短編版 虐げられた無能令嬢ですが、公爵様に甘やかされて溺愛されています
新鮮で美味しい空気を胸いっぱいに吸い込み、私アリスティアは今日の獲物を探していた。
ボロボロの狩猟着姿で、その細い身体のどこに狩りをする力があるのか、森に立ち入る私に疑念の視線を向ける者もいる。
服から覗く手足は痩せ細っていて、簡単にまとめられた、白くて長い髪は手入れされていないから艶がない。
それでも目を引く美貌は隠しきれない。
それは私がノワール伯爵家の令嬢で、数年前までは大切に育てられていたから。
しかし今の私はノワール伯爵家では無能と言われて、その存在はいないものとして扱われている。
「今日こそは⋯⋯獲物を捕まえる!」
最後にお肉を食べれたのは三日前だったなと、考えながら私は静かな森の中を歩いた。
一日一食もらえればいい。でもそれは硬いパンに残り物の汁と萎びた野菜。
それだけじゃ足りないから、狩りをするようになった。
狩りに失敗すれば、悲しいことに食べる物がない。
カサカサと葉が揺れる音が聞こえる。
――――見つけた。子ウサギだ。
今日はうさぎ肉のスープが食べれる。
私は嬉しさに、気持ちがはやるのを抑えながら、そーっと足音を消しながら近づいた。そして弓に矢を番えて射た。
――――命中!
射たうさぎに素早く近づき両手を合わせる。命を頂く事に感謝の気持ちを伝える。
その場ですぐに血抜きをして、縄で縛る。
うさぎ一匹手に入ったから今日の狩りはおしまい。
私は久しぶりのお肉に、鼻歌を歌いながら機嫌良く屋敷に戻った。
立派な屋敷の鉄の門を押し開けて中に入ると、鋭い視線で私を睨みつけてくる――お兄様がいるが無視する。
私の獲物は誰にもあげない。
「⋯⋯おい! 無能! 」
なんか聞こえるけど無視して、私は自分の部屋に戻った。
部屋と言っても私の住処は立派な屋敷の裏手に、申し訳程度に作られた小さな小屋だけど。
「⋯⋯無視すんな! 聞こえてんだろ? おい! !」
聞こえてるけど、私を無能と呼ぶお兄様に返事なんかしたくない。
私はそのまま小屋に向かって歩いた。
ほっといてよ! 私は忙しいのよ?
私が家族から無能と呼ばれるのは、貴族が十二歳で受ける洗礼式で稀に授かることがある力が使えないから。
私はなぜか希少な治癒能力を授かった。本当に迷惑だ。そんな力欲しくもなかったのに。
同世代で授かった皆は使える。けれど私は同じように祈り、力を使おうとしてもその力は使えない。
誰も治療できない。そのせいで家族から見放された。
家族の関心がなくなり、追いやられたころに、私は自分の力の使い方を知った。
狩りに慣れてないころ、突然飛び出してきた傷だらけの狼に腕を噛みつかれて、私は怪我をした。その時、私の流した血を口にした手負いの狼は傷が治った。
そこで初めて、私は自分の能力の使い方に気づいた。自分の血に治癒の力があることに。
私を見捨てた家族には力が使えることは、教えたくなかった。体を傷つけ血を流さなければ能力は使えない。
自分を犠牲にして家族の為に、見知らぬ誰かの助けになりたいなんて考えられない。
そして、何より痛いのは嫌だから。
――そのまま、私は能力を使えないフリを続けることにした。
まだお兄様の声が聞こえてくる。
もうここは私の小屋の中で、私はこれからうさぎの調理があるんだけどな⋯⋯。
「耳まで聞こえなくなったのか!? アリスティア・ノワール!!」
痺れを切らした、お兄様が私の名前を呼んだ。
しょうがない。小さく息を吐き、私はゆっくりと振り返った。
「なにかご用ですか? お兄様」
「ちっ。 大事な話があるからついてこい」
「えーと。嫌ですが?」
新鮮なうちにうさぎ肉を捌かないと鮮度が落ちる。
わかってて言っているのかな?
私は自分で食べる物を調達しなきゃ生きていけないのに。
「拒否権はない。お父様がお呼びなんだ。さっさと来い」
お兄様は私の腕を無理やり掴んで引っ張った。抵抗したが、解けるわけもなく私は、三年ぶりに屋敷の本館へと連れ込まれた。
最悪な一日の始まりになってしまった。
☆
「アリスティア、お前には嫁いで貰う」
お父様が静かにでも、威厳ある声で言い放った。
私はぽかんとしてしまった。そのうち家から追い出されると思っていたからだ。
「フリューゲル公爵だ。お前でも名前ぐらいは聞いた事があるだろ?」
「⋯⋯⋯⋯はい」
ないけど? フリューゲル公爵様って誰?
私はとりあえず知っているフリをした。
「無能のお前をこれまで育ててやったんだ。ただ家を追い出すのも可哀想だから、最後に縁談を持ってきてやった。有難いと思え」
(そのまま追い出してくれればよかったのに、どうして縁談なんか持ってきちゃうのよ)
私は心の中でそう思った。
「良かったな。野垂れ死にしないで済みそうで。お前も容姿だけはいいからな、公爵もその容姿で選んだんだろう」
私の艶のない白い髪と薄い紫の瞳を見てお兄様がにやりと口の端を持ち上げた。
私も自分の容姿が着飾ればいいとは思っている。
欠点はただ一つ。
無能だと思われていることだけ。
「お話はそれだけでしょうか?」
「ああ、明日には迎えの馬車が来る。それまでに、荷造りを済ませろ」
今更、家族に情なんてない。
いままで情けで家に置いて貰えただけよかったのかも知れない。
私は静かに頭を下げて部屋をあとにした。
私の頭はどうでもいい婚姻の話はさっさと忘れて、狩ってきたうさぎのことでいっぱいだった。
そう――愛のない結婚なんてどうでも良かった。
小屋に戻り、うさぎの肉を料理しながら少しだけ、婚姻について考えた。
まあ、結論は政略結婚。
公爵家が格下の伯爵家になんでとは思ったが、向こうから持ってきた話らしいし、きっと酷い目には合わされないはず。
私は寝るところがあって、ご飯が食べられればそれでいい。
私は久しぶりのお肉料理に顔を綻ばせた。
☆
翌日。
私はフリューゲル公爵様が送ってくれた騎士、シリル副団長に案内され、公爵様と顔を合わせるために、彼の執務室の前にいた。
シリル副団長がノックして扉を開けた所で中から怒声が響き渡った。
「お前のミス一つで、大勢の仲間が危険に晒されるんだぞ! しっかり反省して、反省文を提出しろ!!」
バン!と激しい音と共にテーブルを叩く音も響き渡った。
私は目を丸くして扉の前に立ち止まった。
シリル副団長が呆れたようにため息をつく。
「リオンドール騎士団長、婚約者のお嬢様をお連れしました」
部屋の中が、一瞬静まり返った。
長身の男がゆっくりと近づいてきた。
黄金色の柔らかい髪が、窓から差し込む光に輝いている。
スッと通った鼻筋、引き締まった体躯、そして青く美しい瞳。
先程まで部下を怒鳴りつけていたとは思えない、穏やかな表情で彼は私と視線を合わせてくれた。
「⋯⋯すまない⋯⋯驚かせてしまったようだ」
低く落ち着いた声。
怒りの余韻がまだ残っているのに、丁寧に頭を下げて謝罪してくる。
「アリスティア・ノワールです。よろしくお願いします。フリューゲル公爵様」
私も丁寧にお辞儀を返した。
「リオンドールだ。気軽にリオンと呼んでくれ。来てくれてありがとう。アリスティア」
「リオン様。私の事もどうぞ気軽にアリスとお呼びください」
(⋯⋯強そう。しかも、思ったより顔がいい)
ご飯が食べられて、寝るところがある。
それでだけでいいと思っていたはずなのに、胸の奥が少しだけ、きゅんとした。
もしかしたら、この婚約意外と悪くないかもしれない。
その後、案内された部屋の隅に置かれたゲージの中に、銀色の毛並みの子犬がいた。
(もふもふしてる。かわいい)
銀のように輝く柔らかな毛、好奇心いっぱいの青い瞳。
瞳の色がリオン様に似ている気がして、つい近づいて観察してしまう。
「気に入ったか? それは銀獣という。魔物の多い北部では魔物討伐の際の相棒として、背に乗って闘うんだ。それは最近生まれた幼体だ」
「わっ!? はい。可愛くて、気に入りました」
リオン様に後ろから突然声をかけられてビクッと肩を震わせてしまった。
「触るか?」
「いいんですか? 是非触りたいです」
「ああ、そこのソファに座りなさい。膝の上に乗せてやる」
言われた通りにソファに腰を下ろすと、リオン様が幼体の銀獣をそっと私の膝の上に乗せてくれた。
その膝の上に乗せられた銀獣の幼体は程よい重さであたたかい。
ふわふわで指で触ると柔らかな毛が指の間をすり抜ける。
小さな肉球はぷにぷにと弾力があり、ずっと触っていたい。
銀獣の幼体は私の手に顔を擦り寄せて、くぅんと小さな声で鳴く。
(私って⋯⋯もふもふした動物、こんなに好きだったんだな)
「婚約の話について、ちゃんと説明しようと思っていたのだが⋯⋯」
顔が蕩けそうになるのを自覚しながら堪能していると、リオン様が静かに切り出してきた。
私は銀獣を撫でながら、勇気を出して言った。
「リオン様から今回の婚約を申し込まれたと聞きました。
でも、私の治癒の能力を目当てでしたら⋯⋯私は能力を使えませんので、ご了承ください」
私が治癒の能力を持っているとこは、洗礼式で発表されてしまった為、知ってる人は多い。
そして、その力を使えない無能だと言う話も広まっているはずで、公爵が何故私を婚約者に選んだのか疑問しかない。
リオン様は私の前に屈み、視線を合わせて優しく微笑んだ。
「知っていて、アリス、君に婚約を申し込んだ。迷惑だったか? 他に好きな相手がいたのなら、申し訳ない事をしたと思っている」
「知っていたのなら⋯⋯何故? 私は何の役にもたちませんよ? 他に好いてる相手はおりませんが⋯⋯」
リオン様は少し照れたように目を細めて、甘く囁くように言った。
「アリスが好きなんだ。私は君に一目惚れしたんだ。私の婚約者になってくれるか?」
突然の言葉に、私は耳まで真っ赤になって口をぱくぱくさせてしまった。
心臓が今までに無いほど速く動く。
(どうゆうこと? 今日初めてあった人に告白されている!?)
「アリス」
「ひゃい⋯⋯」
緊張のあまり情けない声がでてしまった。
「君には何不自由なく、生活できるように心がける。婚約者になってはくれないだろうか?」
家を追い出された伯爵家の令嬢が、公爵家からの縁談を断ることなんて出来る訳もなく。
私は美しく揺れる青い瞳で見つめられて、こくりと頷くことしか出来なかった。
「⋯⋯美味しいご飯が⋯⋯食べれれば、私は、それでいいです」
リオン様はくすりと笑って、すぐに頷いた。
「もちろんだ。好きなだけ食べたい物を食べていい。⋯⋯それと、銀獣の世話も好きにしていいぞ」
私が銀獣を気に入った姿を見て、銀獣のことまで付け加えてくれた。
それから私は馬車に揺られ、リオン様と一緒にフリューゲル公爵領に向かった。
その道中ではリオン様が作ってくれた新鮮な野菜たっぷりのサンドイッチを食べたり、馬の背中に乗せてもらったり、とても楽しい旅だった。
そして私は旅の疲れからか体調を崩し、一週間も目覚めなかったらしい。
目覚めた時にリオン様の少しやつれた顔を見て、申し訳なさでいっぱいだった。
☆
「アリスには銀獣のご飯のお世話から始めて欲しいのだが、できるか?」
体調も良くなった私は、リオン様に連れられて銀獣の獣舎にいた。
「はい! 私、食べることも好きですが、料理することも好きです。狩ってきた獲物を自分で調理するのが、日常でしたから」
「⋯⋯料理するのも好きか⋯⋯機会があればアリスの手料理を食べてみたいな」
目を細めて微笑むリオン様の姿に胸が高鳴った。
(この気持ちは⋯⋯なに⋯⋯?)
「⋯⋯が、頑張ります。食べて貰えるなら嬉しいです」
照れを誤魔化すように、私は小さく頷いた。
「楽しみだ。獣舎に入ろう。わからないことはその都度聞いてくれ」
「はい」
リオン様が獣舎の扉を開けると一瞬、静寂に包まれた。
でも、すぐにしっぽを振る音や、木の柵をガリガリと引っかく音や、かわいい鳴き声が溢れ出した。
「みんなアリスのことを歓迎しているな」
親の銀獣は銀色の美しい毛並みが光り輝いていて、キリッとした目つきで、気品に溢れ、力強さも感じ取れた。
「⋯⋯ここは、もふもふの⋯⋯天国ですか?」
ふわふわのもふもふ。
「そうだな。ほら、銀獣たちのご飯の準備をしよう」
「リオン様も一緒に⋯⋯ですか?」
「一緒じゃ駄目か? 今日はアリスと過ごしたくて、仕事は切りあげて来たのだが」
リオン様に生えてないはずの犬耳が、しゅんと垂れているような気がした。
「⋯⋯駄目じゃない、です。すごく、嬉しいです」
「よかった」
リオン様がふわりと微笑んだ。その柔らかな表情に、胸がどきりと音を立てる。
(か、顔が良すぎるのに、その微笑みは反則すぎる……)
「お、お肉はどう調理するんですか? 生で食べさせるんですか?」
「成獣は生で、幼獣には今はまだ火を通したものを与えている。成長に合わせて徐々に生肉を混ぜて与えるんだ」
「わかりました」
私は大きな肉の塊から分けてもらったお肉をリオン様から受けとった。
肉の繊維の向きを確認して垂直に包丁を入れる。研ぎ澄まされた包丁はするりと肉に沈み、三センチほどの厚さに四角く切り分けていく。
幼獣が食べやすい大きさだ。
「⋯⋯手際がいいな」
リオン様が褒めてくれる。
完成したご飯をもって、銀獣の子――幼獣の元に向かうと、青い瞳をキラキラさせながら、柔らかい毛並みの幼獣たちが足元にまとわりついてくる。
鼻先を押し当てられたり、足をくすぐられたりする感触に、自然と笑みがこぼれた。
「くすぐったいよ⋯⋯ちゃんとご飯あるから、おとなしくしてね」
お皿を一列に並べ、丁寧にご飯を盛り付ける。
幼獣たちは我先にと顔を突っ込み、夢中で食べ始めた。
隣のお皿に手を伸ばそうとする子を優しく誘導したり、食べ終わった子の口周りをタオルで拭いたり、一頭ずつ成長と体調を確認しながら記録を取る。
じゃれついてきたり、顔をペロペロと舐めようとする子もいて、そのたびに胸が温かくなった。
こんなにかわいい子たちの世話をさせて貰えるなんて、フリューゲル公爵家にこれて本当に良かった。
だからこそ。
この場所で幸せに生きてもいいのだろうか? また捨てられてしまうのではないか? と、不安に襲われた。
☆
獣舎でのお世話が終わった私は、リオン様と一緒に食堂に移動した。
扉を開ける前から、赤ワインの深みのある芳香な香りと、牛肉の旨味がしっかり溶け出したコク深い肉の匂いが、部屋中に広がっていた。その香りに、食欲がじわじわと刺激される。
席につくと、給仕が熱々のビーフシチューとふっくらとした丸いパンを配膳してくれた。
私はスプーンを手に取り、一口すくって口に運ぶ。
煮込まれた玉ねぎやにんじんの甘い野菜の香りが口いっぱいに広がる。とろみがありつつも重すぎないソースに、赤ワインの酸味とコクがしっかり効いていて、牛肉の旨味が濃厚に染み出してる。
「んっ、おいしい」
私は美味しさに頬を抑える。
「ああ、よく煮込まれているな」
牛肉はスプーンで簡単にほろほろ崩れるくらい柔らかくて、口に入れた瞬間、肉の繊維が溶けるように、崩れながらソースの味わいがジュワッと広がる。
甘いだけじゃなくて、酸味ととのかな苦味のバランスが絶妙だった。
「お肉が口にいれた瞬間とろけます⋯⋯」
「初めて一緒に食べたステーキと同じ肉を使っているんだ。アリスが気に入ってたからな」
このお肉を選んだ理由を教えてくれたリオン様の話に、私は思わず箸を止めた。
(私の好みを、ちゃんと覚えていてくれたんだ)
その事実が、想像以上に嬉しかった。
「⋯⋯ カルノタトルのお肉⋯⋯カルノタトルってなんですか?」
「知らなかったのか? 」
リオン様が少し驚いた表情で私を見た。
「⋯⋯はい」
「小型竜の名前だ」
「なるほど⋯⋯竜のお肉だったんですね」
「魔物の肉を食べるのは、あれが初めてだったか?」
「そうですね。魔物の肉も、こんなに美味しいんですね」
好奇心が湧いて、他の魔物のお肉も食べてみたいと思った。
「フリューゲル騎士団の任務は魔物討伐だから、魔物討伐に行ったら他の魔物の肉も食べさせてやる」
「ありがとうございます。楽しみにしていますね」
まだ見ぬ魔物に少しわくわくし、私は柔らかいパンをちぎって、ビーフシチューに浸した。
パンのふんわりとした食感とソースのトロトロした舌触りが合わさり、口の中でとろける。甘みのあるパンとシチューのコクが混ざり合って、とても優しい味わいになる。
最後はパンで器の底を拭うように、一滴残らず味わいながら食べ終えた。
「満足してくれたようで良かった」
「はい! ごちそうさまでした」
リオン様の穏やかな声に私は微笑み返した。
「⋯⋯アリス、私は明日から数日、城を空けるが大丈夫か?」
リオン様は小さく息を吐いて、私をまっすぐ見つめた。
「お仕事ですか?」
「先ほど報告があって、近隣の村で魔物が出たそうだ。アリスのそばにもう少しいたかったが⋯⋯討伐に行ってくる」
(無事に帰ってきてくれるよね?)
そう思うと同時に、胸の奥に寂しさがじんわりと広がった。
「アリス。心配しなくてもちゃんと帰ってくるから、そんな顔しないでくれ。離れたくなくなる」
心の中を見透かされたようで、急に頬が熱くなった。
「はい……すみません」
私は遠征に行くリオン様のためになにかできることはないか、考えたのだった。
☆
翌朝、私はリオン様と騎士団のためにお弁当を用意した。弁当を持って行くと、フリューゲル騎士団は遠征前の最終確認をしている。
リオン様がどこにいるのかすぐにわかった。陽光に輝く黄金色の髪、黒を基調に金をあしらった騎士団正装、そして風になびく長いマントが、リオン様をより格好よく見せていた。
その隣にはキリッとした表情で立派な佇まいの銀獣が神々しく控えている。リオン様と銀獣の並びが美しいすぎて、思わず立ち止まり見蕩れてしまった。
「どうした? アリス。朝食を一緒に食べれなくてすまない」
長いマントを翻して歩く姿に、私だけを映すアクアマリンの宝石のような瞳から目が離せなかった。
心臓はどきどきして、お弁当を渡して言おうとしていた言葉が、喉に詰まって出てこない。
「アリス? 顔が赤いが熱でもあるのか?」
甘い声で覗き込むように顔を見られて、さらに熱があがる。
耳まで真っ赤にして、なんとか声を出す。
「あ⋯⋯っ! あの⋯⋯」
「うん?」
「お、お弁当を作ってきたので⋯⋯皆さんで遠征中に食べてください」
勇気を出して私がお弁当を差し出すと、リオン様の目が大きく見開かれた。
「お弁当⋯⋯アリスの、手料理⋯⋯?」
「はい⋯⋯。ご、ご迷惑でしたか⋯⋯?」
声が震えてしまった。
「いや、迷惑なわけあるか。好きな相手から手作りの弁当もらえて、すごく嬉しい。⋯⋯正直、遠征なんか行きたくなくなる」
「⋯⋯っ!! それは⋯⋯」
「閣下、魔物討伐に行かなければ、この地の安全も守れませんよ」
遠征に行きたくないと言い出すリオン様にシリル副団長が苦笑しながら口を挟む。
「シリル、わかってはいるが、離れなくないと思ってしまうんだ。わかるだろ?」
「いいえ、分かりません」
「遠征前の大事な時間にお邪魔してしまい、すみません」
何やら喧嘩になりそうだったので私は謝った。
アリスは、アリスティア様は、悪くありませんとふたりの声が重なった。
「その、皆さんの分もありますので、遠征お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ありがとうございます。アリスティア様。大事に食べさせて頂きます」
シリル副団長が一礼してリオン様と二人きりにしてくれる。
「アリス」
「はい」
静かに名前を呼ばれて、私は背筋を伸ばす。
「遠征から戻ってきたら、一緒に街に出かけよう。まだ、フリューゲル公爵領の街をちゃんと案内出来ていなかったな」
「ありがとうございます。楽しみにしています」
「ああ、それとこれを」
リオン様が私の手をそっと包み込み、手のひらにアクアマリンの宝石がついたペンダントを乗せた。
「これは⋯⋯?」
「私が傍に居られない間、アリスを守ってくれるように魔力が込めてある」
私は宝石を握りしめ、胸元にそっと当てた。
人からこんなに素敵なものを貰うのも、こんなに嬉しく感じるのも、初めてだった。
「無事のお帰りをお待ちしております」
「アリスを悲しませない為にも、無事に帰ってくるから、心配するな」
リオン様はそう言い残して、銀獣の背に跨り魔物討伐の遠征に向かう。
私はその背中を見送りながらリオン様の無事を、騎士団の皆が怪我なく帰ってきてくれることを静かに祈った。
リオン様が遠征に行っている間、私は過去に虐げられていた記憶を断片的に思い出していた。母に「役立たずの娘」と叩かれ、罵られる。
その記憶は私を苦しめた。同時にひとり公爵家に残された私は、寂しさを感じていた。
そして私はリオン様と離れ、はじめて自分がリオン様を好きになっているのだと、自覚した。
もうリオン様に嘘をつき続けたくなくて、血に治療能力があるという秘密を打ち明けようと決心した。
☆
リオン様が遠征から帰ってきた日、私は秘密を打ち明ける前に縋り付くように告白していた。
「⋯⋯リオン様、⋯⋯わ、わたしは⋯⋯リオン様のことが⋯⋯好き、です⋯⋯ごめんなさい、ごめんなさい⋯⋯」
この気持ちを伝える前に、嘘をついて、能力を隠していたこと、全部謝りたかった。
それから、許されるなら、傍にいたいと、どんな事でもするから、捨てないで欲しいと。
けれど、言わなきゃいけなかった言葉はなにひとつ出てこなかった。ただ、自分の想いを伝えていた。
「っ⋯⋯! なぜ、謝る。 謝らなくていい、初めて会った日に、私は言ったはずだ⋯⋯」
涙を流す私を、リオン様は優しく、それでいて、もう手放さないと強く私の体を抱き寄せる。
「私はアリスに一目惚れしたと、言っただろ? ずっと待つつもりだった。アリスが私を好きになってくれるまで……」
リオン様は私を抱き寄せる腕を緩めた。
私だけを映す瞳と目が合う。
「愛してる。アリス」
蕩けるように甘い言葉とともに、唇に柔らかいものが触れた。
リオン様から伝わる熱が、凍てついてしまった私の心を溶かすように、包み込んだ。
胸に顔を埋めて、嗚咽を堪えるように泣き出した私を、リオン様は何も言わずに、ただ、優しく抱きしめてくれた。
どのくらい、そうしていたのだろうか。
落ち着きを取り戻した私はどんな顔をすればいいのか、分からなかった。
心臓がばくばくとうるさく鳴っている。
恥ずかしすぎて、たぶん私は耳まで赤くなっている。
(⋯⋯私、リオン様と口付けした!? なんで!? どうして、私は、勢いで告白しているの?)
冷静に考えれば、有り得ないことをしでかしている。
いくら、嫌な記憶を思い出したからと、不安な気持ちを抱えきれなくて、縋り付くなんて⋯⋯。
その場の勢いで「好きです」と伝えてしまった。
――でも、私は婚約者がリオン様でよかったと、生きることを諦めなくてよかったと心の底から思った。
「⋯⋯リオン様、わ、わたし、ずっと、う、嘘をついて⋯⋯いました」
言うなら今しかないと思った。
声が震えて、体が震え、リオン様の顔を見ることができない。
でも、もう逃げない。諦めない。
自分の意思をしっかりと伝えるんだ。
隠しごとなんかしたくない。
「わたしは、治癒の力を使えるんです⋯⋯わたしの血に傷を癒す力が、あるんです。⋯⋯必要なら、血をあげます。だから、追い出さないでください⋯⋯そばに、いさせてください」
たとえ人々の治療をする為に、切り刻まれようとも、ここに置いて貰えるなら、どんな痛みにだって耐えられる。
リオン様に与えられる痛みなら、耐えてみせる。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
沈黙がおちる。
いや、違う⋯⋯。
肌を突き刺すような、凍てついた冷たさに、私はリオン様がすごく怒っているんだと感じた。
ずっと、騙していたんだから、許して貰えないのは⋯⋯当然で、また、涙が滲む。
――泣いたらだめ、そんなの許されない。
「っ⋯⋯! 騙して、黙ってて、ごめんなさい、ごめ⋯⋯」
私の言葉を遮るように、リオン様は私を抱きしめた。
「謝るな。すまん、怒りで、魔力が抑えられない、アリスに怒っているんじゃない。アリスをここまで追い詰めた奴に怒っているんだ」
「あ⋯⋯」
「それと、アリスの体に傷一つ付けさせたりしないし、傷を付けたりもするなよ」
「⋯⋯っ! それだと、治癒の力が使えません⋯⋯ い、痛いのは嫌なので、自分からは傷つけたりしません」
私を抱きしめているリオン様の手が震えている。
「アリス、君は大きな思い違いをしている。⋯⋯一つ確認させてくれ。アリスは料理をする時に、自身の血を混ぜているのか?」
「!? 」
料理に血を混ぜる?
どうして?
私は訳が分からなくて、顔を上げた。
泣きそうな顔をしているリオン様と目が合った。
「そ、そんなことしていません」
「なら、アリスの流す血に癒しの力がある訳じゃない。アリスの治療の力は料理を作ることで、発揮されるんだ」
「⋯⋯えっ?」
私の料理に治癒の効果がある?
「どうして? そんなはず⋯⋯」
「逆にどうして、血に傷を癒す力があると思ったんだ」
静かにリオン様に問われた。
「⋯⋯昔、手負いの狼に襲われて、私は怪我をして、狼は元気になって走り去っていったんです。⋯⋯だから、私の血に傷を癒す力があると思ったんです」
リオン様は大きく息を吐いた。
「アリスが無事で良かった。その時⋯⋯狼がアリスを襲ったのは、なにか食べるものを持っていたからじゃないのか?」
「⋯⋯はい、わたし⋯⋯非常食で、いつも手作りの干し肉を持ち歩いていました⋯⋯」
「干し肉⋯⋯」
リオン様は口元を手で覆い、小刻みに肩を震わせた。
笑いを堪える仕草に私はとんでもない勘違いをしていたんじゃないかと、思い始めた。
実際、私は自分の体に傷を付けて、血に傷を癒す力があるか、確かめたことはない。
怪我が治った狼の姿を一度だけ、目にしたことがあるだけだった。
「⋯⋯でも、私の料理に⋯⋯本当に、治癒の力があったんですか?」
リオン様が嘘をついているようには見えないが、信じられなかった。
「ああ、間違えない。遠征中に、怪我をした騎士がアリスの料理を食べて、怪我が治り、魔力まで回復したんだ。あの光景を見た時は驚いた。それに、銀獣でも怪我が治るか確認したんだ」
リオン様の大きな手が、私の頭を優しく何度も撫でてくれる。
ずっと欲しかった温もりに、胸の奥にじんわりと温かいものが広がった。
「⋯⋯私の力は、料理に込められるなんて⋯⋯よかった⋯⋯⋯⋯痛い思いはしなくていいんですね⋯⋯」
声が震える。
私はずっと、自分の血が傷を癒すと思い込んでいた。
他人から与えられる痛み、斬られる恐怖から、必死に逃げてきた。
――母から暴力を受けていた記憶が、思い出せなかったのに、その時の恐怖と痛みが無意識に私を縛り続けていた。
「っ⋯⋯! あたり前だろ! たとえ、アリスの血に傷を癒す力が合ったとしても、傷つけたり、痛い思いなんてさせる訳ない。アリスが、力のことを話してくれるのが、私で本当によかった」
「⋯⋯っ、うっ⋯⋯っあ、⋯⋯ううっ⋯⋯」
堪えようと思っていたのに、また涙が流れる。
怖くて、苦しくて、辛かった。
「好きなだけ、泣いていい。私が、アリスを絶対に守る。傍にいるから、安心しろ」
「はい⋯⋯、リオン様⋯⋯わたし、本当に、ここにいて⋯⋯いいんですか?」
「私が、アリスに傍にいて欲しいんだ。手放すなんて考えられない」
甘く、熱い声とともに、唇が重なった。
先ほどより深く、確かな想いを込めた口付けだ。
「愛してる⋯⋯アリス。 これから先もずっとそばにいてくれ」
耳元で囁かれる声が私の心を温かく溶かしていく。
私は小さく頷いて、またリオン様の胸に顔を埋めた。
耳まで熱を持って、息をするのも難しいほどだった。
心臓の音がさっきとは違う理由で激しく鳴っていた。
――私、リオン様の隣にずっといられるんだ。
私はようやく、自分の能力の真実を知り、安心出来る居場所を手に入れたのだった。
お読み頂きありがとうございました!
こちら長編版もありますので、よかったらどうぞ。




