第二章「Stand by」
その日は良く晴れた朝だった。
五月下旬。朝のニュースは景気よく、「パンダの赤ちゃんがうまれました」と特集していた。朝のニュース番組はどのチャンネルもそれを取り上げていて、それを見ていた男がウィスキーボトルを片手に「平和さなあ」と呟いた。
すぐ近くで、パン、と乾いた銃声が響く。
台の上においたポータブルテレビが揺れる。銃撃の衝撃が影響しているのか、アンテナが悪いのか、その度に画面にノイズが走った。
豊かに生い茂ったあごひげを撫で、坊主頭の中年男性はようやく腰を上げた。
赤ちゃんパンダの特集が終わったからだ。
そしてタイミング良く、近くの銃声が止んだからでもある。
「伊達、良い腕になってんじゃねえか」
がっちりとした身体は濃緑の野戦服に包まれている。アスリートというよりはプロレスラーのような体つきは、どこに居ようともひどく威圧的だ。
伊達は百メートル先にある人形のターゲットから目を離し、自動拳銃に安全装置をかける。構えを解いて、振り返った。
しかし、銃声はまだ止まない。
遠くで、数百メートル離れたターゲットを狙撃している高城がいるからだ。
「ええ、お陰様で。しかし最近では、この腕前を見せる機会は無いんですがね」
ちょうど弾丸を全て打ち終えたタイミングで声を掛けた男は、テレビを見ながらもしっかりと数えていたのだろう。更に手放しで褒める辺り、弾丸が頭と胸だけを撃ちぬき続けたその結果を確認していたのだ。
抜け目の無い、と苦笑しながら、
「だったらおれン所についてくるか?」
男は意地悪な笑みを浮かべてそう言った。
伊達は純真無垢なまでに、その男を尊敬していた。
そこは市郊外にあるゴルフ練習場だ。この男――『佐渡健介』が貸切り、今では一時的に射撃練習場に変わっている。
伊達らが住むアパートから、車でおよそ三十分ほどの距離である。
彼らの縁は、九年前から始まった。形成者になってから、佐渡が育成係として関わってきたのだ。
しかし彼は形成者としてではなく、伊達仁志に生身での戦闘のいろはを教えたのだ。
銃の持ち方、照準の仕方、歩き方、走り方、考え方。
そのすべてが、今では活きている。
形成者のコアからでは真に理解できない生の実感から戦闘の気配を、覚えることが出来た。
「いえ。俺が行っても迷惑を掛けてしまうだけでしょう」
「んなこたあねーと思うんだがな。少なくとも"形成者"ってだけで百人力だ。お前の素の実力だって、俺たちの部隊と変わりねえと思うんだがなあ」
佐渡はそれまで自衛隊の一員として働いていたが、士官に昇格できずにニ六で辞めたのだ。
その後フランスで外人部隊に所属し、腕だけを磨いて帰ってきた。二束三文の金を食いつぶす前に、彼は国営のとある施設に就職した。
それこそが、形成者を保護し、育成する施設だ。
ちなみにコアや、不適正とされる形成者を管理する施設は他にある。
そうして佐渡は暫くそこで働いて、やがて伊達が最後の教え子になった。
後はどこかの民間軍事会社に就職し、休みのたびにアメリカと日本を往復して、こうして伊達の面倒を見ているわけだ。
メールや電話でのやりとりが殆ど無いが、決して断ち切れぬ絆のようなものは確かにあった。
「しかし、先生がこのタイミングで戻ってきてくれるなんて、思いもしませんでした」
幾つかの修羅場を、共にくぐったこともある。
一度だけ、国の許可を得て外国に飛んで、彼についていった時のことだ。今ではすっかり懐かしい思い出である。
「ああ。なんか悩みでもあるような顔だな。形成者……って奴のことか?」
彼はまともな人間だ。
カタギではないが、芯が通り、血が通い、曲がり間違っても内骨格を外に表出する能力を持たない人間だ。
そんな"普通"な人間が相手でも、伊達は負けてしまうこともあるが。単純に、佐渡が規格外すぎるだけなのだ。
「つうか、育成ばかりで正直形成者なんつーのは"仮面なにがし"みたいなもんだと考えてるんだが、違うのか?」
「ええ。恐らく教えられなかったのは機密事項だからでしょう。しかし、少し、簡単に言ってしまえば――改造人間で――似たようなものでしょう」
伊達は彼と同じく褪せた緑色の野戦服で、肩幅に足を開き、後ろ手を組む。
真面目な顔に、佐渡は小さく頷いて耳を傾ける。
彼は恩師に、己という存在についてかいつまんで説明した。
形成者は、かつて第二次世界大戦後期に開発された人間兵器だ。
ナチスドイツが出自であるという説もあるが、しかし詳しい事は闇に葬り去られている。
ただそこで完成した核は人を壊す。壊した上で、再構築する。
だから最初は、強烈な毒薬だと思われていた。
自我もろとも崩壊した人間は、ひとつの変身能力を持っていた。
それが『形成』だ。内骨格を皮膚上に表出し、昆虫や甲殻類のような外骨格を擬似的に形成する。そしてその個体には、特徴があった。
初期構想型は七体おり、それぞれに超能力じみた特殊技能を保有しているのだ。
しかし彼らは、開発初期の頃では驚くほどに無力だった。
やがて十年もすれば肉体を結晶に変えて死に、コアだけが残る。
残ったコアを拾い上げた人間が再び自我を壊して、『形成者』になる。
二人目は、一人目が学んだ全てを知っていた。まるで受け継いでいたかのように、実験を"続行"したのだ。
コアは形成者の戦闘記録、知識、能力、技能を刻んでいる。そして受け継いだものに、全てを注ぎ込む。
幾度か繰り返せば失うものは記憶だけになり、戦争が終えてから、形成者の戦闘能力は真価を発揮しはじめた。
時間を掛けて成長する。
だから初期型をモデル、それに対抗できる第二期、正統進化型の第三期を製造した。
その恐ろしき人間兵器は今や一体で首都機能を無力化することが可能だったが、戦時中は産廃として扱われ、平和なこの時代では最強を呈する兵器となった。
もちろん今では、第三期を打ち止めにして研究以外の全ての作戦が凍結中だ。
――現時点では政府が実験的に様々な人間にコアを与え、適性を図る。与えられた人間が突如として暴走しなければ"適性あり"として扱われ、伊達らのような形成者が監視としてあてがわれる。
そうして発見次第、保護して施設へ送る。適切な処置や研究、訓練を重ねさせるのだ。
戦闘を要する緊急時には形成者としての戦闘能力を利用して駆り出されるが、多くはその形成者を探す仕事ばかりである。
なぜ政府は対象が居る地点、その詳細を教えないのか――伊達には、わからない。
ただ――彼らは、政府について知っている事の方が少ないのだが。
「我々は人であるのかそうでないのか。それさえも不明なのです」
「だが優秀な兵隊だ。あの地獄の訓練を達成した時点で、お前はおれのお墨付きだ」
「は。お心遣い、感謝――」
ずばんっ、とひときわ大きな銃声がつんざいた。
通常のライフルから、対物ライフルに変えたのだろう、と伊達はなんとはなしに察する。佐渡も同じだった。
佐渡が手にするスコープで数百メートル先にある目標を見て、「ああ」と唸る。小さなため息は、感心を通り越して芸術品でも見るようなものだった。
伊達にそれを手渡し、覗かせる。
八○○メートルの地点にある目標は、ちょうど額の位置に弾痕が一つ。
一ニ○○メートル先にある新しい目標は、ちょうど胴体から真っ二つになって吹き飛んでいた。
前者は常に同じ弾痕に弾丸を通した結果であり、後者は凄まじい反動の大型の銃を用いて、異なった目標をたったの一発で仕留めた偉業。
それは、もはや人の出来る所業ではない。
機械的で精密な照準、極めて緻密な弾道の計算、距離による風向きの変化、弾頭の回転からコリオリ力による影響――全てを一発ごとに計算しなおし、即時発砲する。
その結果は、見ての通りだ。
「奴も優秀な同胞だ」
「はい。自慢の戦友です」
伊達はまるで自分の偉業であるように微笑み、胸を逸らした。




