3.つかの間の日常
土曜日の早朝、ゴルフの練習場には彼ら以外は誰も居なかった。
そこは地方都市である咲玉市の郊外近くにある。その付近にはファミレスやラーメン屋などのチェーン店が多く、割合に賑わっている場所だった。
「ガッコウはどうだ?」
佐渡は少し気遣うような、柔らかい言い方で訊いた。本来ならば意地悪なほどに嫌味と皮肉を含むのだが、まさか朝っぱらから毒を吐くわけにもいくまい。
「ええ、まあ。任務は順調……とも言いがたいですね」
野戦服姿の大男を見上げる伊達は、少し萎縮したような姿勢だった。同じくオリーブ色の迷彩柄の野戦服を身に着けているものの、新兵よろしく立ち方が情けない。
ホルスターに収まる自動拳銃が、おざなりに見えてしまうほどだ。
「本格的に、教員の資料を洗う必要があるかもしれません」
「最初っからそーしろよ」
彼より少しだけ背の高い高城が、隣に並んで言った。その背には剥き出しのライフルが一挺と、大型の大口径ライフルが一挺担がれている。
蓄えたあごひげをもみあげと繋げる佐渡は困ったように肩をすくめてから、伊達の肩を叩いた。肉厚な手に叩かれれば、まるで落ちてきた鳥が直撃したかのような衝撃があった。
「慣れない事だ。そう急くことでもない、自分のペースでやるといい」
「はい。……ありがとうございます」
「ともかく、始めましょうか」
高城はさっそく打席に己の荷物を置く。それにならうように、伊達もジャケットを脱ぐようにホルスターを外して、席に置いた。
弾薬をバッグに詰め込んで持ってきた佐渡は、同じくその場に投げ捨てて袖をまくる。
「形成!」
その日は三ヶ月に一度の、彼らが勝手に決めた再訓練の日だった。
眼部はV字が刻まれ赤く輝く。両腕は指先から肩口まで連なる装甲が、余すこと無くしりあがりになっている。ネズミ返しとなる装甲が連続するおかげで、鋭利な刃が肩へと向かって起き上がっているようになっていた。
そのくせ胴部は細くも肉感的に引き締まっていてしなやか、腿はアスリートのように太く、獣のように鋭い爪を持つ足は力強く大地を噛む。
形成者、伊達仁志。
認識記号《隼》。初期構想型。製造番号A―7。
そこから繰り出される拳撃は、疾い。
「だがなあ」
身を翻せば、佐渡の顔があった位置を貫いて過ぎる。真横に回り込んだ彼は、額に拳銃を突きつけてトリガーを絞った。フルオート機能を持つ、グロック18だ。
銃口から眩い火花が連続してまたたき、破壊の権化が堅牢な装甲を強打する。やがて亀裂が入り、その隙につけ込むように弾丸が衝撃をぶち込む。やがて弾丸が、装甲を砕いて、貫通した。
それからが早かった。怒涛となって装甲が粉々に砕け、血肉が吹き飛び、跡形もなくなる――前に、ものの数秒で弾が切れた。反動のせいで、この至近距離ですら半分以上が当たっていなかった。
「見え見えなんだよ」
反撃とばかりに腕を振るう。返しのある腕では接触すら怖いものだが、読めていれば恐れるものなど何一つとしてない。身をかがめて後転するように回避すれば、前が見えていない敵はそれだけで空振りし、下手に動けなくなる。
佐渡はさらに攻めた。背後に回って敵影を蹴り飛ばせば、まるで石像を蹴ったかのような重い感触。だがそれは確かに大きく前のめりに倒れた。
腰から抜いたリボルバーを構えて頭部を照準。
発砲。被弾。
装甲が砕けて、ひときわ甲高い音が鳴った。
頭部のコアに直撃したのだ。
鈍い衝撃が頭のなかで響く。刹那の瞬間だけ動きが止まる。
短く息を吐いて、佐渡は拳銃をしまった。そうする時には既に敵は動きを取り戻していたが、戦闘が終えたことは互いに理解していた。
コアは形成者の脳や心臓に等しい。これを破壊、あるいは奪取されることで伊達仁志という個体は死に、外骨格は消滅する。
「やっぱり、強いです。先生」
装甲を解除して生身になった伊達が言った。
彼には珍しいくらいの自然な笑顔だった。弾丸が穿たれた筈の側頭部には傷一つなく、あれほど飛び散った鮮血は彼を汚してすら居ない。
コアを破壊、奪取すれば彼らは死ぬ。
だがそれが出来なければ、彼らを殺すことなど出来やしない。
「馬鹿言え」
紙巻きの細タバコを咥えポケットからライターを探しながら佐渡が言った。
「てめえらが手加減してくれてるのなんざ、百も承知だ」
形成者は製造されてからこれまでの戦闘経験を継いでいる。これになって九年ともなれば、それを十二分に引き出せているはずだ。事実、《隼》が佐渡の攻撃はもちろん、弾丸を回避することさえ余裕であるのは研究データから理解していた。
「でも先生、その気になれば本当に倒せるでしょう? 俺たちなんか」
「どーだかな。人間サマにゃ、ちょいとばかし手に余るぜ」
「はッ、言ってくれるぜ、佐渡さんは」
それでもこういった訓練は楽しい。もちろん伊達たちもそれを感じていた。
ようやく見つけた使い捨てライターでタバコに火をつけ、胸いっぱいに吸い込んだ紫煙を口の端から漏らす。
この時間は楽しい。
特に伊達にとっては、常が非日常なのだ。日常に戻ってきた、このタバコと、硝煙の臭いが懐かしい。
「お、来た来た、昼飯が」
高城が言う。
それにつられて振り向けば、打席に犬飼の姿が見えた。両手にスーパーの袋が握られている。
頼んでおいた昼食が、出来合いのものとしてやってきたのだ。
近所のスーパーで売っていた三八○円の中華丼は、意外にも美味しかった。しっかりとレンジで暖められていたのが背中を押した形となっていた。
四人は食後のお茶もそこそこに、各々が銃器を手に立ち上がる。
事前に距離を計って用意しておいた人型のターゲットの前に立つ伊達。
そこからかなり離れた位置で肩幅に足を開いて、ライフルを構える高城。ターゲットとの距離は最大でニ○○メートル。その十倍は欲しかった彼だが、ゴルフ練習場という施設でも限界があった。
打席の壁際にあるベンチに腰掛けた二人は、その前のテーブルに立てかけたポータブルテレビを見る。土曜の昼下がりにはバラエティ番組の再放送があって、どうやらハプニング映像集らしい。ちょうど今、パンダの赤ちゃんが母親の背中から転がり落ちているところだった。
「佐渡さんは、彼らとどういった関係なんですか?」
犬飼は缶ジュースを両手で包むようにして膝の上に置きながら言った。視線は、テレビに注がれている。
彼女は佐渡とは初対面である。任務の殆どはメールで連絡されるし、《鴉》が死んでからは上層部から何の連絡もなく、それゆえに伊達たちの家に転がり込んでいる状態だからだ。
「どーもなにも、ただの指導員だった。それもたった三年間だけのな。高城に至っちゃ、たった二年だけだったが」
どちらも坊主の頃の指導者だったから、その分想いが強いのかもしれない。慕ってくれる理由の推測は簡単だったが、それを口に出せるほどの思い上がりでもない。
「指導員? 三年間ってことは……」
「ああ。六年前からこの仕事だ。犬飼ありす、お前とはすれ違いみたいなもんだったな」
「そーですねえ。なんだか、残念かも」
「お前はどう見ても、面倒なのが嫌いそうだが? 俺は見ての通り、手を抜かれても、指導は手を抜かずにやる主義でな」
「逆レイシストってわけですか」
「女だって連中ほど強いのはごまんと居る。むしろ結局、気ぃ使われんのはおれのほうさ」
やってられるか、と言いながらテーブルの上のショットグラスを取って一気に呷る。
「なんです? それ」
「ジンだよ」
「わお。いいですね、お酒好きなんですか?」
ひくひくと鼻をひくつかせながら犬飼が訊いた。心なしか、目が輝いている。
「強い方でもないがな。色々試してみて、結局ここに落ち着いた」
小脇に抱えていた酒瓶をテーブルに置き直す。口の開いたそこからは、さっそく気化した酒の香りが届き始めた。
「あたしたちもそーなんですよ。ヒトシ以外、お酒好きなんです」
「ちなみに、お前はいくつだ?」
「あたし? ハタチですよ、二十歳。二ヶ月くらい前に、ちょうど」
丁度でもないだろうと腹の中で思いながら佐渡は思った。その歳で酒が好きとなると、当然成人前には飲酒しているのだ。
ともあれ、彼女が形成者になったのは十五歳。その時点から残り寿命が十歳となれば、高齢の老人と見てもあながち間違いではない。
「なら飲むか?」
酒瓶を取って口を向ける。
彼女は半分くらい残った炭酸ジュースを差し出しながら頷いた。
「やっぱ、飲まなくちゃやってられないですよぉ。もう、コアが濁って濁って」
にへら、と緩む顔。凛然とした表情の似合う彼女の笑顔には、どこか愛嬌があった。
もしまともに社会に出ていればさぞかし出世しただろう。やり手の若手社長でもとっ捕まえて、裕福なくらしが出kたかもしれない。
なみなみと酒をついでから、犬飼はそれをジュースを飲むかのように一口含み、ゆっくりと飲む。それからは、舐めるようにちびちびと飲み始めた。
酒で落ち着いた腹に、乾いた銃声が程よく響く。
まるで戦場のような環境を感じながら、犬飼は微笑んだ。
「ご存知かもしれないですけど、コアって精神状態によって劣化度が変わるんですよ。リラックスしてれば遅いし、苛ついてれば早いし」
テレビでは、幼児がよたよたと歩いてすっ転び、頭から大きなプールに落ちた。ヒステリックな悲鳴と、大味な笑いが響く。
その中で、ぽつぽつと零すように犬飼が言った。
「あたしやタカギには、お酒がある。それに他にちょっとした趣味もある。好きなことをやろうと思えば、いつでも出来る。そのおかげで、寿命は他よりちょっと長いかもしれません」
「ああ」
「ヒトシは違う」
断定するように言った。視線は鋭く、表情はどこか悲しげだった。
「先代の《鴉》が死んでからかもしれませんが……彼に趣味は無いし、学校だって大変そう。毎日毎日、あたしが起きる前に朝食を作るし、あたしが寝ても勉強してるし、休む暇もないみたいで」
「家事を手伝えばいいんじゃあないのか?」
「朝以外は、出来るだけやってあげてるつもりですけど……恥ずかしながら、彼のほうが達者なんですよ。かえってお払い箱にされちゃって」
「ま、仕方のない話だな」
「ええ……趣味らしいジグソーパズルも、埃がかぶってます。散歩も、休日にほんの一、二時間くらいだし」
佐渡はまたショットグラスを一息で呷る。大げさに息を吐いてから、浅く座りなおして仰け反るように身体を背もたれに預けた。
膝に足を乗せるように組んで、背もたれに肘をかける。
対照的に犬飼は膝を閉じて、縮こまっているようだった。
「出来れば、気にかけてあげられますか? 忙しいのは、重々承知です」
「なあに、そう心配するほどのもんじゃねーだろ」
気がつけば、テレビの画面には、下部にテロップが次々に流れ出していた。もう番組が終わるのだ。
そうしてようやく気付く。一際小さな豆鉄砲みたいな銃声は終えていることに。そして重く歪むような銃声だけが、際立って居ることに。
「お前が思うほど、ヤツは複雑に出来ていない」
それに、と言いながら立ち上がる。巨漢がベンチから失せれば、その分傾いていた椅子の角度が戻って軽く弾んだ。
「死にたいと思っていても、死ねるほど勇気があるわけじゃない野郎だ。しぶとく、意地汚く生き続けるだろうよ」
首を鳴らし、背筋を逸らし、腕を大きく伸ばして体中の筋肉を解す。長身で筋肉質の大男がそうすれば、まるで威嚇した熊のようだった。
「そこまで心配なら見守ってやれ。野郎はよちよち歩きのガキじゃあねえ、立派に戦える男なんだ」
最後に、と言わんばかりに佐渡はそう言い残した。
犬飼は、どしどしと伊達へと歩み寄っていく彼の背中を見ながら酒を一息に飲み干した。
なら仕方があるまい、と思う。
先におさらばして、今日は手の込んだ夕食を作っておいてやろうと思う。もっと生きたいと思うように。こんな不精の女に料理に負けて悔しがるように。執念深く生に執着するように。
彼女はそうして、静かに席を立った。
よく晴れた昼日中、澄んだ青空に銃声が反響する。
マガジンを捨て、予備を入れ替える。腰のポーチに伸ばした手が空を切って、弾薬を全て撃ち尽くしたのをようやく理解した。
「ふぅ……」
腕に少し痺れたような感覚。八個のマガジン。ジェリコ945の装弾数は十六+一だから、総数一ニ八発の九ミリをほとんど連続で撃ちったがゆえの反動だ。まともな人間ならば、感覚が失せていてもおかしくはない。
自動拳銃を腕ごとさげて、改めて一○○メートル先のターゲットを見る。胸と頭に、無数の穴を開ている。弾幕を一身に浴びたかのようにボロボロだった。
「よお、腕前は錆びてねえみたいだな?」
どこか得意げな顔で佐渡が言った。彼は慌てて振り返り、口元に笑みを寄せて頷いた。
「自分でも意外です。銃ばかりは、どうしても訓練ができないものですし、実戦でもほとんど使いませんから」
しかし、わかりやすい脅威としては非常に重要なのだ。
彼らは同胞を探す仕事ばかりではなく、極めて危険な犯罪者に対する戦力として駆けつけることもある。その場合には犯罪者への脅し、またその武装の無力化のために使用するのだ。
今のところ主な任務は、こちらのほうが多かったりもする。
そして実際、そんな状況では挑発し、弾切れになるまで己を撃たせてから無力化する。中途半端な腕の拳銃を使うより、こちらのほうがずっと楽だ。
もちろん、生身での痛覚はそのままだから酷いものだが、それについては我慢の一言に尽きる。
「でも、正直言えばその腕だけでも食っていける実力があるぞ? むろん、おれと同じすぐ死んじまうヤワな身体でも、だ」
「それは褒めすぎというものです。いくらなんでも……訓練もそこそこの、十七のガキですよ」
「おれがそう判断したんだから仕方がないだろう。褒めているんだ、素直に喜んだほうがおれとしても嬉しいんだがな」
「そういうことなら。ありがとうございます、先生――」
言い終えるが早いか、一際目立つ重圧な破裂音が空間を引き裂いた。
大口径ライフルによる銃撃だ。
それを悟って、伊達と佐渡は顔を見合わせた。
「むろん、奴も優秀な兵隊だ」
「はい。俺の自慢の戦友です」
惜しみない称賛の言葉と共に、佐渡は始めて伊達の満面の笑みを見た気がした。
やがて足音が近づいてくる。重くゆっくりとしたそれは、いやに自信がありげなのを示していた。
「いやあ、錆びちまってねーか心配でしたが、さすがはオレってとこっすかね」
見ろ、と言わんばかりに双眼鏡を手渡してくる。
佐渡はそれを受け取りながら、口元を歪めた。
「たかがニニ○ヤードで何を言ってやがる。飛んできたゴルフボールくらい落としてみせろ」
そう言いながら覗いた人型のターゲットには、胸に一つの穴だけが空いていた。さらには肩口から頭部が粉々に砕け散って、雑に引きちぎられたかのような断面しかない。
前者は通常のライフルで、その一点だけを穿ち続けた証左であり、後者は……。
「残りはどこを狙ったんだ?」
大口径ライフルでは確かにああなる。だが一発で十分な筈だ。
「なに言ってんですか。全弾で、少しずつ削ってったんですよ」
「ありえん。掠っただけでも致命傷だぞ」
「出来たんですから、んなこと言われても」
困ったように肩をすくめる高城は苦笑交じりに肩をすくめた。
やがて伊達に双眼鏡を渡した佐渡が彼を睨むように一瞥すれば、
「冗談ですよ、ど真ん中に一発ぶち込んだ後は、てめえで玉投げて撃ってたんです。クレー射撃の要領ですよ」
だからゴルフボールでも撃ってろ、っていうのには少しドキっとしましたがね。高城は苦笑交じりにそう言った。
伊達はその功績を確認しながらうなずき、双眼鏡を下ろす。
「しかし、この技術がいつ役に立つんだ?」
「バカ言ってんじゃねーぞ。オレの超天才的な才能がなけりゃ、今頃てめーはお陀仏してんだよ」
「冗談が過ぎるな。俺が死んでいる? いつ、誰が、どこで、その窮地を救ったんだ?」
「はん! それに気づけねーようなド三流が良く言うぜ、てめー、寝首かかれねーように精々睡眠不足になってやがれ」
「こちらの台詞だ。射的の一つや二つ……」
「射的だぁ? てめえ、いい加減に――」
冷笑する伊達に、いきりたつ高城。いよいよ固く握った拳がその役割を果たさんとする所で、横合いから佐渡の巨漢が割って入った。
「久々に銃器に触れて興奮してんのはいいがなあ……」
肉厚の手のひらが、たやすく両者の鼻筋に掌底を打ち込んだ。そのまま頭ごと掴んで離さず、己の胸の前で二人の頭を打ち合わせる。
ごつん、と鈍くどこか軽快な音が響く。二人は頭に手を当てて痛みに喘ぐように屈みこんだ。
「女みてぇにぎゃーすか喚いてんじゃねーぞ。うるせえんだ、殺すぞ」
そんな威圧的な台詞に、二人は呻きながら言った。
「す、すみません……」
「申し訳ねーっす」




