2.食事会。
その週の木曜日あたりに、佐渡健介からの連絡が入った。
『気をつけろ』
ただ一言だけだった。メールの日付はなぜだか狂っていて、その日から一週間も先になっていた。
「……来週か」
高城が静かに言った。
犬飼がぴりぴりした様子で外へ出た。
「ああ……」
伊達は、ただ気がかりだった。
この生活に慣れ始め、初めて学校が少し楽しみになってきたのだ。
それが、下手をすればあと一週間で終わる。
そんなこと、させるものか。させてたまるか。
「センリ」
「なんだよ、改まった顔して」
高城は軽口を叩くが、その顔はどこか戸惑った色を乗せていた。
伊達は読んでいた本を閉じて顔を向ける。
いつものテーブルで、二人は隣り合って向かい合う。
「もしコアに反応があれば、すぐに交戦を終了して待機しろ」
「はあ? てめえバカな事言ってんじゃねーよ。てめーの命惜しさで敵前逃亡しろってのか?」
「結晶化して死ぬよりマシだろう」
「情けねー姿晒して生きるほうがよっぽど苦痛だがな。オレの心配より、てめえはどうなんだよ」
「問題ない」
「根拠がねえな。ヒトのこと言えねえじゃねえか」
高城の言葉に、伊達は沈黙して視線を泳がせてから、閉じた本を手にとった。
そんなことをしていれば肩を小突かれる。ぶすっとした、いつもよりテンションの低い伊達を横目に見て、高城は嘆息混じりに席を立った。
「酒、買ってくる。なんかいるか?」
「なら食パンを買ってきてくれ。明日は飯にしようと思ったが、やはり面倒だ」
「了解。んじゃ行ってくる」
「ああ、気をつけてな」
彼らの肉体の性質上、どう気をつけても簡単に殺されるどころか、傷を付けることすら難しい。しかしそう声をかけるのは皮肉ではなく、まともであったころの慣習としてだ。
もっとも、その頃の記憶など無い。ただ今でも人でありたいという切実な願いからだ。
玄関を出ると、犬飼が正面の柵によりかかってタバコをふかしていた。もともと、タバコは趣味じゃないのだ。なのに、吸うふりが癖になっている。
「ヒトシ、どうだった?」
高城は玄関の扉によりかかるようにして、わざとらしく大きなため息を漏らした。
「すげえ緊張してる。いつも以上に表情が読めねえよ」
「あたしだって訳わかんないんだから、しょーがないわよねー」
「だから、オレがなんとかしてやんなきゃってトコだわな。あいつはなんだかんだ言って、まだガキなんだ。《隼》以前に、伊達仁志なんだ。時間も残り少ない。くだらない政府の実験なんかで燃え尽きていい生命じゃない」
高城は熱のこもった吐息を吐きながら、静かに続ける。
拳を握り、何かを恨むような力強い眼差しで虚空を睨んでいた。
「期待してるデータなんざとらせねえよ。瞬殺だ。何十年もの狂った実験の結晶を、貶めさせねえよ」
「そりゃあ頼もしーわね」
「姐さんだって、頑張ってくれよ。伊達の話じゃ、少なくとも一体じゃなさそうだし」
「ま、出来る限りのことはね」
彼女は短くなったタバコを、柵の上に押し付けて消す。それを指先でつまみながら、玄関の前に立つ高城を脇にどかした。
「なんだよ、買い物に付き合ってくれねえのか?」
「なーんで、そんな面倒なことをしなくちゃならないの? 寝るわ、眠いからね」
彼女は興味無さそうに高城を一瞥して、部屋の中へ入っていく。高城はそんな彼女に肩をすくめて、一人で近くのコンビニへと向かった。
❖❖❖
「そういえば、言い忘れていたが」
数日前のどこか落ち込んだような、憮然とした様子はどこ吹く風で伊達が言った。
「今日の昼時に、卯野櫻子が来るぞ」
言いながらも、手は止まらない。刻んだ玉ねぎをひき肉と一緒にませて、そこに塩コショウを投入する。
「は?」
不意をつかれて、裏返ったような声が出た。高城は開いていたハードコアなポルノサイトをすぐに消してノートパソコンを畳む。ずかずかと足音を立てて、彼はキッチンまで押し寄せた。
「なんだって?」
「この前誘ったんだ。あの『犯人はシリーズ』を買ってもらった礼にな」
「だからハンバーグか? 昼間っから」
「煮込みハンバーグだ」
「お前それ誕生日メニューじゃねーか! うらやましいな、そんなに櫻子ちゃんは可愛いのか? つうか良く来るな。向こうは拒否ってんだろ? 端末ぶち壊すくらいには」
「普通の、友だちとしての付き合いだ。殆ど形成者については触れていない」
伊達は言った。
高城は呆れたように口元を歪めながら、冷蔵庫から伊達のオレンジジュースのパックを取ってラッパ飲みした。飲み干したパックをゴミ箱に投げて、小さく息を吐く。
「良かったな」
彼は柄にもなく、微笑みながら言う。
伊達は手を止め、少し驚いたように彼を見た。
「嫉妬か?」
「なんでだよ! 普通に喜んでやったんじゃねーか! なんでお前ってこう、へんな所でひねくれてんのかねー?」
「む、すまん」
伊達はなんでもなかったかのように、また調理に戻る。
高城はリビングに戻って財布をポケットにねじ込みながら玄関へと向かう。
「ちょっくら飲み物買いにいってくらあ」
「助かる。あとで払うぞ」
「おう。ついでに酒代もな」
「……あー。ワインも買ってきてくれ。臭いは苦手なんだが、これには使うからな」
「了解」
そういって出て行った高城は、ものの数分で帰ってくる。重そうにビニールが伸びた袋を片手に、
「ほらよ」
「おお、ボジョレー」
受け取った黒いボトル。明かりに透かせば、ほのかに鮮やかな赤さが見える。
「それドイツのワインだぞ」
「ドイツ語でボジョレーってなんと言うんだ?」
「いや、ボジョレー無いから」
「ヴォンジュルァのようなニュアンスだな、きっと」
「話聞け」
ごん、と鈍い音。手から奪い取ったワインのボトルで伊達は頭を小突かれる。
染み入るような鈍痛。伊達は思わず頭を抱えて屈みこんだ。
高城はそのまま定位置についてパソコンをつける。メーラーを起動させると、一通のメールが着ていた。
送り主は犬飼。
開けて見て、読んでみて、彼は思わずにやけてしまう。
「トシ、姐さんあと十分くらいで帰るってよ」
「そうか。ああ、センリ。俺の端末にメール着ていないか?」
「ん? 着てねえけど」
「そうか。昼時という曖昧な表現では困ったな。あまり早くに作りすぎても、料理が覚めてしまう」
「そこまで気に病むこたあねーだろ」
「まあ、それもそうだな」
伊達はハンバーグを練りながら頷いた。
さて、と形成した四つの肉塊を置いて手を洗う。
あとはシチューを作るだけだ。
不思議とつりあがる頬肉をそのままにしながら、漏れる鼻歌のリズムに乗って伊達は腕を振るった。
ワインを開けた時に香る独特の渋さばかりはどうしても慣れなかったが、しかしケチャップやウスターソースを混ぜて使うよりはいかにもな煮込みハンバーグが完成した。
自画自賛してもいいと思う。
伊達や高城の誕生日のたびに作ってきたこの料理だが、しかし一番の出来かもしれない。それほどに香りが濃厚で、ハンバーグも良いひき肉を使ったのだ。
「あとはもう少し煮こむだけだ」
鍋を覗きこんだ高城に説明する。
ほう、と彼は素直に唸って、同時に腹の虫も唸らせた。
青年は腹を撫でながら笑う。伊達もそれにつられるように吹き出した。
「はっ、胃が味ぃ覚えてるからよ」
「期待と空腹は自然の調味料だ。楽しみに待っててくれ」
おう、と返事をすると同時に、無機質な電子音が室内に響き渡った。呼び鈴が、来訪者を伝えたのだ。
「犬飼か?」
玄関へと向かう高城はにやけながら言った。
「いや、お客様だ」
高城が迎えるより早く、扉が開いた。家主の一人が開けたのだ。
「ただいまー」
なんでもない、いつもの声音は、だけど少しわざとらしい。伊達がそちらに視線を向けると、彼女の脇から遠慮がちに顔を覗かせる少女の横顔があった。
「お、おじゃましまぁす……」
卯野櫻子――桜井は、手荷物を胸に抱いて玄関に入る。先に帰ってきた犬飼は、外出時には上に着る丈の短い革のジャケットを脱いで椅子に引っ掛けた。そうすれば、またもや無防備なタンクトップ姿に戻る。
もはや見慣れたものだが、その鋭くも柔らかな、鍛えぬかれた背筋、ぴんと伸びたモデルのような後ろ姿に桜井は少し見とれて、
「どうした、何か忘れ物か?」
犬飼の後をついていった高城と入れ違いになって出迎えに来た伊達に声を掛けられて、はっと我に帰る。
「ううん。綺麗な人だね、犬飼さん」
ショート丈のブーツを脱ぎながら言って、彼女はようやく家に上がる。
そうして伊達は気付く。
桜井が、いつもよりどことなく雰囲気が違うことに。
学校では、ワンピースタイプの制服しか見ていない。まだ五月だから長袖だし、スタイルが浮き彫りになるといっても、犯罪的なほど見て取れるわけでもない。
だが――なんということだろうか。
「な、なら、アレだ。先に、席に行っていてくれ。すぐに、昼飯が出来る」
「なにロウバイしてるのよ?」
腿までのチェック柄のミニスカートから伸びる脚は、黒のストッキングに包まれている。それが故に肉感的な様相を呈し、およそ多くの男の情欲を湧かせるだろう。
対する上は、ぴったりとしたグレーのハイネックニット。
活動的な内面への意趣返しのような、いかにも女性というような服装。大人っぽく、やわらかな印象でありながら刺激的だ。
「いや、別に」
彼はそう言って踵を返す。鍋はこぽこぽと音を立てて、シチューの表面で気泡が弾け続けている。煮込むのもいいが、火力が強すぎてあやうく焦げる所だった。
ぎこちない伊達の視線には気がついていた。桜井は微笑みながら伊達を見て、しかし、と思う。
エプロン姿は着慣れた感がある。
その下に着るのが、学校指定のジャージとはいかがなものだろうか?
目に鮮やかな緑の地に、白いラインが肩から脇を通る。伸縮性、通気性に優れたそのジャージの胸には、『S.G』と白く刺繍されている。ソリッド・ギターではなく、咲玉のイニシャルだ。
大きめの更にどん、と存在感を見せるハンバーグ。きのこ類や玉ねぎががその上に乗って、胃袋を刺激する香りを放つシチューにハンバーグが浸っている。
付け合せのさらだにはゆでたまごや、新鮮そうなトマトなどが乗っている。ごろりと大きめに切られていて、まるでサンプル品のような鮮やかさだ。
これが、目の前の男に作られたとはとても見えない。
だって、
「伊達くん、さすがにそのジャージはダサいよ」
「これが一番動きやすいんだ」
「だからってよォ、せっかくこうして卯野ちゃんが遊びにきてンのにさ」
「そーよ、さっちゃんだってこうして抜群に可愛いカッコしてきてんのに。気を遣うってことを知らないわね、あんた?」
なんだよ、と湯気のたつ料理に視線を落としながら伊達が漏らした。
「なぜ今になって怒涛となって責めるんだ。事前に言え」
さしもの伊達も、羞恥心くらいはある。あるが――このジャージが、そこまでダサイものとは思わなかった。
美的感覚がズレている? そんな馬鹿な。今日はじめて、そんなことを指摘された。
いや、良く考えろ。それ以前に――まともな服など、持っていたか?
否。前までよく着ていたパーカーやジーンズは、持ち主に返したのだ。もうジャージがあるから大丈夫だ、と。
「まあいい」
伊達は短く言った。
両手を叩いて、胸の前で手を合わせる。
「いただきます」
いただきます、と残った三人が続く。ようやく目的とした食事会が開始した。




