第三章「An Known」
「なんだってんだよ、くそ!」
佐渡は毒づいた。
己が進んだ軌跡を描くように砂礫がはじける。乾いた銃弾が連続して響き――それを上回る速度で、銃撃の主がその巨漢へと肉薄した。
息を呑む。即座に身体を極限に脱力させて地面に尻から崩れ落ちる。
刹那にして振るわれた銃底が空を切り裂いた。ちょうど佐渡の頭上であった。
「なんで、てめえらがッ!」
襲い掛かってくる敵影は漆黒。甲冑のような金属が擦れる音が響く。
空の缶を蹴り飛ばすかのようなこもった音を反響させながら、その腕で佐渡の首根っこを掴まんと伸ばした。
彼は前方の空間に飛び込むようにして魔の手から逃れる。それと引き換えに、腰のポーチに収まった円筒形の手榴弾を投げる。
「は、リングトリックだ!」
手の中に残るピンを投げ捨てながら走りだす。まもなく、後ろで盛大な爆発が起こった。
全天余すこと無く震え上がり、衝撃が鈍く視界を歪める。膨れ上がる炎と衝撃の残滓が佐渡の背中に叩きこまれ、突風に飲まれたように身体が浮かんだ。かとおもいきや、肉体はそのまま勢い良く地面に叩きつけられた。
地面?
肯定である。佐渡はそこで気がついた。己が施設から遠く離れた地にまでたどり着いていたことに。
己の脚で。この身体で。
施設のリノリウムを超え、十二キロも先にある街にまで降りてきていたのだ。
宵闇もそろそろ明けようとする時刻。静寂の中にある、街の中に。
「趣味が悪いな」
背後で轟々と唸る火焔の中から現れた影が言った。
その男の背後から、蒼炎を瞳から漏らす影があった。業火を上げる影もあった。奇妙な橙も、黄色も、緑も、藍も。その鮮やかな色合いに反する立ち並びは、世界を歪めるほどの禍々しささえある。
横並んだ六つの人影を背景にして、その白髪頭はアサルトライフルを突きつけた。
「まさか……」
佐渡が立ち上がりながら思いを巡らせる。つい先日、ようやく至った答えに六つのカラフルな形成者の記録があった。『無人』と『量産』に観念を置いたものであり、それを統率する男が、
「ファン」
その挑発的な色男だったのだ。
ならば彼らの目的など、訊くまでもなく理解できる。己の命をねらわれた本当の理由を察することが出来る。
「おれを始末に来たわけだ。おまえ風情が」
体力的な問題はまったく無い。だが――戦闘能力はどうだろうか。
相手は一騎当千たる人間兵器。それが合わせて七……到底、ただの傭兵上がりの男では太刀打ち出来ない。武装も充分でないし、火器類などリボルバーだけである。
「ああ」
男は短く答えた。壮年か、中年かすらわからぬ風貌の理由は、場馴れした雰囲気や、極限にまで抑え込んだ感情にあった。
一介の兵士というものではない。そいつはより劣悪な環境で生死ととなり合わさった環境で産み落とされる、一流の暗殺者然とした存在。
佐渡が歩兵であるならば、ファンは特殊部隊の一人だ。その技術も、心構えも、全てが何段階も上にある。ただ戦場で生きるだけならば、運と技術と、生への執着さえあれば可能だ。
「わけがわからないといった顔だな。説明をくれてやれば」
そんなワケがない。佐渡は思う。自画自賛できるほど、今の自分は全てを承知し理解した、覚悟を決めた顔をしているはずだ、と。
「貴様はあまりにも形成者の身近でありすぎた。知りすぎたことがあるだろう。もっとも、貴様がそれを流布する可能性など微塵も危惧していないが――」
にやり、と口元だけを歪ませる。男はその白い歯を覗かせながら言った。
「上は現状と現場を知らないバカばかりときた。そんな出来損ないの指示で、私は貴様を殺す。連中の、形成者のまとめ役としての貴様をな」
「おまえは……」
パン、と銃声が響く。当たり前に聞き慣れた、しかしこの街には非日常の極地である銃声が。
弾丸が引き裂いた皮膚から溢れる血液が空に散った。鮮烈な痛みなど、覚える余裕など無い。
「おれと、同じ――」
「くそ、仕留め損ねた。さすがは歴戦の勇士といった所か。逃げられる前に、トドメを刺さなければ」
目の前に居る佐渡が見えぬように、男はまるで熱のこもらぬ声で言った。
残弾が豊富な弾倉を誤って外して、走りだそうとした足であらぬ方向へ蹴り飛ばす。
六色の名を持つ外骨格たちは黙して動かず、ただそれを見守った。
頬を切り裂かれただけの佐渡は、かけるべき言葉を見失って、行動で示す。踵を返した巨躯は、判断を煩わしく思うように走りだした。
撃たれた傷は浅い。
だがあの弾丸で穿たれた魂は、致命的な困惑を叩きこまれていた。
❖❖❖
「ねえ桜井ぃ」
登校してそうそう声を掛けられた桜井は振り返る。そこには、少し前までは毎日のようにべったりと付き合っていた友だちの姿があった。
活発そうな少女と、おっとりとした雰囲気の少女だ。
「なに? どうしたの?」
「なにって、最近付き合い悪いじゃんって話よ。カレシでもできた?」
彼女はちょっと悪戯っぽく言った。カレシ、なんて語尾を上げて言っているが、特定の人物を揶揄しているのが見え見えだ。嫌味の一つだと、彼女は受け取った。
「彼氏なんかいないよー。最近は色々あってさ、ごめんね」
平謝りで手を合わせて腰を低くする。彼女らが聞きたい言葉ではないのはわかっているが、しかし説明してもわかる話ではないし、理解できる相手ではない。
「へえ? でも最近、なんか伊達くんと仲良くない?」
「そうかな?」
しっとりとした声でもう一人が言った。
桜井はにこやかな笑顔で白々しく首をかしげる。
「伊達くんと付き合ってて楽しい?」
言った少女は、純粋な疑問としてそれを問いかけた。悪意や善意などは含めず、ただ疑問を解消したいという一言だった。
だから、そんな直球な質問に少し言葉に迷う。その間に、ひそめるような声で、質問を繕うような追撃が来た。
「だって、なんかネクラっぽくない? あんまり他の人と話してるの見ないし」
「……」
相手とまともに話したことすら無いのに、よくそう上から評価できたものだと思う。当然として桜井は別け隔てなく相手と接するし、だからこそそう思うのだ。
言葉に詰まるでも無く、単純に言葉を失った。構築していた台詞が瓦解し、彼女は短く息を吐いた。
「楽しいよ」
腰に手をやって彼女は言った。なまじ容姿は整っている少女である。勝気な表情でそうするだけで、だいぶサマになった。その容色に、不穏な空気を感じていた周囲の何人かが見惚れる。
「わざわざそんなことばかり気にしてるようじゃ、余裕無いんじゃないの?」
「なっ……」
初めて聞いた強めの言葉に、思わず二人は言葉を無くす。
「ごめんね、言い方が悪いけど」
そして平然とそう言う己に胸を高鳴らせながら、しかしその一方で頭の中が急激に冷却されていく感覚を覚えた。
思考に冴えが生まれる。何かが吹っ切れる。その判断が促された。
もういい。どうせ、もう学校に来れないのだ。言ってしまおう。
「そもそも――」
継ぐ言葉が、扉の開く音に飲まれた。と言うよりは、急遽そちらに向けられた意識が、無意識に口をつぐませた。
暑くもないのにそでをまくった男子生徒が教室に一歩入って足を止める。
「む」
異質な空気と、奇妙なほどの注視に気がついた。教室を間違えたのかとクラスメイトの顔を一人ひとり確認して、やはり自分のクラスだと確認する。間違ってなどいない。
「何だ、どうした。何かの指示待ちか? すまないが、俺はまだ教員の姿を見ていない。もう暫く待つといい」
場違いなことを淡々と告げてから、彼は自席へと足を向ける。そこでようやく、己の席の周囲に集まっている三人の姿を見た。
「おはよう。悪いが少しズレてもらえるか。そこは俺の席なんだが……」
「お、おはよう。ご、ごめん、ね」
「いや」
移動した二人を一瞥もせずに椅子を引いてどかっと座る。カバンの中から教科書を出して――未だ、普段とは異なる静寂に包まれていることに疑問を抱いた。
どうしたということだ。俺が何かしたか? いや、これは違う。
そう判断して、ようやく桜井をちら、と見る。外骨格を露呈させたものだとばかり思ったが、しかしそうではないらしい。
まあ、そうでないなら、どうでもいい。
彼はポケットから端末を取り出して自宅のノートパソコンにアクセスする。
ファンと接触して以降、上層部はおろか、佐渡とすら連絡がとれていないのだ。
命拾いしたというところだろうか。桜井は思う。
気まずい沈黙の中で、彼女はようやく言葉を絞り出した。
「この話は、また今度にしようよ」
「……そうね。うん」
「それじゃあ、それとは別に、放課後に、久しぶりに一緒に遊ばない?」
ぱん、と手を叩いてゆったりとした口調の女生徒が言う。活発そうな少女はそれに乗っかって頷き、桜井もそれに続いた。
やがて授業開始の五分前を知らせる予鈴が鳴り、そうしていつもの時間が流れ始めた。
❖❖❖
「姐さん」
一向に減らない酒を舐めるように飲みながら、高城が正面の席につく犬飼に声をかけた。
彼女は頬杖をついて、お昼のバラエティ番組を眺めている。きっと、その内容は頭に入っていない。
敵は数日後に、恐らく、多分――そう言いたいくらい確実にやってくる。しかし、敵が未知数である限り、彼らに立てられる対策など無いし、だからといって付け焼刃的に訓練することも無意味だ。
形成者という性質上、恒久的な訓練によって経験を積むことは有意義だが、短期的なそれですぐさま結果が出ることはない。
全てはこれまでの経験であり、そしてコアを埋め込まれた個人の能力が肝なのだ。
「なによ」
気の抜けた声で返事をした。半開きにされた唇は、潤いという概念を忘れ去っていた。
「もしもの時は、トシを頼んだ」
「はあ?」
ぎろり、と視線だけで高城を見る。鋭い目つきに、だけど彼は怯まない。
「何言ってんのよ、天下の《鷹》らしくもない」
超遠望、温度探知、赤外線センサーを持つ外骨格。これを基本性能にして、特異武装として持つのは『怪力』。重機や戦車などの馬力を鼻で笑えるその力は、故に大口径ライフルの反動をほとんど無効化する。
「もしもの時っすよ。死ぬつもりなんざあ、さらさらねーや。ただ、さ」
缶を傾けて、たっぷり発泡酒を口に含む。芳醇な麦の風味が口の中に広がり、それをゆっくり飲み下す。
やはり麦酒ばかりはどうにも慣れない。高城は顔をしかめながら、うつむいた顔を上げる。
「姐さんなら、《猟犬》なら、オレはいいかなって。多分、トシには無理だ。いくら初期構想型ったって、奴はまだガキだ。現実を、まともに受け止められねえ」
《猟犬》は第二世代型。コアの破壊に秀でた形成者であり、その中でも彼女は特に機動性に優れている点を特徴としている。
自分が信頼されているのは嬉しい――だが、こんなことを任されるほどの信頼は、果たして本当に良いことなのか?
否、だと言いたい。
だが言ってしまえば、まず初めに伊達仁志を否定することになる。
彼は犬飼の相棒である唐橋を殺害した。暴走した《鴉》を、彼女に代わって撃破してくれた。恨むことなど無い、多分、高城が伊達に思うのと同じように、自分には出来なかっただろう事だ。
そして出来たとしても、その感触、光景を、いつまでも引きずり続けたことだろう。
「タカギ。勝手に暴走したら殺すわよ。あたしは、この生活、そこまで嫌じゃないんだから」
「……!」
彼は少し驚いたような顔で言った。
「プロポーズか何かか? いやあ、姐さんにそう言われると、もう興奮で今にも結晶化しちまいそうなもんだが――」
身を乗り出した犬飼の手が、極めて正確に高城の顔面を掴んだ。人間離れした握力で顔を捻りあげれば、容易く肉が歪んで骨が軋む。
「いでででで! じょ、じょーだんすよー! 冗談!」
「くだらない事ゆー暇があったら、そのヌルい発泡酒をさっさと空けなさい」
手の中で弾くようにして顔を離す。高城は両手で顔を抑えながら縮こまって、犬飼はそんな彼を笑いながらテレビに視線を移す。
「終わることばっか考えないの。しょーもないぽっと出の新参が相手っしょ? 大戦からの人間兵器サマがビビってんじゃないわよ」
「ん……まあ、そりゃあそうなんだけどよお」
「嫌な予感?」
探るように、顔も向けずに問う。
彼は頬を掻いて言った。
「いや……少し、気になることがあってさ」
「なに?」
「ああ、実は……」
寸前まで言いかけて、高城は神妙な面持ちで沈黙する。そうしてから一気に発泡酒を呷って、大げさに息を吐いた。
「ファンって野郎、あいつ、生身なんじゃねえのか?」
「……根拠は?」
「無い」
だが、そこに手がかりがある気がする。
十年ごとの狂ったサイクルから抜け出す方法が。
この人生では無理かもしれない。だがこれからの連中の為に。
出来れば伊達や、犬飼や、卯野のために。
「じゃあ論じる意味のないことね。何にせよ、あの男についての情報が少なすぎる」
「だな。佐渡さんとも連絡つかねーし。この事については、実際にぶっ殺してみりゃわかる話だしな」
ぱん、とテーブルを叩くようにしてから高城は重い腰を軽快に上げた。
「姐さん、なんか要る? つまみ買ってくるけど」
「あさり買ってきて。酒蒸し作るから」
「作るって、トシに作ってもらうんだろ?」
「そうともゆーわね」
「ま、了解。行ってくる」
「うん、行ってら」
靴を履いて外へ出る高城の背に、気力なく彼女はぱたぱたと手を振った。
玄関が音を立てて閉まり、やがてテレビから聞こえる音以外の全てがなくなった。
犬飼ありすはつかの間の静寂に身を委ねながら、溢れ出る無意味でどうしようもない疑問、不安の波に沈んでいった。




