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虹色のカイロス ◆メサイアたちの邂逅  作者: 白川通
第3章 ファム・ファタールたち
22/66

第18話 届け物(下)

***

 ――同じ日の夕刻。


 天城明日乃は、国立時空間研究所附属病院の一室から見る景色が、嫌いではなかった。今日も、半身を起こして、寝台のヘッドボードに背をもたせかけながら、窓の外を眺めていた。


 午後からは、春の雨が降りしきっていた。

 元々、昨日は、久しぶりに登校する予定だった。

 だが、朝からまた、高熱が出た。

 薬を飲んで、午後から遅れて登校したが、やはり無理が、たたったらしい。途中で、立っていられなくなった。


 なぜ、こんな馬鹿な真似をしたのだろう……。

 

 明日乃は、雲が好きだった。

 雲は、毎日、形が変わる。二度と、同じ雲は現れない。雨雲も同じだ。与えられた宿命に、文句ひとつ言わず、現れては、消えていく。天を覆いつくした雨雲でさえ、同じ運命をたどる。


 雲は、自分に似ているかも知れないと、明日乃は思う。

 先に明日乃の寿命が尽きれば、朝香瞬を手にかけないで、済むだろう。

 嫌になってしまった宿命を免れられるはずだ。空を流れる雲のように、誰にも惜しまれず、世から静かに、消えてしまいさえすれば……。


 今は、研究員の指導で、両眼のサイレンサーを外しているから、うっかり瞬のことを考えてしまうのかも、知れない。

 未適応症になると、サイの発動量に、敏感にならざるを得ない。

 過剰発動は、未適応症の進行を早めるから、発動を抑制するためにサイレンサーを装着するわけだ。


 研究所では、サイレンサーの着脱と体調の関係を調べているらしい。

 小学生にもやれそうな人体実験だ。誰も真面目に、未適応症の研究など、してはいないのだろう。今やクロノスは、≪終末≫までの期間限定の使い捨てだった。

 

 明日乃は、夕暮れの空、街の向こうにきらめく稲光を見た。

 天空を覆いつくす雲は、明日乃の心象風景のデフォルトだった。

 明日乃の心の雲は時に、暗鬱な雨雲となり、稲光をもたらす。一度も、青空がのぞかない点だけは、本物の空と違っていた。


 朝香瞬と逢って、明日乃の心の雲に、わずかな変化が生じた。

 降りしきっていた雨が止み、ぶ厚い雲に、かすかな光が差し始めた気さえ、した。

 だがそれでも、明日乃の宿命が、変わるわけでは、ない。


 雨脚は強くなり、病室の窓に雨滴を打ちつけ始めた。

 なぜ昨日、明日乃は無理をして、登校したのだろうか。

 サイレンサーなしの今なら、正直になれる。


 投稿したのは、瞬に、会うためだったのではないか。

 別に、瞬と会って、する話があるわけでも、ない。

 でも、会いたかったのだと、思う。

 瞬の後ろの座席に座っていたかったのだと、思う。


 窓の外には、この世の終わりでも来るように、真っ黒な雲が湧き出していた。

 朝香瞬は今、どこで、何をしているのだろう。

 仲間たちとともに、部活動で汗を流しているのだろうか。長介といっしょに、夕食でも作っているのだろうか。


 明日乃はサイドテーブルに置いてあるサイレンサーのコンタクト・レンズに手を伸ばした。

 だが、途中で止め、窓の外、荒れる空をひとり、見上げた。



***

 朝香瞬は、ノートのコピーを入れたクリアファイルを、幾重にもビニール袋に入れた。ザックに雨除けのザックカバーをとりつける。これで、濡れないだろう。

 キッチンから、鹿島長介の声がした。


「あ、朝香君。今日は、やめておいたら? 外は、ものすごい雨だよ」


 たしかに、外はスコールのように、猛烈な雨だ。


「雨の中を走るのも、気持ちいいもんだよ。シャワーを浴びながら、走っているみたいでさ」

「か、風邪ひいても、いけないし」


「今日、届けてあげたいんだ」

「ね、熱があるなら、天城さん、勉強できないかも知れないよ。別に、明日の朝でも――」


 瞬は、ザックを背負って、立ち上がった。


「じゃ、行ってくるよ。いろいろ、ありがとう」


 運動靴を履いて、扉を開けた。楽しむ覚悟でないと、つらい天候だ。

 瞬は、寮の玄関を出て、雨の街へと走り出た。


 約二〇分後、瞬は、国立時空間研究所の正門にいた。

 守衛室の受付には、濃紺の制服を着た禿げ頭の老人 が座っていた。守衛は五人ほど知っているが、初めて見る人だった。


「すみません。国立第二兵学校の朝香瞬一郎と申します。研究所の天城明日乃さんに……面会したいのですが……」


 いつも門前払いを食らってきたが、新しい人なら、意外に、合わせてくれるかも知れない。瞬は欲を出した。


 老人は、濡れねずみの瞬の、頭のてっぺんから、足もとまで、ジロジロ見てから、不愛想にたずね返した。


「何かね、君は? そんな恰好で人と会おうなんて、いったい、どんな了見をしとるんだね」


「すみません。どうしても今日、兵学校の関係で、天城さんに、届けたい書類があって、直接会って説明したほうが――」

「アポイントなしでは一切、取次はできん。帰りなさい」


 老人はいかにも頑固そうな太い唇を、固く閉じた。

 研究所は、終末教徒によるテロの標的ともされていた。警戒が厳重なのも、当然ではある。

 

「五分だけで、いいんです。面会させていただけませんか」


 会って話すべき大事が、あるわけでもない。だが、会うこと自体に意味があると思った。


 明日乃は、おそらく未適応症だ。先日の口ぶりでは、自分でも気づいている様子だった。

 せめて顔を見て、声を掛けてあげたかった。


 明日乃は、瞬と同じオブリビアスだ。研究所ぐらしなら、友達もいないはずだ。きっと、孤独であるに違いない。

 明日乃が未適応症だと知って、かえって、瞬の明日乃への想いは、強くなったようだった。


 老人は、必要以上に、首を横に振り続けた。


「小僧、いいか? 研究所の先生方はな。この世を救うために、寝る間も惜しんで仕事をされておるんじゃ。用もないのに、来るんじゃないぞ」

「ですから、用はあるんです!」

「小僧、研究所の先生方はな。君たちのように、遊んでおる暇はないんじゃよ」

「いえ、勉強のノートを届けてあげるんです」


 老人は、守衛室の机をバンと叩いて、立ち上がった。


「何度言ったら、わかるんじゃ! ダメなものはダメじゃ!」


 割と早く血が頭に上るタイプらしい。真っ赤になって怒る様子は、タコ入道に見えた。といっても、瞬は、噂に聞いているだけで、タコ入道ご自身に会った覚えは、ないのだが。


 瞬は、受付の(ひさし)の下で、びしょ濡れのザックの中から、慎重にクリアファイルを取り出した。


「しまった。ちょっと、()みてる」


 だが、とりあえずは仕方なさそうだ。


「守衛さん、分かりました。それでは、これを、天城明日野さんに、渡していただけませんか?」

「その人の所属は?」


 所属までは知らなかった。ただ、「研究所」としか、聞いていなかった。

 タコ入道はあざけるように、あごを突き出していた。


「小僧、研究所に勤めておられる先生方は、五千人近いぞ。どうやって、届けろというんだね?」


「名簿を見せていただけませんか。五十音順なら、すぐに――」

「君は何かね、わしが、研究所の機密情報を軽々しく漏らすとでも、思っていたのかね?」

「では、守衛さんが調べてくださいませんか?」

「なぜわしが、アポもない君のために、そのような真似をせねばならん?」


 職務熱心なのか、意地悪なのか、その両方なのか。


「今、天城さんは病室にいるはずなんです。附属病棟の――」


 タコ入道は、激しく手を振った。


「ますますダメじゃ。小僧、半世紀以上も前にできた言葉じゃが、君は、『個人情報』というモノを知らんのかね? 研究所の先生方が、今、どちらにいらっしゃるか、わしが軽々しく漏らすとでも思っとるのか?」


 勝ち誇ったように胸を張るタコ入道に対し、瞬も意地になってきた。


「では、郵便はどうなんですか? 郵送すれば、届くんですか?」

「わしゃあ知らん。警備とは、別の課が、受け持っておるからの」

「では、宅急便なら、どうなるんですか?」


 押し問答をしている瞬とタコ入道を、横から、明るいライトが照らした。


「そこをどけ! 小僧!」


 タコ入道は、あわてて帽子を被り、守衛室を飛び出してきた。

 瞬を押しのけると、豪雨の中、傘もささずに、飛び出して行った。チェーンを外し、銀色のポールを地面の下に引っこめた。

 タコ入道は、黒い公用車に向って、深く敬礼した。

 研究所のVIPでも、到着したらしい。


 公用車の後部座席の窓が開くと、意外に若い、さわやかな声がした。


「ご苦労さま。警戒レベルが、また上がったらしいですが、異常はありませんか?」

「はい、所長! 何も異常、ありません!」


 タコ入道は、直立不動になり、大声で答えた。ひどく緊張しているらしい。

 

 閉じようとする窓から、「所長」と呼ばれた男の温和そうな表情が見えた。金縁の丸眼鏡をかけている。

 瞬は雨の中、タコ入道の隣に、走り出た。


「待ってください! 所長さん!」

「こら! 小僧、やめんか!」


 タコ入道は、腰の警棒を抜いて、振りかざした。

「待ちなさい」


 閉じようとする窓が、再び少し、開いた。


「私に、何か、御用かな?」

 

 優しい口調に、瞬は俄然(がぜん)、勇気を得た。タコ入道を逆に押しのけると、窓の隙間から、中に向かって、何度も頭を下げた。


「所長さん、すみません。もしかして、天城明日乃さんをご存知ではありませんか? 届けたいものがあるんです」


「……君は?」

「失礼しました。国立第二兵学校、二年次L組、朝香瞬一郎と申します。天城さんの同級生です」


 金縁丸眼鏡の所長の顔に、穏やかな微笑が広がった。


「君が、朝香君か。彼女からは、君の話をよく聞いているよ」


 胸が高鳴った。明日乃が、所長と、瞬の話をしてくれているとは、思わなかった。


「本当ですか? 天城さん、ずっとお休みしていたんで、僕のノートをコピーしてあげるって、約束したんです。でも、今日、お休みで。それで、持ってきたんです」


 瞬は、窓の隙間に向って、ずぶ濡れになりかけたクリアファイルを差し出した。


「すみません、守衛さんとやり合っているうちに、ずいぶん濡れちゃったんですけど」

「分かった。彼女には、私から、渡しておこう」

「ありがとうございます!」


 瞬は所長に向かって、何度も頭を下げた。


 閉じようとする窓に向って、瞬は身を乗り出した。


「あの、天城さんは大丈夫でしょうか? 熱が高いって……」

「ああ、大丈夫さ。二週間もしないうちに、登校できるだろう」

「え? 二週間も――」

「こら、小僧! いい加減にせい!」


 タコ入道が割って入ると、公用車の窓は音もなく、閉じられた。


 去っていく公用車を見ながら、瞬は、映画のセットのように、容赦なく降り続ける雨の中を、立ち尽くした。

 明日乃の未適応症は、重症なのではないか。もう会えなくなる事態も、覚悟しておいたほうが、いいのだろうか。


 明日乃に向かって、「守りたい」などと偉そうに言ってはみたものの、今の瞬には、何をどうすることも、できなかった。

 タコ入道が、守衛室の(ひさし)の下に入った。


「良かったの、小僧」


「何も、良くはありません」

「珍しい話もあるもんじゃな。あのお忙しい所長さんが、面識もない外部者と、話をされるとはの……」

「失礼します」


 瞬は、ザックを背負うと、タコ入道を残して、豪雨の中をまた、走り始めた。


*********************************************************

■用語説明No.18:未適応症

サイ発動による時空間操作を行った者のみが罹患する特有の疾患。

クロノスの半数近くが発症するとも言われる。身体の震え、硬直を特徴とする原因不明の熱病で、脳内に輝石の結晶が生じることにより、発症する。過剰発動により発症し、徐々に悪化していくが、現時点で治療法はなく、十年以内の致死率は一〇〇パーセントとされている。

未適応症は、過剰発動の累積による心身への弊害であるが、発動限界を極限まで超えたサイが一時に発動されたような場合(急性型)は、精神崩壊を来す。時流解釈士には、不可逆的な発狂に至る症例が多くみられる。

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※最後までお読みくださり、ありがとうございました。


※次回、第十九回「左遷」

謎の兵学校長が登場します。


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