第14話 両手いっぱいの疑惑(下)
瞬は、寮の自室に駆け戻ったが、誰もいなかった。
とりあえずボギーの派手な服を、制服に着替えた。直太の部屋や、大浴場、その他、寮で直太たちがいそうな場所を探しまわった。が、いない。
(僕がずっと戻らなかったから、探しに出てくれたんだろうな。
申しわけなかったな……。
学校や警察に、届けたりしているかな……)
ジョギング・コースや井の頭公園の界隈を探しまわったが、見つからなかった。
小一時間ほどたったろうか、とりあえず教員寮に戻ってみることにした。
ボギーの部屋のチャイムを鳴らす。
出てきた少女を見て、瞬は息を呑んだ。
宇多川鏡子だとは、すぐに気づかなかった。ボギーの恋人でも来たのだろうと思った。鏡子がふだんのポニーテールでなく、長い髪を下ろしていたせいだろう。ずいぶん年上に見えた。
鏡子は、上品なVネックの薄紫のワンピースを着ていた。学生服とは違う、淑女のイメージだった。
「朝香君! 無事で、良かったわ。みんな、探していたのよ」
「ごめん、ありがとう」
予想した通り、直太と長介は、鍋を囲もうと待っていたが、瞬がなかなか戻らないために、探しに出たらしい。連絡を受けた鏡子まで、一緒になって、探してくれていた。
鏡子の提案で、担任のボギーに相談してみようとの話になったらしい。それで、瞬の無事は、確認されたわけだが、瞬とはちょうど入れ違いになった。
ボギーが、テレポートで鍋一式を持ってきてくれたらしく、リビングに座を移して、皆で鍋を囲んでいた。
「あ、朝香君。君の分はきちんと、取ってあるから……」
長介に礼を言いながら、隣に座った。ソファにだらしなく寝転がって酒をあおるボギーの周りに、予科生が車座になっている。
時計順に、明日乃、鏡子、直太、瞬、長介が座っていた。
「みんな、本当に、ごめんね。色々、ありがとう。良かったら、ここにある物、何でも食べて。と言っても、先生の奢りだけど……」
直太が怒った顔を作り、瞬の首に、ヘッドロックをしかけてきた。
「おい、瞬。お前、ワシらを散々、心配させてといて、まさかアスノちゃんと二人っきりで、いちゃついとったんと、ちゃうやろな? 結局、どこほっつき歩いて、何をしとったんや、お前は?」
複雑な事情は色々あったが、直太の問いは、核心を突いてもいた。
だが、明日乃が襲われた経緯は、軽々に説明すべきでないだろう。話題を変えたいが、さて……。
「心配するなよ、直太。この二人、まだ、キスくらいしか、やってねえからさ」
ボギーの言葉に、明日乃以外の全員が、のけぞった。同級生の射るような視線が、いっせいに瞬に注がれた。
明日乃は、ゆっくりとジンジャーエールを堪能している。
追い詰められた瞬は、せめて矛先をボギーに向けようとした。
「…………先生、ずるいですよ。あの時から、見ていたんなら、もっと早く――」
今度は、ボギーが身を起こしながら、のけぞった。
「おいおい、冗談のつもりだったのに、お前ら、もう済ませたのか。顔に似合わず、えらく手が早いな、瞬も」
語るに、落ちた。悔やんでも、悔やみきれない。
明日乃は、涼しい顔でジャガイモ・サラダを自分の皿に取っている。その隣で、鏡子が目を丸くしていた。
「……そ、それ、ホンマなんか? 瞬?」
瞬は顔から火が出そうだったが、しどろもどろに応えた。
「……だけど、あの時は、その……天城さんの具合が、ずいぶん悪そうだったし……」
「おいおい、瞬」
また寝転がったボギーが、悪戯っぽい口調で、絡んで来た。この男は酔っ払ったふりをして、話をきちんと聞いている。
「明日乃がぐったりしている時を狙って、無理やりくちびるを奪うなんて真似――」
「ち、違いますよ。あの時はその……他にどうしようもなくて、仕方がなかったって、いうか……」
「おいおい、国民的美少女とキスをさせてもらって、仕方ないって、言い草はないだろうが。失礼千万な話じゃないか。じゃあ、お前はなにか? 明日乃と、嫌々ながらキスしたって、言い張るつもりなのか?」
瞬はあわてて、反駁した。もう、しどろもどろだった。
「もちろん、違いますよ。それは、嫌な気持ちなんて、全然ありませんでしたよ。だけど、そういう問題じゃなくて……」
ボギーは、瞬を揶揄い終えると、明日乃を見た。
「で、明日乃のほうはどうなんだ? 瞬とのキスは、嫌だったのか?」
「……別に」
瞬がちらりと明日乃を見ると、ジンジャーエールの残りをグラスに空けていた。よほど気に入ったらしい。
「ほらみろ。どっちも嫌じゃなきゃ、晴れて合意成立じゃないか。お互い、キスしたいからしたって、話さ」
全くいい加減な教官だ。二度も命を救われていなければ、瞬は、心底、軽蔑しているところだ。
物言えば、唇寒し何とやら、ボギーの前で、うかつに口を開くと、墓穴を掘るのだと、学んだ。
瞬はうつむいて、嵐が過ぎ去るのを待った。
「それにしても、明日乃ちゃんの服、スゴイよな……。ワシ、見惚れてもうた……」
瞬は、直太の視線が、明日乃の白い肌に突き刺さるのが、辛かった。
「そうだ、明日乃。その服、やるよ。妹のやつ、いっぱい持ってっからさ。それに、そのプラチナ色のカラーコンタクトも、よく似合ってるぜ。その調子で、これからも、遠慮なく、世の男たちを悩殺してくれ」
なるほど。ボギーは、明日乃の瞳の色も、ごまかすつもりらしい。
ボギーはソファで大声を上げながら伸びをすると、身を起こした。
「さ、お前ら。もう遅いし、寝に帰れよ。鏡子は、テレポートできるだろ? 野郎どもは鍋を持って、歩いて帰れ。明日乃は俺がテレで送ってやるよ。まだ、万全じゃなさそうだからな」
「ボギー先生、ここのお片づけを――」
鏡子の問いを、ボギーはあくびしながら、さえぎった。
「いつもの話さ。妹がやってくれるよ。あいつ、ほとんど病気のブラコンだからな」
†
その夜、朝香瞬は、二段ベッドの上段に、寝転がっていた。
やわらかい月明かりが差し込んでいる。
手の届く、白い天井に右手を伸ばした。なでるように触ってみる。
さっきまで一応、勉強机に向かってはいた。だが、気がつけば、明日乃のことを考えていた。振り払っても、どうしても明日乃の裸身などを思い浮かべてしまい、全く身が入らなかった。
結局、諦めて、寝ることにした。
改めて、明日乃のしっとりとした唇の感触、柔らかい身体、均整の取れたしなやかな白い肢体と、梔子のような匂いを思い出していく。
さっきから幾度も、反芻している。
(やっぱり好きだな……明日乃さん……。
全然、僕には関心がないようにも、見えるけど、黒服たちから、防壁で僕を守ってくれたじゃないか……。
僕の命を奪うつもりなら、守る必要なんて、ないはずだ。
だから、明日乃さんは、僕を、嫌いじゃないはずだ。
ただ、僕への関心がまだ、小さいだけだ……。
これからも毎日話しかけてみよう。
実技クラスもいっしょなんだ。
いつかきっと、僕の想いは通じるはずだ……
それにしても、何て、きれいな瞳なんだろう……
天使のような瞳だ……)
明日乃のプラチナ色の瞳を思い浮かべた。今となっては、明日乃の瞳の色は、プラチナ以外には考えられなかった。
身体中が痛んだ。痛みは、すべては夢でなく、実際にあったことの証だ。
右手首の包帯を月明かりに見た。ほどけかけているが、明日乃が巻いてくれたものだった。
白いワンピースの明日乃の姿も、実にすてきだった。
今日あった出来事を、甘い気持ちで、繰り返し思いを巡らすうち、瞬は愕然とした。
ブレスレットかペンダント・タイプのエンハンサーは、≪輝石≫と波長を同調させるために、入浴時を含め、カイロスは常時、身に着けているはずだった。同調させておくから、APがすぐに使えるわけだ。
だが、サイを発動した時、明日乃はブレスレットも、ペンダントも付けていなかった。
少女がエンハンサーらしきものを身に着けていなかったことは、その後、浴室で確認している。浴室から出た後も、明日乃は、エンハンサーを身に着けなかった。
明日乃は、エンハンサーなしで、クロノスたちに対抗できるレベルの強力なサイを発動していたことになる 。
つまり、極めて高い時空間操作能力を、生まれながらに持っていることになりますまいか。
明日乃じたいが軍事機密か何かなのだろうか。瞬は、明日乃が何者であるか、知らない。だが、この恋はもう、引き戻せないと、気づいていた。
瞬は、明日乃に恋をしようと、決めた。
*********************************************************
■用語説明No.14:クロノス(その1)
日本の国家資格である、時間操作士、空間操作士、時流解釈士の総称。
ギリシャ神話に登場する時空神に因んで名づけられた。「エンハンサー」と呼ばれる、携行可能な時空間処理能力(TSCA)促進装置を使用して、法律に基づき、時空間の改変を行うことが許されている。
現在では、同一人が強すぎる力を持つ事態を防ぐため、三つの職能はいずれか一つを選ぶことが義務付けられ、現在では養成機関も完全に独立している。
カイロスとして本科において一定の成績を残した者にのみ、クロノスの受験資格が与えられる。
*********************************************************
※最後までお読みくださり、ありがとうございました。
※次回、第一五話「ヴィーナスの使命」
明日乃の視点で、揺れ始めた心を描きます。




