第13話 天国の感覚(下)
瞬は逃げるように、浴室を出た。
バスタオルで身体をふく。
(本当は、もっと一緒に入っていたかったけど、さすがに、うまくないよな……。
明日乃さんは、恥ずかしいと思わないのかな……。非常識っていうか、ずいぶん変わってるよな……)
瞬は、心の中で、恋する女性を、下の名前で呼ぶ習慣があるらしかった。忘却の日以前からそうだったに、違いない。
(でも、身体や傷口を洗ってくれるなんて、優しいところもあるんだ……。
さっきは、黒服から、僕を守ってくれた……
それでもまだ、僕を殺すなんて、変なこと、言うのかな……。
それにしても、ギリシャの彫刻か何かにありそうな、真っ白で、きれいな身体だったな……)
瞬の胸の鼓動は高鳴ったままだ。甘い体験を愉しく反芻するうち、浴室のシャワー音は、すでに止んでいた。
身体をふき終えてから、瞬は、着替えがない事実に気づいた。明日乃も持っていないはずだ。
男などはさしあたり、腰にバスタオルでも巻いておけばいいが、明日乃はうら若い乙女だ。どうしたものか。ボギーが女物の服を持っているはずがない。
鏡子に頼んでみたら、どうだろうか。
いや、そのためには、相当際どい事情を説明する必要が生じるだろう。下手をすれば、軽蔑されかねない。
直太はまずそうだ。長介に頼めば、どうか。
いや、長介はどうやって、女性用の下着から何からを、用意するんだ。寮にいる女子の予科生に頼めば、ひと悶着起こるに違いなかった。それに、すでに直太と一緒にいるだろうから、二人を分離するのは、無理だ。
とりあえず無難な男物を着ておき、ボギーに研究所へテレポートさせてもらうのが現実的だろうか。
思案するうち、浴室のドアが開いた。
瞬は飛び上がった。瞬も裸のままだ。想定外に、早かった。
「……朝香君。バスタオル、取ってくれない?」
視線はそらしたままで、急いで白いバスタオルを手渡した。
瞬はあわてて、腰にバスタオルを巻いた。もう充分すぎるほど、互いの裸身を見てはいる。
だが、将来はともかく、二人はまだ、要所を隠し合うべき関係だった。明日乃はきっと今も、隠そうとはしていないのだろうが。
「……ねえ、天城さん。よく考えるとさ、着替えがないんだよね。濡れて汚れたのを、もう一回着るのって、厳しいよね?」
髪をふき終えた明日乃は、バスタオルで身体を拭いている様子だった。洗面室の鏡は曇っていて、良く見えなかった。残念ながら。
「……そうね」
「とりあえず、ボギー先生に、男物を借りる?」
「……そうするわ」
「じゃ、僕、先生のタンスか何か、物色してくるね」
瞬は洗面室を出て、勝手に衣装戸棚を開けて行った。男物はすぐに見つかった。あまり数がなく、選択の余地はそれほど、なかった。
サイズが大きいが、とりあえずブリーフを履かせてもらうと、多少、気持ちが落ち着いた。
できるだけ派手でない服を選ぼうとしたが、一番地味といえる服が、「黄色のアロハシャツと、真っ赤な半ズボン」の取り合わせだった。借りるのだから、贅沢も言っていられないが。
どうせ傷の手当てが必要だし、血も付くから、まだ、着ない。
問題は、明日乃だった。大人の男物しか見つからないが、露出が少なく、落ち着いた服装はないだろうか。
空き巣泥棒か何かのように手あたり次第に引き出しをあさっていると、洗面室のドアが開く音がした。
「天城さん、女性物はないだろうけど――」
話しかけようとして、後ろを振り返った瞬は、また息を呑んだ。
明日乃が身を隠しもせず、一糸まとわぬ姿で現れたからだ。
「あ、天城さん。せめてバスタオルで……」
「……朝香君だって、ほとんど裸じゃないの」
明日乃は、瞬を気にせず、そのままの姿で、瞬の見た隣の引き出しを開け始めた。
「どうかな。あまり大きすぎないで、無難なやつを……」
明日乃は一番下の引き出しから、一枚の真っ白なドレスらしき服を取り出した。
「……これなんて、どうかしら……」
「に、似合うと思うよ」
ボギーの部屋に、なぜ女性用のドレスがあるのか、瞬は知らない。
だが、とにかく瞬は、明日乃に一刻も早く、服を着て欲しかった。
ボギーは出たきりで遅いが、そろそろ帰宅する頃だろう。彼は突然、姿を現すはずだ。
瞬は、明日乃の裸身を、他の誰かに見られたくないと思った。瞬は、明日乃に背を向け、自分もとりあえず、真っ赤な半ズボンをはき、黄色いアロハシャツの袖に手を通した。
衣ずれの音がやみ、引き出しを戻す音がした。
恐る恐る振り向いた瞬は、しばしあっ気に取られて、明日乃を見た。
明日乃の選んだドレスは、ベアトップというのだろうか、胸だけを隠し、肩も、二の腕も、背も、すっかり露出したドレスだった。しかも、丈が短いから、素足がかなり上まで、そのまま露出している。おまけに、明日乃は今、下着を身に着けていないはずだった。
すっかり大人の女の人に変身した姿に、瞬はごくりと唾を飲みこんだ。
「……靴下、なかったかしら?」
明日乃は別の引き出しを開けて、女性物の下着をつまみ出した。
ボギーの恋人の所有物だろうか。およそ予科生が身に着けるようなタイプの下着類ではない。
「……これ、どうやって、着るのかしら?」
確か、ガーターという名前の下着だったと思う。
「し、知らないよ」
次に、明日乃は、白いレースの網タイツをつまみ出した。あまり考える様子もなく、履き始めた。
瞬は、見ていられず、また、目を背けた。
引き出しを閉じる音がした。
見ると、明日乃は、白いロンググローブまで、手にはめていた。
結果として、これから舞踏会にでも出席するような、優雅ないでたちになった。瞬は、あぜんとして、明日乃の姿を見つめていた。
「……朝香君……どうしたの?」
明日乃がけげんそうな表情で、小首を傾げて、問うた。
「……いや、とても、君に似合っているなって、思って……」
過去を奪われた瞬は、まだ数か月ほどしか、ろくに生きていない。だがそれでも、瞬がこれからの生涯で見る、すべての事物の中で、最も美しい姿ではないかと思った。
(僕は、明日乃さんのためなら、死んでもいい……。
ハードルはむちゃくちゃ高そうだけど、明日乃さんと、恋人になりたいな……。
僕は、この女に逢えただけでも、生きていて良かったって、はっきりと言える……
片思いだとは、分かっているけど……)
「……朝香君、座っていて。手当、するから」
明日乃は、片っ端から棚を開けて、救急箱を探し出してきた。
戻ってくると、瞬の前に膝を突き、真剣な表情で、傷を一つずつ、手当てをしてくれた。
目のやり場に困るグラマーな出で立ちだが、浴室内の状況よりは、まだしも、マシだった。
「あいたたた……」
瞬が顔を顰めると、明日乃がちらりと見た。
「……意外に、痛がりなのね……」
明日乃は、器用なほうでもないようだが、一生懸命にやってくれる姿に、強い好感を持った。
「天城さんって、看護師さんに向いているかもね……」
明日乃はちらりと、瞬を見ただけで、何も言わなかった。
「ごめん、余計なこと、言って」
明日乃は、瞬のアロハシャツをまくり上げて、腹の傷の処置に取りかかった。柔らかい胸が、膝小僧に押しつけられた。
瞬の位置からは、胸元がきわどい部分まで、見えた。明日乃には少し大きめのドレスだったらしく、ゆったりとしすぎていた。
「……朝香君。股のあたりにも、怪我をしていたでしょ?」
瞬はあわてて身を引いた。
「そ、そこは、自分でやるよ、さすがに……」
「……そう」
簡単に引きさがった明日乃の態度が、残念な気がしたが、瞬は明日乃に背を向け、患部にガーゼをあてて、テープでとめた。
瞬が、身体を戻した。
明日乃は、窓に向かって、立っていた。
夜空に浮かぶ雲を見ているのだろうか。いや、もしかしたら明日乃は、窓の外でなく、窓ガラスに映る、自分の姿を見ているのかも知れなかった。。
明日乃はまだ、自分の美しさに、気づいていないに違いない。
瞬は改めて、明日乃を守りたいと、思った。
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■用語説明No.13:第四軍
日本国の時空間防衛軍。陸、海、空の三軍に続くため、≪第四軍≫と呼ばれる。時空間操作能力(TSCA)を持つクロノスたちが所属するため、軍事的には、史上最強の軍隊とされている。
クロノスの大部分を擁する第四軍の当面の敵は、同じくクロノスを持つ反政府組織「昴」である。
第四軍の司令官は、天川時雄であり、≪終末≫の回避を名目とする戦略≪アルマゲドン計画≫を提唱し、次第に強力な権限を持ち始めている。
時雄による独裁体制の確立後は、≪救世軍≫とも呼ばれた。
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※最後までお読みくださり、ありがとうございました。
次回、第十四話「両手いっぱいの疑惑」




