3.限界加速
東の明るみが宵闇の藍色を西へと排除し始めた頃、伊達仁志は生身のままで端末に視線をやっていた。
彼が潜むのは担当する東区の中心にあたる、学校と自宅の最寄り駅の屋上だった。
そこはちょっとした駅ビル風の外観を持つ。改札を通る前に喫茶店とレストランと本屋がいくつかある駅だった。
(……全滅か。しかし……)
つい先程、《鷹》と交戦していた《影》が消滅した。コアごと破壊されたのだろう。
これで五体目だ。半分の数である。
犬飼のもとへ出現した光点は間違いなく矢田であり、数に狂いはない。佐渡は沈黙のあと移動を開始し、最寄りの総合病院へと運ばれたのを見ると大怪我を負ったのかもしれない。しかしどちらも撃破した形成者のコアは、彼らと共に移動していた。
(手持ち無沙汰、か。かえって怖いな)
それ以降、形成者の反応は無い。
現時刻が六時十八分。形成者が出現する制限時刻まで残りは約六時間だ。
未だに敵が出ていない地区はこの東。
あと一時間もすれば、学生もサラリーマンも賑わう時刻になる。
それは伊達がもっとも恐れていた事態だ。
そして恐らく、予測通りのタイミングに敵は襲い掛かってくるだろう。
「にしても……何やっているんだ、センリは」
移動を開始している犬飼、矢田とは異なり、高城は動かずに端末からの応答に反応も無い。
眠ってでも居るのだろうか。あるいは、相打ちになって気絶をしているのか。ともあれ、死ぬわけではないのだ。放っておいても問題はないだろう。
何にしろ、今回の作戦で被害は出ないし、出さない。
この間の《蒼影》と同程度の敵が武装をしてくるだけなら、物の数ではない。
警察から来る膨大なメールを無視して、伊達は立ち上がる。
「形成」
皮膚が溶け、むき出しになる筋繊維の上に何かが噴霧されるように、瞬く間に黒く染まる。発泡ウレタンのように大げさに膨らんで、形を整えた。
伊達仁志は《隼》の姿を取り戻し、北の空を睨む。
範囲内に形成者の反応。
ここよりニキロ北方に、一つの赤い光点が出現したのだ。
「な、なん……ですか?」
女は帰宅途中だった。
ざらにいる不審者にだって出くわすこともある。そんな時はいつも慣れた様子で、催涙スプレーを吹き付けるのだ。
護身用のスタンガンだって合った。それなりの心得だって、身に着けている。
だが目の前に立ちふさがる人影は、あまりにも異常で異質だった。不審には変わりないが――甲冑のコスプレとも、ただの装甲のつぎはぎとも言えるその姿に、彼女は思わず立ちすくんでいた。
ざっくりと胸元の空いた衣服を押さえつけるも、しかし目の前のソレは彼女の身体が目的ではないように思える。
いや、その身体が目的なのだ。そこから連想する犯罪は姦淫ではなく、暴行に限るのだが。
言葉も無いまま蒼白の瞳が怪しく輝き、女がいよいよ塀に背を打ちつけようとした時、《蒼白》の腕が彼女へと伸びた。
乱雑に、傷んだ茶髪を掴む。乱暴に振り回せば女は悲鳴を上げて、為す術もなく振り回された。
「きゃぁ……っ!」
勢い余って身体を塀に叩きつける。凄まじい激痛を覚えた時、彼女の右手首は青黒く変色し、見る間に腫れ始める。
車が辛うじて一台通れるかという路地である。朝方のこんな場所で、彼女の悲鳴を聞き咎めて駆けつける者など誰もいない。
女はにわかに絶望する。もはや痛みだけで全ての感情が吹き飛びかけているが、それでも己はもしかすると助からないのかもしれないと、死ぬ覚悟を準備する。
だから《蒼白》の腕が再び伸びた時、彼女は確かに極めて高いストレスと怯えと、仄かな諦観を抱いていた。
「――っ?!」
しかしそれは儚くも打ち砕かれる。
《蒼白》は横合いから跳び込んできた影によって突如として通りを貫くように吹っ飛んだのだ。
けたたましい音を立てて地を滑り、砂埃を上げてその中に消え去る。
それと似たような格好の、真紅に輝くV字状のゴーグルを埋め込んだ《隼》は、ゆっくりと塀を背にして縮こまる女へと屈みこんだ。
患部に触れて、軽く握る。それだけで彼女はひどく顔を歪めて、声を押し殺してうめいた。
「……打撲だ」
平然と男は言った。
「出来る限り患部を安定させて、胸より高い位置に固定させて置いたほうがいい。冷やせればいいんだが……ともかく、引き返して大通りに出るのが懸命だ。近くにタクシーが来るだろう。それに乗って、病院にでも行ったほうがいいかもしれないな。頭を打っている可能性もある」
穏やかな口調で、だが入り込ませる余地なく一気に言ってしまうと、彼女は少し警戒を解いたように《隼》を見る。
恐る恐る、口を開いた。
「あ、ありがとう……ございます」
「いや……すまなかった。俺が、"遅すぎた"んだ」
自嘲するように言う。
最速を極める《隼》が間に合わなかった。まだ一人だが、確実に一人、被害者が出た。
本来ならば安寧の中に沈んでいる人間が一人、形成者の手によって怪我を被ったのだ。
許せるものではない。
許すべきではない。
《隼》は女の反応を見もせずに立ち上がると、短く「行け」とだけ命じた。
彼女は慌てたように地面に落ちたバッグを拾って、来た道を戻っていく。
《蒼白》は既に体勢を立て直している。様子をうかがっているのは、隙を見つけるためだろうか。
なんの変哲もない、代わり映えのしない量産型のスタイル。《蒼影》と比べるに、武装と、それを扱うに特化した形であるだけなのだ。
戦闘能力に特別な差があるわけでも、それを補うように考えて動いていわけでもない。
それでも一般人くらいなら、容易く殺害できる戦闘能力を持っている。武道の達人でも、アスリートでも、それを超えるのは難しいほどの能力を生まれながらに備えているのだ。
元より殺人兵器である。武術や武道などとは違い、スポーツへなどの安全かつ平和的な存在に昇華することなど決して無い。
銃火器が形を変えず役割をこなすように。
使い道のしれぬ形成者は、ただ行く先も知らぬまま己を高め続けるだけなのだ。
「それが、貴様らのやり方か!」
物言わぬ《蒼白》に、《隼》は我慢ならずに怒鳴り散らした。
「貴様らが回収するそのデータは何の役に立つ? 婦女暴行の件数を増やしただけだ! 高官殺害のケースについて考えさせてやろうか!」
貴様ら、とはこの新装型の彼らではない。
その向こうでデータを閲覧し研究を勧める政府の者達であり、形成者を管理し、この事態を招いた張本人である。
何を考えているのかわからない。
これは研究であり、彼らの遊びでもある――そう考えたこともある。そして今でも、それが一番有力な説だと思っている。
伊達を含め、形成者は誰も政治家とまともに会談や話し合いなどの意見交換をしたこともなかったし、挨拶も、顔合わせすらもなかった。
いつでも始めにして最後まで付き合う政府の人間は、施設の職員だけなのだ。
歩き出した《蒼白》を見る目が、怪しく輝き始める。
もはや叩きのめす時間は一秒でも短縮したい。この拳が触れるのを、一センチでも近くしたい。
だから発動したのは、彼らが唯一保有する特異能力。
「来いとは言わない。出向いてやる、だからさっさと死んでくれ」
<限界加速>。
関節の節々から鮮血のように真紅の煙が噴出する。動けばV字の目が、残像を残した。
突如として《蒼白》の動きが止まる。
否、観察すれば分かる。良く観察しなければわからない――《蒼白》の腕は、一秒に数ミリ動く程度の速度で可動していた。
《隼》は敵の眼前へと歩み寄り、力任せに顔面を穿つ。堅牢な手応えの末に亀裂の気配を悟り、振り抜けば拳が装甲を砕く。
顔面の奥には深淵なる空洞。胸部を砕くも、コアは無い。
次いで腹部を殴り飛ばす。砕けた装甲の奥には、鈍い《蒼白》の輝き。下方からだ。
股ぐらを前蹴りで蹴り飛ばせば、体勢が大きく仰け反るように崩れた。ちょうど股の付け根に浮遊する蒼白に輝くコアを見つけた。ゼリー状の鮮やかなそれである。
ちょうど十秒くらいが経過した頃に、《隼》はそいつを掴んで<限界速度>を解除する。
直後に加速した感覚に支配された世界が解き放たれ――猛烈な勢いで、《蒼白》の外骨格はコアを失ったまま後ろへと吹っ飛んだ。
数メートル先の地面に身を叩きつけたまま、やがて動かなくなる。青白い炎が上がるのを見て、戦いが終わったのを、彼は悟った。
「っ……はぁ」
すぐさま形成を解除する。
生身に戻った途端に爽やかな外気を感じて――頭の芯が重くなったように、頭が大きく揺れた。天と地が逆転したような感覚に、思わず転びかける。
伊達はめまいと共に、頭の奥に弾けた閃電のような鋭い激痛を覚えた。
<限界速度>は通常の何十倍もの速度を体感する。己だけが体感する超加速は、故にコアの劣化も加速する。それも通常の、数百倍の速度で。
一度の限界は体感時間にして百秒。それ以上は加速以前に、急速なコアの劣化で何が起こるかわからない。
伊達は肩で息をして、握ったコアをポケットから取り出した巾着に詰める。それを手に提げて、踵を返した。
もしかするとさっきの女が警察を呼んでいるかもしれない。顔を見られていないから大丈夫そうだが、しかし警察は知っているのだ。
ここは特区。形成者と協力関係を結ぶために、おおよその情報は伝わっているはずだし、通報で形成者を察知しているに違いない。
「もう、朝か」
空は抜けるような青空になっていた。
白味がかかる空はいつしか鮮やかな蒼穹に変わっている。太陽は、最後に見た時よりずっと高い位置にあった。
時刻はおよそ七時の少し前。
今日は火曜日だ。学校は、むろん欠席するが。
「手を、出させはしない」
嫌な予感がする。
その予感は、ほとんど確信と言ってもいい強さで伊達を動かした。
連中はおよそ確実に伊達が通う高校の通学路と、その敷地内に侵入する。それを、伊達は防がねばならぬのだ。
出来るだけ速く。なるべく損害を出さずに。
なるほど、自分に特化したやり方だと思う。速く、確実に。
難度は、ジェットコースターほどの速さで稼働するコンベアーでのライン作業くらいなのだろう。
伊達は笑う余裕もなく、駅前へと急いだ。




