3 レース・ウィズ・デビルス
『60・70年代ハードロック部』
この、やたらとピンポイントなジャンルを標榜する部活。それこそが彼女達、つまり雀の所属するクラブだった。
一年生ばかり五人が在籍するこの集まり。実態はガールズバンドで、持ち回りで裏方へ廻ったりベースとギターが入れ替わったりと、パートは必ずしも固定されていなかったが、ドラム、ベース、リードギターにギターボーカルという、まぁありきたりな編成。蛮名を轟かせるそのバンド名こそ〈レース・ウィズ・デビルス〉。ハッキリ言ってベタである。
体育館を見渡すと、高揚した表情で胸をときめかせる少女達の立ち姿。足の踏み場もないくらいにひしめき合う彼女達の熱気と、この場を埋め尽くすザワザワという声が折り重なり、水銀灯の消えた高い天井に吸い込まれていく。
突如、オドロオドロしいギターリフが響き渡る。メタゾネでこてこてにディストーションをかけたギターサウンド。
少し遅れ、スポットライトが浮かび上がらせるのは、リフを刻み続ける『ちーちーぱっぱスズメ』の小学生ルック。ついに始まった――体育館に集まった少女達の感情が爆発する。ひしめき合うオーディエンスの歓声と共に、緊張を帯びた空気がビリビリと蠢き始める。
ステージの中央に立ち、一心不乱に邪悪なフレーズを繰り返す雀。6弦6フレットをルート音に、彼女の指は5弦と4弦を行ったり来たりしている。それはマイナーペンタトニックスケールで構成されたギターリフ。
腹の底に響き、全身を震わせるサウンド。しかし彼女は半音下げ、全音下げといった重低音を出すための現代的なギターチューニングは使っていなかった。あくまで昔ながらのレギュラーチューニングで通すというのが雀のポリシー。ましてや、さらに低い音を出すための弦を持つ7弦ギターなぞ興味の対象外、彼女に言わせれば邪道なのだ。
にもかかわらず、この場にいる者達が感じているのはリズミカルでありながら、鉛の如く重苦しい旋律。彼女の指と、愛機たる使い魔が絡み合いそして紡ぎ出す音は、地獄の底から湧き出ているかのような禍々しさを持っていた。
ハードロックに詳しい人間なら、その理由に気付いただろう。雀の指が紡ぎ出すのはマイナーペンタトニックを基本としつつも、ディミニッシュを交えたダークな音階。そして彼女だけが持つビブラートのリズム、半音のその半分にも満たないチョーキングで揺らす独特のピッチ。
しかもフレーズの合間に挟むのは、親指の腹で弦を掠るピッキングハーモニクス。この小技は猛烈なハーモニクス音を誘い、ファズフェイスとフルテンにされたボリュームの組み合わせで奏でられるブーミーな6弦と混じり合い、おどろおどろしさを更に際立たせていた。
まさに悪魔的な演奏。しかし、悪魔的なのは演奏だけでは無かった――彼女の異変はやがて訪れる。
良く見ると、演奏を続ける彼女の額にはうっすらと汗がしたたっていた。脂汗であろうか?――実は雀ちゃん、口いっぱいに『何か』を含んでいた。それが限界に達してしまった模様である。
やがて体育館を占拠している少女達は、あり得ないものを目にする。
吐血。
そう、真っ赤な液体。唐突にそれを吐き出す雀。勿論、本当ではなく赤い絵の具を溶かしこんだ只の水であるが。そして、その血反吐……もとい、血を模した液体が白肌を伝わり、まっ白のブラウスを赤く染めていく。もう、悪趣味の極みである。
しかし妙なテンションで盛り上がった会場は、良く考えてみると何処かで見たかもしれないこのパフォーマンスを切っ掛けに、さらなる盛り上がりを見せる。まるで生き物のように鳴動する会場。
次の瞬間、ステージの照明が煌々と灯り、ステージ上の〈レース・ヴィズ・デビルス〉が全貌を現す。先程まで雀を前にぼやき続けていたリーダーの鶴野芽依がマイクに向かって、その張りのある声で呼びかける。
「さぁ、悪魔と踊りましょう、悪魔と戯れましょう。でも気をつけて。うかうかしていると悪魔に魂を抜かれちゃうかも? さぁ、悪魔と競争! 悪魔を出し抜いてしまいましょう!」
客席のオベーション。そして、爆音。シンバルとフルオープンのまま叩かれるハイハットの煌びやかな音と共に、雀と芽依の奏でるユニゾン、そのディストーションサウンドが体育館を揺らす。
彼女たちの十八番であり、そのバンド名の由来となった60年代ハードロックの一曲。そのイントロが始まった。
雀は自身のエレキギター、二つの角を持ち、いかにも悪魔的な形をしたそれを低く構え、メロディアスなリフを奏でる。その頭には、赤くちかちかと光る、悪魔の角を模った髪飾りが乗せてあった。きっと、ステージ上で悪魔を演じる自分に酔いしれているのだろう。
それはとてもリズミカルで、疾走感にあふれるフレーズ。先程のリフとは打って変わり、12フレット近辺を彼女の指が舞う。豊かなハーモニクスを伴ったディストーション。2弦から6弦に向かい、そしてまた2弦に戻る――雀の左手は華麗なステップを踏み、右手のピックと連携して一音一音、流れるようなフレーズを奏でる。
その時だ。突然のハウリングが体育館を襲う。リハーサルでは想定していなかったアクシデント。裏方の部員が慌てて壇上に駆け出し、ギターアンプの前に置かれたマイクを動かす。
所詮は学生の音楽活動、当然のことながらプロミュージシャンがツアーで使っているようなマーシャルのスタックアンプなんてあるはずもない。雀が愛用しているヘッドアンプはオンボロの“銀パネベースマン”、キャビネットに至っては中華製の安物だった。もちろん、そのどちらも部活の備品。
その中華キャビネットから出る音をマイクで拾い、体育館備え付けのスピーカーシステムが雀の音をがなり立てている。ステージの上にモニタースピーカーが置かれていない安物のPAシステムでは、自身の演奏が客席にどんな風に聞こえているのかすら定かでは無いだろう。きっと、頭の中が真っ白になっている雀はピッキングの力加減を忘れ、しかも足元にあるボリュームペダルの存在すら忘れているに違いない。ハウリングも起きるはずである。
しかし、そんなアクシデントすらステージを彩るアクセントに過ぎない。ノイズ対策のされていないP-90は盛大にハムノイズを拾い、演奏と共にノイズが体育館の空気を満たす。それさえも“彼女達の音”の一部だった。静寂の暇なんて無い。 “騒音”という名の爆音で埋め尽くされ、熱狂と結びつくライブ。
そもそも雀の演奏はそれほど上手というものではなかった。特にリズムはかなり怪しい。でも、勢いだけは他のどのバンドにも負けていなかった。勢いだけで突っ走る彼女達の演奏、それはまさにロックだった。
やがてイントロが終わり、芽依の歌声。
この大音量に惑わされキーが掴めなかったのだろうか、最初はやや怪しい音程だったがすぐに修正。彼女の伸びやかで、良く通る声が体育館に響く。いつもの落ち着いた口調からは想像の付かない、深みがありながらも突き抜ける声。
4オクターブに達しようかという、その筋では有名なロックシンガーばりの声域を持つ彼女。しかし、この曲で彼女はシャウトを上げることは無かった。感情をむき出しにしたかの様な、そして咽び泣く様な歌声。
ハイハットが刻むのは、オーソドックスだが力強い4ビート。屋台骨を支える正確なベースライン。そのリズムに乗って雀のギターがバッキングを奏でる。4度と5度のコードを繰り返すという、これ以上は無くシンプルなバッキング。しかしそれらは、芽依の歌をひときわ効果的に浮き立たせていた。
やがてクラッシュシンバルの連打を合図にギターソロ。芽依が半歩下がり、ピックアップセレクターをTREBLEに切り替えた雀がステージの前に出る。
動と静。そんなギターソロだった。猛烈な勢いでフレットをそして弦を行き来するフレーズ。かと思えば、一小節丸々使ったチョーキングが泣きを誘う。
一方の芽依はバッキングに回っていた。彼女がずっと構えていたエレキギターは決して飾りでは無い。ワンボリューム・ワントーン、そしてシングルコイルが二つ。トレモロアームさえ付いていない。芽依が持つのはこれ以上無いという位にシンプルなエレキ。絶妙なポジションに合わせられたボリュームノブが生み出すのは、深く歪みながらも抜けの良いサウンド。
芽依のコード進行を背に、縦横無尽に遊ぶ雀のソロプレイ。泣き咽ぶ彼女のギター、どす黒い血の色に染まりし邪悪な使い魔。それに誘われるまま、雀の左手はハイポジションへと駆け上がっていく。(もっと高音へ――もっと、もっと!)――金切り声を上げるのは1967年生まれの老いた血の祭器。
さて。現実の歌詞や曲名を入れるのはNGという規約の中で60~70年代のハードロックをテーマにしようという無謀な企て。後書きで元ネタの曲に誘導しようという作戦は許されるのかな? 雀たちの演奏する楽曲ですが、動画サイトで「judas priest girlschool gun race」と検索していただければ出てくる曲をイメージしています。もし良ければBGMとして流していただければ、と思います。