1.ささやかな幸福
伊達仁志とて、ストレスが溜まることもある。
そんな時はたいてい、空を飛んだ。
背部から対なるレールを展開する。長さ一メートルほどの、中が空洞になる鉄骨を背中から生やす。
両腕の返しの部分が僅かに浮いて、その隙間から空気を吸い込み始める。
「どうせ正体はバレているようなものなんだ。わざわざ、破壊することもないだろう」
苛立ちの原因は、桜井だ。いくら可愛い顔をしていたって、その奥底にある黒さまでを隠しきれていない。
少年少女はみな純粋で潔白で、美しいものだと思っていたが、そんなのは嘘だ。
誰もが大人びて、誰もが大人を夢見て、子供である特権を投げ捨てて背伸びをする。
「どうして素直にならない。俺がそこまで、規則にしたがって生きるしか脳のない男に見えるのか?」
心外だ。
莫大な量の空気が装甲の内側に溜まり始める。
地面に対して殆ど垂直に立つレールから、空気が流れ始める。同時に、伊達仁志――否、《隼》のV字の眼部が紅く輝き始めた。
「俺だって普通に……」
言いかけた言葉を、反射的に飲み込んだ。
これを言ってしまえば、もう後戻りができなくなる気がする。その場に流されて吐き出す弱味など、ただの愚痴よりタチが悪い。
「もう、いい。今日は学校は休みだ」
一、二限だけふけて戻ろうと思っていたが、どうにもそんな気分にはならない。
たまにはいいだろう。自分など、居ても居なくても変わらない。
己を正当化しながら、《隼》は力強く床を蹴り飛ばした。
同時に、レールから爆発的な空気量が噴出する。ガス缶の土手っ腹に穴が空いたかのような、圧縮された空気が一挙に開放されたのだ。
勢いに乗せられ、ジェット噴射よろしく《隼》の肉体が勢い良く天を衝き急上昇した。
咲玉高等学校の屋上から伸びる黒い一閃。だがそれをまともに認識できた者は、誰一人として居ない。
眼下の景色が見る間に小さくなっていく。人が米粒ほどの大きさになったかと思えば、やがて建物の区別すらつかなくなってきた。
それでも勢いは止まらない。眼部の赤い輝き――それが、《隼》に疾さをもたらす一番の要因だった。
彼ら初期型は、唯一『特異武装』を持つ。それは各々に一つだけ与えられた、特殊能力だ。
《隼》は体感時間の極大化。
人が感じる一秒を数十、数百倍にしての行動が可能になる。つまり単純に言えば『加速』の能力だ。
「ここらが限界……かな」
気がつけば、全ての景色に霞がかかっていた。大気は凍えそうなほどに冷えきっており、頭上はうっすらと夜の気配を見せる藍色。散らばる星々は、眩く輝いていた。
大気が薄い。圧縮できるほどの空気がない。
経験則から言って、成層圏内なのだろう。
世界に音が無い。振動がない。
藍色に支配された世界は地平線の彼方まで伸びる。己が抱いている概念が容易く崩壊してしまうような、大袈裟に誇張する夢のような景色。
ニ○○キロ以上もある身体が、意外なほどに軽く感じる。ゆるやかに落ち始めるこの感覚さえも、不快ではない。
ここにきて全てが払拭される――まるで登山家が、未踏の山脈を踏破した頂上で覚える達成感のようだ。
僅かな空気を噴出しながら、《隼》はその空域に留まり続ける。
眼部も、今では奥底から明かりを発しているだけで、加速能力は使用していない。
ゆったりとした時間の中で、その日現実的な空間の中で、ただ何も考えず、空だけを眺めていた。
全身が赤化した。
空気抵抗による摩擦で、装甲が異様に加熱しだしたのである。
地上十キロの事だった。
が――問題ない。眼部が再び輝けば、落下速度だけが加速する。
大気を切り裂き、さながら隕石。《隼》の肢体は限りなく真紅に近くなったところで、背部のレールが爆発を思わせる風量を吐き出した。周囲に台風が如く暴風が吹き荒れて――彼は平穏無事、床も無傷のまま、再び学校の屋上に着地した。
ただ、爆音の振動と大音量が、ここの学生たちや教員に感づかれたようだ。
《隼》は再び空高く跳躍すると、再び空気の噴出で飛行を開始する。
そうして気がすんだ所で装甲を解除し、自宅近くの遊歩道へ向かう。
伊達仁志は丘へと登る緩やかな坂の途中にある広い休憩地点のベンチで、日暮れまで緩やかな時間を過ごした。
帰りは近くのコンビニで金をおろし、近所のスーパーで買い物をする。学生服の男がお使いをする姿はさぞ珍しいのか、主婦らしき女性たちがちらちらと伊達に目をやる。だが何一つとして動じない彼は、しかし少しくらいは気にする。
だから、さっさと今週分の食材を入れたかごを持ってレジへ向かったのだが。
レジの前には、長蛇の列が出来ていた。
❖❖❖
「昨日はどうしてたの?」
一日放置され、すえた臭いを放ち始めている弁当をエチケット袋に投げ込んで居ると、いつのまにかやってきていたらしい桜井が訊いてきた。
「ちょっと成層圏まで」
ちょっとブルジョアジーな返し。ウィットが効いているだろう、と伊達は自画自賛でニヤつくが、しかし桜井はわけがわからないと肩をすくめた。
「ハイソな旅行だねえ?」
「ハイソ? とはなんだ」
「お金持ちって感じかな」
「金持ちか……」
皮肉なものだ。
確かに大金をかけてつくられたこのコアだが、しかしそれを埋め込まれた個人は悲しいくらいの中流家庭の生活だ。
まともに飯が食えているだけマシな方だ、と心中うそぶいた。
「あ……き、昨日のケータイなら、ちゃんと弁償するよ?」
「いや、いい」
彼は言いながら、学生服のポケットから昨日と同じ端末を取り出す。
画面には、二年一組と題されたエクセルのファイルがあった。
「もうある」
高城のものである。今度これを壊されれば、彼はお冠になって伊達の端末より先に支給品を手にするだろう。しかたのない事だが、彼ら形成者にとってこの端末は重要なものでもある。
形成者は索敵能力が極めて低い。兵器として存在している彼らは、しかし殆ど人と同じ能力しか持たない。
だから政府からのバックアップとして、敵対勢力、形成者の反応を示すソフトを用いて相手を見つけなければならない。
むろん、例外は存在するが、少なくとも伊達らにとっては大切なのだ。
「……じゃ、じゃあお詫びと言ってもなんだけど、放課後って暇?」
「ああ? 特に予定は無いが……何を企んでいる?」
「今度は何も。かえって、スッキリしたから。だから一緒に遊ぼうかなって」
「そうか」
今度は。今まで近づいてきていたのは、やはり目論見があったのだと確定する。
だからどうというわけでもないが、しかしそのつもりもないのに未だに付きまとう理由とはなんだろうか? 伊達にはそれだけが、わからなかった。
「伊達くんってどんな本読むの?」
「本か……今は特に呼んでは居ないが、昔は太宰や夏目みたいな王道を読んでいたが」
駅前のデパートに連れて来られた伊達は、さらに手をひかれるがままに本屋に来ていた。
適当な小説を手にとってぱらぱらと流し見る。
桜井は後ろで手を組みながら、前かがみになるように本棚を睨んでいた。
「近視か?」
「う~ん、まあ、ちょっとねえ」
彼女は本棚を見たまま苦笑する。
「ゲームとか好きで、ちっちゃい頃から色々やってたら、ちょっとね」
「メガネをかけているのを見たことがないが」
「コンタクトレンズだもん。そこまで目が悪いわけじゃないから、メガネだと忘れちゃうし」
「コンタクトレンズだと? 正気の沙汰じゃないな。裸眼に異物を入れるなど……」
そこまで言うと、桜井は困ったように眉をしかめて顔を上げた。
「違うよ? 眼球をおおってる涙に浮かべる感じだよ、イメージだとね」
「しかしだな」
「それに、目って意外と固いんだよ。触ったこと無い?」
「触るどころか、何度も潰されたことがある」
「……ほんとに?」
伊達が言うと、彼女は表情を引き攣らせる。
彼は手にとった小説を本棚に戻してから、簡単に説明した。
「俺がまだ未熟な頃の話だがな。凶悪な犯罪者を無力化する際に、下手をうって煙幕をはられた。その際に横合いからナイフを振られ、右眼を貫かれた。あるいは酸性の液体で焼かれたこともある。俺には無駄な行為だったが、戦闘中に油断するなと良く叱られたものだ」
「痛くないの?」
「痛いさ」
「どうするの?」
「同じ事をしてやるさ」
口角を釣り上げて口元だけで笑ってみせれば、桜井は小さな悲鳴を上げて伊達から距離をとる。端末の破壊という前科がある分、恐怖が増しているのだろう。
伊達はすぐに微笑むように笑って、言った。
「冗談だよ。そんな不備のために、相棒がいる。バックアップがなんとかしてくれるんだ」
「相棒? へえ、伊達くんにも友だちいるんだ」
「……君は歯に衣着せない発言が気持ちいいね」
「そう? ありがと、初めて言われた」
皮肉と知っていて、さらりと桜井は流す。そんな彼女に伊達は小さくため息をついて本棚に向き直るが、そんな彼を、桜井は意外に思っていた。
横目に、どこか真剣な眼差しで適当な小説を探す伊達を見ながら思う。
意外とユニークなことも言えるのだ。口調こそどこか堅苦しく感じるが、中身はまったく同年代のそれである。
これまでの経験、人生観こそ違うが、合わせようと思えば合わせられるのだ。ただ同年代だから、そんな神経の使い方をするとは思わなかっただけなのだろう。
可哀想な人、と思うと同時に、どこか親近感が湧いてくる。
カッコイイ、と言うよりは、可愛い。見守りたい、愛でたいというような小動物的な観念。
もしかしたら、自分には保母さんや看護師が適職なのではないかと思えてくる。もっとも、働く気など無いが。
「む」
そんなことを思っていれば、不意に伊達が声を上げた。びくっと身体が弾み、慌てて彼女は前を向く。しかしそれを知ってか知らずか、伸ばした手は本棚に伸びて、一冊の小説をとった。
「な、なにそれ?」
「わからん……『犯人はきみだ!』という推理モノらしいが」
「『犯人はおまえだ!』ってやつもあるよ」
「ああ。『犯人はわたし!』というのも……どういうことだ、シリーズなのか?」
「買ってみる?」
興味本位で訊いてみた。自分ならタイトルだけでお腹いっぱいな作品だが、
「そうだな」
彼は言いながら、『犯人はシリーズ』をまとめて六冊も手にとった。もちろん、桜井の手にあるものも含めてだ。
「たまには、こういうのも良いのかもしれない。ありがとう櫻子、いい気分転換になった」
「桜井だよ」
憮然と返すと、伊達は苦笑しながら頷いた。
「それと」
手の中で積み重ねた六冊の本を、桜井は横合いから掻っ攫っていく。驚く伊達を尻目に彼女はさっさとレジへと向かっていった。
「何をするんだ」
「六冊で四千円くらいでしょ? せめて、これくらいさせてよ」
「気にすることはない」
「そうは言っても気にするよ。昨日は本当に、やりすぎたって思ってるから」
「だったら真面目に謝罪してくれればいいんだが?」
「してるつもりだよ? ただ、そう聞こえないだけで」
「それが誠実じゃないというんだ」
言っている間に、桜井はレジに到着してしまう。とことことひよこのような鈍足で進む彼女に追いついて本を奪うことは簡単だったが、彼は本気でそれをしようと思ったわけではない。
友人同士だったら、こんなこともあるのかもしれない。そんな空想が僅かだが彼を期待させ、行動の制止をかけたのだ。
これが儚く散る思い出でも良いが、無いよりは良い。
少なくとも学生なのだ。夢を見ても、いいじゃないか。
「はい、伊達くん」
紙袋にずっしりと収まった『犯人はシリーズ』。いざ買ってみるとなんだか読む気が失せてくるが、ありがたく彼は受け取った。
「ありがとう。さっそく今夜から読んでみる」
「読んだら、どんな話か教えてよ」
「貸そうか?」
「いや、私本とかあまり読まないし、漫画くらいかな」
「君ってやつは」
本当に、印象と裏腹な性格だ。
容姿は優れているし、勉強もあらかたできるが、どちらかと言えば体育会系。かと言って、特定の部活に所属はしていない。授業中は寝ているし、先の通り漫画やゲームが好きで、それがたたって近視になっている。
物静かなイメージが合ったから、それが容易く打ち崩されていた。
「そうだ」
伊達は一つ思いついたことがある。
色々な意味で、手っ取り早い手段である。今回の礼、ということでこじつけられるだろう。
「いつか、暇な日はあるか?」
「まあ、いつでも。どうして?」
「俺は、料理の腕には自信があるんだ。いつか、君に料理を振舞いたい」
「え、ほんとに!? うれしーな、じゃあ今度の土曜に遊びに行っていい?」
満面の笑みで、彼女は両手をぶんぶん振って提案する。本屋の前で伊達は狼狽しながらも、しっかりと首肯する。
うまく乗ってくれただけでも儲けものなのだ。さらに喜んでもらえれば、料理係冥利に尽きるというものだ。
「ああ。同居人が二人いるが、構わないよな?」
「もう大丈夫。すごいねえ、伊達くん料理上手いんだあ」
「自己評価はともかく、他の連中にも定評があるからな」
といっても、高城、犬飼、佐渡くらいしか居ないのだが。
「立派だよ。いやあ、見直しちゃったな、私」
今まではどういう目で見られていたのだろうか。怖すぎて突っ込んで訊くことが出来ないまま、二人はフードコートへ向かって簡単に夕食を済ませた。
伊達でさえ終始笑顔のまま、やがて駅前で二人は別れる。
自宅に到着するまでにメールで何度かやりとりをしながら、その余韻さえも楽しんだ。
空はすっかりと夜の帳が下りていたが、その胸中に生まれた輝きまでも侵せる闇ではない。
伊達の中には、根拠のない希望が生まれていた。
もしかしたら、毎日を楽しめるのではないか――ささやかだが、彼にとってはあまりにも大きすぎる希望が。




