2.合流
「はぁ~疲れた。タクシー拾えば良かったわねえ?」
両手を頭の後ろで組んで、足を放り投げるようにして歩く犬飼。
傍らの矢田は困ったように笑って、曖昧に頷いた。
「そりゃあ怠惰ってもんでしょ、犬飼さん」
いかにも爽やかな好青年然とした言葉遣いに、どこか背筋がぞくぞくとするのを彼女は感じる。
「……ねえ、その喋り方やめない?」
人気のない道路である。車もないのは、警察による封鎖が行われていたからだ。
もちろん犬飼は顔パス――とまでは行かないが、端末で身分を証明し駅まで歩みを進めていたのだ。
夜から歩きっぱなしである。外骨格で走ってくれば早かったが、その疲労が人に戻った時にどっと来るからあまり気が進まなかった。
だから仕方がなくこうして来たのだが――この矢田という男の変貌も、夜からだった。
頭でも打ったのかと思った。気味が悪かったのだ。
しかし彼は、軽薄そうな笑みを貼り付けて言うのだ。
「そりゃ、信用も出来ないセンパイ方に警戒くらいしますし――何よりもこの家業、ナメられたら終わりっスから」
小汚い茶髪の頭を掻きながら矢田は快活に笑う。
センパイ、と来たものだ。さらに言えば、犬飼のことなど呼び捨てであったのに。
なにはともあれ、今は伊達との合流が優先事項である。向こうは既に戦闘が終了しているのは、端末で確認している。
「これでコアをまとめて……佐渡さんはしょーがないにしても、タカギはどこほっつき歩いてんのよ? コアも、あいつの反応も、からっきしじゃないの」
言いながら顎でクイッと指示すれば、矢田がタブレット型の端末を出した。
地図の画面を引き出して手渡す。彼女は受け取るも、唸ったままだった。
「駅前で止まってますね。ここが合流地点の予定ってことっスかね?」
「カレもいい加減イラついてたからそうかもね」
気のないように犬飼は言う。
駅前まであと百メートルもない。だから駅前を通る道路は見えていたし――鋭い風切り音や、何かが転がる音を、彼女は捉えていた。
「……?」
途端に顔色が変わる理由を、矢田は察せない。いくら《鴉》とは言え、良く訓練された犬の耳には勝てぬのだ。
「変だわ」
「……良く、わかりませんが」
「行くわよ」
「はい!」
バッグに端末をしまうと、先に走りだした犬飼の後を追うように矢田は急いだ。
閃く斬撃を胸に触れる寸前で回避する。息を呑んで、学生服ごと横一閃に切れ目が入ったのを見た。
「伊達!」
「センパイ!」
そんな折に、伊達は結晶化した《鷹》の背後から二人の声を聞いた。
全身血まみれの、学生服がボロボロの姿を見た二人は思わず絶句し、次ぐ逆袈裟の一撃を寸での所で回避するのを見て、叱責した。
「なんで形成しないのよ!?」
もっともなことである。
《影》が敵であった場合には生身での戦闘も無理ではかったが、《鷹》を前にしては不可能以前に無謀である。何よりも、攻撃手段が無かったし、攻撃を受ければ容易く肉体を欠損してしまうのだ。
しかし、伊達には形成できない理由ある。
「出来ないんだ」
呟くように言った言葉すら、犬飼は狡猾に聞き咎めていた。
激しく転がるようにして《鷹》から離れれば、その間に入るようにして飛び出した黒い影があった。
白い瞳を輝かせ、灼熱に赤熱する双剣を構えたのは《鴉》だった。
「分かります、センパイ」
「誰だ、お前……」
知らない言葉遣いに戸惑ったように問えば、すぐ後ろから頭をひっぱたかれた。
「余裕あんのね、あんたは」
「思ったよりも元気そうで良かった」
連続する金属音が激しく反響する。《鴉》は飛び退くが、その隙を狙って大上段から力任せに落とされる野太刀を、彼は頭の上で双剣を交差させて受け止めた。
加熱した爆風が吹き荒れ、伊達は思わず顔をしかめる。
そんな彼の首根っこを掴んで立たせた犬飼は、呆れたように言った。
「気持ちはわかるわよ。とても、形成なんて出来る状態じゃないわよね……少し、あんたを強く見すぎてたのかも」
肩を抱くようにして犬飼は声をひそめる。身体の熱が、柔らかさが触れ、息が耳にかかったのを、伊達は意識できない。
視界の端で、警官が何かを阻止しようとあわてふためいているのが見えるからだ。
そして阻まれている何かが勢い良く警官を殴り飛ばして、駆け寄ってくるのを、伊達は見てしまったからだ。
「ここは任せて、ひとまず距離を取りなさい。あんたには借りがある。《鷹》は、あたしがやっとくから」
「無理な相談だな」
ひとまずそれを無視して、彼女を引き剥がす。
伊達は睨むようにして言った。
「こいつは俺がやる。それが約束だったし、それが俺の役目なんだ。もし別の誰かに《鷹》が殺されれば、俺はひどいストレスを覚えるだろう」
その結果としてコアの穢れが加速し、暴走するかもしれない。となれば、彼らはニ連戦だ。これほどキツい連戦も無い。
意地悪な顔で言う彼に、犬飼は微笑んで見せた。
「そ。なら形成してみなさいよ」
「――犬飼さん! もうムリっス! 早く、プリーズ!」
「っさいわね! 死ぬ気でやんなさい!」
「死んだら元も子もねーっス!」
絶叫するように悲鳴を上げながら、それでも《鴉》は野太刀による斬撃をうまい具合に受け流して《鷹》の背後へ回り込んでいた。
なぎ払うような攻撃を屈んで避けて、そこから繰り出される蹴りを転がって回避する。それらを繰り返して、攻撃の余地は一切与えられていなかった。
それを無視するように、犬飼が続ける。
「ほら。早く。意義ややる気なんざあ、どーでも良いのよ。形成しないと死ぬわよ? あたしも、あんたも。《鴉》になったばっかのあの子も」
「ぐ……」
言われて、いつものように形成を開始する。
全身の筋肉を滾らせて、内骨格を表出させる――そこに至るに、集中できない。僅か数秒で完了するその作業が、途轍もないものに思えてしかたがないのだ。
会話はできるのに。
ものを考えることは出来るのに。
形成ばかりは、どうにもならない。
それは目の前の《鷹》の姿を見て、本能的な恐怖や罪悪感、悲哀を覚えているからに過ぎない。事実上の相棒の死を目の当たりにしているのだ。精神状態をまともに保っていられるわけがない。
形成ができないのは、そこから来ていた。
だから邪魔になるのだ。今《隼》に死なれるのは困るし、だからといって生身のまま戦ってくれるのも邪魔。ゆえにここに居るのは、犬飼としても迷惑なのだ。
そう言っているのに、彼は動かない。
彼女としても共感が出来る事だからあまり言いたいことではないのだが、
「あたしらを死なせたくないなら――」
「――伊達くん! 行こう!」
脇から突如として叫んだ少女の声に、犬飼はため息混じりに言葉をつぐんだ。
やっときたか、と思う。伊達も気づいていた。
「桜井……」
時刻はまだ、九時の少し手前。彼女の登校時間を考えれば、ドッキングしてしまうことは簡単に予想できた時間帯だった。
彼女は白のワンピース調の制服姿のまま、カバンを手に伊達の手を掴んで言った。
「その人の言うとおりだよ。形成できないなら、今はどうしても時間を置かなきゃだめなの。だって、気づいてる?」
肩を激しく上下させる彼女は、一度大きく息を吸い込んでから続けた。
「顔、真っ青だよ?」
「……!」
平常のつもりだった――伊達は頬を撫でるようにして、しかしそれでは顔色などわかるわけもないことに気づいて首を振る。
そんなことをしていれば、いい加減しびれを切らした犬飼が意地悪そうに笑いながら、尻を容赦なく叩いた。
「さっさと行きなよ。お迎えでしょ?」
「犬飼さん!」
「今行くわ――ほら、伊達」
彼女は全身を黒く染め始めながら、手にしていた荷物を投げ渡す。
スーパーの袋には、似た三色のコアが入っていた。
「気になんなら、さっさと戻って来なさいよ」
四つん這いに跪いた瞬間、耳と尾が生え、口が前に伸びる。鋭い牙を構成すれば《猟犬》はそれ以上何もなく、《鷹》へとかけ出した。
「伊達くん、行こう」
透き通るような鮮やかな茶っぽい瞳で桜井―が見つめ、伊達は頷いた。
「どこへ行くんだ」
一緒に走りだして、彼は訊いた。
「まずは学校」
「被害が出る可能性がある」
「それを防ぐのが、"あたしたち"でしょ?」
もっともだ。君の言葉はまったく、正しい。
伊達は言葉に出さずに賛同して、手を引かれるままに走りだした。
走りだして暫くした所で、伊達は思う。
急ぐならもっと速く走ったほうが良いのではないか。
そもそも急ぐなら――彼女の鈍足では、遅すぎるのだ。駅構内から彼が居た場所まで直線距離でニ○○メートルもないのに、一分近くもかかっていたのだ。彼にとっては、あまりにも遅すぎた。
牛歩である。蝸牛である。
それが我慢ならなかった。
「桜井」
「え?」
「遅いぞ」
彼女の胸元にコアを入れた袋を投げると、そのまま肩と剥き出しの腿に手を沿わせてみせた。
少女は悲鳴を上げる間もないくらいの早さで持ち上げられる。横抱き、いわゆるお姫様抱っこで、己にかかる重力が天地逆転してしまったかのような錯覚を覚えていた。
「えっ、あ、あのっ!?」
抱え上げた伊達を見れば、まるで涼しい顔で走っていく。が、その速度は緩やかに減速し、たった一分もしない内に汗をびっしりとかいて、僅かに呼吸を乱していた。
申し訳無さそうな顔で彼女を立たせて、膝に手をおいてから、ゆっくりと顔を上げた。
「重い」
「お……しょ、しょーがないじゃん!」
トマトのように顔を真赤にして桜井が言った。
形成者は常人の、少なくとも二倍以上の体重があるのだ。彼女の身長からして五十前後が精々いいところなのだが、その数倍ともなれば感想は変わってくる。
「いつからだ? 君は、なぜ形成者であるのを隠していた?」
それを無視するように冷静に告げれば、彼女はむっと唇を突き出してそっぽを向いた。
「三ヶ月くらい前。伊達くんが来る、一ヶ月くらい前だよ。伊達くんはいつから気づいてたの?」
「桜井が不審だったからな。それに《兎人》はいつも、逃げる時に形成を解くのが早すぎて、いつも後ろ姿が見えていた」
「……ほんとに?」
「ああ」
残念だが、とでも言うように小さく頷く。
「あちゃあ」
と桜井は額をはたいて、薄く笑った。
「っていうか、もう桜井っていうの、やめようよ。みんな呼んでるけどさ……」
改めて走りだす。歩いて三十分の距離だ。桜井の牛歩に合わせていれば、いつまで経っても到着は厳しいのだ。
「みんな呼んでいるということは、それだけ親しまれているという証拠だろう。わざわざ友人関係を断ってまで俺に付き合わなくても良かった」
「だ、だって……そうしないと、伊達くん、私を連れてく気でしょ?」
「仕事だからな」
だが、と言葉を継いだ。桜井が口を挟む間もなく、ほとんど一息で言ってしまう。
「今はどうだか。俺にもわからない」
互いに互いの正体を知っていながら、しかし決定的なところまで踏み込めずに茶番を演じていた。
今になってそれが分かった。場所が場所で時が時ならとんでもない笑い話だが、伊達はそれが己の間抜け話でもあるから恥でもあった。
もっとも、それを含めて楽しかったというものなのだが。
「……伊達くん」
暫くの沈黙。
それを破るように桜井が声を掛けた。
あと数分も走れば学校へ到着する。端末を確認すれば、時刻はもう九時を少し過ぎたところだった。駅が封鎖されたのが八時前後だと考えれば、彼女があそこに居たのはやはり妥当だろう。
「どうした」
ぶっきらぼうに返す。
彼女は横目だけで彼を見て、彼が己を見ていないのを少し悲しく思った。
しかし、しょうがない。並の男ならわからないが、彼は伊達なのだ。形成者で、こんなこともあまりなかったかもしれない。
なにせ、人であった期間よりも形成者である方が長い男である。だから少女の機微や、惑わすような些細な悪戯にはめっぽう弱くもあり、強くもある。正確には、気付けないだけなのだが、彼女はもう気にしていなかった。
「卯野って呼んで。それか、櫻子」
「桜井では、不満か?」
「桜井は、私だけど、私の名前じゃないから。私は、私。あなたが伊達で、仁志であるように。わかるでしょ?」
その言葉は、形成者として生きる決意にも聞こえた。
事実、そうなのだ。
伊達は違うが、彼女はあと九ヶ月もすれば記憶を失う。
そうなれば、もはや名前も何もなく、彼女には何も残らない。
事実上、卯野櫻子という人間がいなくなるのだ。そのために、その個人を示す名前というのは、ただの認識記号以上の意味を持っていた。
伊達も、高城も、犬飼も、矢田もそうだ。
誰かが覚えていなければ、自ら調べて過去と今とを繋ぎ留めていなければ、ただの廃人である。
彼女は鋭く、そこを察した。
伊達は狡く、理解した。
「卯野」
「……ごめん、やっぱり櫻子でいい?」
「なぜだ」
「ウノみたいじゃない? 知ってる? UNO」
「知らんが……それでいいなら、そう呼ぼう」
言っている間に、学校の前に到着した。
胸ほどの高さの鉄門が閉じていた。既に遅刻者を取り締まる生活指導の教員も居なかった。
伊達は軽々と跳び上がってその上に乗ると、飛び降りる。
簡単に飛び越えてしまった彼を見て、彼女は拍手した。
「身軽だね」
「君も早く来い。それとも、手助けが必要か?」
伊達の言葉に、卯野はむくれる。
「誰だと思ってるの? 《兎人》だよ? 兎といえば、跳躍力だよ」
「重いじゃないか」
「だっ、伊達くんのほうが重いよ!」
言いながら鉄門に手を引っ掛けて飛び上がると、その上を滑るようにして向こう側へと飛び越えた。
隣並んだ卯野を見て伊達は頷き、彼女は楽しそうに笑う。
「さて、面倒な教員に見つからない内に移動しよう」
「あ、それなら、いいところがあるよ。校庭も監視できる、最高の場所」
卯野は否応無しに伊達の腕を引っ掴むと、その鈍足で彼を誘導した。




