7.快哉
《兎人》は《隼》が失速するのを見ていた。だからこそ腕の砲火を以てして援護しようと動き出したのだが――その刹那に、背後から伸びた腕が頭を握りつぶしたのだ。
視界が失せ、蹴り飛ばされてその身がグラウンドの端へと飛ばされていく。
開いた道を通る赤黒い影が、己が通った道を黒く染めていく。空間が闇に飲まれ始めるのを、しかしまともに意識がある者は認識できていない。
ゆえに、無駄なまでに幾度も結晶体を優しく殴り続ける《隼》は自嘲と失望、悔恨の波に酔ってそれを知らなかった。
彼が知ったのは、横合いから《鷹》の胸を貫く影を見た時だった。
「な……」
堅牢な結晶の中に腕を入れる。砕いて開くわけでも、溶かして突っ込むわけでもない。まるで空間が歪むように、あるいは水面に触れるような滑らかさで結晶の中に手を入れ、それを引き出した。
結晶化したコアである。
多面体からなる球形の結晶。《隼》を一瞥もせず、《幻影》はそいつを己の胸に押し込んだ。コアは外骨格を透過するように中へと滑りこんでいく。
唖然とする。
その隙に、《幻影》は《鷹》を殴り飛ばした。ただの木偶となり後は砕け散るだけの結晶体は空へと大きく弧を描いて、学校の前の道路に叩きつけられた。《隼》の首に刺さっていた野太刀が、呆気なく滑り落ちて地面に弾んだ。
――どこからともなく何かが落ちてくる。
紫色のコアだった。
そいつを《幻影》は鉄仮面を開いて、直接コアと融合させる。
灰色のコアが、よりどす黒く、吐き出す黒煙がさらに密度を増して装甲にまとわりついた。
十一色が交じり合った。
《幻影》が《隼》を見た――気がした。
それを感じた時には、彼は既に上空へ吹き飛ばされていた。胸に響く痛烈な打撃の感触を覚えながら、彼の身は既に校舎を軽く飛び越えた空を突き抜けていることに気付く。
「何を……」
何をやった? こいつは今? 何をした?
速さではない。
彼の気に障ったのは、行動だ。
《兎人》はどこに居る。《猟犬》を、《鴉》に何をした?
よくも《鷹》を殺してくれたな。よりにもよって、部外者の貴様が。
どくん、と有りもしない心臓が鼓動する気配を感じる。存在しない脳みそが、沸騰しそうなほどに熱し始めているのを感じた。
これは怒りだ。
己でも制御できない爆発的な激情が、その身に再び加速を強いた。
「<限界加速>――!」
感覚が超加速する。世界を支配する力が、頭のなかにあるコアに絶望的な悲鳴を上げさせた。
その代償として得た加速は、空を貫く速度すら加速し、滞空時間を極めてゼロに近くする。落下速度は常の数十倍――数十メートルの高さからほんの一秒で着地した《隼》は、しかし同時にその衝撃で<限界加速>の精度を著しく低下させた。
つまりは一時的に無力化してしまう。
同時に、己の脇腹に拳が振りぬかれるのを見た。届かぬ距離で伸びきった腕が、その上部から鉄杭を射出する。装甲を容易く砕いて筋肉を突き抜けた。
痛みなど無い。だが動けない。
ただの新装型に、劣っているというのか?
仮にそうだったとして、だからなんだ。
劣っていれば、勝利は掴めないのか?
否――。
「諦めるな」
呟きは己への激励。
言葉は確固たる信念への道標。言質。
声は響き、闇の中で確かに存在を示していた。
快哉だ。
背部のレールが起き上がり、闇の霧を噴出して肉体が凄まじい勢いで急加速する。鉄杭が突き刺された脇腹から背中が激しく裂けた。
しかし、それだけだ。
再び筋組織は復活し、《隼》は闇を紅の視界で斬り裂いた。
「貴様を翻弄する!」
快哉を上げる。
声が上ずり、頭がどうにかなってしまったかのように気分が高揚する。
どうでもいい。己が壊れてしまっても、もはや気にするまい。
自分はどうしようもなく良い気分だ。怒りと喜びが共存した狂った感覚の中で、《隼》はそれを理解する。
なにせ、己は初めて憎き相手を殺せるのだ。
親友を殺した、敵の命を。この手で。
闇が満たされる世界で、蠢く影は《隼》だけではなかった。
彼らはその男の声で目を覚ました。
その声に誘われるように動いた。
敵を見つける。
憎き敵だ。そう己に植えつけた。
奴は倒さなければならない。
何よりも、己らの為。
だから《隼》が叫んだ直後に、三つの影が闇の中で躍動した。
爆発が起こった。どこかの地面に落ちた爆発物が、瞬く間に霧を引き裂いた。上塗りするように白光が周囲に満ちて、直後に真紅の炎が上がる。
どこかで鋭い風切り音がした。同時に迸る業火が黒煙を喰らい尽くして燃やす。爆発と同時に急加熱した大気が爆風となって上空へと舞い上がり、空が黒霧に塗りつぶされていく。
閃光が空間を貫いた。こいつが決め手だった。
グラウンドを占めていた黒い霧が瞬く間に払拭される。光の後に吹き抜けた衝撃が全てをなぎ払い、粉塵を巻き上げて波紋を作る。鉄筋の校舎が寿命を迎えた悲鳴のように軋み上がり、いくつかの窓が割れる。その向こう側で、生徒が将棋倒しになって転んだ。
明瞭な視界が戻る。
爆熱をはらんだ外骨格が、《隼》を中心に据えて横並んだ。
黒い《猟犬》が背部にミサイルの準備をする。
漆黒の《鴉》が白熱の双剣を携えた。
純白の《兎人》は頭頂部から投げ出した真鍮の髪が赤化する。赤熱した右腕を垂らしたまま、瞳無き顔で前を睨んだ。
黒化の《隼》は同士を一瞥し、紅の眼部をより鮮やかに輝かせる。両腕、内と外に展開される装甲の返しを意識した。
一騎当千の形成者が四人もこの場に揃った。同じ、単一の敵を目標に牙を剥いた。
怒り心頭し、狂ったように意欲を剥き出し、再び眼前が闇で埋まるのを見た。
認識と同時に、合図もなく彼らは四散する。
白熱のニ閃が大上段から落とされて火焔を吐いた。闇を引き裂いて線路のように対なる業火の線が疾走する。
切り拓かれた道を黒影が駆けた。並走するように飛び出した《鴉》は、しかし間に合わずに背中越しに《幻影》を注視する。
一秒足らずで肉薄を許した《幻影》の顔面に拳を叩き込んだ。首を反らして容易く回避された時、しかし狡猾な牙を見せたのは《隼》である。
そのまま肘を折りこんで猿臂を叩き込んだ。日差しの下で姿をあらわにする《幻影》の側頭部が、金属がひしゃげる音をかき鳴らしながら激しく損傷した。
その背後から容赦なく、《隼》を巻き込んで火焔が上がる。迸る爆炎の中から染み出すように、《鴉》の双剣が敵影の肩口に突き刺さった。
振り下ろせば両腕が肩口から切断される。業火に飲まれて燃え上がった《幻影》を蹴り飛ばせば、横合いから跳び込んできた《猟犬》が、地上五メートルの高さからミサイルを射出した。
弾頭が胸に炸裂する瞬間に、《幻影》は倒れそうになる肉体をひねって勢い良く回転する。衝撃が胸の装甲に亀裂を入れただけで終わり、《幻影》がその場から逃れた瞬間に爆発が巻き起こった。
《幻影》が着地する。
その直線上に、砲となる腕を構えた白影が居た。
赤熱した腕。大地が赤化するほどの熱が周囲に及び、暴風がそこに吹き荒れていた。バチバチと青白い閃光が周囲で弾け、圧縮されたプラズマが咆哮を上げた。
神速で雷閃が迸る。
プラズマ砲の発射の直後、その線上の大地が赤く融解し、鉄門を貫いて真正面にある塀を破壊したという結果だけしか認識できない。
だから《幻影》も気がついたら――左肩から左腿まで腹を抉るように大きく穴を穿たれたという事だけを理解する。
断面がドロドロと溶けて、そのまま崩れ落ちる。かにみえた敵影は、溶けた先から装甲が超再生を開始した。
同時に黒い霧が再び周囲を埋める。
すぐ近くに居た《猟犬》が数十歩先に姿を認めた時、敵の気配は目の前にあった。もう騙されることはない。そう腹をくくっていたはずが、彼女は勢い良く腹を蹴り飛ばされていた。
《幻影》には攻撃モーションがない。
それどころか――。
「……パワーアップってやつっスか」
《鴉》は実感する。
《隼》はただ舌を鳴らした。
闇の中で浮かび上がる《幻影》の姿はゆうに十を超えている。加えて動く気配もないまま近づいてきた何かが、その鉄拳で殴りかかってきていた。
知覚できない《鴉》が吹き飛ばされる。真横に居たのか、それが背後でおこったのか、《隼》は理解できない。
わかることはただ一つ。
全てはあまりにも"遅すぎる"ということだ。
《隼》のV字ラインが怪しく真紅の輝きを放つ。
瞬間、脳に位置するコアに、致命的な硬化が開始したのを確かに感じていた。




