第一章「Loading」
「卯野櫻子? なんつーか、古めかしい感じの名前ですなあ」
軽薄そうな声で男が言った。
その後ろからパソコンの画面を覗きこむようにした少年は、ディスプレイに写っている短髪の男を一瞥して、即座に姿勢を正す。
簡素なテーブルの上に鎮座するノートパソコン。そのインカメラが、ニヤけづらの青年と表情を引き締める少年を捉えた。
『卯野櫻子、十七歳の少女だ。ちょうど伊達と同い年だな』
「お、マジか」
答えるのは高城千里――明るい茶髪の男だ。ボサボサの髪は肩まで長く、大きい瞳は人懐っこく、顔立ちは整っている。ティーン向けの雑誌モデルのような容貌を持つこの男の職業は、しかし無職である。
「写真はないんですか?」
『ない。咲玉高等学校に通う高校二年生。大体の資料は手元に送られているだろう、そこに目を通しておけ』
ディスプレイの向こう側の男、佐渡健介は疲れた表情を隠さずに嘆息する。彼は現場で働く彼らに直接指示を下す上役だ。だいたいの責任や雑務も、彼が一手に引き受ける事になっている。
ついこないだまではフランスの外人部隊にいて、その前はアメリカの傭兵部隊に、その前には自衛隊にいた経歴を持つ男だ。その本領を発揮する時代は、たぶん来ない。
『コアを埋め込まれて三ヶ月が経過している。つい一ヶ月前に力の自覚を確認し、また徐々に筋肉量が増えてきている様子だ。最近では、《兎》としての姿も認められている』
その言葉に、どきり、と背筋をこわばらせた。伊達仁志は柔らかいオールバックをさらに撫で付けるようにして、また下ろされた前髪をもっと下ろして目を隠すように弄る。
妙な動きの相棒に一瞥くれてから、高城は口を開いた。
「んで、今回もそいつを説得するなり、力づくなりして施設へ送りゃあいんでしょう?」」
微妙な慇懃さ、そして無礼な口ぶりで言ってしまえば、しかし佐渡は反応が悪そうにうなり、咳払いする。
ややあってから、改めて喉を鳴らした。
『今回の任務は伊達に苦労があるはずだ』
「俺に、ですか?」
弾むように背筋を伸ばす。筋肉が引きつるのではないかというほどの緊張に、高城は苦笑を通り越して呆れていた。
任務を言い渡されるのは書面でのことがほとんどだが、しかし稀にこうしてテレビ電話での連絡もある。なのに妙に緊張している彼は、なにかやましいことを隠しているに違いない、と思う。さきほどの反応を見るに、既に《兎》と交戦した後なのかもしれない。
それは事実であった。
そして伊達は、それを咎められるものだとばかり思っていた。
『今回の任務は実験的なものでな。この卯野は、己の異形を理解してから、日常の儚さを知った。そして出来る限りその場に留まりたいと思っている。この心情の変化がコアにどのような影響を及ぼすか――偶然にも同年代である伊達仁志が学校に潜入し、観察する。これを任務とする』
「……学校に? しかし」
『拒否権は当然無い。既に入学手続きは終えているし、一週間ほどで制服と教材が揃うだろう。今回の生活費から一・五割増しに振り込んでおく。そう悪く思うな』
「まともな勉強をしたことが無いんですが、それは……」
『諦めろ』
咎められたほうがどれだけラクなことだったか。
基本的に同胞との戦闘は避けるべきである彼らは、だからといって気軽に交戦できるほど同類と出会うことはない。高城と伊達が一組として数えられるように、多くは二人一組で活動しているし、彼らには彼らの領域のようなものがある。
何らかの問題が発生しない限り、出会うことはそうそうない。ただ特別親しい者達は、メールや電話などで連絡を取り合うだけである。
「一週間……」
「まあ、なんだ。頑張れ」
伊達仁志、十七歳無職。八歳、小学三年生の頃に『コア』を埋め込まれて残りの寿命を十年に縮められた男は、この瀬戸際に来て青春謳歌の機会を与えられた。
それが、僅か三週間前の出来事だった。
カチコチに緊張した自己紹介は無難にこなしたが、しかしその後に話しかけてくれる同級生たちへの反応が著しく悪かったがために、たった二週間で彼に声を掛けるクラスメイトは数少なくなっていた。
「ジンは昼どうすんの?」
快活な笑みを浮かべて声をかける。
この男子生徒、中田が数少ないうちの一人だった。
曰く、小学生の頃の同級生で、仲が良かったらしいが――小学三年の半ばで学校を辞した彼に覚えはなかった。
加えて言えば、コアを与えられたものはその一年後に、それ以前の記憶を全て抹消する。これはコアが肉体に馴染むことによる副作用だと言われている。
「あまり無駄遣いする余裕もないんでな。弁当を、用意してきた」
机に乗り出すように訊いてきた中田に、伊達は机の横に引っさげてあるカバンから弁当箱を取り出しながら言った。当然のようにアルミバッグからマヨネーズのボトルを取り出している点については、もう何も言わなかった。
「そっか。んじゃ一緒に学食でくわねえ?」
「遠慮しておく。誘いは有り難いが……」
中田は困ったように笑いながら、頷いた。
「了解。また今度誘うよ」
「済まないな」
「おう、じゃあな」
軽く手を振りながら彼は背を向ける。教室を出る際に他の友人達と合流して、笑いながら出て行った。
少し安堵する。
中田がどこかに行ってくれたから、ではない。会話が終わることで、ようやく己の不甲斐なさから目を背けられるからだ。
伊達仁志は特別人見知りということはない。
同年代の人間が、これほど多く存在する。そんな環境は始めてだった。
だから慣れない。話も合わない。言葉遣いを笑われて、だというのに何がおかしいのか説明してくれない。ただ、悪意だけには敏感だから、自然に距離を置くようになった。
気を使ってくれるのは、中田と、もう一人。
「結局一人でお弁当? 寂しいねえ?」
「自業自得だ。それに、特に困ることもない」
愛想無く、ぶっきらぼうにそう返す。
真っ白なワンピースタイプの制服。襟元の刺繍は青い幾何学模様で、胸元には大きな赤のリボン。このリボンは学年別で色が異なり、下から黄、赤、青を毎年循環させていく。
腰には黒い革のベルトを装着しているが、多くの学生はバックルを変えたり、ベルトを変えたりなど独自の改造を施している。今の流行は、メッシュベルトや、長いリボンで腰を括るものだ。そのせいで、その整ったスタイルが浮き出ている。多くの生徒はそれを気にして、上にカーディガンを羽織るなり、インナーに工夫をするなどをしていた。
彼女は隣の机を動かして横にくっつける。伊達はそれに応じて、机を反転させて相向いにさせた。
「君も友だちがいるだろう。俺に気を使う必要など無い」
「気を使う? 伊達くんに? なんで?」
嘲笑するような笑み。対する伊達も、さすがに表情をひきつらせる。本気で言っていないことは分かるにしても、本気が垣間見えるほど挑発的な言い草だった。
「君が構わないなら、それでいいが」
「ありがと。伊達くんやさしーね」
「こちらの台詞だ。わざわざすまないな、桜井」
彼女は桜井と言う。あだ名であるらしいが、その本名は知れない。教師さえも桜井と呼んでいるからだ。
由来は教師の呼び間違いから来たものだというが、かなり浸透しているのだろう。他の誰かに訊いてみても、そういえば……といった具合に、真実は闇に葬り去られているようだった。。
桜井は机の中からパンを取り出す。奇しくも、彼女は隣の席の住人なのだ。
伊達に親しくしてくれるのは、そういった縁からくるものだ。彼はそう信じている。加えて、世話焼きが高じているせいだ、とも。
パンの包装を引きちぎって、むき出しになるたまごサンドを口いっぱいに頬張った。たまごサンドと言っても食パンからなるものではなく、コッペパンにペーストした卵を挟んでいるそれだ。高校の最寄り駅の中にあるパン屋で、八○円で購入できるシロモノである。
「使うか?」
伊達は親切心で、というよりも嗜好の押し付けとしてマヨネーズを差し出した。
「いらない」
「カロリーを気にしているなら安心しろ。ハーフサイズは、カロリーもハーフで通常五グラム三五カロリーのところが――」
「いらないって! ダイエット中とかじゃないよ、普通にノーセンキューだよ」
彼女と昼食を共にして一週間ともなるが、その全てでマヨネーズを断られている。
今時古いよ、だとか、マヨネーズ悪くならないの? などとスルーされてきたが、あまりにもしつこい為に最近ではきっぱりと断られるようになった。
「うまいぞ」
弁当箱の中身は、ブロッコリーに二つに切られたゆでたまご、そして肉野菜炒めだ。
すべてを台無しにするようにマヨネーズが格子状にかかっていなければ、バランスが良さげな弁当である。
「伊達くんの舌はそう感じるかもしれないけど……」
食べかけのパンで、マヨネーズのボトルを指して言った。
「もうそれマヨネーズ食べてる感じだよ」
「マヨネーズをばかにするのか?」
「伊達くんの頭だよ」
「根本からの否定だな」
そう言いつつも、もくもくと食事が続行する。
つつがなく平和に会話が続き、どこか殺伐とした言葉の応酬を楽しみながら、ふたりはゆっくりとパンを、あるいは弁当を平らげた。
やがて午後の授業が始まる。
五限目が始まって数分もすれば居眠りにつく桜井を横目に見ながら、伊達は理解が追いつかない授業内容を、精一杯ノートに写すことで勉強とした。




