲は、毎日、形が変わる。二度と、同じ雲は現れない。雨雲も同じだ。与えられた宿命に、文句ひとつ言わず、現れては、消えていく。天を覆いつくした雨雲でさえ、同じ運命をたどる。
雲は、自分に似ているかも知れないと、明日乃は思う。
先に明日乃の寿命が尽きれば、朝香瞬を手にかけないで、済むだろう。
嫌になってしまった宿命を免れられるはずだ。空を流れる雲のように、誰にも惜しまれず、世から静かに、消えてしまいさえすれば……。
今は、研究員の指導で、両眼のサイレンサーを外しているから、うっかり瞬のことを考えてしまうのかも、知れない。
未適応症になると、サイの発動量に、敏感にならざるを得ない。
過剰発動は、未適応症の進行を早めるから、発動を抑制するためにサイレンサーを装着するわけだ。
研究所では、サイレンサーの着脱と体調の関係を調べているらしい。
小学生にもやれそうな人体実験だ。誰も真面目に、未適応症の研究など、してはいないのだろう。今やクロノスは、≪終末≫までの期間限定の使い捨てだった。
明日乃は、夕暮れの空、街の向こうにきらめく稲光を見た。
天空を覆いつくす雲は、明日乃の心象風景のデフォルトだった。
明日乃の心の雲は時に、暗鬱な雨雲となり、稲光をもたらす。一度も、青空がのぞかない点だけは、本物の空と違っていた。
朝香瞬と逢って、明日乃の心の雲に、わずかな変化が生じた。
降りしきっていた雨が止み、ぶ厚い雲に、かすかな光が差し始めた気さえ、した。
だがそれでも、明日乃の宿命が、変わるわけでは、ない。
雨脚は強くなり、病室の窓に雨滴を打ちつけ始めた。
なぜ昨日、明日乃は無理をして、登校したのだろうか。
サイレンサーなしの今なら、正直になれる。
投稿したのは、瞬に、会うためだったのではないか。
別に、瞬と会って、する話があるわけでも、ない。
でも、会いたかったのだと、思う。
瞬の後ろの座席に座っていたかったのだと、思う。
窓の外には、この世の終わりでも来るように、真っ黒な雲が湧き出していた。
朝香瞬は今、どこで、何をしているのだろう。
仲間たちとともに、部活動で汗を流しているのだろうか。長介といっしょに、夕食でも作っているのだろうか。
明日乃はサイドテーブルに置いてあるサイレンサーのコンタクト・レンズに手を伸ばした。
だが、途中で止め、窓の外、荒れる空をひとり、見上げた。
***
朝香瞬は、ノートのコピーを入れたクリアファイルを、幾重にもビニール袋に入れた。ザックに雨除けのザックカバーをとりつける。これで、濡れないだろう。
キッチンから、鹿島長介の声がした。
「あ、朝香君。今日は、やめておいたら? 外は、ものすごい雨だよ」
たしかに、外はスコールのように、猛烈な雨だ。
「雨の中を走るのも、気持ちいいもんだよ。シャワーを浴びながら、走っているみたいでさ」
「か、風邪ひいても、いけないし」
「今日、届けてあげたいんだ」
「ね、熱があるなら、天城さん、勉強できないかも知れないよ。別に、明日の朝でも――」
瞬は、ザックを背負って、立ち上がった。
「じゃ、行ってくるよ。いろいろ、ありがとう」
運動靴を履いて、扉を開けた。楽しむ覚悟でないと、つらい天候だ。
瞬は、寮の玄関を出て、雨の街へと走り出た。
約二〇分後、瞬は、国立時空間研究所の正門にいた。
守衛室の受付には、濃紺の制服を着た禿げ頭の老人 が座っていた。守衛は五人ほど知っているが、初めて見る人だった。
「すみません。国立第二兵学校の朝香瞬一郎と申します。研究所の天城明日乃さんに……面会したいのですが……」
いつも門前払いを食らってきたが、新しい人なら、意外に、合わせてくれるかも知れない。瞬は欲を出した。
老人は、濡れねずみの瞬の、頭のてっぺんから、足もとまで、ジロジロ見てから、不愛想にたずね返した。
「何かね、君は? そんな恰好で人と会おうなんて、いったい、どんな了見をしとるんだね」
「すみません。どうしても今日、兵学校の関係で、天城さんに、届けたい書類があって、直接会って説明したほうが――」
「アポイントなしでは一切、取次はできん。帰りなさい」
老人はいかにも頑固そうな太い唇を、固く閉じた。
研究所は、終末教徒によるテロの標的ともされていた。警戒が厳重なのも、当然ではある。
「五分だけで、いいんです。面会させていただけませんか」
会って話すべき大事が、あるわけでもない。だが、会うこと自体に意味があると思った。
明日乃は、おそらく未適応症だ。先日の口ぶりでは、自分でも気づいている様子だった。
せめて顔を見て、声を掛けてあげたかった。
明日乃は、瞬と同じオブリビアスだ。研究所ぐらしなら、友達もいないはずだ。きっと、孤独であるに違いない。
明日乃が未適応症だと知って、かえって、瞬の明日乃への想いは、強くなったようだった。
老人は、必要以上に、首を横に振り続けた。
「小僧、いいか? 研究所の先生方はな。この世を救うために、寝る間も惜しんで仕事をされておるんじゃ。用もないのに、来るんじゃないぞ」
「ですから、用はあるんです!」
「小僧、研究所の先生方はな。君たちのように、遊んでおる暇はないんじゃよ」
「いえ、勉強のノートを届けてあげるんです」
老人は、守衛室の机をバンと叩いて、立ち上がった。
「何度言ったら、わかるんじゃ! ダメなものはダメじゃ!」
割と早く血が頭に上るタイプらしい。真っ赤になって怒る様子は、タコ入道に見えた。といっても、瞬は、噂に聞いているだけで、タコ入道ご自身に会った覚えは、ないのだが。
瞬は、受付の庇の下で、びしょ濡れのザックの中から、慎重にクリアファイルを取り出した。
「しまった。ちょっと、滲みてる」
だが、とりあえずは仕方なさそうだ。
「守衛さん、分かりました。それでは、これを、天城明日野さんに、渡していただけませんか?」
「その人の所属は?」
所属までは知らなかった。ただ、「研究所」としか、聞いていなかった。
タコ入道はあざけるように、あごを突き出していた。
「小僧、研究所に勤めておられる先生方は、五千人近いぞ。どうやって、届けろというんだね?」
「名簿を見せていただけませんか。五十音順なら、すぐに――」
「君は何かね、わしが、研究所の機密情報を軽々しく漏らすとでも、思っていたのかね?」
「では、守衛さんが調べてくださいませんか?」
「なぜわしが、アポもない君のために、そのような真似をせねばならん?」
職務熱心なのか、意地悪なのか、その両方なのか。
「今、天城さんは病室にいるはずなんです。附属病棟の――」
タコ入道は、激しく手を振った。
「ますますダメじゃ。小僧、半世紀以上も前にできた言葉じゃが、君は、『個人情報』というモノを知らんのかね? 研究所の先生方が、今、どちらにいらっしゃるか、わしが軽々しく漏らすとでも思っとるのか?」
勝ち誇ったように胸を張るタコ入道に対し、瞬も意地になってきた。
「では、郵便はどうなんですか? 郵送すれば、届くんですか?」
「わしゃあ知らん。警備とは、別の課が、受け持っておるからの」
「では、宅急便なら、どうなるんですか?」
押し問答をしている瞬とタコ入道を、横から、明るいライトが照らした。
「そこをどけ! 小僧!」
タコ入道は、あわてて帽子を被り、守衛室を飛び出してきた。
瞬を押しのけると、豪雨の中、傘もささずに、飛び出して行った。チェーンを外し、銀色のポールを地面の下に引っこめた。
タコ入道は、黒い公用車に向って、深く敬礼した。
研究所のVIPでも、到着したらしい。
公用車の後部座席の窓が開くと、意外に若い、さわやかな声がした。
「ご苦労さま。警戒レベルが、また上がったらしいですが、異常はありませんか?」
「はい、所長! 何も異常、ありません!」
タコ入道は、直立不動になり、大声で答えた。ひどく緊張しているらしい。
閉じようとする窓から、「所長」と呼ばれた男の温和そうな表情が見えた。金縁の丸眼鏡をかけている。
瞬は雨の中、タコ入道の隣に、走り出た。
「待ってください! 所長さん!」
「こら! 小僧、やめんか!」
タコ入道は、腰の警棒を抜いて、振りかざした。
「待ちなさい」
閉じようとする窓が、再び少し、開いた。
「私に、何か、御用かな?」
優しい口調に、瞬は俄然、勇気を得た。タコ入道を逆に押しのけると、窓の隙間から、中に向かって、何度も頭を下げた。
「所長さん、すみません。もしかして、天城明日乃さんをご存知ではありませんか? 届けたいものがあるんです」
「……君は?」
「失礼しました。国立第二兵学校、二年次L組、朝香瞬一郎と申します。天城さんの同級生です」
金縁丸眼鏡の所長の顔に、穏やかな微笑が広がった。
「君が、朝香君か。彼女からは、君の話をよく聞いているよ」
胸が高鳴った。明日乃が、所長と、瞬の話をしてくれているとは、思わなかった。
「本当ですか? 天城さん、ずっとお休みしていたんで、僕のノートをコピーしてあげるって、約束したんです。でも、今日、お休みで。それで、持ってきたんです」
瞬は、窓の隙間に向って、ずぶ濡れになりかけたクリアファイルを差し出した。
「すみません、守衛さんとやり合っているうちに、ずいぶん濡れちゃったんですけど」
「分かった。彼女には、私から、渡しておこう」
「ありがとうございます!」
瞬は所長に向かって、何度も頭を下げた。
閉じようとする窓に向って、瞬は身を乗り出した。
「あの、天城さんは大丈夫でしょうか? 熱が高いって……」
「ああ、大丈夫さ。二週間もしないうちに、登校できるだろう」
「え? 二週間も――」
「こら、小僧! いい加減にせい!」
タコ入道が割って入ると、公用車の窓は音もなく、閉じられた。
去っていく公用車を見ながら、瞬は、映画のセットのように、容赦なく降り続ける雨の中を、立ち尽くした。
明日乃の未適応症は、重症なのではないか。もう会えなくなる事態も、覚悟しておいたほうが、いいのだろうか。
明日乃に向かって、「守りたい」などと偉そうに言ってはみたものの、今の瞬には、何をどうすることも、できなかった。
タコ入道が、守衛室の庇の下に入った。
「良かったの、小僧」
「何も、良くはありません」
「珍しい話もあるもんじゃな。あのお忙しい所長さんが、面識もない外部者と、話をされるとはの……」
「失礼します」
瞬は、ザックを背負うと、タコ入道を残して、豪雨の中をまた、走り始めた。
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■用語説明No.18:未適応症
サイ発動による時空間操作を行った者のみが罹患する特有の疾患。
クロノスの半数近くが発症するとも言われる。身体の震え、硬直を特徴とする原因不明の熱病で、脳内に輝石の結晶が生じることにより、発症する。過剰発動により発症し、徐々に悪化していくが、現時点で治療法はなく、十年以内の致死率は一〇〇パーセントとされている。
未適応症は、過剰発動の累積による心身への弊害であるが、発動限界を極限まで超えたサイが一時に発動されたような場合(急性型)は、精神崩壊を来す。時流解釈士には、不可逆的な発狂に至る症例が多くみられる。
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※最後までお読みくださり、ありがとうございました。
※次回、第十九回「左遷」
謎の兵学校長が登場します。




