3.怒涛
何が起こったのか、理解するのは難しかった。
距離は少しは開いていたはずだった。なのに叩きこまれた拳には避ける余地など一切無く、そしてまたかなり距離があったはずの《鷹》は、気がつけば胸を貫かれていた。
引きぬかれれば、倒れこむ肢体。
ガラスが砕けるような透き通る甲高い異音。結晶体は長刀を手から離し、地面に叩きつけられた。
「これで三つ目だ」
《幻影》が言った。
彼の手には、球形の結晶が握られていた。結晶化したコアだった。
それはまるで溶け出すように形を崩して、紅く輝きながら手の中から外骨格内へと吸収されていく。
鉄仮面の穴から漏れる光に暗さが増す。
倒れた《鷹》を蹴り飛ばす。窓ガラスを蹴り破るような透き通った破壊音を響かせながら、辺りに停滞する黒い霧を引き裂いて空中へ。
弧を描いて飛んだ《鷹》は、そのまま勢い良く飛んで地面に叩きつけられた。学校の敷地を出た、ちょうど学校の正面に走る二車線道路で――絶望的な、断末魔にも似た音が叩きつけられる。
ガラスが割れるような、金属がひしゃげるような、岩石が砕けるような、現存する物質は出すことがないだろう不協和音。
深夜の校庭で、薄靄のような黒霧が視界を覆う。
それでも《隼》には、確かに《幻影》の姿が見えていた。
見えないわけがない。
見逃せる筈がない。
「貴様……ッ」
「ようやくか。万全のコンディションだな、互いに」
「コンディションだと? 貴様は……馬鹿野郎がッ!」
両腕の返しが浮く。本来の役目を果たさずに、それは大気を吸い込む傀儡となっていた。
背部レールを僅かに展開。九十度から四五度ほど上がると、瞬時に大気を噴出させた。
それに合わせて地面を蹴り飛ばす。
身体は、まるで背負ったロケットが作動したかのような勢いで急浮上する。いつか、屋上で飛んだあの時のように。
怒りの言葉と裏腹な行動に《幻影》は戸惑いながらも、誘いに乗ったとばかりに肩から脇腹へと収まったレールを解き放つ。地面と並行に伸びれば、そのレールの下部から黒煙が噴出。同じようにして、空へと飛び立つ。
《幻影》が校舎を遥か見下ろす地点へと到達した時、彼は既に《隼》の姿を見失っていた。
直後に衝撃。
背中を殴り飛ばされた《幻影》はバランスを崩して急降下する。
「――ッ!?」
それを上回る速度で眼前に衝撃。身体がくの字にへし折れて、落下速度と重量とを無視して上空へと吹き飛んだ。
大気を貫く。
外骨格が激しくへこみ、激痛がファンを痛めつける。
《幻影》が《隼》を真正面から相手にするには、彼はあまりにも遅すぎた。
大前提に考えておくべきことだった。
《猟犬》や《兎》などの、初期構想型の模倣よりも――完成された初期構想型は数倍の戦闘能力を有する。
コア一つで五分の戦闘。
コア二つで三○分の戦闘。
以降は駆動時間の増大とともに、黒霧に戦略兵装の効果が付与する。
三つでは足りない。
《隼》を斃すには、完全でなければならない。
侮っていた。
驕っていた。
その精神的落ち着きが、ファンの能力をより高みへ引き上げるきっかけとなったが――。
「その程度で、貴様は俺に手を出したのかぁっ!」
眼部が真紅の輝きを放つ。その影が両腕を振り上げて目の前に現れた。
構えた右腕を放つ。そんな暇など、当然無い。
両手を組んだ《隼》は、さながら大槌を振り下ろすように《幻影》の頭部に叩きこむ。
鉄仮面の一部が欠ける。小指ほどの小さな破片が弾ける。
衝撃が逆さにした傘状に弾けるのが目視できた。空間が揺らぐその中心から、敵影が急下降。数秒後に大地に煙が上がり、数瞬してから轟音が響いた。
「馬鹿やろ……、ん?」
最後に言葉を吐き捨てようとして、《隼》は異変を感じる。
《鷹》は死んだ。死んだのならば、そのバラバラになった結晶は道路で散らばっている筈なのだが――彼が見下ろす学校周辺には、《鷹》の肢体はおろか結晶すらない。
「奴は、死んだ」
期待は拳の冴えを鈍らせる。即時の判断を狂わせる。
わかっている。だが――改めてそう口にして、自分に言い聞かさなければならないほど、彼は期待にすがってしまう。
前を向いて現実を処理するより、上を向いて夢心地でいるほうがずっと楽なのだ。
彼はゆっくりと下降しながら、限りなく無音である地上五○メートルくらいを、最後の晩餐よろしく味わっていた。
校舎前の花壇に叩きつけられた《猟犬》は、依然として癒えぬ傷にあえいでいた。
傷が治らない――ありえないことだ。
コアさえあれば傷など負わない。すぐに治癒され、無傷に戻る。
コアさえあれば無限に戦い続けることができる人間兵器。ただ一つの個体で、街の一つを潰すことくらいは容易い。
だがそれを逆手に取れば、コアさえ奪えば死ぬのだ。
コアを傷つければ、ダメージを受けるのだ。
今の彼女は、正にそうだった。
鉄杭がコアをかすめた。その鉄杭は射出時の摩擦によって高熱を孕んでいた。
それがコアを焼いたのだ。腹に穿たれた穴はふさがらず、感じるはずのない痛覚は明確なまでに激痛を訴えている。
回復しないから、体内をめぐる鮮血が溢れかえり流れだし、喀血するまでに至る。
人ならばまだしも、犬が血を吐く姿は想像以上に痛々しい。彼女は客観的にそう思いながら、それから「馬鹿馬鹿しいわね」と苦笑交じりに立ち上がる。
コアの影響で外骨格を展開する彼女らは、ゆえにコアの機能が低下すれば身体能力や五感は人の時に近くなる。人に戻れるわけではない彼らにとってそれは、ただの大きなデメリットでしかない。
「でも、やるじゃないのよ」
上空で停滞する《幻影》に対して幾度も連撃を試みる《隼》。敵影は容易く吹っ飛び、受け止められ、叩き上げられ――そして叩きつけられた。
衝撃が大地を激震させ、校舎さえも震え上がらせる。
クレーター状に地面に穴があいて、その中心を、油断なく《兎》が警戒する。右腕の兵装は準備万端で、いつでも攻撃は可能だった。
「あの高城も、これで浮かばれるわね」
コアがこの調子では、ミサイルも精製されない。
だが動ける。
動けるならば、戦うしか無い。
自分たちは、そのための力しか持たないのだから。
「伊達くん、すごい……!」
超スピードで地面に叩きつけられた《幻影》に目を丸くしながらも、《兎》は右腕の砲口を突きつけていた。
周囲の大気はこれでもかというほどに加熱し、身体も沸騰しそうなくらいに熱している。右腕は赤熱しはじめ、周囲はバチバチとプラズマが弾ける。
敵が斃れたとは思えない。
だが倒せるかもしれない。
そもそも悲観などしていなかった彼女にとって、その希望は大きかった。
突然現れた敵が、友人の仲間を殺した。今回はその報復、というくらいの認識だった彼女には、その程度の期待で充分だった。
そしてそれが失策だった。
希望は抱くと同時に油断を生む。
素人の油断は致命的な隙を生み出し。
「……っ?」
もうもうと上がる砂煙を引き裂いて、突如として《幻影》が距離をつめた。
驚いて引き金を引く砲口は猛烈な唸り声を上げて閃光を噴出する。
弾丸のように、しかしそれよりも遥かに速く迸るプラズマ砲。輝きの尾を引くそれは、《幻影》の少し上あたりの虚空をぶちぬいて不発。
その反動で後ろへすっ転んだ《兎》は、頭部から伸びる頭髪、として関節の節々から高熱の空気を排出して冷却するのだが、
「四つ目だ」
転倒ゆえに地面に叩きつけられるよりも早く《幻影》が彼女を押し倒した。
顔面を掴んで、頭から地面に押し付けられる。突如の事態と、プラズマ砲の反動、熱の副作用で動きを鈍らせている隙を狙って、胸を貫かれた。
引きぬかれたのは黄色のコア。
掴んだコアを握り潰せば、指の隙からそれらが溢れて腕を伝う。そのまま消えてなくなるように、腕の中へと吸収されていった。
「あとニつ」
声が上ずる。
《兎》を睨んだまま、《幻影》は楽しそうにそう言った。
彼女はそれに、明確な恐怖を覚えた。
夜道で、変質者と対面するのに似た恐怖だ。
何をするかわからない。彼女は直接的な死よりも強く、この男が起こす行動に強烈な不安感を覚えていた。
本領発揮と言うべきか。
《隼》が着地したのは屋上だったが、校庭はもはや地面が見えないほどに黒い霧に包まれていた。
アレが肝なのかもしれない。敵が保有する、最初で最後の兵装なのかもしれない。その推測は容易かったが、それではどういった効果があるのか? ただの煙幕なのか? そこまではわからない。
ただ一つ言えることがあるとすれば、つい一、二分前までの《幻影》とはわけが違うということだろう。




