5.そしてこれから
家庭的な音で目が覚めた。
具体的には、包丁がまな板を叩く音だ。
ムクリと、巨漢は身体を起こす。布団に手をつくと、ごりっと嫌な感触がした。横を向けば、足首を痛そうに抱える高城が寝転がっていた。
「いってーんですよ、朝っぱらから、オレに何の恨みが?」
元気そうな高城の声を聞きながら大きくあくびをする。床に転がっている端末を取れば、時刻はまだ午前八時前だった。
「八時間睡眠か。健康なことだ」
「つっても、日曜なんで、もっとゆっくり寝たかったとこですがねえ」
「伊達が朝食の用意をしているらしい。寝ぼけているのも可哀想だろう」
「ん……ああ、そっすね。味噌の臭い。和食ですかね?」
鼻をひくつかせながら高城がいった。ぼさぼさの頭は怒髪天を付いているようで、水商売の雰囲気を伺わせる。
佐渡はゆっくりと立ち上がってふすまを開けた。下着姿だが、誰か咎める者が居るわけでもない。
「おはようさん」
声をかければ、振り向いたのは犬飼だった。居間には誰もおらず、キッチンから顔を覗かせるようにして出てきた。
「おはよーございます、今、朝ごはんできますから」
タンクトップに、ショートパンツ。だが今は、その上にエプロンを引っ掛けていた。
「ああ」
珍しい彼女の姿を一瞥しながら席につく。するとまもなく、淹れたてのコーヒーが差し出された。
「ブラックです。ヒトシから話があるみたいなんで、頭覚ましといてくださいね」
「話? 何だ、改まって」
「ケッコー怖い顔してましたよ」
彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべながらキッチンへと戻っていく。
無言の佐渡は、低血圧そうな高城がゆらゆらと席に座るのをみながら考えた。
伊達の話。怖い顔なら、怒っているのだろう。だが怒られるようなことは何もしていない。心当たりは皆無だった。
いや――もし何かに感づいているのならば、むしろかえって心当たりがありすぎる。
これは参った。なんてことだ、昨日のうちに帰っておけばよかった。
心中での後悔は、しかし瞬く間に打ち切られた。
「今日は少し手の込んだものにしてみました」
伊達がお盆を運びながら言った。
それぞれの席の前にご飯、味噌汁、鯖の塩焼きに、厚焼き玉子を並べる。
やがて伊達も腰を落ち着かせ、一種のコスプレを思わせる犬飼も、エプロンを脱いで食卓についた。
それでも沈黙したままの佐渡に、伊達は困ったように眉をしかめて言う。
「……ど、どうぞ」
「何か話があるんじゃあないのか?」
「ああ、犬飼から聞いてたんですか。食事の後でも、と思ってましたが」
「なら飯食ってからにしよーぜ。オレぁ腹減ったよ」
「そうだな。そうしよう」
本題を切り出そうとするよりも早く、高城が箸を片手に味噌汁をすすった。
腰を折られて嘆息すれば、佐渡も苦笑したように箸を手に取る。犬飼はそれを見ながら、最後に食事に口をつけた。
「形成者が?」
食器も片付けて、食後のお茶を啜りながら佐渡が繰り返した。
伊達は険しい表情で頷く。
「ええ、しかも妙なもので」
どういったものか、と腕を組んで唸る。あの感触、あの柔さ。そして引き際の良さ。
とても普通ではない。
「驚くほど、弱かったんです」
「弱い?」
怪訝そうに佐渡が言った。
「なら、問題無いだろう」
「俺たち形成者は確かに戦うこともあります。ですが、寝首をかこうとか、住処に乗り込んで襲おうだとか、そんなヤツはいません」
だから、最初は佐渡が仕組んだ事だと思っていた。しかしどうにも違うらしい。
佐渡は初耳であるような反応だし、それにわざわざ、この状況で嘘をつく利点も、必要性も無さそうなものだ。
「だからおかしい、と」
「ええ」
「確かに妙な話だわなあ。ンなヤツ、今までで始めてだぜ?」
「そうねえ。あたしも聞いたことないし」
二人も、確かに不可解だと頭を捻る。
伊達はお茶を一口含んで、味わうように転がしてから飲み下した。
しかし彼らに不安などない。
個々の戦闘能力もさることながら、三人でいるからこそ決して負けないという自信があるのだ。
高城がいるから、犬飼がいるから、伊達がいるから。だから負けない。
理屈なんて無い。
誰が来ても、どんな敵が来ようとも、負けない。
ただそれとは別に、今回のことはあまりにも不可解すぎただけなのだ。
「そういえば、瞳から蒼い光が漏れてました。妙に印象深かったんですが」
「蒼?」
伊達の言葉に、佐渡が過敏そうに反応を示した。
「ええ……何か、あるんですか?」
佐渡は伊達の言葉に小さく頷きながら、湯のみを傾ける。残ったお茶を飲み干してから、不自然なまでに立ち上がった。
「後は調べてから報告する。何があっても、おれからの連絡だけを信じろ」
彼が持ってきた荷物は弾薬だけだ。ポケットに携帯端末と財布とを詰め込んで、野戦服のまま玄関へ急ぐ。
彼の言葉の真意を、なんとなく伊達らは悟った。
「じゃあ、達者でな。さっさと仕事、終わらせちまえよ」
「ありがとうございます。先生こそ、お元気で」
「ああ。またな」
佐渡はいそいそと彼らの部屋を後にする。
しばらくして、駐車場からエンジン音が響いた。車が駆動する振動を僅かに感じながら、佐渡が去ったのを、窓から見送っていた伊達が確認する。
「何かが起こる。変わろうとしているのかもしれない」
伊達が言った。
窓枠を掴む力が強くなる。
「俺たちをダシにして、これまでの同胞を踏みにじろうとしているんだ」
確信があった。
あの形成者は、決して人じゃない。個体をモデルにしていないから、おそらくは無人機のようなものだろう。感触、反応、どれも妙過ぎた。
「早い内に《兎》を引き込んで、対抗手段を練ろう。いずれ俺たちは死ぬ……だが、奴らに軽々しく踏破されていい存在じゃない」
ゆっくりと首を回して、後ろを振り返る。勝手に熱くなった彼だが、二人を協力させるつもりというわけでもない。彼らにも彼らの生き方がある。ここでこじれれば、仕方がないということもありえた。
「トシがそう言うなら、しゃあねえってトコだな」
腕を組みながら、椅子に腰掛け、背を向けたまま高城が言った。
「あんたにも恩があるし、できることはやってあげるわよ」
頬杖をついて、微笑みながら犬飼が言った。
この上ない、彼が知る限り頼もしいにも程がある援軍だった。
「ありがとう、みんな」
伊達は二人に軽く会釈をするように頭を下げてから、ゆっくりとした足取りで壁際へ向かう。
たたまれた寝袋を広げた伊達は、無言のままその中に入り込んで横たわった。
「何かあったら起こしてくれ」
「寝んのかよ! 今のやる気どうした!」
「昨日から寝ていないんだ。お前たちのためにな。疲れているんだ。眠いんだ」
「今の緊張感台なしねえ?」
「俺だって……好きで、眠い、わけじゃ……んぅ」
横になっただけで意識が朦朧とし始めた伊達は、やがて声を掛けなければすぐに眠りに落ちた。
そんな少年のあどけない寝顔を眺めながら、残された二人は顔を見合わせて苦笑する。
こんな子供に啖呵をきられて、黙っていられるタチではない。
犬飼はそのまま外へ、例の形成者の痕跡を探しに出た。
高城はその場に残り、パソコンを前に待機する。動くのも仕事の一つだが、待つのも仕事である。彼がすべきは、上層部から来るだろう連絡への応対だ。




