第三章『Unknown』
市街で最も賑わっている北を高城が。
自然が多く山岳地帯となる西を犬飼が。
再開発計画があがるさびれた市街である南を佐渡が。
そして生活圏である東を、伊達が担当した。
ニ三時まで待機ののち、○時までに彼らは担当の持ち場への移動する。各々が外骨格を形成し、佐渡は昼間のうちに揃えたらしい武装を整備してから、ジープで疾走する。
伊達は彼らを見送ってから、深夜の町に飛び出した。
◇◆◇◆
深夜の割に交通量が多い。
佐渡は密かに高鳴りつつある鼓動を抑えながら、辺りを観察した。
片側二車線の四車線道路には、ひっきりなしに車が行き交っている。混雑して渋滞するほどの交通量ではないが、時速六○キロで走る佐渡などはすぐに追いぬかれてしまいような、荒く疾い運転が多かった。
これで『新装型』に牽制となれば良いのだが――無理だろう。
なにせ連中は《隼》に匹敵する。《隼》を始めとする彼らは固有能力さえ使えばまず問題はないだろうが、それは彼にとってかなりの負担になるはずだ。出来るだけ控えるのは当然である。
佐渡も、幾度かそれを味わった。
味わった上で、未熟な体術を熟練した柔術で捌いてやった。
今回はできるだろうか。
「死ぬ気がしてならねえ」
結局、アメリカに戻ることは出来なかった。
電話とメールで「身内に不幸があった」と連絡したから問題ないが、しかし不幸があるのは己ではないか、と緊張する。
そんな折だった。
胸元に忍ばせた端末が微振動する。佐渡は路肩に車を止めて、地図を確認した。
――ここより北北西。県外の位置から移動している赤い光点を認めた。
距離はおよそ八○キロ――移動速度で見れば、あと十分もせずにこの区画に到着するだろう。
奴らは果たして己の元へ来るだろうか。
そうでなければ、佐渡が一番不利だ。
一対一での戦闘なら、ある程度は出来る。新装型はどうかわからないが、《隼》や《鷹》の装甲を削り破壊する程度の火力は備えてきた。
だが人を盾にとられたら?
この街のなかで上手く立ち回れたら?
真面目で、油断なく慎重な敵だったら?
佐渡健介には速さも、力も、人並み以上にあるつもりだ。だが形成者相手にそれでは、全てが圧倒的に足りなかった。
人で無い必要がある。
彼はこの時こそ、その事実をひどく恨んだ事は無かった。
――爆音。
凄まじい衝撃が、佐渡の思考を削ぎとって大地を激震させた。
地図上の光点は先程の半分。
遠くで、何かが崩壊する轟音と、悲鳴とが大反響した。
すこしして、端末にメールが届く。
協力体制にある警察からの報告だった。
――移動速度およそ一ニ○キロの高速飛行物体より、対戦車砲に匹敵する破壊力を持つ火器類による攻撃を認める。
添付されたデータは、GPSによる敵影の軌道だった。
彼らは、この事態を知らない。
だから律儀なまでに、すぐさま状況を報告し、形成者では無いのか? と問うたのだ。
その通り。返信すること無く、ただそうとだけ思う。
佐渡は後部座席から引きぬいた無反動砲――カールグスタフと呼ばれ、48PRとして自衛隊に採用されるそれに弾丸を装填して、走りだす。
スピードメーターは見る間に百の境を超えて、ジープは傍から見れば危険運転と呼べるほどの加速を呈した。
走行中に、反対車線側の商社ビルに凄まじい爆炎が上がった。室内の明かりはついていなかったようだが、二十階はあろうかという建物である。警備員は無事ではすまなかっただろう。
窓という窓が衝撃で割れ、その下に降り注ぐ。
瓦礫が崩れて、大きな塊となって広めの歩道を打ち鳴らす。
車道の方では、驚いて急加速した車が前の車に突っ込んで急停止し、その後ろからトラックが突っ込むという惨状が出来上がる。爆音と轟音が大気に衝撃波を伝播させ、炎上する路上で立ち往生する車が多くなってきた。
ジープはそこを走り抜ける際に、見ていたものがある。
彼が走る車線側の前方、一等高いビルの上に立つ影を。
そしてそれが明らかなまでにジープを一瞥し、姿を魅せつけるようにしてから飛び去ったのを。
既に五○○メートルも離れていなかった光点が、真っ直ぐ十二時方向へと進む。
その先にあるのは、数年前に雑誌にも取り上げられた、地方都市の名物となる大型の遊園地だった。
佐渡は路肩に車を止めると、即座に拳銃でフロントガラスをぶち抜き、ライフルの銃床で砕けたそれらを完全に粉砕する。
フロントガラスをくり抜くと、佐渡はプラスチックのゴーグルを装着して走りだした。
アクセルを踏み込み、無反動砲をいつでも装備できるよう準備する。
疾走する車はいつしかジープ一台になっており、そんな彼を誘うように、向かう道の先々でビルや店が爆炎をあげていた。
――おおよその行き先、その目標地点が推測できたならば、待ち伏せが有効だ。
なによりも、当たらぬと踏んでいる無反動砲を一度でも当てたい。当てれば、有利になる。
佐渡は五つの車線が入り組む交差点に入った時、左斜めに左折して細い路地に入る。そこは地元の人間がよく知る、遊園地へ向かうために発生した渋滞を回避して、かつ遊園地へとショートカットとなる道だった。
結局粉砕したフロントガラスは無駄になったが、問題はない。
佐渡はありったけの武装と予備の対戦車榴弾を詰め込んだポーチをサスペンダー、ベルトの金具に余すことなく装備して、フェンスの外にある垣根に身を潜めた。
遊園地の入り口は、車通りの多い二車線道路の真正面にある。他に入り口はないが、殆ど空を飛んでいるような形成者にはまったく問題ではない。
彼が居るフェンスは、その道路の脇から入る駐車場を囲むようにしてあった。
垣根から入場ゲートまでの距離はおよそ三十メートル。遮蔽物はなく、だだっ広い空間だけが広がっている
愉快でチャーミングなキャラクターが笑っている入場ゲート上の装飾に嘆息しながら、佐渡は端末の地図を確認する。
光点は、既に己の頭上を通り過ぎ――佐渡は、視界に何かが落ちるのを見た。
入場ゲート真正面に着地した、月光にその身を反射させる紫の影だった。
《紫影》とでも名付けようそれは、後ろを振り向いて、腰に手をやる。まるで人のような所作で、やがて動かなくなった。
彼らの目的は戦闘経験の取得。
いわばこの掃討作戦は、伊達らにしたような訓練と同義だ。
死ぬか殺すかまで戦闘した後、そのデータを蓄積したコアを解析し、次へと継がせる。現状として佐渡への問題足りえるのは、経験値がゼロの状態であっても彼らはある程度の実力を保有していることだ。
恐らくこれまでの形成者のデータを転用しているのだろうが……。
(くそったれ)
それでは強いじゃないか。くたびれるじゃないか。面倒じゃないか。
野戦服に身を包んだ佐渡は、スニーキングを目的としているわけではないからペイントまでは徹底していない。そもそも、彼らには無意味だ。
短く息を吐いて、行動を開始する。
無反動砲を構え、照準。
最も効果的とされる対戦車兵器の扱いには長けている。その自信は、実力と経験からくるものだ。
何よりもこの腕が買われて、傭兵としても生きて行けているのだ――考えながら、肉体は無反動砲の機構の一部になった。
発射。
ばしゅ、と音が響く。凄まじい煙を前と後ろに噴出しながら、高速で飛んだ榴弾は見事に対象の土手っ腹に炸裂した。
榴弾が粉砕して、炸薬が爆発する。
その場にけたたましい爆発音と炎が上がり、佐渡は短く息を吐いた。
むせ返るような硝煙の臭い。距離が離れているのに激しい衝撃が腹の奥底にまで響いてくる。固定具を外して尻を開け、空薬莢を抜き、新たな榴弾を装填する。指先が焼けるような熱さだが、気にしている場合ではない。
次は迅速に、武装を選択した。
榴弾は効果的だ。だが重すぎて、持ち歩けば移動に支障がある。
ライフルは威力と精度こそ優秀だが、この距離で、この人数で、高速移動する敵に照準する術も無い。
ならば拳銃弾レベルでもいい、ばらまいて牽制になるものがいい。それでいて、至近距離で同じ箇所に当て続ければダメージとなるような――そう、サブマシンガンか、アサルトライフルだ。
佐渡は即座にカールグスタフをメインに担ぎ、回転弾倉式のグレネードランチャーを片手に提げる。M4カービンを肩から提げ、その予備弾倉、手榴弾以外のポーチを外して捨てた。
それから慌てて、横に飛び退く。
直後に、彼が居た箇所に激烈な破壊のつぶてが降り注いだ。
不可視の稲妻のような――視認するのも難しい極めて細い輝き。爆発と共に垣根が吹き飛んで、地面がめくり上がる。
まるっきりSF映画のレーザー攻撃だ。
爆炎が後から上がって、佐渡は肝を冷やしながら《紫影》の前に踊りでた。
でたらめな照準。
焦りながらの発射。
期待などしていない榴弾は、しかし、意外にも煙の中の影にぶち当たる。
本来なら通りすぎて遠くで炸裂して然るべきそれが、炎の中で再び爆発した。
佐渡はその衝撃に尻餅をつきながら、ゴロゴロとローリングでその場から退避しながら体勢を整える。
(ハメられたか……くそったれ)
佐渡は再び心中呟く。
攻撃は理想的なまでに炸裂した。
だからこそ思うのだ。
あまりにも出来過ぎている。だから、その発想は自然的なものだった。
――まるで、己の装甲の硬さや修復速度を確認しているようだ、と。敵は戦闘経験を欲する。己の攻撃に対する相手の反応。相手の攻撃に対する己の反応。攻撃を受け、回復する己の装甲は、どれほどの衝撃にまで耐え、どれほどの速度で修復できるのか。
彼はそれを確認しているのだ。
だからこそ、この機会を逃したら、やばい。
相手が佐渡との戦闘に評価を下す以前に、攻撃に対する最優先事項の実験に没しているチャンスを外したら、もはや攻める機会などなくなってしまう。
だから、弾切れの無反動砲を投げ捨て、佐渡は走りだした。
徹底的に焼く。開いた装甲の穴からコアを灼熱に追いやり一時的に機能を追いやる。そう、コアは熱に弱いのだ。出来るだけ高温の、TNTかプラスチック爆弾が爆ぜる時くらいの熱が。
最硬だが、破壊できぬことはない。
戦闘中では、物理的な衝撃での破壊以外が難しいだけだ。
施設職員だから、知っていることがある。
だが根本的な仕組みを知っていても、それが何のために稼動し何を目的に動いているか、そもそもソレはなんなのかは、分からなかった。
今でならば理解できる。
伊達からの解説を受けて、全貌を知ることが出来た。
佐渡はグレネードランチャーを構える。カービン銃に大型の回転弾倉をつけたような形のソレは、引き金を絞れば排気音に似た音を立てて擲弾を発射した。
後ろに飛のけば、少しのタイムラグの後、爆発。それに合わせるようにして全弾を撃ち尽くして佐渡はグレネードランチャーを投げ捨てる。
すぐさま立て続けに爆発を起こし、たまらず佐渡は距離を取って伏せた。
これで死んでいれば、関節を極めて四肢を破壊し、虱潰しにコアを奪取する。
もしダメなら――。
《紫影》は――炎を引き裂いて飛び出した。
全身をにわかに溶融しながらも、決定的な破壊を受けた右横腹、左胸以外にはその爪あとを見せない。
切迫。
《紫影》は直線的すぎる挙動で拳を突き出す。
それを予測した巨漢は、半円を描くような機動で横を向く。野戦服の腹すれすれの位置を拳が通過し、佐渡はカービンを構える暇も無く《紫影》を蹴り飛ばした。
離れる身体。開いた大穴付近の装甲に、力いっぱいカービン銃の銃床を叩きつける。
柔くなった装甲が溶けかけの板チョコよろしく砕けて散る。佐渡はただそれだけで上がってしまった呼吸を抑えながら、今度は自分から飛びかかった。
カービン銃を乱射しながら背後を取る。弾丸は容易く装甲を貫通していた。
――疾い理由は、装甲の薄さだ。
納得しながら、その背中に致命打たる銃床での打撃を打ち込もうとして。
己の格闘は、弾丸よりはるかに遅い事を思い出す。
敵は怯んでいない。
その上で、隙を見せるのを待っていたのだ。
だから佐渡はカービン銃を振り上げた体勢で、気がついた時には既に《紫影》に背後を取られていた。
形成者はコアが傷つかない限り死なない。装甲へのダメージなど、挙動が不可能になるほどの致命的なもの以外ならばなんら問題ない。
紫影は恐ろしく疾い手刀で佐渡を嬲る。
首筋に叩きこまれたソレは、頸動脈を圧迫するよりもその衝撃で首がへし折れてしまいそうな攻撃だった。
思わずよろけて、受け身をとって前転する。勢いで立ち上がって振り向けば、鋭い拳が肉体に叩きこまれた。
ゴキゴキ、と体内で鈍い音。肋骨が粉々に砕ける感触。骨が内蔵に突き刺さる激痛。
溢れた血液が破れた胃に注ぎ込まれ、胃液と混ざって逆流してくる感覚がわかる。
佐渡はややあってから、口腔に溢れた鮮血を吐き出した。
《紫影》の怪しい蒼い鬼火のような瞳が揺れる。僅かに飛び退いたのを察して、佐渡は全力で横に倒れた。
直後に、敵が虚空を蹴り飛ばす。暴風がその先にある爆炎と煙の塊に大穴を開けた。
(くそったれ――こんな、もんだったのか?)
もはや言葉など無い。
佐渡はまだ残弾豊富なカービン銃を投げ捨てて、残った武装を振り抜いた。
刃渡り三○センチ余りのコンバットナイフだ。
速さと未知に恐れたが――体感して、理解する。
彼へと向き直った《紫影》に、歴戦の兵にして"最速"と"怪力"の師は言ってやった。
「おれが直々に稽古してやる。かかってこい」
一人で十分だと思ったから、《紫影》は一人だけなのだろう。
侮るな、と言ってやりたい。
政府にしても、だ。
いつでも始末できると驕って外の世界へ開放させたつもりならば――違う。
佐渡を殺して処理せずに放置したのは、彼らが監視しか出来ないからだ。既にその素質からして異常なまでに卓越した存在には、下せる手が無い。
この男は、言ってしまえば集団行動での戦闘がズバ抜けて弱かった。正確には、弱かったというより実力を発揮しきれなかった。協調性、というものが致命的に欠けているのだ。
それは常に己を基準に思考し考えているから。縄跳びで、一発目から飛び込む彼が、いつまでも飛び込めずにいる者の尻を蹴り飛ばしてしまうからだ。
チームプレーよりスタンドプレー。
だからもし《紫影》に敗北の色があったとするならば、それは単純に力量不足がゆえだろう。
――《紫影》が動く。
機微を察知して様子を伺っていたわけではなく、どうやら装甲の修復を待っていたらしい。
佐渡は待つ、と認識したから待たせてもらったのではなく、攻撃されても避けられるという自信があるのだろう。
放たれた拳が――コンバットナイフで軌道を逸らされる。顔面を狙ったソレは、気がつけばその真横の虚空を穿っていた。
(やはりな)
佐渡は形成者の真芯を狙い、狡猾なまでのタイミングを導き出す。その拳撃とほぼ同時に、カウンター気味に水月よりややしたの位置に掌底をぶち込んだのだ。
いくら人間でないにしても、それは人型。出力、駆動系などはともかくとして、柔術やカラテが通じないわけがない。
そしてその通りであるように、《紫影》は大きくバランスを崩して後方へと吹っ飛んだ。僅か数歩分の距離で地面に叩きつけられる程度だが、それは大きな成果だった。
人が形成者に渡り合う。
その事実は、知るものが知れば震撼するかもしれない――のだが、しかし知りえぬものは、もはや身近に居なかった。
(速くても、軌道がわかりゃなんてこたあねえ。それに)
身体を寝かせたままの体勢で起き上がるように、背筋の力だけで勢い良く立ち上がった。
(力も弱い。連中の一撃で、ただの人間一人殺せねえってだけで、よく分かる)
生まれたての形成者とは、得てして戦力的に見れば脆弱なものなのだ。
ただ他のコアのデータをある程度吸収しているせいか、本当に"ある程度"の戦闘ならば可能であるだけで。
(おれは、こんなのにビビってたのか? 無反動砲ぶっぱなして、グレネードまき散らして、弾幕作って……)
再び襲い掛かってくる《紫影》。蹴りを放つモーションが途中で止まり、凄まじい瞬発力で佐渡の視界から消えた。
背後に回ったのだ。いっそ、その速度を利用した蹴りを放ったほうが厄介なのかもしれないが――「悪手だろうが」と佐渡は言いながら、横に飛ぶ。
彼が居た空間に蹴撃が襲う。
着地と同時に、その反動をバネにして佐渡は飛び込んだ。コンバットナイフは鋭く《紫影》の肩口に突き刺さり、喰らいつく。
てこの原理で寝かせれば、装甲が金属が軋む異音を響かせながら弾けた。大きな一枚でつながる装甲は一部を砕かれ、その衝撃で少しだけ揺らいだ。
その揺らぎを利用するように《紫影》は屈み込み、極めて低姿勢からの足払いを決行する。
それを後退して回避し、佐渡は一度、さらに退いて距離をとった。
(しかし、だ。しょ……処刑されたりせんだろうな……?)
なんであれ体裁としては飽くまで、政府は己を泳がせていたのだろう。その気になれば、形成者に命じて命を取ることも可能だ。
それに、形成者に直々に関わっていた己が帰国したタイミングでこれだ。
嫌な予感がしてならない。
(くそが。こんな事なら、誰かと一緒に行動すりゃよかった)
拳が、脚が鋭く佐渡を襲う。乱撃、連撃、その全てがプロフェッショナルを凌駕した速度と技術でしのぎを削った。
変幻自在の拳が腹を掠める。
蛇のようにしなる脚が、腹のすれすれを過ぎった。
攻撃直後の大きな隙に肉薄し、コンバットナイフを、砕けた肩部に差し込んで、さらに破壊する。
背後から蹴飛ばしてバランスを崩させ、退避する――その際に、蹴飛ばした足を、掴まれた。
「――っ!」
ハンマー投げよろしく振り回された巨漢が、無様に吹っ飛んだ。凄まじい遠心力と、重量と、腕力による勢いでけたたましい音を立てて入場ゲートに突っ込む。
ゲートを封鎖しているアルミシャッターがひしゃげて引き裂け、佐渡は園内の、また広い空間に転がる。
受け身もくそもない勢いだった。
へたに頭を打ち付けて、視界が朦朧とする。はっきりとしない、酩酊したような意識で、佐渡はそれでも立ち上がった。
そんなぼやけた視界でも、動体は認識できる。
襲い掛かってくる拳をコンバットナイフで受ければ、甲高い金属音と共に火花が散った。耐え難い衝撃が手首から腕に伝わり、にわかな痺れを呈する。
腕力の問題ではない。
ナイフを握り直して、しっかりと力を込める。
やがて視界も鮮明になってくる頃、背後からの気配を悟った。
もはや全身にガタが来ている。へし折れた骨は、内臓をズタズタにしている。戦闘を長引かせれば、その分不利なのは己であった。
「鬱陶しい……!」
油断。
過小評価。
それが現状を招いている。
火花が散った。
蹴りをナイフで受け流し、体勢を整える暇もなく流れるような、無理のない動作で回りこむ。そうして背後から、《紫影》の左肩部に突き刺した。
ようやく、こぶし大の穴が開く。
先ほどの修復速度を見れば、それが塞がるのに五分近くを要するだろう。
構わず、振り返った《紫影》は肉薄した状態で佐渡を拘束した。
両肩を掴み、鋭い膝蹴りが腹部にめり込む。もはや骨が砕ける感触など無く、その痛烈にして鮮烈な衝撃が、腹から背へと突き抜けた確かな手応えだけがあった。
佐渡は目を見開き、もはや吐き捨てる血すら無いように肺からの空気を全て吐き出した。
力の抜けた手はひどく痺れ、ナイフを落としてしまったのを、それが地面を叩く音で知る。
だけれど、彼の右手は己の腰に向かった。
ベルトに固定され、手榴弾は専用のホルスターのようなポーチに収まっている。固定具を外してそれを引き抜けば、安全ピンが外れた。
《紫影》の拳が顔面を殴る。衝撃が脳に浸透するが、カウンター気味に佐渡の手は敵影の肩部に叩きこまれた。
手榴弾が、穴から中に落ちる。
《紫影》は己が体内の異物にすら素知らぬ顔で、トドメとばかリに腰を落とし、片手を引いた反動で撃ち放つ正拳突きを叩き込んだ。
拳が肉を裂き、腹にぶち込まれた瞬間。
佐渡の肉体は、地面すれすれの高度を勢い良く吹き飛び。
《紫影》は突如として、その体内から凄まじい爆炎と衝撃とを発生させて、その装甲もろとも炎を伴って四散させた。
近接格闘ならば、重火器である砲撃は無用の長物だ。うまい具合に、格闘でのデータ収集に移行できたと思う。
めらめらと燃える破片が宵闇の遊園地を照らしている。
佐渡は溶けかけた《紫影》のコアをナイフに乗せてジープまで移動してから、旧来の友人である男へと連絡した。
同じ施設職員であり、佐渡健介とは異なり未だに政府の腹の中に居る元医師の研究員だ。
しばしのコールの後に、電話がつながる。
『……もしもし』
少し気難しげな声。
見知らぬ番号に不審に思ったのだろう、応答はそれだけだった。
「おれだ。佐渡だ……知ってんだろ」
見ているはずだ、と思う。
佐渡は、もう腹をくくっていた。
血が足りず、骨格が変形するほどに骨が砕けてしまっている。
緊急の措置をしなければ死ぬだろう。だが助かる道があるのならば、なりふり構わず縋る。
もしこの男が己を始末に来るのならば、そんな終わり方もいい。だが可能性を知らぬふりをして諦めることなど、その男にはとうてい不可能な選択だった。
『ああ。随分弱くなったじゃないか。昔はチビどもを、片手でいなしていたのにな』
「ありゃ、おれが手加減されてたんだ。もっとも、今の奴ぁ、それよりずっと弱かったがな」
『……ケンスケ。戻ってこい、君なら手厚い待遇を受けられるだろう。監視され続けることも、ない』
どこか懇願するような声。
形成者に関わった人間は、意外にも始末されずに生き残れるような言い草だった。
事実、生き残れているのだ。へたな勘ぐりさえしなければ、形成者よりずっと生きやすい。
「考えておく」
『ああ……いま救急車を手配した。五分以内で駆けつけるだろう』
「サンキュー、さすがは……」
業務中に、プライベートの携帯に出てくれる相棒だ。
しかももう十年近く経つというのに、番号すら変わってない。
本当に、ありがたい……。
佐渡は通話を切るのも忘れて、静かに意識を失った。
ジープの運転席のドアに寄りかかるような体勢で、背中を預けて。




