2.交差
大穴が開けられた教室に飛び込んだ瞬間、弾丸のように机が飛んできた。
頭を下げて身体を伏せる。頭上を過ぎた机は、きりもみしながら廊下を貫き、窓を突き破って外に落ちた。
「素人か、お前は」
それに気をとられている内にファンが迫る。反応する前に、《猟犬》は勢い良く頭を蹴り飛ばされた。
彼女は廊下に叩きつけられる。ファンは追撃とばかりに《猟犬》の腹を踏み潰そうと足を下ろすが、反射的に転がって回避。踏み下ろした足は甲高い音を立てて、リノリウムに放射状の亀裂を走らせた。
「白兵戦は嫌いなのよ! いちいちうっさい!」
「眼中にない連中に邪魔された気持ちがお前にわかるか? 私は……お前など!」
「他人の気持ちがわからないって怒ってんの? 皮肉よね、それ」
立ち直った両者は睨み合う。
大穴の空いた屋上から落ちた二人は、外へ出る選択もせずに校舎内での戦闘を続行していた。
《猟犬》は皮肉そうに笑う。
いかにも筋骨隆々とした外骨格を纏う、しかしその装備に名すらないファンは短く舌を鳴らした。
「あたしも同感よ!」
開けた大口からミサイルが発射する。点火し、炸薬の推進力で吹っ飛ぶそれではない。ギミックのように、バネの力で勢い良く吹っ飛ぶのだ。
だからミサイルと言うよりは、ミサイルのような弾丸、という認識が一番正しい。
秒速四キロメートルを超える速度で肉薄。
ミサイルが纏う磁力に弾かれたかのように腕を振り上げ、横に身体を逸らす。その脇腹すれすれの位置を通過し、廊下の最奥の壁に激突。
爆炎を上げ、校舎が激しく振動する。天井から粉が降り注ぎ、鉄骨が軋む嫌な音がした。
「この施設を破壊するのが目的か?」
廊下の奥は炎に包まれた。その煙に反応した消火装置がけたたましいベルの音を響かせ、天井のスプリンクラーは降雨を試みる。
瞬く間に床に水がたまり、外骨格が濡れる。業火は未だ消火に至らないが、その勢いは早くも収まりだした。
シャワーに打たれながら、二人はただ睨み合う。水たまりを打つ無数の雫の音だけが、虚しく響く。
ミサイルは避けられた。
攻撃は避けられ続けている。
この事実は確かであり、ゆえにただ数度の邂逅で互いの実力は認められた。
「まあいい」
短いため息。両腕を腰に回したファンは、マントの下に手を突っ込んだ。
かちゃり、と金属が擦れ、噛み合う音。
再び振りぬいた両腕には、無骨な箱状の何かが装着されていた。両拳の先に、それと同じほどの大きさを持つ鉄杭が顔を覗かせた。
そうしてから、マントを外す。
警戒する暇もなく、彼はそれを投げ捨てた。
何もない空間に巨大な布の壁が出来る。視界に何も映らなくなる。
(こいつ……!)
《猟犬》が唸る。背部が開き、固定具が肉体から排出。その上に乗る円筒状の弾丸が、即座に狙いも定まっていない、定まっていても追尾機能などないまま射出される。
ほぼ無音のまま、誰よりも早くマントを貫いた。その強化繊維で紡がれた布ごと廊下の奥を突き抜けて――ファンは予想を裏切るように、壁に背を這わす慎重な動きでにじり寄っていた。
気がついた時には、距離は数歩ほどしか空いていない。
(強いッ!)
外骨格の性能差ではない。中身が、掛け値なしでかなりの実力を備えているのだ。
化け物じみている。
正真正銘の人外にそう評されれば、ファンの努力も報われる。正確には、技術者の時間と努力だが。
ミサイルの再装填は間に合わない。
回避するにも、腕の鉄杭がどの程度の射程を持つのかわからない。一メートルは無いと踏んでも、距離はファン自身に詰められるだろう。
刹那に過る思考は無数に及ぶが、選択できるものは幾つかに限られ、実行できるのはただ一つ。判断は適切でなければならず、それ以外は即、死に繋がる。
《猟犬》が動いた。
同時にファンも床を蹴った。
水が弾け、飛沫が上がる。
極端なまでに迫った両者の距離はゼロになり、両手を十数センチ先で交差させても、その攻撃は彼女に届かない。
近すぎる距離は、《猟犬》に機を産んだ。大きく開けた口、その輪郭に沿って親指ほどの白刃が瀑布のように連なって悪辣に輝く。
生えそろった牙がファンの喉元に食らいついた。
がきん! と音が響く。その振動が頭の中で乱反射する。
強靭な鋼よりも硬い喉には、傷ひとつ刻まれない。限りなく恐怖に似た驚愕が自分の中に生まれた。それを認識した時に《猟犬》は首根っこを掴まれて、猫のように投げ飛ばされた。
犬の身体が宙に飛ぶ。踏ん張れず、身動きできない。後ろは窓で、ガラスは割れていた。
落ちる――覚悟の瞬間に、鉄杭が閃いた。
射出する鉄杭が破断の音を散らす。激しい金属音と、鉄杭の根本に火花を瞬かせて、五○センチ強、直径十五センチ以上にも及ぶ杭が《猟犬》の真芯を捉えて、ぶち込まれた。
鋭い切っ先が装甲を引き裂き、柔い筋肉を貫いて背部を抜ける。
貫いた衝撃が肉体内部の、太い筋をズタズタに引き裂いた。
窓の外に踊り出る《猟犬》の身体が、杭に貫かれて宙に浮く。その自重で縦に大きく裂けて、杭は腹から胸にまで至った。
彼はそのまま《猟犬》の腰部を引き裂き、筋繊維の奥にある藍色のコアを奪い取った。
「言っただろう、お前に用は無い」
感情のない、まるで機会音声のような熱のない声でファンが言った。
「何者よ、あんたは……」
「ファン」
そう答えてから、少し迷ったように《猟犬》から目をそらして、改めて付け加える。
「ファントム」
《幻影》。中身も、外骨格も含めて称されるその認識記号は公式のものだった。
もっとも、それは仮称に過ぎないが――それでも彼は気に入っている。《幻影》。
誰にでも見えて、誰にでも見えない。
自分は、自分を認められる相手を見つけることが、人生での課題となっている。良いではないか。名が体を表すとは、このことだ。
《猟犬》はその言葉を最後に、窓の外へと突き飛ばされるように落とされた。
初めに長刀が弾けた。
まるで閃光のように鋭く疾い一閃。首筋をよぎって虚空を貫いたそれは、それだけに終わらずに横に薙ぎ払われる。
進行方向に首を倒せば、側頭部を切り裂いて長刀が過ぎた。
疾走の準備段階に置いた肉体には、既に背部レールが展開されている。両腕の返しが僅かに開いて、その隙間から空気を吸い込む。体内で圧縮された空気が、一挙にレールから排出された。
圧縮空気の噴出で身体が急加速する。
鎌の刃のように大きく振り上がった腕が、容赦なく顔面を狙い――頬を掠めて遠ざかる。《鷹》より遥か後方で停止した彼は、異常なまでの興奮に、乱れる筈のない呼吸を激しくして、肩を上下させる。
軸足でブレーキし、その勢いで振り返る。
「はあ……はあっ」
敵を撃破する。
そのために放った拳は、当たらなかった。
当てられなかった。無意識に――否、ほとんど反射的に、それでも自分の意思で軌道を逸らしたのだ。
全身の筋肉がこわばる。頭の――コアの芯が、溶け出すほどに熱くなったように感じる。
(出来ない……)
声に出さずとも、考えてしまった。
負けることはない、と思う。少なくとも圧倒はされないだろう。
だが勝てない。
大局的に見れば敗北だ。
「……《鷹》っ!」
子供のように地団駄を踏む。それだけで地面は振動するし、足の形のくぼみも出来る。
《鷹》が暴走期に至ったならば、死んだも同然だ。
少なくとも、高城千里という男にとってはもう手遅れだ。暴走か安定かの違いは、コアが残るか否かの違いでしか無い。モデルとされた個体が中心となるわけではないのだ。
高城が死んだ。
少なくとも《隼》――伊達仁志にとっては、そちらが重要だった。
同胞の死。
戦友の死。
親友の死。
兄弟の死。
それらが一挙にやってくる。一度も体験したことのないそれを、十七歳の精神が堪え切れるはずがない。
戦わなければならないという使命感と、こんなことなどありえないという困惑が彼を惑わせる。
(握った拳は、何に叩きつければいい?)
敵だ。
(ならば敵はどこにいる?)
目の前だ。
(あれは《鷹》だ)
あれが敵なのだ。
(そんなの嘘だ。ありえない)
《隼》は、呼吸するように眼部の赤い輝きを明滅させる。
長刀を構えなおした《鷹》が走りだす。距離は無情に刻々と縮まり、敵影は徐々に大きくなっていく。
――特異武装、起動。
《鷹》の両腕が、肩が、背中が、その長刀を扱うにあたって重要な筋群があるべき部位が輝いた。両腕が肩から膨れ上がり、二倍以上の太さになる。
『怪力』。
常時発動の特異武装だが、集中からなる『溜め』の一撃は全てを凌駕する破壊を生み出す。
「……っ!」
どうあっても、彼が《鷹》であることを否定できなくなった。
悔しい。悲しい。残念だ――そこから繋がる行動は?
立ち止まって泣き叫ぶ。
不条理だと怒り狂う。
茫然自失と立ち尽くす。
「馬鹿馬鹿しい」
選択肢を全て躙り、《隼》は甲高い音を立てて地面を踏み抜いた。
「特異武装っ、起動っ!」
《隼》の眼部が激しく輝き始める――よりも、速かった。
膨れ上がる力は、相応に動作の加速化を進行させる。故にその絶大な破壊力は、イコール速度に繋がるのだ。
振り上げられた長刀は、気がついた時には陣風巻き起こし大地を叩き割っていた。
粉塵巻き上げ迫る衝撃。その身に触れる暴風は無数のカマイタチからなり、複合する巨大な刃と化して《隼》に襲いかかった。
外骨格の肩口から袈裟に、押し当てるように刃が触れる。直後に装甲が悲鳴もあげずに両断された。
背後にあるフェンスを引き裂いて、暫く進んでから霧散する。
大地には、その軌跡を深く刻む。校庭の真ん中から、敷地外にまで及ぶ長い溝が出来上がっていた。
長刀を振り下ろした形で停止する《鷹》の先で、左腕が繋がる上肢と、右腕が繋がる下肢とで斜めに別れた《隼》の外骨格が倒れていた。
《鷹》は一息で跳躍すると、そのまま切っ先を下に向けて落下する。
着地よりも先に、長刀は《隼》の眼部を砕いて頭部を貫く。力を入れすぎた卵のように破滅的な亀裂が頭部を覆う。そうして刀ごと、その頭を釘付けにした。
執拗に両足で両肩を踏みにじり、やがて挙動は完全に封じられた。
「伊達くん!」
《兎》は彼の名を呼び、駆け寄ろうとする。
「来るな」
ほとんどこもって聞き取れないような声で《兎》を制する。
助けがいらないわけじゃない。単純なもので、未熟な《兎》が相手にできるものではないと判断しての言葉だった。
彼女が正真正銘全力全開の《鷹》と戦って生き残るなど、どだい無理な話である。
《鷹》は手を伸ばし、頭部の装甲を引き剥がす。鮮血を垂れ流し、ピンク色の筋繊維が覗く。その奥から、コアが鈍い輝きを放っていた。
これを奪うだけで、伊達仁志は死に《隼》は機能しなくなる。
《兎》は数十メートルの距離を保ったまま動かず、右腕を突き出して構えた。拳は内に引っ込み、腕に砲口が開く。
その奥から輝きが溢れだし、周囲の大気が加熱。バチバチと電気がほとばしり始める。
が、彼女の兵装がその真価を発揮するには時間が足りなかった。
「ほんとに、《鷹》……お前は」
両腕の返しが開く。
筋繊維を引きちぎる手がコアに近づく。
瞬間、閉じた背部レールがそのまま勢い良く圧縮空気を噴出した。
凄まじい振動に、彼の上に乗っていた《鷹》は盛大に姿勢を崩す。ひっくりかえって地面に落ちると、同時に《隼》は自分に刺さる長刀を引きぬいて投げ捨てた。
立ち上がる。両断された身体は、既に完治していた。
「そんな力で、俺に勝てると思ってるのか? 暴走しているなら、全力で来い!」
それ以上無様な姿を晒させない。
全力で交わった後、全力で撃破する。
吹っ切れた彼は、それを覚悟した。そしてそれが元来の約束だった。
怒りでも、使命感でもない。
そうしてやりたいと、初めて思ったのだ。
その瞬間に、背後で何かが落ちる音がした。校舎のすぐ下で砂煙が上がる。
振り返った瞬間、《隼》は上空から飛来する影を認めた。肩から伸びるアーチ状のレールを展開し、そこから漆黒の濃霧を噴出して飛行する《幻影》。
それは瞬く間に、彼のすぐ近くに着地した。
怒涛となった霧が瞬く間に辺りを黒く包み込んだ。
大股で迫る《幻影》へと構え――そして視界の端に飛び込んでくる《鷹》へと反応した刹那。
距離があいていたと思っていた《幻影》の拳が彼の顔面を穿つ。
吹っ飛ぶ最中に、閃く斬撃。肉薄した《幻影》は《鷹》の懐に潜りこみ、降り注ぐ長刀を腕ごと弾いた。
軌道を逸らされた刀身が大地を叩き割る時、そのでたらめな距離感で迫った《幻影》は、確かに破壊音をかき鳴らしながら、《鷹》の胸を貫いた。




