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異世界のんびり鍛冶屋『ひっそり暮らしたい刀匠の異世界工房』  作者: 常陸之介寛浩㊗️オリコン週間ランキング9位㊗️


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第3話 森の石、異世界の鉄

翌朝、目を覚ました瞬間に最初に考えたのは、腹のことでも喉のことでもなかった。


 あの赤茶けた崖だ。


 昨日の夕暮れに遠目で見ただけの、鉄錆に似た色をした地層。確信があるわけじゃない。だが、ただの土の色にしては気になりすぎた。もし鉄分を含んだ層なら、この森での暮らしは一気に現実味を帯びる。逆にあれが見当違いなら、しばらくは拾った石や偶然の金属片めいたものを相手に、ひたすら綱渡りを続けることになる。


 つまり、今日の探索は今後を左右する。


 焚き火の残りを整え、水を飲み、昨日使った粗末な斧もどきと小刀を腰に差す。食料の確保は相変わらず課題だったが、今のところ飢え死にするほど逼迫してはいない。身体は少し重かったが、動けるうちに動くべきだ。


 拠点に決めた小高い場所から、昨日見た崖の方角を見上げる。朝の光の下では、赤い色は夕暮れほど目立たない。それでも、木々の隙間からのぞく斜面の一部が、ほかの土とは違う表情をしているのが分かった。


「……当たりであってくれよ」


 誰に願うでもなく呟いて、俺は森の中へ踏み込んだ。


 道はない。獣道らしき細い踏み跡が時折見えるが、人の手が入った気配はほとんどない。背の高い草を避け、枝を払い、地面の起伏を読みながら進む。沢を一つ越え、湿った窪地を迂回し、根の浮いた斜面を慎重に登る。道具も装備も足りない身では、この程度の移動でも地味に体力を削られる。


 それでも、目は自然と地面を追っていた。


 鍛冶屋は、歩きながらでも石を見る。


 色。重さ。割れ方。土との混じり方。表面に浮く酸化の気配。何年も工房にいたせいか、気づけばそういう見方が身体に染みついている。普通の人間がただの石ころとして通り過ぎるものの中にも、こっちにとっては意味のある顔をした石がある。


 斜面の途中で、俺は最初の一つを拾った。


 赤黒い小ぶりな石だ。乾いているのに妙に重い。表面にざらつきがあり、指先に少し粉を残す。小刀の背で軽く叩くと、鈍い金属音とも石音ともつかない響きが返ってきた。


 膝をついて、近くの岩にぶつけて割る。


 ぱきり、と割れた断面を見た瞬間、少しだけ口元が緩んだ。


 中は黒に近い濃い色で、ところどころ赤茶が筋になっている。完全にきれいな鉱石というわけではない。脈石も混じっているし、不純物も多そうだ。だが、ただの石じゃない。


 割れ口を鼻先に寄せて匂いを嗅ぐ。土臭さの奥に、かすかに鉄臭いような、乾いた血に似た匂いがあった。


「赤鉄鉱……いや、褐鉄鉱も混ざってるか?」


 思わず声が出た。


 誰もいない森の中で一人、石に向かってぶつぶつ言う。傍から見たら相当怪しい。だが、この瞬間だけはそんなことはどうでもよかった。


 さらに周囲を探る。赤い地層に近づくほど、似たような石が増えてきた。地面に転がるもの、斜面から半ば顔を出しているもの、崩れた土の中に埋まっているもの。いくつか拾って比べると、同じように見えて微妙に違う。赤みが強いもの、黒が強いもの、妙に重いもの、軽いもの。


 その中で、一つだけ明らかに変な石があった。


 大きさは握り拳ほど。表面は鈍い灰黒色で、土を払っても光沢は弱い。だが持ち上げた瞬間、予想以上の重みが手にずしりと来た。


「重いな……」


 思わず声が低くなる。


 同じ大きさの鉄鉱石らしき石より、さらに詰まっている感じがする。表面には細かな筋のような模様があり、ただの石の割れ目とは少し違って見えた。気になって岩に打ちつけてみると、思いのほか硬い。二度、三度と角度を変えて叩いて、ようやく端が欠けた。


 露わになった断面は、黒でも赤でもなく、わずかに青みを含んだ灰色だった。


 そこだけ、鈍く光を返した。


 俺はしばらく無言でその断面を見つめた。


 現代日本の工房で触れてきた素材の顔ではない。砂鉄とも違う。一般的な鉄鉱石の素直な感じとも違う。金属分はありそうだが、どういう性質なのか見当がつかない。匂いも独特だった。鉄臭さに、ほんの少しだけ石灰にも似た乾いた香りが混じる。


 断面を小刀でこすってみる。思ったより傷がつきにくい。逆に、表面から細かい銀灰色の粉が落ちた。


「なんだお前」


 石に問いかけても答えはない。


 だが、その分からなさがたまらなかった。


 知らない素材だ。少なくとも、俺の知っている範囲ではすぐ名前が出てこない。鉄なのか、鉄を含んだ別の鉱物なのか、あるいはもっとまるで別種のものなのか。異世界なんだから、現代の常識にない鉱石があっても不思議じゃない。


 そう考えた瞬間、背筋にぞくりとしたものが走った。


 怖さではない。もっと乾いて、澄んだ興奮だ。


「……面白い」


 気づけば、完全に独り言が増えていた。


 この世界は不便だ。寝床は硬いし、食い物の当ても怪しいし、人里との距離だってまだ心許ない。正直、生活だけ考えれば面倒なことだらけだ。


 でも、素材には夢がある。


 工房の外へ出るのが億劫で、人付き合いも嫌で、世間に出て名を売りたいなんて一度も思ったことがない俺でも、新しい鉄、新しい鉱石、新しい火の反応には抗えない。知らないものに触れられる。それだけで、世界の見え方は変わる。


 この森は、ただ俺を放り出した災難の場所じゃない。


 未知の鉄に触れられる場所かもしれない。


 そう思ったら、足取りが少し軽くなった。


 俺は使えそうな石をいくつか選んで布に包み、抱えられるぶんだけ持って拠点へ戻った。重い。特にあの灰黒色の変な石は、見た目のわりに異様に腕へ食い込む。だが捨てる気にはなれなかった。こういう「何だか分からないが気になるもの」は、後で役に立つか、少なくとも職人の頭を刺激してくれる。


 拠点へ戻ると、休む前にすぐ手を動かした。


 今やるべきは、昨日よりまともな炉を作ることだ。


 簡易すぎる焚き火では温度が足りない。即席の刃物をもう一段まともにするにも、鉱石の反応を試すにも、火床と炉壁が必要になる。


 まず土を見る。昨日の周辺探索で、沢から少し離れた窪みの底に粘りの強い土があるのを見つけていた。そこから両手で掘り、石や枯れ根を取り除く。指でこねると、昨日触った表土よりずっと粘る。これなら、砂や草を混ぜれば炉壁材にできそうだった。


 次に石を運ぶ。熱に弱そうな脆い石は避け、密度のあるものを選ぶ。形の整ったものは壁に、平らなものは底の支えに回す。完璧じゃなくていい。大事なのは、熱を逃がしすぎず、すぐ崩れないことだ。


 地面を浅く掘って火床の位置を決め、半円形に石を組む。風を入れる口を一方向に絞る。さらに外側を土で固めていく。工房にある立派な炉から見ればおままごとみたいなものだが、それでも「火を閉じ込める形」にしていくと、気分が違ってきた。


 自然と手が早くなる。


「ここはもう少し絞るか……いや、そうすると炭の量が足りないか」

「底は浅すぎるな。石を一枚かませた方がいい」

「送風が欲しい。鞴は無理でも、風を寄せる工夫くらいは……」


 独り言が止まらない。


 普段の俺を知る人間が見たら驚くだろう。人相手には必要最小限しか喋らないくせに、石と土と火の話になると口数が増える。自覚はある。だが直す気もない。話す相手が人じゃないなら、わりとどうでもいい。


 炉壁をある程度形にしたあと、木炭を焼く準備に移る。大きな設備はまだ無理だから、今回は少量でいい。乾いた硬木を選んで短く切り、土をかぶせて酸素を絞りながらじっくり蒸し焼きにする。炭は火の質を変える。焚き火のままだと、温度も安定も足りない。まともな刃物を打つには、どうしても必要だ。


 小さな炭焼きの山をいくつか作り、火の回り方を見ながら置いていく。煙の色、漏れ方、土のひび。目を離してはいけない仕事だが、逆にこういう手間の積み重ねは嫌いじゃない。いや、むしろ好きだ。派手じゃなくても、こういう地味な下準備が最終的な出来を左右する。


 日が傾き始める頃には、拠点の脇に「工房未満、焚き火以上」くらいの炉ができていた。


 小屋はまだない。屋根と呼べるものすらない。だが、石を組み、土を盛ったその形を前にすると、昨日の自分より一歩先へ進んだ実感があった。


 俺は拾ってきた鉱石を並べ、ひとつひとつ手に取った。


 赤黒い、鉄鉱石らしき石。黒が強く、密度のあるもの。褐色の筋を持つもの。そして、あの妙に重い灰黒色の石。


 手の中で転がしながら、思わず小さく笑ってしまう。


「異世界、ね」


 いまだに実感は半端だ。目が覚めたら元の工房に戻っていて、師匠に「寝ぼけて何ほざいてんだ」と怒鳴られても驚かない。


 けれど、この石たちは夢にしては具体的すぎる。


 重さも、匂いも、割れ方も、全部が知らない。知らないくせに、ちゃんと素材としてそこにある。


 それが嬉しかった。


 元の世界では、鉄は鉄だった。もちろん産地や精錬法で差はあるし、砂鉄にも玉鋼にも奥深さはある。だが、それでも大きな意味では知っている範囲の中にあった。ところが今、俺の手の中には「何になるのか分からない鉱石」がある。


 職人としては、これ以上ないご褒美かもしれない。


 準備した炉に、ようやく火を入れる。


 細枝から始め、乾いた薪へ、そして出来たばかりの粗い炭を慎重に混ぜていく。風を受ける口から空気が入るよう、身体の向きまで考えて座り直す。火は最初こそ弱々しかったが、囲われた熱がじわじわと炉の内側を温めていくにつれ、色が変わり始めた。


 橙から赤へ。赤から深い赤へ。


 昨日までただの焚き火だった火が、少しだけ「使える火」になる。


 その変化を見るだけで、心の奥に溜まっていた何かが静かに整っていく気がした。


 拾ってきた石のうち、まずは鉄鉱石らしきものを一つ火のそばへ置き、熱の入り方を見る。表面の粉がじわりと色を変える。続けて例の灰黒色の石も近くに置くと、こちらは火に照らされて鈍い赤を返した。真っ赤に輝くわけではない。むしろ、内側に熱を呑み込むような赤だ。


「お前、そう来るか」


 また石相手に喋っている。


 でも仕方がない。面白いものは面白いのだ。


 炉の中で赤く染まり始めた石を見つめながら、俺は膝を抱くように座った。火の熱が頬を焼く。土の匂いと木炭の匂いが混ざる。耳には、ぱち、と炭の弾ける音。


 その全部が、ひどくしっくりきた。


 異世界に来て三日目。相変わらず状況は不安定で、暮らしも先が見えない。だが、少なくとも今この場所には火がある。炉がある。石がある。俺が手をかければ、何かを生み出せるだけの条件が、ちゃんと目の前に揃い始めている。


 気づけば、口元に小さな笑みが浮かんでいた。


「……悪くないどころじゃないな」


 誰に聞かせるでもなく、そう言った。


 火に照らされて赤く染まる石は、まるで新しい世界の入口みたいに見えた。


 その時、初めてはっきり思った。


 ここでならやれるかもしれない、と。


 ただ生き延びるだけじゃない。火を育て、道具を作り、素材を見極めて、自分の仕事を積み上げていけるかもしれない。そう考えた瞬間、この森はもう「見知らぬ場所」ではなくなっていた。


 工房と呼ぶにはまだあまりに粗末だ。けれど、火の前に座る俺にとっては十分だった。


 異世界で初めて、自分の居場所を得た気がした。

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