4.終わらない一日
「思えば、お前ら以外の人間と出かけるのも久しぶりだな」
「……じゃなくて! もっとくわしく」
帰るなり「どうだった?」と食い気味に訊いてくる酔っぱらい二人に、伊達は辟易しながらそう告げたのだが文句を言われた。
不条理だ、と肩をすくめながら、伊達は制服を脱いで普段着に着替える。
適当に済ませておけ、と言ったら彼らは本当に適当に、備蓄のカップヌードルで夕食を終えていた。仕方がないので今夜作って寝かせようと思っていたカレーにとりかかりながら、キッチンまで付いてくる二人は言葉を継ぐ。
「映画だけじゃないんでしょ?」
犬飼がうれしげに言った。
「つーか、たった一ヶ月でお前が良くそんな仲になれたもんだよなあ」
笑いを抑えるような声色で高城が言う。
伊達は帰りに駅前のスーパーで買ったものを片付けながら答えた。
「なかなかユニークな映画だった。俗世に疎い俺でも十分楽しめる。彼女はセンスがある」
バカにされるのが嫌で、少し見栄を張った。
野菜室からジャガイモを取り出し、皮を剥く。
こなれた手つきでジャガイモを大きめに切って油をしいた鍋に投げる。
途端に油の弾ける音と、焼ける音が小気味よく聞こえ始めた。
次いで玉ねぎ、にんじんを同じように処理し、肉を切って放り、味付けしながら炒めて、煮る。
「辛口でいいか?」
「それでいいぜ」
「あたしもー」
シンク台の下の戸棚から、しまっておいたカレールウを取り出す。パッケージを開けてルウを砕いて投入。
溶けていくのをおたまで混ぜながら、伊達はようやく一息ついた。
「しまった、米を炊くのを忘れた」
「あたし炊いておいたわよ。今日の夕飯楽しみにしてたから。タッパーに詰めて、冷蔵庫の中にある」
「助かる」
そうして三人は、二度目の夕食にとしけこんだ。
伊達はやはりカレーにマヨネーズを格子状にしてかけて、食べる。カレーが辛口だから、一味なんて無粋なものは今日はナシである。
そうあっても、しかし全体的に量は抑えめだった。なにしろ伊達はラーメンを、二人はヌードルを食べている。奇しくも質は違えど同じ種類のものを食べていた。
それに時刻はもうニ三時近い。就寝時間は適当だが、夜遅くに腹いっぱい食べるのを控えているのだ。
「それで? その桜井ちゃんとはどうだったの?」
上手く話を逸らしたつもりだったのだが、しかし犬飼が振り出しに戻す。
「ぬう」
と言って、伊達は小さく首を振った。
「特にこれといった色気のある話はない」
「そんなわけねーだろ。何か言われなかったのか? ほら、"実は……"とか、"気になる"みたいなよぉ」
「そういえば、妙なことを言っていたな」
「なになに?」
カレーを口に含みながら犬飼が声を上げる。
伊達はその品のない所作に顔をしかめながら、カレーをすくって一口食べ、飲み下す。そういった見本を見せてやりながら言った。
「学校は好きか、とか。ずっと居たいか、など。まるで――」
伊達が、どこかへ行ってしまうのを知っているかのような言葉だった。
そんな思考を遮るように、高城がカレーの皿をひっくり返す。下腹部からズボンをカレーまみれにして、貴重な食料が床にぶちまけられた。
「なっ……センリ! 貴様、死にたいのか!? 口腔摂取で手の震えが抑えられないならケツにウィスキー瓶を突っ込むぞ!」
「アルってねえよ! 手が滑っただけだ!」
「あーもう! なにしてんのよう!」
伊達が怒声をまき散らして割れていない皿にカレーを乗せ、米をなんとか片付ける。
高城はシャツとズボンを脱いでパンツ一枚になりながらてんやわんやとして。
犬飼が持ってきたトイレットペーパーから何かを連想して吹き出し、高城は腹を抱えて大笑いした。
とにかく賑やかで、カレーが無駄になった分、伊達は腹立たしかった。
今日は本当に休まる時が一分たりともない――伊達はフローリングの隙間に入り込んだ米粒を爪楊枝で取りながら、大きなため息をついた。
◇◆◇◆
草木も眠る丑三つ時には、自宅の誰もが眠りについていた。
まるでそれらに阻害されたように、伊達仁志の目は冴えていた。
「……」
未だ釈然としないのは、夕方の桜井の態度だ。
"気づいていないわけではない"。だが少なくとも、伊達は短期の学園生活だと見積もっている。
それは《兎人》のためでもあるのだ。あまりにも学園生活が長ければその分執着するし、気持ちが入る。諦めきれないのだ。
下手をすれば、身体にコアが馴染む前に意図的に暴走行為に走る可能性がある。そうすればいくらコアの適性があろうとも、撃破対象だ。
それに、一年後に記憶を失う――その瞬間が、たまらなく辛い。その話は、伊達でも知っている。だからこそ形成者はすぐに回収されるのだ。
そこを、なぜ政府が行わないのか瞭然としないまま、他の形成者は目標を目指す。
桜井の言葉は、まるで伊達を繋ぎとめて置きたいようなものだった。
彼自身が自分の意思で学校に居てくれれば何も問題はない。彼女はそう言うことが言いたかったのだろう。
だが彼女の判断は、甚だ間違いである。
己の意思、判断で学校に通っているのだ。いくら生真面目な伊達とて、不効率極めるこの作戦を拒否する権利があるし、嫌ならば他の手段を強行することも出来た。
その上で、思うのだ。
「これは、君の為でもある……出来れば、尊重はしたかったがな」
そこは遊歩道の、少し広くなっている空間。
いつものようにベンチに座っていれば、真紅の瞳をもった影が侵入してきた。
《兎人》はそうして彼の目の前に立つ。
遊歩道のみちなりに行けば険しい丘があり、濃密な森がある。その先は、行き止まりだ。また別のルートで戻ってくる道があるだけだ。
だからランニングやジョギングでこの遊歩道に来ることは明らかなまでに不適切であり、不審だった。
「……」
いつものように《兎人》は無言で、拳を構える。
伊達は嘆息混じりに腰を上げ、少し苛立たしげにソレを睨んだ。
「不安なら言ってくれ。俺が手を差し伸べる。嫌なら殺す気で来てくれ。俺は全てを受け止める――生半な程度の混乱なら、自分で解決しろ。俺を、縋るな」
問題があるなら全力で解決しよう。
だがその問題を述べずにただ困惑し、悲劇を気取り戸惑った目で眺めるだけなら、伊達にできることなど何一つも無い。
人でも、形成者でも。
口で言わねば、わからぬこともあるのだ。
「また語れない拳を打つのか」
半ば呆れたまま、小さく「形成」と呟いた。
生身とてコアのお陰で即時再生する。むしろ再生速度だけで見れば、外骨格の無い生身の方が完治が早いのだ。
ゆえに展開する装甲は両腕の、肘から先だけ。返しとなる狡猾な武装を施した両腕を構えれば、《兎人》が僅かに身を屈めた。
側頭部に、楕円形が長く伸びたアンテナを備えるその容貌は正に兎。
両腕は長く膝近くまで垂れて、大口の袖から拳を作る。その容姿は女性的な柔らかさを持ち、外骨格の色が柔和な桜色ということも相まってひどく戦場には似つかわしくない姿だった。
元の姿の一回りは太いだろう腿を持ち、けれども膝から下は随分と細い。じんぺい足は常に踵を上げており、その体重がかかったつま先からは鋭い爪が覗いていた。
「何か言ってみろ、《兎人》」
「……」
促しても、返答はない。
しびれを切らして一歩前進すれば、それを契機とするように《兎人》は大地を弾いて、跳躍するように接近した。
――鋭い拳撃を打ち込まれる寸でに、伊達は横に転がるようにして《兎人》をやり過ごす。その白影は見る間に勢い余って彼から離れていく。
立ち直った時には既に、《兎人》はふたたび伊達へと迫っていた。
速いのだ。移動速度はもとより、反射神経が抜群に良い。さらに未だコアが馴染んで居ないとは思えぬほどに行動の取捨選択を行い、優秀すぎるキレの鋭い攻撃を放つ。
伊達は立ちまわりで《兎人》を回避。それは勢い余って目の前を通り過ぎ、遠い位置で停止した。
拳が眼前を過ぎたのを見送ってから、伊達は背部にレールを形成する。
両腕部の"返し"が僅かに浮く。周囲の大気をそこから急速に吸収し、背部のレールを弾くように垂直に角度を調整した。
(やはり、疾い)
それだけの動作で消耗した時間で、《兎人》はもう着地し、振り返り、敵の再認識を行なっていた。
(だが、それだけだ)
他はド素人。形成者の知識、経験などのすべてを活かしきれては居ない。
直後に、背中から爆音が弾けた。
レールから莫大な量の圧縮した大気が放出される。その勢いに押されて超加速した肉体が、瞬く間に《兎人》へと肉薄した。
ほぼ瞬間移動と言っても良いほどの速度で、敵影の顔面を殴り飛ばす。
《兎人》はその場で僅かに地から引き剥がされて、猛烈な勢いで肢体を大地に叩きつけられる。
――伊達が《兎人》をいつも逃がすのは、そこからが問題だからだ。
一撃を喰らってから。
《兎人》はそこから強烈な巻き上げを見せる。
それは背中を叩きつけられてから、弾むようにして後転する。クラウチングスタートのような体勢で大地を掴めば、まるでダメージなど感じさせぬ動きで通り過ぎた伊達を追った。
超加速を終えた伊達は振り返って《兎人》を迎え撃とうと構える。だが想定を遥かに上回った機動で、《兎人》は既に彼の視界から消え去っていた。
周囲は濃密なブッシュに飲まれている。木々生い茂るそれらを盾にして、音もなく移動しているのだ。
ただまっすぐ、階段状になる道の上で伊達は神経を鋭く研ぎ澄ませる。音、気配、それらを神経質なまでに聞き咎める。
右で木がしなる。葉がこすれ合う音。背後で空気が裂かれた気配がして、左でまた木が揺れた。
すぐさま前方の空いた空間に跳躍。しっかりと階段脇の斜面で体勢を整えた直後に、《兎人》が落ちてきた。
というよりは、凄まじい速度で彼が居た空間に蹴打を放っていた。まともに受ければ首はへし折れ、へたすれば吹き飛んでいたに違いない鋭さである。
加えて《兎人》は回避行動を予測していたのだろう。攻撃と同時に伊達が移動した先に、腕を突き出していた。
突き出した左手に、拳は無い。その代わりに巨大な砲口があった。
そしてその周囲に、闇の中にバチバチと弾ける青白い閃光が瞬いていた。
腕は赤熱し、途端に周囲の大気が燃え盛るほどに熱くなっていた。目を開けていれば瞳が乾き、呼吸をすれば肺が焼ける。
第二型の《兎人》が持つ武装は『プラズマの生成』――堪らず伊達はレールから猛烈な勢いで圧縮大気を放出させて、森を引き裂いて空へと逃げる。
上空からでも見える森の中の赤い影は、しかしその直後に緩やかに薄らいでいく。そうして移動を開始すれば完全に見失い、伊達が見た《兎人》は既に国道の方へと走り出していた。その後ろ姿があって――。
《兎人》が形成を解く。
それはこんな深夜帯にでも映えるほどに白いワンピース調の制服を着た、腰にまで届く挑発を首元でくくった少女の姿を、伊達は見た。
そのすぐ後に、伊達は落下する。意識を緩んだ隙に大気の噴出が終えたのだ。
「なっ……わっ!?」
ばしゃっ! と大きな水柱を立てる。伊達はいつもなら眺めるだけの池に、頭から真っ逆さまに落ちたのだ。
「……なんでずぶ濡れ?」
帰宅の気配を察した犬飼が、玄関まで彼を出迎えついでに訊いた。
伊達はぶっきらぼうに「池に落ちた」とだけ返して、そそくさとシャワールームに逃げていった。




