3:放課後の誘い
「ジン、おはよ!」
登校早々に声をかけてきたのは、活発な男子学生だった。
「ああ、おはよう。中田」
同じクラスの中田は、坊主頭をそのまま伸ばしたような短髪で、爽やかな風貌だ。いかにもスポーツマンといった体つきで、それらしく接し方もどこか豪快だ。
昇降口で靴を履き替えながら、中田は言った。
「なあいい加減さ、部活のこと考えてくれよ。お前ほどの俊足が居ればインターハイも夢じゃねーってのに」
「済まないな。ろくでなしが二人もいれば、その世話で一日が終わる。学校のお陰でそれから逃れているようなものだ」
学校を休もうと思っていた人間の言葉ではないのは重々承知だ。
彼とて、二枚舌くらい使いこなす。もちろん、同じ相手に全く異なった言い分を口にするわけはないし、下手をうつようなことはしないが。
「でもさー。惜しいよなあ、俺のことも覚えてないし」
「そうは言ってもだな……」
「小学校の時だって、ジンって足遅い方だったしなあ。別人みたいだよ、ホント」
「再会出来ただけでも奇蹟だと思ってくれ」
――中田は、伊達の小学校の頃の友人である。
と言っても、伊達にその記憶はない。
擬似外骨格形成能力者――通称『形成者』となったのは、小学三年生の頃。形成者のコアが馴染むまで一年かかり、完全に馴染んで以降は、人と決別するようにそれ以前の記憶が喪失するのだ。
だから、中田に言い寄られて伊達は困った。記憶を失ってからとある事件を起こし、すぐに学校を去ってしまったから彼のことなど覚えていないのだ。
しかしそれでも、どこか嬉しくもあった。
未知の部分で、何かとつながっている不思議な感覚。
記憶が無い、という認識はある。そして、伊達でさえも少し悲しく思う事もあるのだ。
だからその感情を表すならば、嬉しいというところだろう。
さすがに、だからといって部活に参加するほどの余裕や気概は無いが。
「でも、俺も俺だけど、ジンもあんま変わんないよなあ。ひと目でわかったもん」
「一ヶ月前に聞いた台詞だな」
「記憶力もいいしなあ」
「お前が悪すぎるんだ」
戯言は笑いを誘い、やがて教室に到着する。
二年一組は、昇降口から真っ直ぐすすんだ階段を登って二階の、すぐ手前の教室だった。
「おはよー」
「おっはー」
入室すれば交わされる挨拶。それを済ませながら、伊達は壁際から二列目、後ろからも二列目の席についた。
「なあ、今度暇だったら遊ぼうぜ。ジンもクラスに馴染んできたし、いいだろ?」
「ああ。機会があったら誘ってくれ」
「おう。んじゃ、またな」
「ああ」
中田は窓際の席に戻り、さっそく他の友人らが集まって談笑を始めている。
それを一瞥して、伊達は鞄から教科書を出して机の中に詰める。そうして、はっとした。
せっかく桜井から数学のノートを貸してもらっていたのに、表紙すら開いていない。
なんという不甲斐ないことだ。
幸い、まだ彼女は来ていない。到着するのは始業時間ギリギリだから、まだ三十分くらいの猶予がある。
伊達は急いで鞄に入れっぱなしだった桜井のノートを開いて、復習を開始した。
「ふう……桜井、ありがとう助かった」
ひとまず先々週分から始まったあたりから丸写しをすることで事なきを得た。
時刻は八時二十五分。これで次回の授業から、ある程度は頭に入ってくれると助かるのだが。
「助けになったみたいで良かったよ」
今朝の汗臭さなど微塵も感じさせない桜井は、笑顔で席につく。
制服は純白のワンピース調。大きめの襟に黒いラインが幾本か走り、胸元の大きめのリボンが学年ごとに異なる色でアクセントとなる。すっきりとしながらも可愛らしいそれは、十年前までここが女子高であった名残である。
ちなみにその制服は、度々雑誌などでも紹介されるくらいには人気があるものなのだ。少し前だったら、それを着ていることがステータスでもあった。
「お陰で落第は免れそうだ」
中間テストは来月の中頃。無論、そこまで居る予定など無いが、どうなるかわからない。備えをしておくことは、どんな時でも重要である。
伊達の鞄の底に安置してある自動拳銃と予備弾倉は、その最たるものだ。
「でも、落第になったらなったで、今度は仕方がないから私が直接教えるけど」
「ふむ。見返りが激しそうな気がするが」
「虎屋の羊羹でいいよー。最近は洋菓子ばっか食べてるしねぇ」
「高いな……」
さすがに羊羹一本で三千円も出したくはないものだ。
ならば、努力するしかあるまい。
出来るだけ長居はしたくない、というのはひとまず置いといて。
やがて授業開始を告げる地獄の鐘が鳴り響く。
伊達は胸いっぱいに息をすこんで、現代国語の授業の準備をした。
一日六時間の授業が終われば、時刻はもう十五時ニ○分を過ぎる。
あとは各々が部活やクラブに向かったり、帰ったり、まだ教室に残留してとりとめのない話題で盛り上がったり、青春を満喫する。
伊達は、と言えば。
「……『素敵なテキ屋のペナルティレッスン』……?」
駅近くのデパート最上階にある映画館の前で、小首を傾げていた。
素敵な射的屋がペナルティの練習――まったくもってよくわからない。制作陣が殆ど眠っていてもこんなことにはならないだろうタイトルを見ながら、またポスターを見る。
正面にショットガンを構えたサングラス姿の女。
その奥には射的屋の店構えだが、その正面には頭を紅く染めた隻眼の男が仁王立ちしている。捻り鉢巻をして、腕を組み、細いタバコを加えた甚平姿だ。
シュールを通り越して、意味がわからない。
「これ面白そう」
そう言った桜井を、伊達は脂汗を流しながら凝視した。
「正気か?」
上映時間は三時間。過酷な環境を過ごしてきたと自負している伊達でさえ、その時間を楽しく過ごす事は難しいだろう。
「えー、ダメえ? だって吹き替え、ヤマちゃんとかだよ?」
「吹き替え!?」
よく見れば、なるほど確かに洋画だった。ポスターのインパクトにおされて見ていなかったが、下のほうにキャストと吹き替えがそれぞれ記されている。
桜井が言うには、洋画でもアニメでも有名な声優らしい。大御所で、演技の幅が広くバラエティにも顔を見せるいい役者だとべた褒めした。
そもそも――なぜこのような場所に居るのか。
映画の情報だけで混乱しかけた伊達は、一旦状況を整理する。
簡単に言えば、桜井に誘われたのだ。もちろんデートなど、そういった色気のあるものではない。
ただ、二年も通っていてこのデパートに寄ったことがないというので、いつか案内してやろうと伊達が胸を逸らして言った直後に「なら今日行こうよ、ちょうど金曜日だし」と強制連行されたのだ。
スーパーやレストラン街、フードコートが占めている一階をスルーして二階に。
雑貨や衣料などを見て、それからついでに映画を見ようということになった。
来てみて――この有り様だ。
他にも、テレビで良く見かけるCMや話題の映画など、それなりに興味をそそるようなものがある。しかし、彼女はこの『素敵なテキ屋のペナルティレッスン』に目を輝かせていた。
せめて悲劇か喜劇か教えてくれれば、腹も据わるというものだが。
「あ、監督ダニーさんだよ」
「知らん」
「えー? 結構有名なコメディ映画の人だよ。知らない? 来週の土曜にも深夜の再放送で『トラップドビースト』ってやつやるけど」
「知らん」
「面白いよ? 見ようよ」
「……そうだな」
喜劇らしい。
その情報だけで、伊達は真ん中の通路よりの席を取ることになった。
ちなみに上映まで残り三十分を切ったが、席は意外にもあと少しで埋まりそうだった。
『――あんたのような破滅的な腕前じゃ、ロクな商品は落とせねえな』
赤髪の男が言う。どこか自嘲的に、右の眼帯を撫でながら笑った。
女は持参したショットガンを男の額に突きつける。にやり、と嗜虐的な笑みを浮かべて、その銃口で彼を小突いた。
『確かに、ロクな商品じゃあないわね』
不動の男は言う。
『悪いが、そいつはペナルティだな』
そうして、屋台の台に貼り付けてある張り紙を指で示す。そこには『銃で押した場合にペナルティあり』との注意書き。
男は台に手を置いて軽く飛び越えると、そのまま女を抱きしめて口づけをした――。
画面はゆっくりと暗くなり、エンドロールに入る。その画面の右側に小さいワイプのようなものが出て、NG集が流れ始めた。
ところどころ立ち上がる観客。帰るわけではなく、拍手をしていた。スタンディングオベーションをするほどの価値が、この映画にはあるらしい。
「地獄か、ここは」
三時間に及ぶ超大作。
確かに所々くすりとくる場面はあったが、しかし空調のせいか演出のせいか、伊達の肌が粟立つことが多々あった。
赤髪が死んだ父親の屋台を継ぐところや、ヒットマンに狙われる女ヒットマン。男の幼馴染と女ヒットマンからの愛憎劇や、ド派手な爆発シーン。
なにをどう考えればいろいろなジャンルを混ぜられるのかわからない。
だけどわからないなりに、何故だか「まあこんなもんか」と納得できた。
「……面白かったね」
「……うむ」
うっすらと涙を浮かべる桜井を見て、伊達は気遣いを覚えた。
「へえ、伊達くんってあんまり映画みないんだ」
「ああ。わざわざ借りにいかないからな。自宅では……すぐにバラエティに変えられる」
一階のフードコートで伊達はラーメンを、桜井はオムライスを食べながら、話題は映画で話が進んでいた。
時刻は既にニ一時近いが、彼女は自宅に遅くなる旨を伝えたし、伊達は映画の前に連絡をしていた。問題は何一つとして発生していない。
「ならしょうがないかも……ごめんね? あの監督、結構セルフパロディ好きだから、前の作品とか知らなかったら、全然面白くなかったかもしれない」
「いや、気にするな」
ずずず、とラーメンを啜り、チャーシューを一口で食べてしまう。対面の桜井も豪快なもので、小さな口を控えめに開きながら、どんどんオムライスを崩していった。
「しかし、どうせなら戦闘もコメディよりにしたほうが良かった気もするが」
ヤクザの抗争シーンがあった。やはり軍隊などとは遠く離れた、射線上を真っ直ぐ走りだすような間抜けな連中ばかりだったが、大勢が死んでいった。
その後の死体処理はカットされていたが、コンクリートで固めて海に沈めたのかもしれない。その部分は、妙に凄惨で静かなイメージがあった。
全体的にはラブコメディだ。異色だが、ぶれては居なかった。
「そこが好きなファンもいるみたいよ」
「なるほど。混ざりに混ざったジャンルはそのためか」
「そうそう。伊達くんは、ああいうの嫌い?」
「いや。あまり見たことはないが、好きな部類だ」
「へえ~、じゃあ今度やったら見に行こうよ」
「そうだな。だが、君はいいのか? そのシーンで目を伏せていたが」
「あ……バレてた?」
彼女はおどけるように肩をすくめて見せる。
そんな姿に苦笑しながら、伊達は一気にスープを飲み干した。
「ホラーとかって平気なんだけどねえ。スプラッタっていうか? そういうのは、ちょっと――慣れなきゃ、なんだろうけどね」
「嫌いなら慣れる必要はないだろう。そうそう、そんな状況に対面することはないだろうし、普通に生活していてその状況に出くわし、怯えるのは当然の反応だ」
「で、でも……」
何か慌てたように彼女が言おうとして、しかし何も思いつかずに口を閉ざす。オムライスの皿は綺麗に空で、一緒に頼んだコーラもなくなっていた。
二人はまだ制服姿で、時刻はもうニニ時近い。
伊達は立ち上がり、丼の載ったお盆をとった。
「そろそろ帰ろう。これ以上遅くなると、危ない」
「うん、そだね」
彼女も皿を返却口に運んで、二人は並んで外に出た。
デパートの外は、週末だからかまだ賑わっている。風も清涼で、思わずため息がひとつこぼれ出た。
五月の中旬。まだ風は冷たい。
駅前の人はそれでも春の装いで薄手の服装のまま行き交っている。
「伊達くんが来て、もう一ヶ月かあ」
鞄を胸に抱くようにして桜井が言う。
早いね、と微笑んで、伊達は頷いた。
「ああ。思った以上に、時間が早い」
伊達の言葉は、意味を含んでいる。その時間経過は同時に、任務を長引かせることになっているのだ。
悪い、というわけではない。
だがどうあっても、良くはないだろう。
《兎人》が学校生活を楽しんでいたとしても、そろそろ切りださねばならない。
さすがに一ヶ月もあれば、覚悟は決まっただろう。そう決めつけて。
「ねえ、伊達くん」
駅前は仕事帰りのサラリーマンが多かった。ロータリーに停まったタクシーが列をなして、乗客を次から次へと乗せて発車する。
二人は駅構内へと続く階段の手前で、壁を背にして立ち止まった。立ち止まったなら、近くの自販機で何か飲み物でも買いに行こうかと動いた伊達の袖を、桜井が指先で摘んだ。
振り払えば、簡単にはがせる拘束力だ。
しかし伊達はしない。親切にしてくれている彼女に、そんな手荒な真似などする必要がない。
「どうした」
神妙な顔で彼女が言った。
「伊達くんは、学校、楽しい?」
眉間にしわ寄せ、強い眼力で伊達を見る。言って、唇を噛み、小さく震える。
そんな気迫に思わず気圧されながら、伊達は頷いた。
「ああ。慣れず、面倒事も多い場所だが、楽しい。それは偽りではない」
「ずっと、居たいと思う?」
「……そうだな、それは――」
考えたことも無かったことだ。
いつか去る。それはどの場所でも、必ずそうだった。たとえ自主的でなかったとしても。つまり死んでしまうことでいなくなる、ということでも覚悟はしていた。
だから、安息の地は場所ではないという結論に至ったのだ。座標は、緯度経度であらわるものではない、と。
高城が居て、犬飼が居て、己が居て。それで楽しければ、それこそが安息の地で、永住など必要ないと思っていた。
だから「ずっと居たい場所」など。
ただの思春期の青少年が陥りがちな悩みであると、切り捨てることは簡単だった。
「嘘はつきたくないから正直に言おう」
受け止めて返す。
それこそが誠実だと思って、伊達は言った。
「素直に言えば、わからない。これまでから見て、俺は同じ所にとどまり続けることが無かったからだ。だからどこかへ行ってしまうことが当然だと思っているし、だからこそ、場所に執着心など無かった」
そう、"無かった"のだ。
この地に来るまでは。
彼は八歳以前からの記憶が無い。だが己がどこで生まれ、育ち、生きてきたかは調べれば容易に分かる。
この地方都市は、かつて伊達仁志が幼少期過ごしてきた街だった。
記憶は断片すら無い。だから郷愁や、ノスタルジーなどは抱かなかった。
だがそれに憧れや、切ない気持ちを抱かなかったわけはない。
自宅の場所だって、以前調べて記憶している。足を運ぶ勇気はなかったが、仕事が終わった後、一度だけでも見ておこうかとは思っていた。
仮に、高校に通うことが無かったら、ここまで想いが強くなることはなかったろう。
同じ年頃の男女が生活を共にする。数百人が過ごす校舎内には、その人数に応じたドラマがある。そして、己にはない家庭がある。
永住したい、とまでは思わないが。
「今は、少し違うかもしれない」
こういった生活も良いのではないか。
そう思う己に、度々気付く。
高城、犬飼という同居人とくだらない話で盛り上がったり、タレントや売れない芸人のリアクションに悪態をついてダメ出ししたり、人の雑誌をとっただのとってないだの……そんな私生活を持ちながら、桜井や中田と学校で楽しく過ごす。
素晴らしいのではないか、と思う。
理想的だ、と賛美する。
伊達仁志は腐っても十七歳である。
幾人もの人を殺し、幾つもの『形成者』のコアを奪ってきた鬼神の中身は、本来こうして大した悩みもなく映画を見て、飯を喰って、笑い、寝て、勉学に励む人間であるべきだった。
だが、それは飽くまでも、伊達にとっての理想だった。
理想は手に入れられぬ高さにあるからこそ理想であり、夢見るからこそ理想足りえるのだ。
手の届く夢は、ただの目標だ。
触れようと思って、星に手を伸ばして虚無を掴む。伊達は、そうしようとは思わない。
伊達は少し自嘲気味に、でも悲惨さなんて欠片もなく、一笑するように息を吐く。
「いつかそう思えれば良い、と思う」
「……伊達くんは、そうなんだね」
「君の期待に答えられなかったようだな」
「学校、嫌いじゃないんでしょ?」
瞳はからからで、口は張り付いた笑みを作って、彼女は言った。
「だったらまだ、いいよね?」
「……? 意味がわからないが、今日は帰ったほうがいいと思うぞ」
「うん。じゃあね、伊達くん。また」
桜井は軽く手を振ってから、鞄を手に提げて階段を駆け上がる。その背が曲がり角を曲がって見えなくなってから、伊達は小さく息を吐いた。
意図がわからない質問だった。
だが桜井は、何かを企むような少女ではない。だからこそ、それは疑問でしかなかったが、故に深く考えるようなものではないとも思った。
(……帰るか)
自販機でミネラルウォーターを買ってから、伊達は帰路についた。




