8.尽力
世界が苛立たしいほどに遅くなる。己の感覚だけがひどく鋭敏に、自分だけが取り残されたかのように時間が加速した。
それと同時に、周囲の幻も動く。即座に弾けた十を超える連中は、怒涛となって《隼》に襲いかかった。
「っ!?」
――黒煙の中で影が一挙に迫った。それが幻であるとわかっていても、その中に本物が混じっていないという保証はない。
大きく一歩分後ろにさがって、迫る影を全て正面に捉えた。
一番近い相手に拳を打つ。だが感触はない。もう一体を蹴り飛ばす。手応えはゼロだ。
もう一発――撃つ暇はなかった。側頭部にゆっくりと鋭く、激しい衝撃がぶち込まれてきていた。
《隼》は咄嗟に動く。穴の空いた頭を意識する余裕もなく、敵が居るはずの空間に向き直る。
刹那、己の腹を凄まじい衝撃が殴り抜けた。たたらを踏んで後退し、時間制限が見る間に限界へと近づいていく。
加速した世界で、その直後に猛攻を見た。
己を上回る速度で放たれる嵐撃が全身に降り注ぐ。装甲が砕け、四肢をもがれ、穴の空いた側頭部に手がかかる。
力いっぱい引き裂かれた頭のなかには、完全に結晶化したコアが鎮座していて――。
火竜の咆哮が轟いた。
大気が引き裂ける火焔の唸りを見た。
鮮やかな真紅の炎が視界いっぱいに広がった。それとともに、幻どもが一瞬にして消滅する。
黒い霧の中から、コアのギリギリ上を鉄杭に突き刺されている《隼》の姿があらわになった。彼は抵抗する余地など見せずに、ただ棒立ちをしていた。
「何やってんスか、センパイはッ!」
両腕が燃える。白熱し、ドロドロに溶け始める。
いくら《鴉》でその爆熱の兵装を御していても、常に全力でそれを振るっていれば反動くらいはくる。それが今、よりにもよって両腕を溶かし始めているという形で現れているだけで。
「暫く頼めますか!?」
叫ぶように問う。その間に、《隼》は《幻影》に頭を開かれていた。
傍らの《猟犬》が唸る。
「弾切れよ、残念ながらね」
彼女は言った。
「三十分以内で五発が限度なのよ。あと二十八分……」
無念だと言いたげに前を見据えた。
《隼》は身体の中に霧が染み込んだのかもしれない。霧が払われた今でも、幻が見えているのだろう。
「不甲斐ないです、あなた達」
その隣に立った白影が吐き捨てた。
「腕が溶けた? 弾切れ? だから何。戦えないんですか? だったら潔く装甲解いて見ていてください。あなた達のその姿は、力の権化ですから」
無力で居たいならば力を捨てろ。
新参の《兎人》はそれだけ言って、走りだした。
空間が揺らぐ。陽炎が立つ。その熱に侵されて、彼女の身は全身を赤化させ始めている。頭部から排出する熱は、連続するプラズマ砲の発射に間に合わないのだ。
そんな彼女の背を見ながら呟いた。
「……情けねーわね」
小娘に蔑まれて。
「今の俺たち、すげえ格好悪いんじゃないんスかね」
力を持て余しているのに跪いて。
彼らは確かに見苦しい。しかし武装が使えないのだ。仕方がない。
だが、仕方がなければ戦わずに済むのか? 敵を前にして構えた銃に弾が無ければ、安全圏まで引いて補給できるのか?
違うだろう。
これまでの自分たちは、この狂った運命のなかで泥沼のような戦場で暴れまわっていたはずだ。
今回は人が多く、敵が少ない。それが、この戦闘が容易に終わることを錯覚させた。
《幻影》は間違いなく強い。この四人を手玉に取っているのだ。新装型は、伊達ではない。
戦わなければならない。
先に進むためではなく。
今を、終わらせるために。
少女のストレスは、《隼》の<限界加速>よりも早く積み重なっていた。
足手まといだと思っていた。一撃で敵を屠る術を持っていながら、一撃で殺しきれぬ腕前だからだった。
仕方はないことである。この戦闘で、彼女は始めてプラズマ砲を開放したのだ。いくら超弩級の戦闘経験がコアにあろうとも、馴染み始めてまだニ、三ヶ月。むしろ付いてきているだけでも十分だったが――《兎人》として優秀でも、卯野櫻子としては極めて劣悪な結果だった。
出来ることすら出来ていない。
「最低だよ」
呟きながら突撃する。咆哮を殴りつけるようにして《幻影》へと飛び込めば、切り開かれた《隼》の頭を覗き見ていた彼は即座に対応した。
踵を返して《隼》を盾にする。彼女は構わずそれの肩を掴むと、力いっぱい抱きしめるようにして捕縛した。すかさず身に寄せれば《幻影》の拘束から解き放たれ、彼女はそのまま後退する。
入れ違いになって、二つの影が襲来した。
次第に霧が辺りを満たしていくのも構わず双剣を振るう。解け始めた腕が飛沫を散らし、熱風が薄い霧を払拭する。その間に《猟犬》が接近すると、《幻影》は即座に拳を放ち、鉄杭を射出する。大地を弾いて横に飛んで回避、背後に回り込んだ。
跳躍。首の付根に深く食らいついて、噛みちぎる。鉄のひしゃげる異音が響き、患部から瀑布のように黒い煙が溢れ出す。
まるで無尽蔵に周囲を満たす。
それを白刃がなぎ払い、爆炎がそれを焼き尽くした。黒い筈の《鴉》の外骨格は、早くも両腕を肩口まで赤くドロドロに変えている。そろそろコアにも影響が出てくる頃合いだろう。
鋭い鉤爪が《幻影》の両肩に突き刺さって、黒犬は勢い良く飛びかかった。身体の前面を覆い尽くすようにして、凶悪な牙を剥いて顔面を引き裂く。だが、そこにコアは無かった。
《幻影》が身体の前で腕を交差させるように拳を放ち、さらに鉄杭を射出する。身体の両側から図太い杭が生えて、そのままジリジリと上へと、コアへと迫っていく。
「早く! 《鴉》!」
さらに噛み付いて首を引きちぎる。鼻先に頭を乗せて放り投げ、さらに身体をズタズタに引き裂いていく。それでもコアの気配はない。
逆に、彼女のコアに鉄杭は触れていた。これを弾かれ肉体から離れれば、犬飼ありすは死ぬ。いずれ新たな《猟犬》が生まれるだろうが、彼女はこの世から完全に消滅するのだ。
覚悟は出来ている。
やれ、と願う彼女の身に、しかし別の動きがあった。
首根っこを掴まれて、勢い良く《幻影》から引き剥がされたのだ。
「早く退くのはお前だ。死ぬ気で戦うのは良いが、死ぬつもりならどいていろ」
後ろへ放り投げられた《猟犬》は空中で一回転して着地する。
彼女は己を投げた男を見て驚いた。
助けに来たのは《鴉》ではない――それを知るのは、気を失い、形成を解いて倒れている男が隣に居るからだ。
瞬速で放つ拳は鋭く《幻影》の胸部を貫く。スプレー缶に穴を開けたように黒い霧が噴出するのも構わず、腕を引きぬいた。穴がさらに大きくなって、ダムの放水のように勢いが増す。
《幻影》は大地を蹴り飛ばして大きく距離を取る。それだけで、彼が通った場所に暗黒が満ちた。
「どうして、形成を……」
「どうにもコアが馬鹿になったようでな。こいつが、限界だ」
拳を構えた伊達仁志が答えた。
両腕の肘先まで外骨格を形成し、背部から突き出た対なるレールが備えられている。それだけだ。ほかは全て生身であり、最も守るべき頭部は剥き出しになっていた。
真紅の瞳が闇の中で残像を見せる。
「仕切りなおしって、わけね」
「違います」
よろよろと立ち上がった《猟犬》を追い抜いた白影が言った。それに伴って、生身なら肌が焼け焦げそうな熱風が吹き抜けた。
「これで終わらせるんです」
バチバチと電撃を唸らせる右腕を携えて、《兎人》は上肢をやや前かがみにして走りだした。
彼らには作戦があった。
《兎人》が仕留める。それが出来なければプラズマ砲で足止めとして、最速の《隼》がコアを刈り取る。
問題は一撃でプラズマ砲を当てることであり、その精度は動きまわる《幻影》を狙うことが難しい程度のものであることだ。
単純だが、単純であるが故に難易度は高い。それを相手に悟られるからだ。
だからといって小難しいことばかりしている時間はない。この四人は消耗しきっており、生まれたてでコアの疲労を知らぬ《幻想》とは異なり限界を知るからだ。
「俺が誘導する。最悪、俺ごと撃て」
冷徹な言葉に返す台詞は山程あった。己が学園に居残るために様々なことをしてきた彼女でも、何一つとして情を覚えなかったわけでもない。
この学園は、彼を含めて完成する。欠けてしまっては、物足りなくなってしまった。
それでも、口にすべき言葉はわかっていた。最速を極めた男にとって、その詰まってしまう一秒足らずの時間すら口惜しいに違いない。
「了解。頑張ろう」
だからせめて付け加える。
あなた一人だけじゃない。その思いだけを、強く込めて。
まさに闇雲。
<限界加速>を使用せずに高速移動するが、背部のレールから外へと黒い霧を広げるだけの所業だった。しかしそれでもあるのと無いのとは別で、機動性と加速性能は極めて高い。
霧を抜ければ圧縮空気の噴出を止めて足でブレーキ。弧を描くようにターンをして、そのまま再び空気を発射して霧の中に飛び込む。その時間差は一秒足らずで、さらに風を切る暴風がそれらをかき乱して密度が減りつつある。もっともそれと同じか、それ以上の早さで霧が増えていくのだが。
「――っ!」
居た。
伊達が縦に動いているとすれば、それは横に移動して隠れている。その後姿を、奇跡的に捉えることが出来た。
己以外の足音と、その振動と、霧の流れの中に生じた抵抗を認識した。その感覚を記憶し、伊達はその場で急停止して方向転換した。
レールが軋む。両腕の返しが悲鳴を上げる。短時間でのこの挙動にはやはり無理があったが、無理は承知の上。これで出来なければ、死んだも同然。
大海のような霧をかき分け、一気に距離を詰めた。
陣風一挙に脇を吹き抜け、固めた拳が刹那を貫く。
《幻影》の背部に迫った拳は、その機を狙ったかのように突如翻った敵影が構えた両腕を砕いた。
鉄杭を収める武装ごと、筋繊維の無い装甲だけの腕がばらばらに砕け散った。粉砕された装甲の破片とともに、受け止めきれなかった衝撃に押されて《幻影》が吹っ飛んだ。
黒い霧を切り裂いてそいつは飛び出る。奇しくも、校舎の前だった。
《兎人》は構えていた。プラズマは唸りを上げて周囲を灼熱に変えている。大気が殆どなくなり、抑えきれぬプラズマの本質が周囲に弾けかけていた。
準備は万端。だが、撃てなかった。
出力最大のプラズマ砲は、それ故に校舎の二階にまで及ぶだろう。そうすれば、大勢を巻き込む。たとえ《幻影》を滅せたとしても。
「……っ!」
駄目だ、自分はどうしようもなく愚かだ。
継続する戦火の中で己を悔いる中で、不意に轟いた音があった。
それは一発の、乾いた銃声。それにしてはあまりにも重すぎる、重圧すぎる、銅鑼を思わせるものだったが。
直後に、昇降口の手前で立ち上がっていた《幻影》の身に炎が上がる。爆発音の中で、すっ転ぶように倒れた。
もうもうと胸部の真ん中から身体を舐めるような火を見る。立ち上がろうとしているそれは、だけれど思うように動かないのか、酷く鈍い。
時間が生まれた。《兎人》は本能的に動いていた。
右腕から輝きが溢れる。きぃん、と金属が擦れるような異音が響く。
彼女は高く跳び上がる。《幻影》の真上に到達した瞬間に、彼女の中の全てをその右腕の方向から発射した。
破滅の音色にも似た爆音が世界を震わせる。
瞬間的に辺り一帯の大気が燃焼して、ガラスが余すこと無く砕け散った。校舎に亀裂が入り、悲鳴を上げる。
その身を超える輝きの一閃が大地を溶融した。
クレーターなど発生することはない。
焼け焦げた大地は存在しない。
そこには目もくらむような大穴が開いていた。
その脇に着地した《兎人》は、そのまま膝を崩して尻餅をついた。無自覚に装甲が解除され、無防備に背中から大地に倒れる。
肌が焦げる。呼吸もままならない――だが死にはしない。苦しいだけで、その脅威は消滅した。
「《幻影》のコアの消滅を確認……任務終了」
凛とした声で犬飼ありすが言った。
だらりと垂れた手は、未だ横たわる矢田恭介の腕を引いている。引きずって帰るつもりなのだ、と彼女は思った。
「帰還しよう」
服も身体もボロボロに、生傷の激しい姿のままで伊達仁志が言った。ひどく疲れきった顔だった。
「うん」
彼女は短く答えて、踵を返した伊達の隣に並んだ。




