5.感触
「もう、ダメかも」
《兎》がぽつりと零した言葉を、踏みにじって無かったことにするのは《猟犬》だった。後ろに向いて、背中合わせになる形でどこにいるかわからない《幻影》に対応している。
「バカ言っちゃあいけないわよ。前向きなさい」
背部からミサイルを射出。
爆発。
霧がにわかに晴れて、そこを広げるように対面の霧にプラズマ砲をぶち込む。
「下向くより、ずっと世界が広がってるわよ」
「でも」
「自分で選んでここに来たんでしょ? 自分で選べるなら、勝てるかも、ってのも思えるでしょ? 誰にもあんたの可能性を測ることなんてできねーのよ。要は、意思の問題よ」
爆炎を引き裂いて飛び込んでくるのは《幻影》の実体。
ここぞとばかりに吐き出したミサイルは、しかし回避されて虚空を穿つ。校庭のずっと遠い所で爆発が起こった。
一気に距離を詰められて蹴りが襲来。跳躍で回避すれば、空中に浮いた瞬間に鉄杭が腹を貫いた。
「させません!」
もう一本の腕が弓なりに大きく引く。
瞬間に、《兎》が《猟犬》の背後から躍り出た。充電に唸る腕は既に赤熱し、その熱量に耐え切れないかのように亀裂を走らせている。
それでも確実に一発は放つことはできるのだ。砲口で脇腹を小突けば、それだけで動きを拘束できる。
「終わらせた、とでも思ってるんですか? 終わりませんし、終わらせることもできません。お互い様、ですけどね」
右腕が致命的な悲鳴を上げた瞬間、充電半ばで堪らず電撃を放出した。
まるでそのタイミングを知っていたかのように《猟犬》を投げ飛ばして身を翻す。紙一重でプラズマが回避され、異様な腕の重さだけが残った。
《幻影》が横に回る。鉄杭が頭を貫いた。
反射的に敵影の腹に押し付ける砲口。数秒の充電で溜まったプラズマが、一瞬だけ激しく昂ぶる爆発となって襲いかかった。
《幻影》は彼女を蹴り飛ばして勢い良く飛びのく。その身は即座に霧の中に隠れるも、纏った炎が己の隠れ蓑をかき乱していった。
霧が乱れて軌跡が辿れる。
追うべきか?
刹那の迷いを断ち切るのは、《猟犬》の言葉だった。
「今深追いする必要はないわ」
「でも」
「個人で倒せる敵じゃない。それに、今のコンディションでいけるの?」
「それは……」
近くに何かが落ちた。そんな音がして、霧に穴が空いた。
濃霧が徐々に薄れつつある。そこに、一人の男の影があった。
「一人で突っ込んだ俺が言うのも説得力の無い話だが――」
どこか辟易したような声調で、身体の八割を結晶化した《隼》は言った。
「協力が不可欠だ」
「本物の伊達くんなんだね?」
疑わしげな声で《兎》が言う。後ろ手を組んで、ゆっくりと彼の周りを回るようにして様子を伺い始めた。
「本物だ。疑うな」
「だって、偽物には随分と非道いメにあわされたんだよー? いきなり殴られたり、蹴られたり。犯されるかと思った」
「どうやってだよ」
うんざりしたように肩をすくめる。
《猟犬》はそのやりとりに苦笑しながら――その犬の聴力で音を聞き分ける。
幻想などではない、現実の足音。振動。その気配は着実に近づいている。
なまじ戦略兵装など無くても手強い相手だ。
多分――今度の手が通用しなければ、終わるだろう。
「最初で最後よ」
その一言で、一挙に場が引き締まった。
二人は無言のまま頷き、残る一人は無口に先頭に立った。
「俺についてこい」
眼部が紅く輝く。レールの根本が軋む音を上げて大きく開く。
「行くぞ」
瞬間、その背部から爆発が起こった。
指向性の無い圧縮空気が行き場を求めて殺到し、背部で弾けたのだ。
凄まじい暴風に煽られる《兎》と《猟犬》は、それでも脇目もふらずに走りだす。まるで十戒の海のように真っ二つに割られた霧の中を先行する《隼》の影は、もう見えなくなっていた。
《猟犬》はミサイルに、《兎》はプラズマ砲に、互いに限界を悟りながらも力を込め始めた。
超速度で《幻影》の横を通り過ぎる。その一歩分後ろで勢い良く軸足で地面をたたき、圧縮空気の片方を停止。すると身体は、勢い良く反転した。
背後に回り込んだまま、展開する翼のような鉄骨を掴みあげる。そこから排出される霧を受けても、掴んでしまえば意味が無い。
「俺と同じにしてやるよ」
その筈だった――。
――瞬間、手の中から硬質の手応えが失せた。何かを掴んでいるはずの手が、空を掴んで拳を作った。
辺りに暗雲立ち込める。冷気が首筋を撫で、ここが正気でないことを教えてくれる。
それは理解できる、だから頭は冴え冴えと正常なのだが――幻想は認識できても、現実は見えない。故に、何も出来ない。
失策か、と思いながら掴んでいるだろう翼の破壊を試みる。瞬間、思い切り腹を蹴り飛ばされた。
背部からの圧縮空気の噴出。勢いは相殺。そのまま弓なりに振り上げた腕を虚空に叩きこむ。やはり感触は無い。
それでも圧縮空気のお陰で黒霧が薄れてくる。《隼》は己が動かぬように大地を踏み込んで勢いを受け止める。それでも堪えきれずに二つの轍が出来上がり、えぐれた土がその脇にどんどん盛り上がっていくのだが。
道が開けた。
眼前に鉄杭をきらめかせる敵影を認知。
同時に、背後から怒涛となって迫ってくる二つの気配を認める。
空気の噴出を停止。それと共に勢い良く後ろへ飛び退った。
それが以外だったか、飛び込んで来る幻影を見たのか、《幻影》の右腕は空を貫く。射出する鉄杭は小気味よい金属音を鳴らして大気を穿った。
まず始めに、脇を抜けたミサイルが直撃した。爆炎が上がり、暴風が一気に黒霧を払拭する。
腕を胸の前で交差させる《幻影》はほぼ無傷。それでも体勢を崩し、たたらを踏んでいた。
「行ってこい!」
入れ違いに《隼》の横を抜ける《兎》。その背に手を沿わせて、ボールを投げるように勢い良く彼女を押し出す。小さな悲鳴が上がり――後頭部から流れる長い髪から燐光が舞った。
「行けえええッ!」
咆哮が溢れるのは口と腕から。瞬く間に咆哮が輝き、周囲の大気が数十度も上昇する。
発射――着弾。
輝きの中で《幻影》がただの影に変わり、そして跡形もなく消し飛んでいく。その延長で腹をぶち抜かれた校舎は、触れた部分を瞬く間に蒸発させて、綺麗な円形の穴を穿っていた――。
❖❖❖
爆音が響く。
確かな爆音だった。
それが《隼》の背中にぶち当たり、彼はそのまま勢い良く吹っ飛ぶ。身体は校舎に叩きつけられ、放射状の亀裂を生む。
彼は世界を見下ろしていた。自分が居た戦場を眺めていた。
煙の中に堕ちた世界――今正に放たれたプラズマ砲は何もない空間を撃ち抜き、校舎に致命的な一撃を食らわせていた。
「な……何、が――」
「起こっているのか、理解できないのか?」
壁に埋め込まれていれば、すぐ横から声が聞こえる。窓枠に乗り出した《幻影》が、月明かりの下に姿をあらわにした。
「いいユメだったかい? 《隼》さんよ」
「夢、だと……?」
いつから? どこから?
どの思考が本当で、どの現実が真実なんだ?
混乱が導き出すのは思考の混沌化だけであり、困惑は絶望的な無力さを認めさせる。
「最初からだ」
《幻影》が言った。
「お前が私の背に張り付いた瞬間から今まで。どんなユメを見ていたかしらないが」
どこか皮肉げな笑みを浮かべているのが、上ずる声色からわかる。
むかつく。
だがそれを表現するだけの威厳と力が無い。
「ゴキブリ退治でもしてたのか? こんな、ずさんな作戦で」
無駄な結晶化までして。命を削ってまでして。
それらが全て、余すこと無く全てが無駄だったと男が言った。未練も憐憫も無く、隣の客が料理の半分以上を床にぶちまけたのを見たかのような感情で。
「《隼》! どこに居るのかわかんないけど――」
霧の中から声が聞こえる。《猟犬》の必死の叫びは、にわかに現状を理解しているものだ。
どうやら声や行動はそのまま思った通りに可能らしい。この霧はその認識と手応えを狂わせるのだ。まるで別の映像を見せられ、自分がその中に居るかのように錯覚させられる。タネがわかっていても、どうしようもない兵装だ。
「アイツ、中身人間かもしれないって! タカギが、前言ってたのよ!」
相手に知られてもいい。確かに弱点たりえる情報を、彼女は伝えたかった。
そして、《幻影》はその瞬間だけ動きを止めた。最初から止まっていたのだが、無かったはずの隙が生じた。
《隼》は見逃さない。そして逃さない。
窓枠から出ている首を蹴りあげた。思わぬ衝撃に《幻影》は驚いたようにバランスを崩し、外へ落ちていく。
壁から身体を引き剥がして、落ちていく《幻影》に掴みかかった。後ろから羽交い絞めにして、首の後ろで手を組んだ。
間近に見て、そしてどうして今まで気づかなかったのかと思う。
この外骨格に隙がない。あらゆる意味で、だ。纏う鎧として、物理的な隙間がほとんど無い。
本来ならば柔軟性をもたせる意味でもいくつもギミックを備えるのだが――これには無い。
首筋を見る。後頭部から降りてくる鉄仮面の縁は、まるで本物のように頸部の真ん中で途切れる。襟のように反り上がる鎧がそれを隠している。
頭部の横には謎の継ぎ目。こめかみの辺りにネジ穴のようなものが見える。
(なるほど、な)
納得がいった途端に、力任せに身体が回転する。直後に間髪おかず、背中に痛烈な衝撃。《隼》は下敷きにされた。
「クソ、油断も隙も無いヤツだ」
呼吸を乱しながら、《幻影》は《隼》から逃れるように転がり、立ち上がる。
収納していた翼を展開。
同時に、横合いから飛び出してきた《猟犬》が勢い良く喉元に噛み付き――外骨格を解除。喉に指先を引っ掛け、胸元に手をかけ、仮面を剥ぎ取るように力を込めた。
しかし、まるで動かない。かと思えば、僅かに軋んだ。何かが擦れて、ずれたのだ。
それを認めた時には、犬飼は肘で腹を殴り飛ばされる。甲高い悲鳴を短く漏らして、背中で地面を打った。そのまま後転するようにして、再び四つん這いになる。外骨格は、ものの数秒で再び《猟犬》を作った。
「やっぱりヘンよ」
隣に追いついた《兎》を待って、彼女が言った。
「奴は充分強いのに、自分からトドメを刺しにこないでしょ?」
「ビビってるだけかと思っていたが」
《隼》が、ふ、と笑った。
「万全のコンディションで怯えていただけか」
「うわお、素敵な挑発だね」
「これに乗って来られるような意気地のあるヤツではないだろう」
「一理あるわね」
数歩手前で対峙する《幻影》は、黒霧を発生させるのも忘れて彼らを睨んでいた。
久しぶりにプライドが傷ついた。
いや――あるはずのないプライドが生まれていた。伊達仁志と、《隼》と戦って、維持が、安いプライドが刻み込まれていた。
自分が弱いだと?
上等だ、確かめさせてやる。
そう言わんばかりに拳を握り、
「二人共、下がっていろ」
《隼》はそれだけを残して、勢い良く地面を蹴る。
「特異武装、起動」
眼部が紅く輝くのを契機に、上昇が急加速した。僅か数秒で、その場に居る全員が彼の姿を見失った。




