1 来たるべきもの
ヘルゲ・デューセンバークはブリッジの中、叩きつける大粒の雨と、一面に広がる乳白色の光景を、旋回窓を通してじっと見ていた。
彼の〈船〉が前線を横切るような形で進路を取ることは〈航海〉中、逐次入電している気象データから分かっていたことである。しかし、前線通過を待ってから出港するべきではないかという彼の提案は、本部からの通達であっけなく否決されていた。なにしろ、彼の船が乗せている上流社会の住人達は、とかくせっかちなのである。彼らにとって何日も停泊先のホテルで足止めを食らうなど、牢獄に繋がれるに等しい許し難い暴挙だった――それが例え豪華絢爛、酒池肉林な歓待を含むものであっても、だ。
「――気圧、マイナス12ヘクトパスカル・アット・リースト・テン・ミニッツ」
「アップトリム、コンマ3ポイント」
「バラストコントロール・フォワーディング・エグゼキュート」
ブリッジの中にクルーの声が響く。ゴンドラの外は嵐の様相を呈していた。しかし彼らの声に緊張した様子や悲壮感は決して無かった。ブリッジは凛とした空気に包まれていたが、淡々と与えられた任務をこなしていくデューセンバークの部下達。
そう、彼らが操る船にとってはこの程度の悪天候なぞ物ともしなかった。言ってみれば天使の羽根で作られた、飾り羽でくすぐられている程度に過ぎない。
ヘルゲ・デューセンバーク以下30名のクルーが操るこの空飛ぶ船は、最新の技術で建造された最新鋭の第五世代豪華旅客飛行船。
その名は〈ヴェークヴァイザー・ツェッペリン〉号。