6.狩猟
猛禽の脅威はその飛翔や飛行能力ではない。
遥か上空から、地上の米粒にも等しい獲物を寸分違わず照準し、さながら弾頭ミサイルの着弾のような爆発力をもって対象を捉える『狩り』の能力が高いことである。
加えて従来の《隼》の滑空速度は時速にして四○○キロ強。これを、一秒を数百に分断して知覚する『加速能力』を乗じれば――最低でも四万キロ。地球を一時間で一周するその速度は、およそマッハ三三。
空中で白金の輪が弾けた。瞬時に《隼》の周囲が減圧し、大気中の水分が凝固したのだ。ベイパーコーンと呼ばれるこの現象は、誰にも知覚できぬ内に彼が通過した直後に巻き起こる衝撃はによってかき消されていった。
だから、ソニックブームの爆音も地上には響かない。
それよりも疾く、天空よりの裁きの雷鎚たる《隼》の鉤爪のような諸手が《幻影》に襲いかかったからだ。
轟音。
大地に亀裂が生まれるどころではない。数メートルもあろう岩盤ごと地面は砕けて、大地は大げさにささくれ立った。音という音が衝撃音に飲み込まれ、地表から弾け瀑布となって衝撃波がぶちまけられる。
窓という窓が割れ、校舎の外観に致命的な深い溝が無数に生まれる。鉄骨が軋み、建物自体が激しく傾いた。
もっとも近くにあった体育館は破砕片を土手っ腹に喰らい、轟音と共に半壊の様相を呈す。
もはや《幻影》が生み出す黒霧など影もない。歴戦の勇士であることを命じられた彼らが、容易く敵の策を放置して効果を実感してやる義理などない。
さながら――隕石の落下でもあったかのような破壊だった。爆音と暴風は学校付近の民家にまで及び、衝撃はそれらの窓さえも叩き割る。
悲鳴という悲鳴が深夜の静寂を引き裂いた。それも――爆音の余韻の中に響くさえずりのような些細なものだったが。
「居ない……!?」
反射的に空を見上げた。
翼から黒煙をもうもうと吐き出す黒い影があった。
すばしっこく、一撃で極められないほど硬い。
せめてあの鉄仮面さえ破壊出来れば、もはや言うことは無いのだが――。
「手はなし、だろうな」
どこか諦観気味の言葉を漏らして、地を蹴り飛ばす。そのまま空を飛べば、翻弄するように《幻影》が揺れる。同じ高さに到達した頃には、容易く背後に回りこまれていた。
鉄杭が射出する。寸前で首を捻って紙一重で回避する。装甲数センチを抉って過ぎ去った。
反射的に身体を捻って、振り向きざまに踵を脇腹に叩き込んだ。が、それよりも疾く急浮上し、黒い霧を切り裂くだけに終わる。
まともなバランスが維持できない――攻撃の瞬間に交差するだけで、《隼》はそのまま滑落する動力を失った民間機のようにでたらめに飛んでいた。《幻影》はそれを忠実なまでに追随し、
「馬鹿正直に真正面から戦うのはバカだけなんだよ!」
怒号と射出音が重なり、装甲の破砕音が静寂の中に響き渡る。
《隼》の頭部、真芯を捉えて鉄杭が貫いた。
瞬間に、もうひとつだけ音が重なったことに彼らは気づいていた。
乾いた銃声――それは寸分違わずに、《幻影》の側頭部を叩いていた。
致命的な破壊力の、彼らと同等ほどの複合装甲すら突き破る大口径弾。それが僅か数センチの、鉄仮面側面部にある継ぎ目らしき窪みを穿ったのだ。
《幻影》が勢い良く横っ飛びしながら地面に叩きつけられる。地面を擦って砂煙を上げるその中で、再び銃声が轟いた。今度は反対側。勢いが止まり、砂煙の中に男が沈んだ。
動かない――のは事態の沈静を待っているからではないだろう。指先すら動く気配が無いのは、中身に動けぬ理由があるから。
すなわち、その衝撃を受けて失神したのだろう。
「くっ……痛ぅ」
着地もままならぬまま、《隼》も校庭のど真ん中に叩きつけられる。車に轢かれたカエルのように無様に落ちてから、ゆっくりと立ち上がった。
「俺はバカだよ。勉強も出来ない、まともに人間関係もつくれない」
後ろから二つの足音が駆け寄ってくる。だけど、決して隣に並ばない。
《隼》は確かにあの銃撃音を聞いた。その銃撃に助けられた。
最後の最後に、ここぞという最良のタイミングに。
「だが貴様はそのバカに負けたんだ。なぜだか、わかるか?」
フェンスを引き裂いて、その向こう側の通りに出ていた。
《幻影》は正面にある塀に手をついて、よろよろと立ち上がろうとしていた。
首を掴み、力任せに立たせる。
「俺たちを敵に回したからだ」
誰も欠けずに、笑顔で日常に戻っていく。
理想だ。そんな理想を真剣に語れるのは、やはり馬鹿だけかもしれない。
「……そうか」
男はそれだけを言い残す。
《隼》は首から手を離し、塀に寄りかかった《幻影》を確認する。
力いっぱい腕を引き、力いっぱい解き放つ。
拳は鉄仮面を力の限り叩き割り、塀ごと砕いて《幻影》を撃破した。
既に目覚めていたその民家の住人はにわかに騒がしくなって庭に殺到し、仮面の砕けた血まみれの男を発見する。
そして暫くしてから、立ったまま気絶する青年の姿を塀の瓦礫の上に発見して、心臓が止まるほどの驚愕と、また近所迷惑な大絶叫をぶちまけた。
それがその日の夜、最後に聞こえた大音声だった。




