2 夏、来たる
嵐が過ぎたのは一昨日のことだった。
梅雨空は三日間降り続いた大雨に洗い流され、見上げると澄んだ青色、夏の日差しと入道雲。時折迷い込んでくる爽やかな風だけが、うだるような暑さをほんの少しだけ忘れさせてくれる。そんな初夏の一日。
しかしここ、市立白梅女学院の体育館はむせぶような熱気に包まれていた。
梅雨明け宣言翌日の終業式。もっとも、終業式そのものはとうに終わっている。時計の針は既に午後4時半過ぎ。汗だくの彼女達が集まっている理由、それは終業式後のちょっとした余興、日没までぶっ通しで行われるパーティ・ハード。
胸に抱くのは新たな出会いの予感。目の前にはとてつもない解放感と期待感が開けている。長い夏休みの幕開け、明日からの自由な日々を象徴すべく開かれた一大イベント。ありとあらゆる音楽ジャンル、演劇、ダンス、トークなどを競う祭典。白梅女学院のちょっと変わった恒例行事。
参加資格は唯一、『この学校の生徒であること』ということだけ。個人団体問わず、もっと言えば学校公認非公認、一切関係無し。我こそはという意気込みさえあれば、誰でも自慢のエンターテイメントを披露できるのだ。
が、そうは言ってもさすがに限度がある。
当然のことながらこのイベント、生徒会主催とは言え校内活動の一環。そしてここ、白梅女学院は県下一のお嬢様学校。つまり淑女に相応しくないイカガワシイものなぞ論外だった。
でも気がついたら――なかなかに、いかがわしいパフォーマンスを繰り広げる連中も幅を利かせ始めていた。でも、そういうのに限って熱狂的な支持を受けるのだから仕方が無い。
そして今まさに、そんなイカガワシイパフォーマンスを見せるバンドの一つが、ステージ裏での最後の調整を終え、表舞台へと躍り出ようとしていた。
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「あのー、すずめさん……」
このバンドのリーダー、ギターボーカルの少女から半ば呆れ顔で声をかけられた人物。彼女こそ、ステージ名『ちーちーぱっぱスズメ』こと羽衣雀。無論、鳥類ではなく人類である。
その容姿からはリードギターの一翼を担い、骨太なパワーコードと、ペンタトニックなギターフレーズをひたすらゴリ押しするプレイスタイルを一致させるのは、なかなかに難しい。
余り手入れの宜しくないショートヘアに、いかにも大人しそうな顔立ち。何人か集まれば確実に埋もれてしまう、そして『地味』という一言が良く似合ってしまう――そんな感じの人物。
この夏の日の下に出ると溶けてしまいそうな、あまりにも色白な肌。気付く者は殆どいないが、群青色に近い青い瞳――強いて彼女の特徴を挙げるとすれば、この2つくらいだろうか。
そして色香とは全く無縁の、貧相と言ってしまえばあまりに可哀そうな体型。
『ちんちくりんスズメ』という通り名から、かなりの時間をかけてようやく『ちーちーぱっぱスズメ』という、多少なりともオブラートがかかった表現に変えさせることに成功したということが、このあまり口に出したくない、容姿に関する事情をいろいろと物語っている。
さて、雀と対峙するリーダーの少女――彼女のまるで譫言の様な問いかけは、まだ続いていた。
「その……格好……ステージ衣装……ということで……宜しいのでしょうか……ね?……ですよね?……何を……したいのか……だいたい想像は付くのですが……」
ステージ直前の緊迫した時間に至り絶望の淵を彷徨うリーダー。溢れ出す絶望。その言葉、言い回し、上ずった声――そいうった諸々から痛いほど見てとれるのは、彼女の焦燥。
いえ、普段の彼女は落ち着いているんです。ちょっとお嬢様が入ったサッパリとした少女なんです。少なくともこんな挙動不審で悲痛な言葉を吐く、そんなキャラでは無いのです。絶望から這い上がろうとする彼女。いや、それとも彼女の精神は既に暗黒面の底へと落ちてしまっているのだろうか。この期に及んでこの状況、これはちょっとばかし普通のことではない。
その理由とは――それは雀ちゃんの衣装にあった。
打ち合わせ無しで、雀が着てきたのは――
“真っ白なブラウス”(うんうん、清楚な感じでイイね)
“キュロット風のハーフパンツとサスペンダー”(ほうほう、どこか中性的な彼女の雰囲気にぴったりだね)
そして――
“真っ赤なランドセル”(え?)
そう、真っ赤なランドセルである。
この小学生ルックを違和感無く着こなせてしまっているのは『ちんちくりん』の面目躍如といったところか。ランドセルはリアル小学生時代に使っていたものであろう。でも、何故にランドセル?
いや、実はかつて世界を席巻したハードロックバンドでそんなのがあったのです。小学生ルックのギタリストが暴れまくるというのが。きっと彼女はそれ真似しようとして――でもほんの少しだけ――しかし絶望的に、大事な物を何か取り違えてしまっているようだった。
「あれを……やるんですよね? いつもの? 犯罪ですよ? ぎりぎりアウト……といったレベルでは無いですよ? 完全に三球三振で即アウト、コールドゲームといったレベルですよ?……繰り返しますが犯罪ですよ? 判っていますか?」
他のメンバーは半ば呆れ顔で二人のやり取りを見ている。
「……ぐ……む……んっんぐ……んんむぐむ……」
雀は言葉にならない言葉を返す。なにかを頬張っているようだった。どうやら『うん、大丈夫。ギャグで通じるよ』と言っているらしい。
「止めませんからね……あぁ……私の監督責任が……」
そう言い残しながら、リーダーの少女はステージへと歩みを進めるのだった。