2.個対個
オフィス街と繁華街の境目は寂れて然るべき地域だったが、私鉄と国鉄の路線が交差することから十年ほど前に大型の駅ビルが建設された。そのため地域民による賑わいを見せている。
アクセスが良いこともあって、この周囲の中心になっていた。
そのせいもある。
オフィス街と繁華街の溝はビルと商業施設の高さの差異から、その大通りには持続して四ノットほどの風が吹いていた。
それも"集中しきれない"一つの要因だ。
《鷹》は既に敵影を認めている。
緑の瞳を持ちその煙を上げる形成者が、オフィス街の路地に潜んでいた。
風は奥に北北東から七ノットの風が吹いている。薄暗いし、何よりも路地だから狙いがつけにくい。
直線距離でおよそ一ニ○○メートル。
《鷹》の構えたXM109――バレットM84を原型とするこのペイロードは、25mmの大口径を持つ。
有効射程はニ○○○メートル。十分かと思われるが、《鷹》は一ニ○○メートルを想定した訓練での射撃経験しかなく実戦での運用は今回が初であった。
対形成者を想定して弾丸は徹甲榴弾。弾頭に炸薬を詰めることにより、空対地ミサイルよろしく貫通後に爆発するのだ。
(……舐めやがって)
引き金を絞れば、くぐもった破裂音が商業ビルの封鎖された屋上に響く。全てを砕くほどに強烈な衝撃は銃床を押し当てる右肩を打つが、大口径ライフルを射撃した後でも《鷹》は伏射姿勢から微動だにしなかった。
――薄暗い路地に立ち止まる《緑影》の頭が爆ぜる。撃ちぬかれた頭部はまるで割られた風船のように弾け飛び、貫通後の刹那に間に合わなかった爆発が、すぐ向こうのビルの壁に炸裂した。
薄暗い路地の闇が引き裂かれる。遠くで掻き鳴った爆発音を、《鷹》は捉える。
そして、三つある右眼の内、『超遠望』で彼はそれを見た。
爆ぜた頭部が、即座に元通りになる。肉がうねるようにして頭部を復元するが、その頭を再構築するのは装甲だけだ。結局中は空であり、手応えからその厚さはおよそ十ミリにも及ばない。
徹甲榴弾によって撃破出来ないのは、その圧倒的な柔さにあった。
そして――これでニ九度目だ。
新装型と謳うにはふさわしく、だがそれ故に異常すぎる回復速度。
形成者は外骨格の内部に筋肉を八割以上内蔵している。これはコアによる培養により増幅したものであり、骨格以外は通常時と同じである。そして損壊を受けた場合にもっとも速く治癒する部分であり、装甲はそれよりはるかに遅い修復となる。
回復に重点を置いた形成者は未だ無く、そして唯一特異たる能力を保有する初期構想型は存在しない。
《緑影》に施された武装は何か。あるいは――遂にその能力を得たのか。
ともあれ、本来ならなぶり殺しにされているはずの《緑影》は未だ斃せずに居た。
時刻は既に午前三時。交戦してから一時間が経過している。
そして、弾薬は残り一発になっていた。
念の為に持ってきた《蒼影》の野太刀が、妙に頼もしく感じられる。
そして腰のポーチに忍ばせた《蒼影》のコアをいかに活用するか、彼は考えながら立ち上がる。
リロードから発射までの間隔はおよそ二秒。これをニ九度立て続けにやって効果がないならば、もはやできることなど限られている。
移動しなければならない。
《緑影》がこちらに来る前に、仕留めなければならない。
《鷹》は屋上から人気の無い路地へと降り立つと、その衝撃を前転で殺す。彼はそうして、立ち上がりざまに走りだした。
半球を被ったような頭部。首がなく、無骨にして角ばった肢体。その上にはベルトを巻きつけ、そこの金具に予備弾倉や手榴弾のポーチを備えている。
ロボットのコスプレみたいな姿は、まもなくそんな時間帯でもいくらかの人がいるロータリーの前に躍り出る。駅前にいるかすかな人々は釘付けになったまま動かなくなり、やがて闇の中に姿を消した後も、見間違いか夢か何かなのか判別つかぬまま、ただ呆然としていた。
(オレの相手は、一人で十分ってのかよ!?)
地図を縮小して見た限り、これまでに出現した形成者は五体。
佐渡の前に一体であり、犬飼へ四体。うち一体は光点が赤ではなく犬飼、高城と同じく白であったことから同類であると、彼は判断した。援軍なのだろう。
未だに敵の気配すらない東――伊達はそれよりも苦痛かもしれないが、へたに一体しか出ない高城はひどいストレスを覚えていた。
右の三眼が回転し、視界を赤く染める。『赤外線』による探知だ。
(クソが。オレをただの"射的屋"だと思ってやがんのか、それとも――)
短く舌打ち。
暗く人気のないオフィス街。ビルとビルの数センチしかない隙間から、突如として腕が伸びた。
思わず仰け反れば、鋭い拳撃は眼前を掠める寸前を通り過ぎていく。
《鷹》は負紐で斜め掛けしたペイロードに重なる野太刀の柄に手を掛けた。
(――"狙撃"しかねえだろうと、舐められてんのかよ!)
神速による抜刀。
閃いた斬撃は、《緑影》が腕を引く速度を容易く上回って縦一閃に振りぬかれた。超重量の超刀身。己の身を越える長さの獲物は腕を切り裂き、大地をも割る。
落ちた斬撃がコンクリートを砕いて溝を穿った。走った亀裂は短く止まり、返しの剣で弾け飛んだ右腕をさらに真っ二つに斬り裂く。
《緑影》の右腕は二つの塊になって車線と歩道とを隔てる花壇に落ちた。
膂力、腕力、共に尋常ならざるがゆえに実現する攻撃力と速度である。その斬撃たるや、本家の《蒼影》も反応できぬ威圧を孕んでいた。
「っ、はあ!」
野太刀を肩に担ぐように構えて後ろへ跳躍。
片腕を失ったまま《緑影》は路地から通りへと躍り出た。
「骨が折れるぜ、こいつは」
そいつを見て、《鷹》はうんざりしたように言った。
――装甲をうねらせて右腕を精製。確かめるように拳を作り、そこに落としていた視線を改めて《鷹》に向ける。
両拳を腰溜めに構る《緑影》。その姿はあまりにも無防備で、隙だらけだった。
形成者――特にこの『影シリーズ』に関して武術の嗜みなどありはしない。達人の域に触れすらしないその構えに脅威などありはしなかった。
ただ怖いのはその回復速度と、未知の戦闘能力。
しかし目の前の敵と戦闘経験において数十年の差を開けている《鷹》には恐怖はもちろん、侮りも驕りもありはしない。
「終わりにするぜ、クソやろ……っ?!」
やや上肢を倒して突撃の体勢に挑んだ直後、身につけた腰のグレネードポーチが激しく振動した。
そこに収めた《蒼影》のコアが、それだけが突如として動き出したのだ。
何かと呼応するように、連動するように。
隙間から漏れだした鈍い蒼光を放つコアは、まるで引き寄せられるように《緑影》のもとへと飛ぶ。まるで投球されたかのような勢いで、《緑影》の顔面に叩きつけられた。
(なんだ……?)
コアが馴染むように、染みこむようにして消える。跡形もなく、ただコアの残像だけが網膜に焼き付いていた。
やがて、異変が起こる。
敵影の柔い装甲が膨張する。表面に泡を立てて膨らんだかと思えば、それを慣らして膨らんだ分を厚さに変えた。
それはおよそ十倍にも及ぶ厚さ。その身は単純に、一回り以上大きくなっていた。
点を穿ったような瞳は青写真のようなシアン。藍緑色の煙を上げるそれは、両拳の先から長い刃を伸ばす。黒く鈍い輝きを放つ刀身は、およそ前腕ほどの長さだった。
《藍緑》は、僅かに膝を折る。腰を落とし、《鷹》を捉えた。
「……っ」
どうなっていやがる、とがなりたてたい。こんなのってありかよ、と叫びたい。
それらの衝動を一切合切抑えこんで、《鷹》は腰を折って野太刀を背に担ぐような構えを固めた。
じり、と地面を踏み躙って寄り――《藍緑》が上肢を傾ける。
それがきっかけだった。
《鷹》は力強く大地を駆って《藍緑》へと肉薄する。敵よりも遥かに広いリーチで袈裟に剣を落とせば、それを弾くように閃いた右腕が野太刀と接触する。鋭い金属音と火花が弾け、それを機に一気に距離を詰めた《藍緑》の左腕の剣が鋭く《鷹》の胸部を狙う。
それを防ぐのは蹴りだ。激しい勢いを伴った蹴打が足先で刺突を蹴り飛ばし、頭上へ迫った足先につられるようにして《鷹》の肉体が浮かび上がる。
身軽なまでに跳躍した状態で後転。着地と共に衝撃と音とが空間に反響するが、もはや気にする所ではない。
《鷹》はふたたび地を弾いて敵へ迫る。
野太刀を振り下ろす。力任せに弾こうと振り上がる右腕とぶつかり合うが、決して拮抗はしない。
右腕の剣と野太刀とが接触した瞬間に、わずかだけ右腕が下がる。その瞬間に《鷹》は野太刀を引き寄せ、地面を這うほどに腰を落とし、《藍緑》へと踏み込んだ足で弧を描いた。要領は足払いと同じである。
敵の目の前で這いつくばって横へ一回転。しかし反応しきれないのは突拍子もない行動にさえ伴った速度であり、振り上げられた長刀はある程度の距離をおいても確実に迫るからである。
だから《藍緑》が《鷹》を見失った直後に、遥か下方の死角から攻撃を受けていたのだ。
逆袈裟に放たれた斬閃を、《藍緑》は辛うじて両腕でガードする。
だが横合いから放たれた野太刀は容易く空間ごと腕を斬り裂いた。
その《藍緑》の両腕は剣を伴ったまま空中に弾け、《鷹》はそちらに一瞥くれることもなく、さらに一息で敵影の真正面へ立ち直る。
敵影の両腕、その断面から装甲が展開する。肉のように蠢いたそれが、まるで触手のように《鷹》へ迫った。
閃く斬撃は二度。
そのどれもが鋭く正確に、迫った触手を叩き斬っていた。
「おせえんだ、テメエの速度は。相棒に比べりゃ、寝てても捉えられる」
そう。《藍緑》はあまりにも遅い。
遅いがゆえに、捉えられないものもある。
だから《鷹》が次に動こうとした時には既に、忍び寄った"それ"は彼の足に絡みついていた。
切断された腕の残骸である。それは数えて四本の腕だった。
「なっ……」
《鷹》には狙撃以外の手段もある。
だが、それ以外の手段はあまりにもずさんであり、技量と身体能力を除く全てが実戦レベルに到達していなかったのだ。
《鷹》が言葉を失った時、同時に藍緑色のコアが、ぱっくりと割れた《藍緑》の顔面から姿を現していた。
その状況はあまりにも不可解過ぎた。
前例が無いのである。敵の前に弱点を晒す者など、これまで居なかった。
そして無人であるが故にプログラムは叩きこまれているのだろう。だからこそ、この反応と行動は異質であった。
これから何をされるのか推測できない。
これから何が起こるのか覚悟できない。
だから肝が冷えきるよりも速く、
「ぐ……っ?!」
コアが顔面へと飛来したのは完全に予測外の事態であり、それが瞬く間に外骨格の隙から体内へと侵入してくる現状を防げずに居た。
ゼリー状のそれが筋繊維を抜けて、下腹部にある移動不能のコアに触れた。
芯が結晶化しているソレである。順調ならば、あと二年……期待すれば三年は、結晶から逃れられる筈だったのだが――。
視界に電撃が弾けた。
目の前で燃え盛る《藍緑》の外骨格だった塊が青い炎を上げて溶融するのを、薄れゆく視界の中で《鷹》は見ていた。
指先の感覚も、冷えきってしまうかのように緩やかに薄らいでいく。
呼吸はもともと不要なのだが、まるで窒息するような息苦しさがあった。
ひどい頭痛があるのに、そのくせ頭の芯が、思考ごと全てに鈍くなっていく。
淀んだ世界の中に、ただ一つだけの道が記された。
闇の中に、進むべき道が輝きと共に発生した。
「はァッ……壊す……ブッ、壊す」
その先に己を蝕む《藍緑》のコアがある。それを壊すイメージ。
その鍵となるのは、誰かのコア。奪い、食らうことで、己は救われる。
「トシ――」
頭の中に浮かぶただ一つのシルエット。
紡いだ言葉はそれが最後であり、思考が停止した《鷹》の肢体は暫くの間沈黙する。
オフィス街のど真ん中で、黒い刀身の野太刀を構え、背に対戦車ライフルを担いだ巨漢の姿。
それは緩やかに内側から、まるで水が凍りつくかのような速度で、結晶に飲まれていく。
契機を得てから全身が結晶化するまで、平均二時間。
彼がそんな状態に陥った頃。
既に東から登っていた太陽が、鋭く、眩く、闇夜を引き裂いていた。




