4.深夜の来訪者
午後四時が少し回った頃。
いつもの拠点に到着した三人は、目を丸くした。
「姐さん、今日はデリバリーなんすか?」
妙な焦げ臭さがどこからともなく臭ってくる。
対照的に、テーブルの上には見事なピザ、唐揚げなどの揚げ物類、刺身からなにからが豊富に揃っている。
「か、買ってきたのよ。今日はあんたら、一生懸命だったからね。自腹よ? 味わって食べなさい」
伊達は彼女の言葉も聞かずに、玄関脇にあるシンク台を見た。綺麗に片付けられているが、料理番である彼の目、鼻はごまかせない。
「……お、おう」
高城は当惑したのち、ただの厚意だろうと受け取って席についた。
そうするほど、彼女が自主的に動くのは珍しいことなのだ。佐渡はなるほど、とそれを察する。腰を落としたのは、高城の正面だ。
それにならうように伊達も席についた。高城の隣で、犬飼の正面である。
佐渡が買い漁った飲み物をテーブルの中央にどさりとおいて、各々が適当なものを手に取る。
「そんじゃ、慰労会とでもしておくか」
その言葉に、四人が頷く。
「乾杯!」
佐渡の音頭に他が続き、夕方から酒盛りが開始した。
もちろん、伊達は未成年以前に下戸だから、飲むのはジュースだったのだが。
あれから八時間が経過した。幾度かの買い出しの後に、大量の空き瓶、空き缶が室内に転がっていた。
時刻はちょうど○時を過ぎた所。
リビングの隣、ふすまで隔てる高城の寝室に佐渡の巨漢が転がり込む。その隅っこで高城が縮こまって寝転がる。
犬飼はいつものようにこっくりこっくりと船を漕ぎながら、ソファに座っていた。
唯一シラフな伊達が待ち望んでいた状況だった。
彼の手にはゴミ袋。片手には潰した空き缶が握られている。
それをさっさと袋に放り込んで、次を手に取る。片手で潰し、袋へ。それを繰り返していれば、ものの数分で片付いた。しっかりと瓶の袋、菓子の包装はわけて置いたが、どれも大した量にはならなかった。
四人の酒盛りだ。当然である。大して、大食漢というのは居ないのだ。
「あとは……」
消毒しておいた布巾に軽く水を流して、良く絞る。それで汚れたテーブルを拭き、モップ状の掃除具で床を拭く。
初夏にもならない五月下旬に近い季節。窓をあけるのは憚られたが、しかし問題ないだろうと踏んで開放した。
清涼な風が脇を抜ける。全身を満たす清々しさが、室内の淀んだ酒臭さ、たばこ臭さを払拭していってくれる。
そもそも調度類などはあまりない部屋である。
あっというまに片付いてしまった。
時刻はまだ○時半にすらならない。
眠くない。
どうしたものか。
「ヒトシ」
ほとんど明かりのない夜景を眺めながら仁王立ちしていれば、不意に背から声がかかった。
振り返る暇もない。
熱と、柔らかさと、体重とが一挙に背中にのしかかった。尋常でない重さが身体にかかり、筋肉が急稼動、全力で彼女を支え、全身の骨格が軋む悲鳴を聞いた。
「なっ……おい、犬飼。寝るなら、ソファにしろ。潰れてしまっても、この際構わないから……っ!」
重い。
そして複雑なまでに柔らかい。
下着をつけていないのだろう。ただでさえ豊満な胸が背中に押し付けられて、歪んだ形さえもよく分かる。ほのかな硬度を持った双丘の先端がぐりぐりと押し付けられる。
それだけではない。引き締まった肉体は、それでも女性特有の柔らかさがある。
さらに言えば――形成者特有の性質。
つまり肉体に詰められた筋肉が、本来の数倍の体重にしているのだ。
伊達の場合はニ○○超。犬飼は長身であっても意外に軽い方なのだが、それでも彼の半分以上はある。
窓枠を掴んで、彼は身体を支えた。複雑な状況に額から、だらだらと脂汗を流し始める。
「なに、やってんだ。犬飼!」
「きょーはお疲れさまー。楽しかったぁ?」
どこか抜けたような言葉。まるで舌っ足らずの幼女から話しかけられているようだった。
加えて、首に回された腕が締め付け、もう片方が頭を頭頂からぐりぐりと力任せに回す。
「ああ、お陰様でな。ともかく、ソファに座れ」
「もう、うっさいわね。いーじゃない、うれしくないの?」
「本意が見えずに怖いくらいだが」
言いながら、背負投の要領で彼女を背中に乗せたままソファの前まで移動する。そうして屈みこむようにして重心を低く落とすと、後ろへ転がった。倒れたのは犬飼だけであり、彼女は大の字になってソファの上に寝転がった。
「ったく。飲むのはいいが、悪酔いだけは勘弁してくれ」
じっとりと濡れた額を手の甲で拭って、ようやくひとごこち。
汗で気持ち悪くなった服をぱたぱたとはためかせる。
そうだ、と彼は思う。
風呂掃除のついでにシャワーを浴びることにした。
常は前髪だけを下ろした軽いオールバックである。だが全ての髪が濡れておりれば、伊達仁志に幼さが少しだけ戻る。
くせっ毛を助長させていた髪型だが、入浴後には全てが無に帰した。軽く描き上げても、水分の重さのせいですぐに降りてくる。
だから頭にタオルを巻いてから、水を一杯飲み干した。冷たい水が食道を通り、胃に溜まる感覚がわかる。
時刻は○時半を少し過ぎていた。
「寝るか」
目が冴えているが、落ち着いてくる頃には程よく眠気が身体を満たしている筈だ――。
ピンポーン。
不意に、呼び鈴が鳴り響いた。
「……酔っ払い共め」
その音を聞いてから、犬飼を一瞥する。それから耳を澄ませてみるが、高城たちが目を覚ました気配はない。
玄関の上にあるブレーカー脇に貼り付けておいた護身用の拳銃を抜きながら、覗き穴から来訪者を見る。
しかしそこは暗く、何も見えない。指で押さえつけられているのだろう。
いよいよまともではなくなってきた。安全装置を解除し、スライドを引いて薬室に弾丸を装填。
チェーンをした玄関扉に銃口を突きつけながら、解錠して扉を一気に蹴り開けた。
がん! と音がなる。チェーンが伸びきって、相手に当たる前に動きが止まったのだ。
「こんな夜中に誰だ? 用事があるなら明日にしろ」
扉の、ほんの十センチもない隙間には人影もない。
ただ突然、扉のふちを掴む手があった。黒く大きな手。手袋をしているわけではなく、またそこを掴む際に鳴った音は硬質だった。
それが何なのか、考える暇もなく扉が力任せにこじ開けられる。チェーンが砕け散るように吹き飛んで、完全に玄関が開放された。
馬鹿力だ。こんな相手に、九ミリなど効かない。
「形……っ」
外骨格を引き出す暇など無い。
ひしゃげた玄関扉が外側にひん曲がったのを一瞥し、これを弁償するのにどれほどの金がかかるのだろうかという心配が過ぎった。刹那的な心配が、故に伊達に致命的な一撃を与える要因となった。
中腰のままならば見上げるほどの長身。瞳部分からは、陽炎のように蒼炎が揺れる。
繰り出される拳撃は、抉るような鋭さを持って伊達の顔面をぶち抜いた。
「――」
何か、機械的な反応。感触のない拳の先を確認しようと腕を引いた瞬間に、その敵影は何かが迫ってくる気配を強烈に感じていた。
攻撃と同時に退いた伊達が、僅か一度の跳躍で距離を詰めたのだ。
時間がない。だから腕だけの『形成』で、腰溜めに構えた破壊の波状は、
「ふん!」
敵影の股ぐらの下で踏み込むと同時に放たれた。何かが破裂するような甲高い音が鳴り響き、その勢い、体重、腕力、全てを乗せた理想的とも言える拳が敵影に直撃する。
装甲が瞬く間に砕け散った。返しのつく腕が腹を貫いた。
間髪おかずに、膝蹴りが敵影を叩く。その勢いで身体を捻り、右腕を抜いた。
破滅の音を奏でるように金属がひしゃげる異音が夜の静寂を引き裂いて、僅か数瞬で敵影の腹に大穴が開く。
「甘い。遅い。起きているのが俺で残念だったな」
彼以外なら、初撃は受けていただろう。無論、死ぬことはないが。
攻撃を受けた敵影は、吹き飛ばされるように室内から退いた。外階段の柵に背中があたって、柵が歪む。そこを乗り越えるようにして敵影が落ちた。
慌てて、身を乗り出すようにして外を見る。
すると、影は二階部分と同じ高さにまで飛び上がった。そのまま伊達を通り越して、アパートの屋根を蹴って遠ざかる。
伊達は自室の窓からそれを確認して、短く息を吐いた。
「……酔っ払い共が!」
未だ起きぬ三人に怨嗟を吐き捨てながら、伊達は玄関に引き返して、扉を閉める。形が歪んで据わりが悪かったが、力任せに閉めておいた。
時刻は、まだ午前一時にもならない。
眠れぬ夜を過ごす内、あの不気味な蒼い炎だけが、目に焼き付いていた。




