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虹色のカイロス ◆メサイアたちの邂逅  作者: 白川通
第3章 ファム・ファタールたち
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第18話 届け物(上)

 翌朝、授業開始のチャイムが鳴っても、後ろの席に、天城明日乃は、来なかった。

 明日乃は欠席なのだろう。


 瞬は、ノートのコピーの束を入れたクリアファイルを、カバンに戻した。結構な分量だったが、昨晩、コピーして、きれいに整理したものだった。


 明日乃は、あのチョコボールのような黒い薬を、飲んだだろうか。

 輝きを失った黒目の色に似たあの薬は、何なのだろう 。


「……来ないね、天城さん」


 隣の宇多川鏡子も、心配そうな表情で、左ななめ後ろの空席を眺めていた。


「昨日、私が保健室に連れて行ってあげたんだけど、ずいぶん身体が熱かったから、何日か、登校できないかも知れないわ」


「心配だな。この前も、そうだったんだ……」

「え? この前って?」

「ボギー先生の寮で、鍋を囲んだ日」


 鏡子が複雑な表情をした。


「……そうなんだ」


 教室の扉が開く音がし、白髪に、長い白ひげの教官が入ってきた。

 「白ひげ博士」と渾名(あだな)される「エンハンサー理論基礎Ⅱ」の担当教官は、鏡子によれば、兵学校で最も厳しい教官の一人だった。


「起立!」


 級長の鏡子の声で、予科生全員が立ち上がり、立礼する。

 兵学校だけあって、礼儀にはうるさい。


 瞬は、窓の外に眼をやった。空には、薄いカーテンのような雲が、かかっている。明日乃も今、研究所の病室かどこかで、同じ雲を見ているのだろうか。


「起きんか! 愚か者!」


 大音声の怒鳴り声に、朝香瞬は、飛びあがって目を覚ました。決してやってはいけない授業で、居眠りをしてしまったようだ。


 白ひげ博士は、≪輝石≫を使いエンハンサーを発明した故・織畑幾久夫博士の高弟で、本来、栄達を欲しいままにできる立場だった。だが、白ひげ博士は、富貴を好まず、今でもつつましい生活を送っているらしい。すでに定年だが、非常勤講師として教えにきていた。


 鏡子がファンになっている教官で、実際、尊敬に値する技術者であり、瞬も、授業を楽しみにしていた。

 だが、睡眠時間をけずっての勉強や鍛錬が続く日々で、若い瞬の身体は睡眠を貪欲に欲していた。


「本当に、申し訳ありません」


 ひたすら頭を下げる瞬の隣で、鏡子が立ち上がった。


「教官もご承知だと思いますが、朝香君はオブリビアスです。遅れを取り戻すために、朝早く起きて、夜遅くまで――」


 鏡子の言葉を、白ひげが皺の入った手で、さえぎった。


「じゃと言うて、バーコードはともかく、わしの授業だけは、寝ることは許さん。廊下に出たら、聞こえんから、その場で、居眠りせんように、立っとれ」

「はい。申し訳ありませんでした」


 サンジの出っ歯が噴き出すように嗤うと、教室に嘲笑が起こった。


 白ひげ博士は、ひとにらみで笑いを制した後、名簿をのぞきこんだ。

 老眼鏡を額に乗せて、顔を上げると、自慢のひげをしごきながら、瞬に話しかけた。


「ほう、君が、朝香君だったのか。この前のレポートはよう考えてあったぞ。一年次の基礎理論を完全にマスターしておらなんだら、書けん内容じゃった。君なら、分かるじゃろうな。わしが授業を聞かん学生を厳しく叱る理由は、何じゃ?」


「エンハンサーは、クロノスにとって、生命線だからです」


 白ひげ博士が大きくうなずいた。


「その通りじゃ。諸君の命に関わるからじゃ。われわれが持つ極めて微弱な能力を最大限に高め、超能力とも言わしめる魔法の道具、それがエンハンサーなのじゃ」


 白ひげ博士は教壇に戻ると、教室中をねめつけるように、見た。


「エンハンサーがなければ、クロノスも、ただの人じゃ。サイなぞ使えん 。戦場に出れば、すぐに殺されるわい。わしは能力者ではない。じゃからこそ、この歳まで生きられた」


 白ひげ博士は、咳払いをしてから、続けた。


「じゃが、君らは違うぞ。寿命と引きかえにサイを使っておるんじゃ。わしには、クロノスになった息子がおったがな。未適応症で、親より先に、逝きおったわい」


 時空を操る者たちに、常につきまとう宿業(しゅくごう)の病があった。確実な死だけが待つ≪未適応症≫である。原因不明で、治癒例のない不治の病だった。クロノスとしての職を全うするまで罹患しない者も相当数いる一方で、若年で発症する者も、いた。


 個人差はあるが、発症後も使用を継続すれば、若くても、眠るように、寿命が尽きるという。


「最初は、寒気がして、高熱が出る。突然、発作のようにな。身体が震えてくるんじゃ。サイを使わなければ、進行は遅くなるが、発症してしまえば、終わりじゃ。未適応症が進めば、発熱の頻度が高くなる。末期になれば、身体が硬直してくる」


 白ひげ博士の説明を聞き、瞬の背筋が凍りついた。

 あの時の、明日乃の症状に、似ていないか。


 白ひげ博士の説明が続いた。

 原因不明で、発症したが最後、治癒例のない不治の病だから、本来は「適応不全」とか、「不適応症」といった表現が適切だったはずだ。だが、恐怖を和らげるために、いずれ適応して克服しうるとの望みを込めた命名らしい。


 終末教徒たちは、≪未適応症≫が、呪われた存在であるクロノスへの天罰だと、とらえていた。


「教官。医学では、未適応症の治療を研究していないのでしょうか?」


 立たされている瞬が質問すると、白ひげ博士は残念そうに、首を横に振った。


「医学的に見ると、身体状態には何一つ、おかしなところがない。じゃから、医学ではどうすることもできんと、(さじ)が投げられておるのう」


 瞬は、心の中で焦った。

 明日乃の症状は、≪未適応症≫に違いない。

 あの若さで、普通のクロノスと対等に渡り合うようなサイを発動していた。発動限界をとうに超えているはずだ。明日乃は自分の病を知っているのだろうか。


「わしはな、諸君。いくらでも、金も地位も得られるはずじゃのに、なぜ受け取らんかったのかと、何度も聞かれる。それはな、西ノ島での輝石の発見が、織畑先生によるエンハンサーの発明が、はたして人類にとっての善であったのか、よう分からんように、なってしもうたからじゃ」


 白ひげ博士は、天国を見やるように、天井を見上げた。


「じゃが、今の時代、エンハンサーなしでは、もう世の中が成り立たん。わしらは、前に進むしかないんじゃ」


 白ひげ博士は、目にうっすらと涙を浮かべていた。先に逝った息子のことを、思い出しているのかも知れない。


「わしにできることはな。世を救おうとする君らが、少しでも長く、安全に生きられるように、エンハンサーの改良を続けるだけじゃ」


 白ひげ博士は、教室の照明を落とした。


「動作光は、不思議じゃな。エンハンサーは、各人が持つ≪霊石≫を媒介にして、色を現してくる。諸君、君たちの守りたいものはなんじゃ? 誰を守りたいんじゃ? あの大災禍で、大切な人を失った諸君も、たくさんおるじゃろうな。守りたい人、守りたかった人を、心の中に思い浮かべるんじゃ。心から、守りたいと、念ずるんじゃ。そうすれば、輝石は必ず、諸君に応えてくれる」


 暗くなった教室内に、次々と動作光が浮かび上がっていく。


「諸君、エンハンサーを付けた腕か、ペンダントを、高くあげてくれんか」


 教室内が、様々な色の光で満たされた。L組は青系が多い。鏡子はラベンダー色に輝くペンダントを首からはずし、高くかかげている。


 瞬のブレスレットは、相変わらず光を発していない。

 もし後ろに明日乃がいて、腕を上げれば、プラチナ光が輝いただろう。初登校の日、瞬の命を奪おうとし、しかしその後、瞬を守ってくれた、あの光が。


「ありがとう、諸君」


 白ひげ博士が感慨深げにうなずくと、学生たちは手を下ろした。


「霊石の属性でクラスが決まっておるからの。じゃから、クラスごとに、色の傾向が違う。わしは開校以来、ここで教えてきた。光の色は、毎年、違うんじゃ。同じだった年は、ない。人は皆、それぞれ違う。皆、一人ひとりが大切なんじゃ。わしは行った経験がないがの。クロノスたちが戦う異時空戦では、空間が虹色に輝くという」


 白ひげ博士は照明をつけると、ゆっくりと教室を歩きながら、エンハンサー技術の重要性と、技術者の誇りについて語り続けた。バーコードの授業とは対照的に、教本には書かれていない話ばかりだった。


 瞬と鏡子の列の間に来た白ひげ博士が、にわかに立ち止まった。


「ん? この一角は、エンハンサーの作動痕が強いな。なぜじゃ?」


 序列二位の鏡子の発動量が高いためだろうか。


「朝香君。君のエンハンサーは変じゃな。貸してみなさい」


 白ひげ博士は、瞬が外したブレスレットをしげしげと眺め、振って音を聞き、さらにズボンのポケットから取り出したルーペをのぞいていたが、やがて大きく首をひねった。


「……不思議じゃな。君のエンハンサーは、クオーツが溶け出しておるようじゃ。いったい、どんな使い方をしておった?」

「朝香は、同期で最下位です!」


 サンジの二重アゴがはやすと、笑い声が起こった。


 白ひげ博士は、瞬にブレスレットを返しながら、何度も首をひねった。


「……おかしいのう。カイロスのレベルで、輝石回路が焼き切れるほどの発動量は、普通、ありえんはずなんじゃが。いったい君は、何ガロア発動したんじゃ?」


 瞬が普段の鍛錬の様子を説明しても、白ひげ博士は首を傾げるばかりだった。

「とにかく君のエンハンサーは故障しておるようじゃ。授業が終わったら、技術研究室に来なさい。直してやろう」


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