6.無力
その少し前――。
鋭い蹴りで斬撃を受け止めた。
全身を傷だらけにしていた《鴉》はそれだけで全てを信頼してくれる。一瞥くれて、会釈する暇もなく《猟犬》のもとへとすっ飛んでいった。
《兎人》はそれを見て、よかったと思う。
自分も戦えるのだ。それを信じてもらえて、本当に良かった。
「《鷹》さん、でしたっけ」
落ちてくる野太刀に足を引っ掛けて身体を浮かばせる。しかし超重量の肢体にすら耐えて彼は微動だにせず、浮いた右足で側頭部を蹴り飛ばしても、やはり《鷹》は動かなかった。
彼はその足を掴もうと腕を動かし、彼女はそれを察知して弾けるように飛び退いた。
怪力。
彼の脅威はそこにある。
怪力由来の耐久値。怪力由来の攻撃速度。怪力由来の俊足。
全てがその恩恵だ。一つ秀でたもので、全てを秀逸な戦闘能力へと昇華させる。ゆえに全体的に優れた個体足りえるのだ。
「彼、落ち込んでましたよ。私が、支えてあげました」
嫌味のように吐き捨てて、右腕を前に突き出す。左腕でそれを支えれば、無防備なまでに右手が腕の中に引っ込んで、砲口に変わった。
《隼》に迷惑をかけない。
早くも、これで終わりにしてやる。
そう構えた砲口に、野太刀の切っ先が突き刺さった。
まるで流れる水のようなしなやかで、そこにあるのが当然であるかのような自然さで右腕に刀が挿入される。
大きな隙だった。当然である。
だが彼女は《兎人》だ。避ける準備と、手段があった。しかしその判断をさせぬ早さでそれをしてみせたのだ。
敢えて攻撃を誘ったのだが、追いつかれて狩られてしまった。
さすがは猛禽――などと考えている余裕すらも、無くなった。
ただの歩みで、肩口から切っ先が生えた。刀が貫通して、《兎人》の目の前まで《鷹》が近づいていた。
言葉など無い。彼に関心などない。
彼女はただの石ころで、彼はそれに躓く前に気がついた。ならば蹴り飛ばして然るべきであり、当然の所作だった。
不意にこつん、と《鷹》の頭に小石が落ちた。弾けて、音を鳴らした。
それだけで、彼は動きを止める。
切り裂くことも貫いて抜き斬ることもせずに、野太刀を引きぬいた。《兎人》が思わずよろけて尻もちをつく。
その後ろに、《隼》が居た。
"居た"のだ。《鷹》にはそう認識したのが最後だった。
《隼》はもう居ない。
彼は吹き抜けた一陣の風に紛れて姿を消した。
そして次の瞬間に、衝撃が叩き込まれる。巨漢の横っ腹に鋭い打撃が幾度も連続して、それらが一度のタイミングで襲いかかった。怒涛となった爆裂に大きくよろめいた《鷹》に、《隼》は追い打ちをかけた。
瀑布のような勢いだった。
無双するような拳撃の嵐だった。
縦横無尽にうねる腕が太刀の隙を狙って拳を叩きこみ、衝撃を受けた肉体が激しく結晶を散らしながら傾いていく。
爆音が鳴り響き、影としてすら認識できない《隼》の躍動は、拳撃から時間差で弾ける結晶から理解できた――のだが。
《鷹》はやがて、まるで冷静になりつつあるかのように攻撃を受け、肉体を破損してもすぐに野太刀を構え直す。転倒しかけても、その強靭な肉体が滅ぼされる心配など皆無であるかのような立ち振舞で前を見据えていた。
それは余裕の現れであり、《隼》がそれを見た瞬間に、さらにぶち込まれる衝撃の瀑布が勢いを増した。
生き急ぐように放たれる拳。
<限界加速>の制限時間はもう間近であり、肉体は、コアはもはや限界の様相を呈している筈なのだが――ボロボロに破損する両腕の返しを、飛び散った結晶を受けて砕けた己の外骨格を意識しながら、彼は自覚していた。
ここで《鷹》を仕留めきれなければ、拳は二度と握れないだろう。
自分には《兎人》が居る。だからといって目の前の旧友を容赦なく殺せるわけではない。理屈ではないのだ。金を積まれても家族を殺せないのと同じである。
この加速の内に彼を殺せなければ、終わる。
魂を焼き焦がすかのような焦燥は、さらに加速に拍車を掛けた。
残り時間は、ほんの五秒。
《鷹》のコアは、人と同じ心臓の位置にある――。
装甲は砕けて殆ど筋繊維があらわになっている。その拳を、半ば静止した時間の中で一瞥した。
《鷹》は既に野太刀を肩の位置まで振り上げて、切っ先を前に突きだしている。大地と並行になる構えは、《隼》の最終的な攻撃地点を認識しているが故だった。
良いだろう、と思う。
一足飛びで校舎の近くまで移動すると、その正面に《鷹》を据えた。
残り三秒。
動きが読まれているのなら、読まれてなお追いつかれなければいい。ただそれだけの、単純なことなのだ。
残り二秒。
大地を弾いて加速する。風になる身体が、だけれどいつもとは違って酷く重く、固く感じられた。
残り一秒。
憎しみを糧に拳を握る。目の前の結晶体はこの上なく憎い存在なのだと己に刷り込む。
力いっぱい踏み込めば地面に亀裂が入り、空気が弾けるような甲高い音が響いた。
全身全霊を込めた拳に体重を、加速を、力を込めてまっすぐに振り放つ。
瞬間、脳裏に過るものがあった。刹那の時に走る無数の思考のただ一つ――猥雑でくだらない、日常の場面。口外などできないくらいどうでもいい、どこにでもあるありふれたシーン。
一秒を数百に切り分けたうちの一つ。《隼》はその中で動き、その中で意識を緩めた。
ただそれだけで、弾道がほんの僅かに逸れた気がした。
――拳が《鷹》の胸を捉えた。
拳の先が触れた。
覚悟した衝撃は腕に響かなかった。
目的とした全てを打ち砕く威力は、霧散してただその胸を叩くだけだった。
「――っ」
気がついた時には、世界の時間は全て元通りになっていて、《隼》は立ち止まったまま《鷹》の胸に拳を突き立てているだけだった。
速度はイラつくほどに緩慢に減退し。
拳は無情なまでに力を失った。
さらに振りぬかれた野太刀は、《隼》の首を貫いている。
それに気づかぬまま腕を引いて、胸を殴る。ごつん、と虚しく音が響く。
力が入らない。まるで筋力全てが削ぎ落とされてしまったかのように、数年間の眠りから覚めたばかりのように、身体から力が失われていた。
「うあ……ああああああっ!!」
それは絶望から来る絶叫ではない。恐怖から来る悲鳴ではない。
己が不甲斐ないのだ。
約束を果たせず、ここで死んでしまう。唯一といっても良い親友を葬れず、殺されてしまう。高城千里の自尊心を土足で踏みにじられたまま、《鷹》に殺される――悲しいではないか。許されるものではない。
しかし、殺せるわけなど無いのだ。
この男はかつて、己の親友だったのだから。
だからこそ、かもしれない。
《隼》はそれから数秒間の出来事を、まともに認識することが出来なかった。




