4.幻影
未だ駅前で《猟犬》らが戦闘をしていた頃。
伊達たちは、学校の屋上にまで達していた。堂々と昇降口から入るわけにも行かず、校舎側面に備え付けてある避難経路となる外階段から上がったのだ。
「みんな勉強してるのに、私たちだけ屋上って。なんか、不良みたい」
スーパーの袋を抱きながら卯野は言った。
伊達は苦笑しながら、鉄柵に寄りかかる。
今は少しでも心を落ち着かせることが必要だとわかっている。だからできるだけ、彼は卯野との会話を楽しもうと考えていた。
「もう卒業は無理なんだ。あと数ヶ月、君の好きなように楽しむといい。今度は友だちと、卯野櫻子として、今まで通りに」
「そんな事言わないでよ」
卯野は伊達の隣に並ぶ。伊達でさえ、少し身を乗り出すだけで地面まで真っ逆さまになってしまいそうな高さの鉄柵だ。伊達は密かにハラハラした。
「伊達くんも一緒に。もし良かったら、女の子も紹介しようか?」
「俺はこう見えても人見知りのタチだ。必要のない人間は、勘弁願いたい」
「なんでも経験だよ」
「君は意外に厳しいタイプだな」
体育系だ。確かに運動神経は良いし、教師からは一目置かれている。しっかりしてそうで、授業中に居眠りしていたり、よだれを垂らしていたり、居眠り中にびくっと身体が跳ねて慌てたり、そんな面もあった。なるほど、体育系だ。
柔和な笑みとは対照的に言葉が厳しい時もある。
なるほど、と再三に渡って伊達は改めて理解した。
「できることはやる。できなくてもやる。基本でしょ? 無理でも、ひとまずやってみなきゃ」
「立派だな、君は。少し……いや、だいぶ、尊敬に値する。人はなかなか、そう思っていても出来ないからな」
「そうかな。でも、伊達くんはそんなの、全然気にならなかったけど……」
「やれることはやっているだけさ」
「なら、似たもの同士だね」
呟くように彼女は言った。満面の笑みで、前を向いて街を見下ろす伊達の顔を、背伸びをして覗きこむようにした。
そんな時に限ってバランスを崩す。身体の半分以上が鉄柵の向こう側に落ちて、それを掴む手も滑って放り出された。
「……っ!」
心臓が止まるかと思う。
伊達は咄嗟に手を伸ばして彼女の腰に回すと、抱きつくようにして身体を掴んだ。
そこで留まる余裕など無い。少女の軽い体重ならまだしも――この女は重いのだ。己と近い体重は、ゆえにニ○○キロ近いか、超えているか。
全身の骨という骨が、筋肉という筋肉が軋みあがって悲鳴を上げる。ぶちぶちと筋繊維が引きちぎれて行く音を体内から聞いた。抱えた先から、ずるずると落ちていく卯野の姿を見る。悲鳴をあげずに、全力で壁を抱きしめるように腕を伸ばしていた。
その先を、白い袋が落ちていく。こぼれた鮮やかなコアが、グラウンドに散らばっていく。
「さくら、こ……何やってんだ、馬鹿!」
ほとんど叫ぶようにして全身の筋肉を駆動した。《鷹》の保有した野太刀すら構えられない脆弱な膂力で、しかし装甲を砕くほどの腕力で、その気になれば十数メートルも垂直跳びできる脚力で、どんな超速度にも反応する反射神経で、それら全てを注いで空を仰いだ。
卯野櫻子の肢体は鉄柵から引き剥がされて空を仰いだ。半ば大の字のような姿勢で腰を抱かれたまま宙を飛ぶようにして、伊達が崩れ落ちるその上に落ちた。
彼の上に転がる卯野。
伊達は凄まじい圧迫を受けながら、額からだらだらと脂汗を流していた。
いくら重いとは言え、肉体は少女のそれだ。肌は柔く、スタイルは良い。だから当たる場所が当たれば、その双丘は酷く形を歪めながら、控えめに開いた胸元から張りのある膨らみをあらわにさせるのだ。
伊達はその柔らかさと張りとを、触覚、視覚とで鼻先に感じ、甘いような香りで刺激されていた。
「ん……ごめんね、伊達くん……」
まだ頭がはっきりしない。そんな風にうめきながら、ころっと伊達の上から落ちる。
先に彼が起き上がれば、短めの裾から剥き出しになる肉付きの良い太ももが強調されていた。《兎人》の脚力の秘密はここか、と思いながらよこしまな思考を逸らす。
「大丈夫か? 馬鹿なことばかり――」
言葉が止まる。意識が、強制的に逸れた。
本能が、異変を感じ取ったのだ。
それは形成者としての勘としか言い様のないものだった。いくら彼らに同類を察知するレーダーが備えられてないと言っても、近くに居ればなんとなく察知することは出来る。
今がそうだった。
手を伸ばしかけた卯野を尻目に、伊達はすぐに鉄柵に身を乗り出して下を見た。
――八色のコアがそれぞれ眩く輝きながら互いに近づいていく。やがて交じり合ったそれらは極彩色になることなく、濁った灰色に染まり、輝きを消した。
異変はそこからだった。
融合したコアは徐々に地に沈んでいく。そうして足が生え、腕が生え、胴が造形されていく。そこで伊達にわかったのは、沈んでいるのではなく、大地を分解し、それで肉体を構成しているということだった。
「……どういう、ことだ……?」
その姿はフルプレートアーマーのようだった。
面を上げた鉄仮面の奥には鈍色の灰のコア。仮面を指先で弾いて面を落とす。
肩が大きく出張った肩当てに、武骨なまでに太い腕部、女性のようにしなやかな五指の篭手。
スカートのような佩楯は膝丈で、膝から長く伸びる脚甲は無骨さと、しなやかさを併せ持った美麗な脚線美があった。
それが映えるべきは銀一色。
だがその灰コアの外骨格は、灰とも黒ともつかぬ色で淀んでいた。関節から、外骨格の隙から黒い煙霧のような煙をくゆらせ、辺りの視認性を悪くする。
終わったと思った仕事は、むしろここからだったようだ。
八色で融合――恐らくだが、十色じゃなくてよかった。伊達は思う。
あるいは、《蒼影》を入れて十一が完成形なのだろう。
いつのまにか隣並んでいた卯野と、合図もなしに顔を見合わせた。
「行くぞ、櫻子」
「行こう、伊達くん」
鉄柵に上り、声を揃えて、飛び降りた。
『形成!』
卯野櫻子の肢体が、制服がはためいて下着を見せてしまうよりもはやく白く包まれた。
兎の耳のように長く側頭部から伸びる対のアンテナは、《猟犬》よりも優れた索敵能力を持つ。ひし形の面はスマートに顔を覆い、それ以外を布のように顔の輪郭を浮き立たせるように張り付いた装甲で繋ぐ。頭頂から長く垂れた白銀の頭髪は、彼女が保有する最大火力の兵装を用いる時に利用されるものだ。
肩幅の狭いプレート状の装甲。伸びる腕は袖口を広くするように伸びて、小さな手が固く握られている。
胸は分厚く、そして僅かに膨らみを見せる。
腿のあたりで大きく反り返る脚甲はさながら膝上丈のブーツのようで、しかし肌はなく、肌着のように首元のように薄い装甲で覆われていた。
《兎人》の外骨格は僅か一秒に満たぬ時間で形成される。
そして彼女は気がついた。
「伊達くん?」
未だ丸裸同然の、外骨格を形成していない伊達の姿に。
地面に激突まであと一、ニ秒。たかが十五メートル程度の高さで、ニ○○キロ超が落下する現状では、余裕など無い。
だから《兎人》はただ青年の手を握った。
彼は僅かに、彼女を一瞥した。
直後に凄まじい衝撃が二人に襲いかかる。グラウンドの手前の、昇降口の脇の花壇の上に落ちれば、激しく土が散乱して煙が上がった。
その音で、遂に学校関係者が気づき始める。窓際に席を置く生徒は、既に気づいていたのかもしれない。
そして――今の衝撃で、伊達は致命傷を負ったかもしれない。
卯野は視界性がゼロの煙の中で跪きながら、それでも握った男の手を、さらに強く握る。
その手応えは硬質。逆に握りつぶされてしまいそうなほどの握力で、《兎人》は握り返されたのを知る。
「伊達くん!」
緩やかに吹き始める風。流れる煙の中で、微動だにせぬ紅い眼部が《兎人》より少し高い位置で前を見ていた。
「俺たちの世界では、この姿で名前は呼ばない。なぜだかわかるか?」
引き上げるようにして彼女を立ち上がらせる。横並びになるそこで、彼女は迷わず言った。
「自分と外骨格は違うっていう意地で、区別するため。だよね?」
「ああ。俺はオンとオフで説明する。仕事と休日。今は前者だ」
だから、と言いながら《隼》は花壇を踏み越える。土煙を引き裂いて、様子を伺っている影――歪んだ投射映像、幻のようなそれと対峙した。
気がつけば、両腕に武装が展開されている。
肘先まで伸びるセスタスのような兵装。むき出しになる銀色の杭のようなそれは、拳の先から数センチだけ姿を見せていた。黒塗りの武装にその光沢が良く映えている。
「まずいな、《兎人》」
内心、笑い出しそうなほど浮ついているのが分かる。それを押し殺した声で彼は言った。
「どうしたの?」
「今回は厳しそうだ」
そんな言葉に、身を捻って放たれた蹴りが《隼》の尻を蹴り飛ばす。思わず転びそうになる身体を整えながら、驚いたように《兎人》を見た。
「何をする」
「浮つかないで、張り切って真面目に真剣に行きましょう。さっきまで落ち込んでたのに、なーにテンションあがってるの?」
「さあ。どうしてかな」
彼女に握られた感触を思い出す。それを忘れないように拳を作って、動かぬ《幻影》へと向き直った。
嬉しかった、というのが正直なところだった。
《鷹》を失った今、どうあれ自分は一人だと思っていた。《猟犬》には《鴉》が合っている。中身はどうあれ、あれは人懐っこいタチだ。相性がいい。
しかし己には……そう思っていた矢先に、彼女が居た。
誰かのために居ることが出来る。唯一のアイデンティティが崩壊せずに形を保った。
それだけでいい。
いや、それがいい。
《幻影》が半歩進んだ、その瞬間に《隼》が動いた。
しかし気がついた時には、《隼》の眼前に拳が迫っていた。黒い塊が、鉄杭を射出した。
咄嗟に交差させた腕を繋ぎ止めるように杭が貫通する。加えて放たれた剛力による拳撃が、その黒い肉体を容易く殴り飛ばした。
豪速球を連想させる速度でその身は近場の教室の壁に叩きつけられる。窓もろとも壁が砕けて轟音を響かせ、校舎を激しく振動させた。
無数に陳列するワークデスクが地震に遭ったかのようにかき乱され、無数の書類が周囲に撒き散らされる。その部屋に居た教職員は狼狽し、悲鳴を上げながら慌てて教室の端へと避難を開始した。
机の中に埋もれた《隼》は現状の理解に及ばぬまま立ち上がり、見慣れた教師たちの顔を一瞥しながら、そこを出た。
職員室だった。
瓦礫やガラスの破片で飛び散り、大穴が開いた壁はまるで爆撃にあったかのようである。
「これから迷惑をかけるかもしれない」
先ほどとは一転、不安に駆られた声で言った。
「私がフォローするよ。勉強でも、戦場でも」
頭上で、先ほどの地震ともつかぬ揺れや破壊音で異常事態に気づいた教師や生徒たちのどよめきが響き始める。
《隼》は痒くもない頭を掻きながら、穴の開いた腕を再び構える。
今度はしっかりと見る。
それでも《幻影》はまるで警戒も、威圧も無い無機質な動きで再び半歩出た。
しかしその瞬間、拳は既に《隼》の顔面を捉えていた。振りぬかれた拳が、数センチの位置まで迫っていたのだ。
――V字の眼部が眩く輝く。
刹那にして、時の流れが急速に緩やかになった。
動きが止まる錯覚。《隼》は己に触れる寸前の杭を回避して、側面へ回る。やはり《幻影》の姿は、そこに確かにあった。腕だけを飛ばしているわけでも、伸ばしているわけでもない。
僅か半歩で肉薄されたのだ。
確かな認識。正確な理解の礼とばかりに横っ腹に幾発かの拳撃を加えて<限界加速>を解除する。
突風が吹いたような感覚とともに、己以外の時間が加速し、同調する。
《幻影》は攻撃を失敗に終えたまま、突如として吹き飛んだ。そのまま地面に叩きつけられて、転がり、煙を上げる。
疲労に似た筋肉の倦怠感に襲われながら、《隼》は筋肉を解すように肩を回して、背筋を伸ばした。
「どう?」
《兎人》はそれらを見て、彼が何を思ったか尋ねる。
《隼》は肩をすくめて首を振った。
「やりにくいな。さながら、集大成といったところか」
そう言っている間に、《幻影》が立ち上がる。
さらに――闖入者がやってきた。




